記録盤 No.001

【チャプター・008/049 〈虫〉と脚と男と今と】


 ──そうして路面機関車が停止すると、開扉と同時に、乗客が溢れ出た。


 自身の居住区域から、最寄りの〈常駐遊演道メニィアーケード〉目指して、彼等はガタゴト揺られて来た──お次は自前の脚の出番、己が趣向と気分に見合う、“享楽”を満喫するその為に、テクテク石畳の上を歩き出す──その脚元をシャカシャカ動くは、灰皿型の清掃機械スウィーパァ。市民に取っての一番の顔馴染み(お次が羽撃き機械オーニソプタァだろう)は、少しの塵芥も御馳走とばかりに、人々から堕ちたる砂埃を喰らう。お蔭で街路には汚れ一つ無く、磨かれた石畳も輝いて見えよう──そのまま“彼等”は何処へと向かう。市民の歩みを妨げぬ様、親機の元へ/〈マザァ〉の元へと帰還するのか、


 ──その内の一基が、グシャリと踏まれた。


 『市民の歩みを妨げぬ様』には、壊れ易さも含まれている。例え誤って踏んだとしても、痛くも痒くも無い様に──散らばる残骸に関しても、仲間達がどうとでもしてくれる。一斉に群がる灰皿達が、歯車の一つも見逃すまい。

 その結果をまぁ見る事も無く──片脚はテクテク歩き出す。痛くも無ければ痒くも無いなら、踏んだ事すら気付かない──『市民の歩みを妨げぬ様』に、だ。


 そして、この脚の持ち主こそ、我等の〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉であると、言う訳では決して無い──違う。今のは只の通行人、どうでも良い市民の一人に過ぎず──〈運命の犠牲と成るべき者グランドマザァ・ハッカァ〉は、今その後方にて佇む彼だ。


 機構仕上げと切り揃った黒髪/陰気を孕む丹精な顔立ち/縦にひょろ長い、痩けた青年──〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は、その一部始終を目撃していた。


 動く脚と揺れるスカート──潰される一基に群がる機械達──


 その光景はほんの僅か/一瞬の間の出来事であり、気付いた時には跡形も無い(文字通りに)が、彼は確かな〈啓示〉を得た(?)。自身の〈未来〉に待ち受けるものを(?)、これから何が起きようとしているのかを(?)──違う。

 〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉もまた通行人、取るに足らない者に過ぎない。十五年にも渡る教導義務カリキュラムを経て、自身でも良く良くそれを理解していれば、想う所等何も無く──〈常駐遊演道メニィアーケード〉への道行きを、皆と同じく再開する。


 そこらの人々と大差無い、が、故にこそ、選ばれる事とも気付かぬ侭に、今日も何も変わるまいと、想う事無く想いながら──予想が外れる事も知らないで。


(予想外は二重、三重と積み重なる予定だが、今は一先ず置いておこう。どうせ嫌でも分かって来る──一つを挙げると、『今日では無い』と、言う事とかだ)


【チャプター・009/049 大衆の道行き】


 なんにも知らない〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉──歩み歩み、歩み続けたその脚は、彼を〈常駐遊演道メニィアーケード〉の入り口へ──(より正確に記すならば、〈ヴィクトリア常駐遊演道メニィアーケード〉が正確な呼び名だが、今は別段どうでも良い。どの〈常駐遊演道メニィアーケード〉も基本的には大差無いし、そもそも/元々、個々の名称を気にする者なんて、蹴球フット愛好家位のものだ)──庇付きの、機械式関門ゲートが前へと誘う。

 黒い外套の懐から、真鍮合金の市民証を取り出し、読取機械リーダへ挿入する。

 流れる列の、流れる手付きで、流れる様に穹窿ヴォールトの下へと──

 何時もと変わらない一歩を踏み出せば、待ち受けるものもまた変わらない──“享楽”の為の無数の施設/無数の店々/無数の自動販売装置達──


〈【温】『詰め瓶少女ボトルノガールの口吻を』【冷】〉

〈純粋喫茶ネルレラク〉

〈空飛ぶ豚の落下跡屋〉

〈カフェ・ド・ラルク〉

〈TABLE GAME CENTER/HIGH BISHOP〉

酒房パブ/ビーフ・イーター〉

〈ぐるぐるエアリアル貸本屋〉

〈【温】『詰め瓶少女ボトルノガールの口吻を』【冷】〉

〈オール・ボール・モール・ショップ〉

〈万有ハーブ薬局『点眼薬お取扱い』〉

〈クエイカー珈琲〉

〈『〈鳥〉や〈魚〉、あの〈獣〉との出会いを、もう一度』〉

〈自殺志願者・支援/防止管理事務所〉

〈数多の代理戦士亭〉

利便喫茶コンヴィニエンスイディラーク〉

〈ウィル座〉

〈【温】『詰め瓶少女ボトルノガールの口吻を』【冷】〉


 等などを無視して進む進む──昏きを湛える緑眼は、既にして目的地をこそ捉えている。時刻は午前の十時前後、来場者数は多過ぎず少な過ぎずの、(これまた)何時も通りであり、急ぐ必要も──“必要”そのものが無い訳だが、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は進むのを辞めない。都度に顕れ出る意匠、/この街の〈女王〉の似姿たる、〈アリス〉の偶像を横切って、彼氏は入口へと辿り着く。


 算譜機械コンピュータ遊戯ゲェム関連の内、〈入没インジャック〉専門のその施設には、一つの俗称が与えられている──〈ポート〉と付けられた其の命名は、感傷的だとも言えるだろうか。

 ──何がどの様に“感傷的”かは、直ぐにでもきっと分かる事だ。


【チャプター・010/049 仮想冒険の為の諸手続き】


 〈唯都シティアリス〉建造物の内装は、概ね似通った造詣デザインである。接客をこそ“享楽”とし、市民が経営でもして居ない限り、全ては〈三姉妹〉へと通じている。


 頭上の撮影鏡カメラに見守られつつ、自動扉に誘われれば、黄昏セピアに染まる大広間と、受付口が出迎えてくれる──そして勿論、〈令嬢レイディ〉だ。長髪こそは黄金だけれど、瞳の色は碧であり、〈次母〉の面影が伺える。屯する市民も疎らならば、視線と微笑は直ぐにでも新規客へ、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉へと向けられて、


 ──ようこそいらっしゃいました市民……証明証の提示をお願い致します──


 彼氏は別段揺るがなかった。無言の侭の無表情にて、再び取り出した市民証を、仕掛傀儡プレイヤ・パペットの眼前へと翳す──碧い瞳が静かに煌めく。表面に穿たれた無数の穴の、配置と深度が走査スキャンされ──一層の微笑が、美貌へと浮かび上がる。


──ありがとうございましたブランドン・ベルゲン様……──

──貴方を正規の市民と認め、この施設の利用を許可致します──

──このまま口頭にて進めますか……或いは別口の端末にて──


 進めますか? と続く『台詞』を、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は手振りで遮断し、示唆された端末装置デスクトップへと近付いて行く。壁際に設置された常設画面モニタより、この世成らざる風景の数々──此れまでずっと行われて来た、冒険譚の回想記録リプレイログ──が、延々表示され続けるを見遣れば、強張った顔付きにだって自然と緩みが出来てしまう。それが善き場面のみを掻き集めた、編集済みの記録であろうと、確かにその様な事が在ったのだと、思い出さずには居られぬのだから。


 其処に自分も居たのだと──内なる分身に想いを馳せて──


 ──そうこうする間に、処理は終わった。

 完了確認の是否に応じ、打刻鍵盤タイプボードの〈決定〉を叩く。

 後は準備に暫し待ち──呼び出されれば、向かうまでだ。


 操作した端末の画面モニタには、以下の題名タイトルが灯っている。

 〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉のお得意先──彼の目下の“享楽”が中心。

 その名も何と〈ペイル・ピット〉──ご存知かどうかは知らないけれど。


【チャプター・011/049 準備作業は念入りに】


 広間の隅の待合席で、懐中算譜機アルバートを弄って暇を潰す。掌大の箱形の中、カチリコチリと歯車が動き──呼び出しが掛かったのは、きっちり三分経過後だった。

 立ち上がり、勇み脚にて奥へと進む。まぁ精々、少しの小走りではあったけれど、逸る気持ちは確かに在って──『十四番へとお入り下さい』『御案内は御入用ですか?』 勝手知ったる〈令嬢レイディ〉の言葉を、全て無視する程度には。


 廊下を歩む〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉──気色は変わらず、左右に扉。外から中は伺えず、音漏れだって皆無だが、確かな雰囲気は伝わって来る。活気、高揚、興奮、熱狂──きっと錯覚には違いないが、それでも肌で感じている。

(──実際は大半が無人だったので、“きっと”所では無かったけれど……)


 そうして辿り着いた『No.14』は、予め扉が開いており(だから彼氏は勘違いしたのだ、閉じているなら有人の筈と)、部屋の様子が一望出来る。

 と言った所で、大したものが有る訳では無い──一部屋ワンルームと呼ぶのも憚られる/『筐体ハコ』と言う印象の拭えない空間の、正面左右を囲っている(そして実は扉側も含む)壁一体型の大画面モニタ、及び打刻鍵盤タイプボード操作桿コントローラ、その他諸々が合わさった、些か大仰な安楽椅子=操縦席コックピットが中央に位置している。調度品と呼べるのはそれだけで、何も迷う事は無い。〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は腰を下ろした。


 壁の向こうか天井裏か、何処かに撮影鏡カメラが潜むのだろう、途端に扉が閉められると共に、四方の壁が色を変え出す──挟み込まれた三層の墨染インクが、圧に従い蠢いて、独自の“渦”を形成する──間に、操縦席コックピットの位置取りを済ませよう。

 背凭れの角度、鍵盤ボードの角度、スティックの角度を最適に──全身装着式も存在して、そちらは身に纏うだけで完了であるし、〈入没インジャック〉の定義にも見合っているが、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の好みでは無い。自身が操り人形にでも成った様な、無数の結線ワイヤやら関節やらが苦手で、更には別に、“自分が”〈入没インジャック〉したいという訳でも無くて──此処には大いなる勘違いが在り、言ってもなかなか理解されない。歯痒さもあるが、仕方が無い──遣らないならば、仕様も無いのだ。

 だからこそに彼は遣る──操作桿コントローラを両手で握り、深呼吸を一度、二度──そこで最後の仕上げが作動し、操縦席コックピット後部の腕部アームが開けば、注射器状の器具デヴァイスが眼前に──首の角度も整えてやると、点眼薬が一滴、二滴と、両の眼の中に垂らされて──ある種の膜が視界を覆う、それに合わせて“渦”も収まり、微光を放つ暗闇も一瞬──次には画面モニタが躍動し、意識は彼方へと後退する──〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は微笑んだ。そらに浮かぶ題名タイトルと、表示されたる指示に合わせ、


〈PALE PIT〉

〈PRESS ANY BUTTON〉


 指を動かす──刹那、(どうでも良い)現実が薄ぎ始める。

 黒──白──光。そして光。

 光が溢れ、世に満ちる──


【チャプター・012/049 〈ペイル・ピット〉】

──は所謂いわゆる一つの〈物語随行式役割演技ロール・プレイング・遊戯ゲェム〉=〈語式演戯ロウプレ〉である。


 遊戯ゲェムへの参加者=〈行使者プレイヤ〉は、予め定められた範疇の中で〈能力数値ステータス〉と〈個性情報プロフィール〉を決定する事で、遊戯ゲェム内に於ける自身の分身=〈登場人物キャラクタ〉(の、正しくは〈役割状態パラメータ〉)を作成し、蓋然性の中で自由に操作する事で、〈大系システム〉と〈脚本シナリオ〉に拠って形作られた世界/舞台を愉しむ事が可能と成る。その目的は、往々にして〈結末エンディング〉を迎える事ではあるが、到達の条件は種々様々だ──

 その他諸々その他諸々。


 まぁ詰まる所は、即興劇アドリブ円筒風景装置ディオラマキナと、卓上テーブル遊戯ゲェムとを足して割らずに、算譜機械コンピュータで乗算したのがこの手の遊戯ゲェムで、後は派生や、種別ジャンルの変動だ──どんな〈役割クラス〉が出来るのかとか、操作方法はどの様なものかとか、世界観は/物語は/〈結末エンディング〉は、どう言う風な展開なのかとか──とかとかとか、だ。


 〈ペイル・ピット〉に関して言えば、それは概ね次の通りである。


 〈行使者プレイヤ〉は『神の血を受け継ぐ英雄の末裔』を〈登場人物キャラクタ〉として、『狂える造物主を〈深層〉に封ずる/九層に分かたれた巨大な竪穴』=即ち〈ペイル・ピット〉へと侵攻し、迷宮と化したる内部を探索の末、(封印が半ば解かれてしまった)神と戦い、以って此れを打ち倒し、〈結末エンディング〉を迎える──


 造形美術の出来栄えや、歯応えの在る攻略難易度(突破不能に見えつつも、その実、ギリギリ突破可能に)、『装備品』やら『所持品』やらの、多種/多様性に蒐集要素と──その特徴・特色を挙げ始めれば、実際切りも無い訳だけれど、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の個人的お気に入りは、何と言ってもその視点、〈登場人物キャラクタ〉当人の視界では無く、その『背後』から見通す視座を、自在に可変/可能な点と──自身が羽撃き機械オーニソプタァに成ったものと、想像を“巡らせて”視て欲しい──そして更に加えるならば、〈結末エンディング〉の様相それ自体だ。


 ネタバレを承知で解説すると──造物主が狂ってしまったのは、被造物が反旗を翻したからだ。人間が/我が仔等が、力を求め押し寄せて、簒奪の後に竪穴へと捨てた──作中、明言はされないけれど、断片的なる開示情報から、その様な真実が見出される。つまり、その非は〈登場人物キャラクタ〉側に在るが、立場(脚本シナリオ)の上では戦わざるを得ず──元より憤怒に染まっていれば、聞く耳なんて端から無くて──魅力的なる展開の分岐は、怒れる“彼女”を倒した後に待ち構える。


 瀕死の神を前として、〈行使者プレイヤ〉には、=〈登場人物キャラクタ〉には、二つの『選択』が提示される──主に真なる死を与えるか/敢えて見逃し立ち去るか、だ。


 前者の場合、既にして封印の効力は無く、息の根を止めるより他には無いが、それは被造物の崩壊を──世界の終わりを意味している。誰かが代わりと成らねばならぬが、相応しい存在は一人しか居ない──つまりはそう“貴方”である。


 後者の場合、人類に対する実質的な裏切りであり、その報いとして、何れ造物主は完全に蘇り、全てを滅ぼす〈未来〉が告げられる。それでも“彼女”に憐れみを懐き、贖罪をこそ求めるならば、誰にもそれは止められない──


 一見すると真逆の二択だが、実際の展開は同じである──新たな神に相成ろうとも、旧き造物主に滅ぼされようとも、待っているのは『繰り返し』、世界を造り直しての『繰り返し』であり──〈結末エンディング〉の分岐と到達を経て、遊戯ゲェムは諸々継続した上での“始めからリスタート”──難易度やら何やらを向上させた、『二周目』の世界が開始される。それもまた攻略されたなら、『選択』の後の『三周目』が、そして『四周目』『五周目』『六周目』と──宣伝文句に在る様に続く。


『〈ペイル・ピット〉に底は無い。貴方が決して諦めない限り──』


 とは言え──〈行使者プレイヤ〉達の大半は、『三周目』到達を目処に諦めてしまい、別の遊戯ゲェムか、“享楽”の方へと移ってしまう。指数的に上昇して行く難易度設定に、多くが付いて行けないからだ。そもそも『一周目』での難易度さえ、決して生易しい様な代物では無く、高度な技術と、根気を要する──〈第六層〉まで到れれば良い方だし、姿と、知っている人間の方が希少だ。


 だがしかし、いやだからこそ、ブラン(ドン)・ベルゲン〉は惹かれていた。

 結局は何も変わらないと、悲観的なる世界の内なら、好きに動けて応じる遊戯ゲェムを──望むのならば終わらない、無限に続く探索行クエストを──『地球は丸く、宇宙を廻る』と、信じた人々が抱いた精神を──冒険心を─―逆説的な変化を、だ。

 〈唯都シティ〉に於いて、それ等を欲するのは難しい事である。大して優秀な訳でも無い(が、劣っていると言う訳でも決して無い)半端者なら尚更にで──


 光──没薬トリップ画面モニタを引き伸ばし、その上を“現実らしさ”が覆って行く。

 下らない御託は、そろそろ良いだろう。

 只でさえ精巧なる虚構の像が、時間の限り『本物』と化して──


 ──周囲に広がるは氷の渓谷。剣の様に鋭く尖った/凍て付く岩が聳え立ち、突き出た脚場は狭く脆い。少し歩めば奈落が見えて、堕ちれば確実に〈死亡デッド〉であろう──それで終わりでは無いけれど、〈記録〉した所からの遣り直しは、場合に拠っては致命的だ。事態は慎重に進めなければ──


 既にして遠き肉の内/脳の中で、〈行使者プレイヤ〉はその様に思考した──基本も基本の事であり、重々承知はしているけれど、念には念を入れなくては。

 何せ此処は〈第九層〉──〈深層〉の真上に位置する場所だ。

 更に此れにて十二度目ならば──用心するに、越した事は在るまい?


【チャプター・013/049 〈サキシフラガ〉演舞アクト


 一本後ろに垂らされた、薄桃色の三つ編み髪/珈琲肌の中性的顔造り/靭やかなる肢体の、うら若き戦乙女──〈サキシフラガ〉が歩む姿は、この〈階層〉では異質だった。雪すら散らつく風景には、草木一本、鼠一匹在りはせず、色彩の方も淡き青白とが連なる中、“彼女”は自然な/瑞々しい力を放つかの様で──数値限界カンストに達した【体力タフネス】を参照するなら、まぁ当然の事では在ったけれど。


 その足取りが急に止まる──今居る其処は岩棚の縁、人一人通るのもやっとの様な、道とも呼べない道の最中だが、無入力に拠る静止ならば、脚を滑らす心配は無い──蒼き視線/人形の様な無表情(「有る」と言う状態が端から無い)はそのままに、“視界”と“焦点”だけをぐるり変え、斜め頭上を確認する。

 遥か彼方、岩肌の模様の様子から、一つの確信を導き出すと、〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の指が動いた──微妙な力加減に拠る操作桿コントローラの操作。合わせて己が分身である、〈サキシフラガ〉も一歩を刻むが、画面モニタに/光景に、変化は無い──様に見える程にしか動いていない、その差異こそが必要だった。


 傍目に判断は付かなくとも、算譜機械コンピュータは読み取っている──歯車と歯車に拠る実質無限大の組み合わせにて顕し得る、『〈登場人物キャラクタ〉が地点Xへと到達した』と言う情報は、伝達の末に或る指令コードを/或る算譜術式プログラムの反応を呼び起こした。


 (何処いずこ音響装置スピーカより放たれる)突如の轟音──雪崩はまるで滝の様に、細道と視線とを遮るが、丁度鼻先を通るばかりで“彼女”の身には掠りもしない──その様子を『背後』から眺めながら、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の口元から、ほうと安堵の吐息が溢れる。この〈罠〉の作動判定は、回を重ねる毎に、どんどん酷薄シビアに成って行く。巻き込まれれば、当然〈死亡デッド〉だ。何度も何度も“体験”させられた事で、それは嫌でも分かっている──認識拡張の甲斐も在るが、薬効が無くとも気分は決して良くないものだ。一度で無事に通過出来るなら、それに越した事は無く──何にせよ、これで先ずは一安心と、〈サキシフラガ〉の前進が再開する。怒涛の勢いで在ったにも関わらず、脚場に変化は訪れない。雪の一片も残ってはいないが、詰まる所は舞台上の演出、何も気にする事は無い。


 何も気にする事は無い──が、気に掛かる事なら二つ程。


 一つは、〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の視界隅に見出されている、〈サキシフラガ〉の〈役割状態パラメータ〉──【生命力ライフ】や【精神力マインド】等、目盛バァや記号に拠って図示されている一つに、『瞳』の意匠と/一桁の数字が並んでいる。

 〈語式演戯ロウプレ〉概念には、“劇”要素が伴う──然り、ならば其処には“観客”が居るものであり、顕された数字は『(端末を通して)今正に〈サキシフラガ〉と、その活躍を見守る者』の人数を示している。実際の所に“劇”要素は要素、真に見世物であると言う訳でも無いが、その増大に拠っては恩恵が得られる──余剰の価値と少々の贅沢だ──し、何より〈行使プレイ〉にも張り合いが出る。自分の分身(決して“自分”自身では無い)が注目を集めると言うのは、なかなかどうして、良い気分なのだ──〈ペイル・ピット〉の普段の様子/探索行クエストの様子は、先の通りに地味の為、観客数は振るわないが、まぁ、それならそれで構わない。見世物では無いと言った通りだし、操作にだって集中出来る。問題は、無い。


 そうして進む〈サキシフラガ〉が、細道を渡り終え、ちょっとした台地へと達した頃より、『瞳』/【の数字】が上がり始めた──〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の眉間は、微かに強張り釣り上がる。もう一つの方がお出ましだ、と──思う間も無く飛来する影に、指を弾いて“彼女”を動かす。素早く巧みな横転移動ローリングが、その強襲を回避した──一瞬まで佇んでいた地点Xに(文字通り)降って湧いたる其の影は、〈猿〉と〈鰐〉と〈狼〉とを、継ぎ接ぎした様な形状の怪物であり、〈第九層〉の名物にして、今やすっかりの顔馴染みでもある。そうでは無い方が良かったけれど、仕様なのだから仕方が無い──訳も無く、〈サキシフラガ〉は獲物を構えた。体躯に密着する暗殺者風の白外套を翻し、後ろ腰に括られた、聖別済み〈死滅の短剣〉×二本を、左右両の手に握り込む。


 青褪めた刀身が放つ斬撃は、一発の威力こそ低いものの、出が素早く、手数で圧倒する事が出来る。〈致命の一撃クリティカル〉さえ入ってしまえば、欠点なんて無い様なもの、おまけに確率での〈死亡デッド〉判定だ。通常の〈群敵エネミィ〉であれば、或いは『六周目』位までの〈階層〉だったら、これで十分相手が出来る──けれど、目の前に居る〈落とし子クリーチャ〉は、通常の〈群敵エネミィ〉では無かった(が、何度でも湧出する〈群敵エネミィ〉な事は間違い無い)し、今や此処は『十二周目』だ。指数的に上昇する難易度設定は、殊に戦闘面にて顕著であり、まともに戦うだけ損と言うもの──だが、尻に帆を掛けた逃走は、既にして何度も実行しているのに、上手く行った試しが無い。〈登場人物キャラクタ〉側の数値には上限が存在するのに、どうやら向こうは違うらしい──〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の口元が、再び吐息を漏らすけれど、今度のそれは安堵では無い。『周回』を重ねても世界そのもの/仕掛そのものに大差は無い、故にこそ、此処さえ突破出来れば残り僅かと、分かっているのに出来ない不快さ、そして緊張──つい溜息も、もう一つだ。


 だがしかし、いや、だからこそ──彼が諦めると言う事も無いのだ。


 間合を取りながらに隙を伺う──己が趣向と象られた、〈サキシフラガ〉が緩やかに歩む──上がり続ける『瞳』/【の数字】に、不甲斐ない所は見せられまいと、〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の口元に笑みが今一度。多少苦くも、それもまた良しと──想える矢先に〈落とし子クリーチャ〉が襲い来た。再び横転移動ローリングにて回避しながら、今度は懐に/死角に入り込んでの一撃を見舞う──二撃、三撃、四撃と続けてから、直ぐ様、後方跳躍バックステップへと移行すれば、獰猛な顎が宙を空振る──“彼女”の身には掠りもしない、が、それは安心とは程遠いものだ。一発でも喰らえば〈死亡デッド〉判定の中、これを後もう数十回は、繰り返し繰り返す必要が在る。機会タイミングを逃せば/集中が途切れれば、其処で全て“始めからリスタート”──だ。

 容赦が無い──歯応えの在る感覚に、頬が汗を滲ませ、滴る雫が唇に触れる──釣り上がった口端も侭として、〈サキシフラガ〉の戦は続く。


 舞が、続く──


【チャプター・014/049 〈戦果リゾルト〉】


 続く──続き、そして終わりが告げられた。


 虚構が和らぐ──拡がっていた風景が、四方の画面モニタに収まり出す中、『時間が近づいて参りました。帰還の準備をして下さい』と言う終了布告が表示される。

 そして暗転──の、後に続く指示の元に、指を動かし確認しよう

 己が一体何を成し、何を得るに至ったのか──即ち、


・〈第九層〉〈首魁ボス〉待機場直前の/〈記録の石碑〉地点への無事到達

・討伐した〈落とし子クリーチャ〉達からの〈録取品ドロップ〉が少々(希少価値レアリティは中程度)

・(今や通貨たる以外は殆ど無意味と化している)余り在る【経験点】

・相応の閲覧者数に応じて加算される/相応の【功績点】(引く【批判点】)

・(半ば疲労と比例する)他では得難い満足感

・その他諸々(その他諸々)


 それが〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が〈サキシフラガ〉として行動した成果、〈ペイル・ピット〉での探索行クエストに拠って獲得したものの全てだった──時間は以って三時間、〈入没インジャック〉用認識拡張剤の安全な用法/用量に基づく〈行使プレイ〉時間設定だが、体感的には其れ以上の為、物足り無さ等は微塵も無い。


 やがて光さえも消え行けば、画面モニタは白亜の無地を晒し、物言わぬ壁として押し迫って、此処が『筐体ハコ』の中である現実を、否応も無くと突き付けて来る。

 煙草を吸いたい気分だけれど、生憎、此処は禁煙である──より正しくは、〈唯都シティ〉の殆どの施設に於いて、だが、“殆ど”であって全てでは無い。

(此の地は暗黒郷ディストピアなんかでは無く、由緒正しき牧歌郷アルカディアなのだ)

(そう言う事になっている)


 〈成して遂げたと錯覚する者グランドマザァ・ハッカァ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は腰を挙げた。額に滲む汗を拭いつつ、勝手に開かれた扉を出るや、外への廊下をふらふら進む。

 目指すは喫煙の出来る場所──体に毒は確かだが、心にもそうとは限らない。〈三姉妹〉もその事は承知済みであり、用意はしっかりと整えられている。

 ならば其れもまた正当な報酬だ──文句を言われる筋合い等無い。

 筋合い等無い──(在って堪るか。)


【チャプター・015/049 貴方の為の利便喫茶コンヴィニエンス


 喫茶店を訪れた人々の目的が、必ずしも喫茶そのものだとは限らない様に、〈常駐遊演道メニィアーケード〉には、それ自体を“享楽”と捉えない──休息とか会話とか、別の行為の為の施設/店々/自動販売装置達もまた、無数に存在し居並んでいる。


 市民の多面的/多角的な趣味趣向に対して〈唯都シティ〉が律儀に応えた結果、其れ等店舗は、似た様な趣旨のものでも微妙に異なる様相を呈し、事細かくと区分けされている──一口に『喫茶店』と言って、何茶を主体と嗜むか、なんて事は当然の違いであり──酒も出るのか/出ないのか、煙草は吸えるのか/吸えないのか、食事が出来るのか/出来ないのか、子供(老人)は入れるのか/入れないのか、男性(女性)はお断りされるのか/されないのか、個人の“享楽”なのか/公共の一環なのか、肌・髪・瞳の色の区分け/人種の名残は考慮の内なのか、金額設定は如何程のものか(そもそも存在しているのか)、誰が/何が給仕するのか、主な話題は何であり、何が常設画面モニタを占めるのか──等などと、挙げれば枚挙に暇無い程の区別/差分が設けられ、迷いがちな人類を然と導き、安堵させる──望まれるものを概ね敷設し、〈三姉妹〉も鼻高々と言う所だろう。


(それでも〈反逆者ハッカァ〉達が現れる事実は、理不尽だったと言わざるを得ないが)

(──宜なるかな、とでも言って置こうか──今の所は)


 しこうして──そこから選択された〈イディラーク〉は、『利便喫茶コンヴィニエンス』と銘打たれている様に、条件設定の大分緩い、/大概は在りの店である。

 (正規の市民であるならば)誰でも入店する事が出来、奉仕を無償で受けられる、だけで無く、煙草は吸えるし仮眠も取れる。話題の種が定まっておらず、雑貨でも何でも揃っている──珈琲の味はまぁまぁだが、それ位なら甘んじよう。


 頭上の撮影鏡カメラに見守られつつ、自動扉に誘われれば、黄昏セピア色なる、明るく清楚な店内が出迎える──そして勿論、〈令嬢レイディ〉だ。纏め髪こそ亜麻色だけれど、瞳の色は紅であり、〈長母〉の面影が伺える。入口側の受付口で、『いらっしゃいませ』と出迎えるならば、側に近付き市民証を翳して、口頭に拠る注文をさっさと済まそう──直ぐ脇に置かれている小さな自動販売装置は、懐中算譜機アルバート用の打刻紙片パンチカード生成機であり、暇潰しにはもってこいだけれど、今はそちらに用は無い。


 今の〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が最も欲しているのは、煙草と珈琲、そして睡眠──休息である。暫くしてから〈令嬢レイディ〉より、湯気立つ水面を黒々と湛える、無地白磁のカップをトレイごと受け取ると、『ごゆっくりどうぞ』の言葉も背に、彼はいそいそ奥へと向かった──程良く狭い店内には、多過ぎず少な過ぎずの先客が居座り、思い思いの嗜みに耽っている。その間隙を縫う様、具合良く空いている席を見出すや、黒の合成皮革張りの椅子に腰を落ち着けた。

 独り用の小さな円卓を前にして、トレイと灰皿の位置取りを最適化させると、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は懐を漁り、簡易ライターと煙草箱とを取り出した──意匠化された〈アリス〉と〈三姉妹〉の、“親子”愛睦まじき姿が目印の其れには、『LOVEラヴ』の銘が冠されている──愛、即ち、平和ラヴ・アンド・ピースである。

 その中から紙巻シガレットを一本取り出して、咥えながらに火を灯す──バニラ風味の、甘く芳しい煙を含みながら、珈琲を一口、二口と啜った所で、やっと人心地付いた気になった。濾過吸口フィルタを通してでも濃密な芳香を、肺腑一杯収めた後に、溜息の様に一気に吐き出しつつ──先の探索行クエストについての想いを巡らす──


 ──〈第九層〉自体の攻略が、今回の〈行使プレイ〉の目的だった──本来の、であり、そして次で『十二周目』を終え、前人未到の『十三周目』へ、威風堂々進む気だった、と。或いは此れを機会と区切りにし、他の遊戯ゲェムも拡げるなり、新たな〈登場人物キャラクタ〉を造るなりして、そろそろ変化を迎えても良いかと──何度か抱いた期待は潰え、次で〈首魁ボス〉を倒せるかも解らない。『十一周目』時点でさえも、二度と挑むかと思ったものだ、此処で暫く足止めかも知れない──挑戦するのは吝かでは無く、労苦も試練と感じられるが、辛いものは誰だって辛く、痛いものは誰だって痛い──〈回復薬〉の補充もある。暫くの間は、元来た道を逆戻りして、【経験点】稼ぎに勤しむべきか。装備と戦術に工夫が居るけれど、〈第四層〉に居る〈落とし子クリーチャ〉ならば、〈録取品ドロップ〉も美味しく、具合が良かろう──


 等などと──棚引く紫煙に揺蕩う内に、没薬トリップの興奮も漸く収まり、疲労と眠気が瞼に掛かる。幸か不幸か、カフェインなんてとっくに効かず、鎮静作用しか用を成さなければ、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は珈琲を飲み干し、席を立った。


 そのままフラ付く足取りで、仮眠室へと向かって行く──残したトレイは、別の女給(代役ボット)が片付けてくれた──隈無く拭けば、痕跡なんて微塵も無い。

 『其処に誰かが居た』なんて証拠は、一切合切消えている。


【チャプター・016/049 仮の眠り(インターミッション)】


 二重扉を乗り越えて、暗幕の内側に足を踏み入れる──何処もそうではあるけれど、此処の仮眠室は盛況だった。多くの寝台ベッドが埋まっており、寝息が其処彼処そこかしこより聞こえて来る。下手をしたら、席より人が居るかも知れない。専用の/“享楽”としての休憩所も良いが、此れ位のが丁度良いのか──或いは他にやる事も無いのか、真摯に眠る事すら億劫な程──それでも空いている寝台ベッドが在るのは、流石の〈三姉妹〉と言うべきだろう。市民の流動、人数調整はお手の物、と、その恩寵に甘える形で、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は身を横たえる。


 背中に黒の合成皮革張り、正面に借り受けた布団シーツを感じながら、彼は静かに瞳を閉ざした。快適に整えられた空調の中、直ぐに自身も寝息に交わる。


 夢の様な時間の後の、夢も無き闇へと沈んで行って──


(暫しの休憩を挟みましょう──飲食/排便その他諸々、全てどうぞご自由に)


【チャプター・017/049 酒房パブ〈数多の代理戦士亭〉にて】


 そして夜──大地の下に太陽が隠れ、自動灯ランプが灯り出す頃。


 夢見の内の二、三時間と、貸本屋での冷やかしを経て、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が向かう先は、行き付けの酒房パブ〈数多の代理戦士亭〉──教導義務カリキュラムを終えた学童パピル達が、門限一杯遊び歩いて居るのを横目に──特に棚引く緑髪の、溌剌とした少女に眼を惹かれながら──〈常駐遊演道メニィアーケード〉を進み続ける。


 『喫茶店』が決して欠かせぬ様に、『酒房パブ』もまた、市民にとっては重要な/一大施設に他ならない──茶も出るのか/出ないのか、煙草は吸えるのか/吸えないのか、食事が出来るのか/出来ないのか、子供(老人)は入れるのか/入れないのか、男性(女性)はお断りされるのか/されないのか、個人の“享楽”なのか/公共の一環なのか、肌・髪・瞳の色の区分け/人種の名残は考慮の内なのか、金額設定は如何程のものか(そもそも存在しているのか)、誰が/何が給仕するのか、主な話題は何であり、何が常設画面モニタを占めるのか──等などと、需要に応じて供給は成される。並ぶボトルの数程にも、だ。


 ──〈数多の代理戦士亭〉は、〈行使者プレイヤ〉御用達の酒房パブである──より正確には、算譜機械コンピュータ遊戯ゲェム愛好者の為の、であり、実際の〈行使プレイ〉や〈入没インジャック〉は問わない──『自分は特に遣らないが、観るのは好き』という人間も多いのだ。

 それを肴と呑む者もまた、ならば、常設画面モニタには、何時だって旬の再演動画リプレイが流され、酔客の話題造りを怠らない。主人の“享楽”であればこそ、価格帯は些か割高だが、それを補う魅力はある。ツマミは旨く、麦酒は冷えている。煙草も吸えるし、騒いでも/で無くたって、気にもされないし/追い出されない──更に言うと、今日の〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の懐具合は、先程獲得した【功績点】を換金した事で、充分分厚く暖かかった──これこそ正に、余剰と贅沢──抜かした昼食を補う位、何と余裕である事だろう。


 と、言う訳で、彼氏は何時もの、/お気に入りの席に座ると──階段を降った地下一階、仄かに明るい店内の片隅の、常設画面モニタの斜め向かい──大分遅めの昼飯に、比較的豪勢な、今日の晩餐へと付いていた。

 100パーセント工場育ちの、無毒で安全な素材達に拠る、サラダとポテトとソーセージ、そしてオムレツを口一杯とに頬張りながら、ごくり麦酒を嚥下する──更に一口、もう一口と飲み干して、通りがかりの女給(代役ボットで無い)に対し、早々のお代わりを頼みつつ、常設画面モニタを、見るとは無しに眺めて見る──


 現実離れした青空を背景に、甲高い羽音が鳴り響く──

 高速で飛び交う二基の機影──騎士と〈甲虫〉の混血機械。

 人の体の十倍たる、其れ等の腕には相応の兵器──十倍規格の武具が握られ、互いが互いを撃ち落とそうと、離脱と接近、交差、そして攻撃を繰り返す。

 噴射口からの爆炎が、その緩急に拍車を掛け、航跡雲ヴェイパートレイルが後を追う──


 ──実在する人型戦闘飛翔機械〈ベテル・ギウス〉を一種の〈登場人物キャラクタ〉として操縦する此の遊戯ゲェムは、〈語式演戯ロウプレ種別ジャンルから即興劇アドリブ要素を薄めた代わりに、より純粋な操作性/競技性とを盛り込んだ、〈活動演劇アクション遊戯ゲェム〉に他ならない。

 数多の部品/機能の中から、〈行使者プレイヤ〉自身の〈ベテル・ギウス〉を〈行使者プレイヤ〉自身が設計、構築した後、一対一、または多対多、極稀にだが一対多に拠る戦闘を行い、〈撃墜ロスト〉で以って勝敗を決する──呼称もずばりの〈ベテル・ギウス〉は、〈三姉妹〉の確たる領域/兵器運用の一端を担えると──いや、違う、大きな玩具で遊べるとして、多くの者達を魅了するが、大抵は直ぐに挫折する。機体構築の複雑さ、其の操縦の難解さは、〈ペイル・ピット〉攻略と同等か、下手をしたら以上であり、しかも此れには【経験点】が無い。成長の後押しは受けられず、頼りとなるのは〈行使者プレイヤ〉の資質のみ──〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉も試みはしたが、数度で不向きと諦めてしまった──とは言え其れでも、〈入没インジャック〉でいや増す全能感=自分が巨人となった様な、運転が与える高揚は素晴らしく、見栄えも良いから人気は高い。常設画面モニタの常連として、この手の酒房パブでは良く見掛ける──〈ペイル・ピット〉の数倍の頻度だろう。


 これには恐らく噂も関わる──〈撃墜ロスト〉数を主要とする、得点順位ランク上位者トップには、〈三姉妹〉直々の御声が掛かると、即ち本物の〈操縦者パイロット〉に成れると、専らの噂が存在するのだ──無論、噂は噂であり、真偽の程は分からない、と、言うよりも、流言である可能性の方が高いだろう。〈唯都シティ〉で有人の機械は少ない、兵装ならば尚更の事で、事実〈ベテル・ギウス〉の公表でもそうだ──が、だとしても、夢を見るのは自由であり、そしてまた、歴代の〈順位第一位ランカー・ワン〉達が、ある日突然名前を消して、行方知れずとなっているのも、動かし難い事実である。


 〈ジェイルバード〉──〈ペニー・ファージング〉──〈ウォーディアン・ナイト〉──〈ハイフライヤー〉──その他諸々その他諸々──輝かしき〈戦果リゾルト〉を挙げた機体達の、乗り手は何処へと行ったのか、今は何をしているのか、知っている人間は誰も居らず、そして〈三姉妹〉は人間で無い。

 問うても答えが返らない以上、遣って見るより他には無く──〈ベテル・ギウス〉に拠る架空の戦争は、今日も今日とて衰えを知らない。

 現在暫定の〈最強の第一席ランカー・ワン〉/〈ホワイト・スタッグ〉が加速を掛ける。容赦無い弾雨を物ともせず、銃剣付き旋条銃ライフルを突き立てるや、至近での掃射が敵機体を穿ち──常設画面モニタ一杯に、派手な爆炎が拡がった、


「これで丁度十連勝……〈オールド・ローズ〉でも勝てないとは……」

「本当に……私、彼女に賭けてたんだけどな、やっぱり強いねグレイマン」


 所で声が降って掛かり、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が顔を挙げると、二人連れの女性が側に立って、結果を共に見守っている──肩口程の真っ赤な髪・と、整えられた背中までの茶色髪/人相の悪い雀斑ソバカス顔・と、人工鼈甲眼鏡セルフレームの地味な顔立ち/男性と見紛う背丈の痩身・と、一部が特に豊満な肢体──〈ライリィ&エマ・ウォーカァ婦妻〉は、教導義務カリキュラムの同期たる友人を見出すと、彼氏が何かを告げるよりも早く、左右の席に腰を下ろす──逃げ道を塞がれた形となり、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は眉根を潜める。嫌いな相手と言う訳でも無いが、親友と呼ぶには些か遠く、推しの強さが苦手だった。

 咳払い一つを発してからに、


「……それでも〈ナハティガル〉には及ばないさ……先代の彼女は強かった、し、駆け抜けるのも早かった。〈ホワイト・スタッグ〉は何年居座る?」

「覚えてる限りで七年生から……じゃ、彼れ此れ十年は順位ランクに居るね」

「それも下位を行ったり来たり、だ……だから余計に良く分からない」

「だから薔薇に賭けた訳よ、そろそろあの角も折られるかな……って」

「僕なら迂闊に金は出さんね、アイツに予想なんて付けられないとも……次いでに言うと、君等に奢る様な金も無いよ、麦酒が欲しけりゃ自分等で出しな」


 そうハッキリと言ってやるけれど、結果は『間』が埋まるだけで、


「連れないじゃない、〈サキシフラガ〉……貴方の探索行クエスト、見守ってたのに」

「そうだよ、ブラン、そっちの有名人ランカー……〈ペイル・ピット〉は地味で行けない、死んだり生きたり死んだり、で、さ、正直退屈だってぇのに……」

「お陰で糊口が凌げるんだけど……【功績点】への功績よ、ねぇ……」

「一杯や二杯や三杯や四杯、さ……【宿業値カルマ】だって下がるんだろ……」

「その遊戯ゲェムは〈ニルヴァーナ・セカンド〉だ……嗚呼全く、喧しい、」


 一杯のみだ、と、念を押して、邪魔な女体を小脇へ退かす──苦手な事はやはり苦手だが、遣り取り自体は嫌いで無く、借りが無いとも言う事は出来ない。

 特に再演執筆家リプレイライターの〈エマ・ウォーカァ〉には、何度か世話に成っている──それが彼女の“享楽”で、お互い様だと言うべきなのだが、嬉しい事には違いなく(『七周目』到達の記念作なら、何時でも懐中算譜機アルバートで愉しめる)──そして『気安さ』と言う観点で見れば、〈ライリィ・ウォーカァ〉は確かに好ましかった。『観るのは好き』の典型である彼女は、寧ろ『競技』を愛しており、独りの時なら蹴球フット酒房パブ(お気に入り倶楽部は〈クロムウェルAFC〉らしい)だが、一緒の時なら婦人に付いて、/まるで男性の様な口振りの元に、


「どっちも同じに見えるがね。まぁでもしかし、〈ピット〉の方がマシって感じ、描画もしっかり頑張ってる……〈サキシフラガ〉はあんた作だっけ……」

「依頼を出しても良かったがね、制作だけで一日だ……正直言って自信作だよ」

「良い趣味してる、全くさ……三つ編みで見え隠れする項が特に、ね」

「手を掛けた所だ、有難う……だが、世辞を言っても一杯だけだぞ……」

「分かってるよ、そんな事……でも、何なら他にも言って見ようか……」


 歯に衣着せない感想を述べて来れる──呆れ気味の相棒の砲を横目にしながら、思わず乾杯を繰り出そう。お代わりと一緒に持って来られた、奢りの二杯の片割れと──そんな〈登場人物キャラクタ〉の活躍を、形にしてくれる片割れとも、だ。


 ──此の時点で到底『一杯』だけとは、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉も思っていない、が、懐具合は申した通り、好悪の天秤の傾きも確かなら、多少の余地が無い事も無い──し、どうせ〈唯都シティ〉は牧歌郷アルカディア、生きるに悩む事も無い。


 誰も彼もが“享楽”の侭に──『無為なるもの』で構わないのだ。

 

 常設画面モニタの装いが変わった──〈ホワイト・スタッグ〉の新たなる戦い/架空の砂漠の上空にて、〈シルバー・マーリン〉と対峙する──その、どちらが勝つか負けるか等と、誰が強いか弱いか等と、言い合いながらに杯を重ねる──


 取り留めも無く、ダラダラと──酒房パブの夜が更けて行く──


【チャプター・018/049 帰路の中で】


 結局六杯は飲み干した──所で時刻は九時前となり、閉鎖の刻が間近となる。

 『九時から九時まで 9NINE 』、それが〈常駐遊演道メニィアーケード〉の決まりであり、例外は一切許されない。市民は全員(店主も含め)店から出され、出口へと──庇付きの、機械式関門ゲートが前へと誘われる。零頭仕立ての馬車も駆り出され、間に合わない人々をどうにか間に合わすと、代わって奔るのが清掃機械スウィーパァに、資材搬入用の自動機関車──〈唯都シティ〉の夜は、少なくともに〈アリス〉は早く、過半は準備にて費やされる。 “享楽”を堪能して貰う其の為には、何よりも仕込みが不可欠なのだ。


 そうして『外』へと出たならば、待っているのは徒歩か馬車か、路面機関車に拠る其々の帰路──居住に掛けたる【功績点】が距離を、その関心が速度を定め、以って時間が決定する。店々は一帯/『中』にしか無い以上、“寄り道”等は存在せず、全ては計算で割り出せる──時刻管理もまた算譜機械コンピュータの嗜みなら、生産施設に程近い/郊外に立ち並ぶ集合住宅コナプトまでは、キッチリ一時間三十分の到着だ──それ以上でも以下でも無く、誤差も許容の範囲内である。


 かくして独り〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は、ガタリゴトリと揺れる車内で、駅へと着くのを待っていた──共同生活の恩恵か、〈婦妻〉は歩く方が早く、酒房パブにて既に別れている。周囲に居るのは、顔を知る/けれど名前は覚えていない、馴染み深い御近所達で、つまり会話は殆ど無い。名乗る程度の間柄なら、趣味も趣向も似通っているが、そうで無いなら、そうでは無いのだ。


 故に彼氏は、真に独り──ついつい、どうでも良い事が思い浮かぶ。


 果たして此れで良いのかと──此の生活で? 人生で?


 愉しむばかりで他には無く、大事な事は機械任せの〈マザァ〉頼り──〈ペイル・ピット〉が代用だなんて、そんな事は承知の上だ。遊戯ゲェムを何処まで極めた所で、所詮しょせん遊戯ゲェムに他ならず、求める所は別にある──『諦めるなら底は在る』──けれども、それと同じ位に、遊戯ゲェム遊戯ゲェムの侭で良い、何かを変える必要等無いと、肯定している自分が居る、と、言うよりも、そちらの方が主であり、だから普段は考えもしないのだ、不満があるなら行動しろとは──〈行使者プレイヤ〉らしく果敢な気持ちで、或いはそれこそ、偉大な〈反逆者ハッカァ〉達の様に──だが、しない。しないのは、〈唯都シティ〉追放に対する恐怖も在れば、今の境遇への納得も在り──後者の方が圧倒的だ。七歳からの教導義務カリキュラムの末、有用性を見出されなかった/享受のみで良いと判断された、そんな人間が反抗した所で、結末は既に見えている──し、実際の所に不満は無いのだ、行動しようと思う程には。〈太母グランマアリス〉は、/〈三姉妹〉は、本当に上手い事遣っている──そうとも。心の底から思っている、人間に遣らせるより余程良い、と──


 思っている──なら、話は此れで終わりの筈だが、『それでも尚、』と続けてしまう──酔っているのだと、頭を振るった。或いはそう、疲れていると──から、余計な思考が湧き上がるのだと、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は吐息を漏らす。其れが窓硝子を白く染めれば、視線は思わず車両の外──流れ行く街並みの其の向こう、〈唯都シティ〉の夜空へと注がれる。


 明度は違えど昼とも同じ、羊皮紙を思わす黄昏セピア色──


 今日この日、始めて然と見上げた空は、やはり普段と変わり無かった。

 〈炉〉と〈発条ゼンマイ〉との発展以前/前〈唯都シティ〉時代にて垂れ流され続けた排煙は、殆ど無害化されたと言うけれど、“色”だけはどうにも成らなかった──此れは〈太母グランマ〉達の能力をしても、遂に処理出来なかった物事の一つである。

 しばしば忘れそうになるけれど、算譜機械コンピュータとて神では無い──万能であるかも知れないが、全能と呼ぶには程遠いと、〈潜在的な反逆候補グランドマザァ・ハッカァ〉は憂う。


 果たして此れで良いのかと言う、問い掛けに“彼女”達は答えない──


 見るとは無しに見続ける空には、黄ばみて尚も輝ける星々と、それより目立つ羽撃き機械オーニソプタァの数々──飛び交う機体は〈唯都シティ〉を見回り、次いでに散布する化学物質を基に、其の天候をも支配する──雲の出来高具合に拠ると、明日もどうやら晴れらしい。懐中算譜機アルバートなら仔細も分かるが、態々出す気も起きなかった。

 今日も此れにて終いならば──


(──ならば『明日』かと問われたら、残念な事にそうでも無い、)

(ので、チャプター・008へとお戻り下さい、日々を只々繰り返す為に)

(充分ウンザリして来たら、チャプター・019を始めましょう)

(宜しくお願い致します──)

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