メメと森

第1話

 その森には鬼が出る、と、ばっちゃが言っていた。


 昔々の大昔、桃太郎は鬼だったそうだ。これはもちろんばっちゃが言っていただけで、あたしはぜんぜん信じてないんだけど、でもばっちゃは「鬼じゃ。鬼でなければ鬼は殺せん」って何度も言っていた。昔々の大昔の話だから、今みたいに武器が豊富じゃない。そこで、人間なんかは鬼には太刀打ちできないってばっちゃは言うのだ。


 鬼退治をした鬼、桃太郎の末裔が、この町の外れの山にいるらしい。そういえば、小さい頃に「山に入ると鬼に食われるぞ」とか言い聞かされたものだった。でも、桃太郎の末裔なんだから優しいんじゃないのかな、って思う。そうじゃないと、桃太郎もその末裔もかわいそうだ。


 なんて話を思い出したのにも理由がある。


 その日、ばっちゃが死んだのだ。


 ばっちゃも歳だ、とお母さんは言ったけど、あたしには何が何やらさっぱりだった。ばっちゃはつい一週間まではグヘグヘ笑っていたのに、おとといぽっくり逝ってしまった。死ぬときはすぐに死ぬ、とお母さんは言ってた。そんな、ジェットコースターみたいな、とは思ったけど、でもジェットコースターのように死んでしまったのだからそうらしい。


 ばっちゃはお母さんのお母さん。だからお母さんはわんわん泣いていたし、お父さんもしくしくと泣いていた。でもあたしだけが泣けなかった。頭の中の奥の奥に空気がスーって入ってるように、何かが物足りないような、でも求めてもいけないような気分だった。つまりは、ばっちゃの死ってものがよくわからなかったんだ。


 その晩、親戚が集まってばっちゃの思い出話をした。ばっちゃは入れ歯だったけど、りんごが好きで、しかもシャキシャキのりんごだから、ガブッてするたびに入れ歯が抜けててばっちゃは笑ってた。ばっちゃは、あたしが生まれる前に死んだじっちゃとお見合い結婚だったらしいんだけど、じっちゃを見た第一声が「ハゲとる!」だったって。


 そういう中で、鬼の話になった。


「ばっちゃね、鬼いるって言ってた! 山さね、桃太郎の鬼がいるって言ってた!」


 いとこのヨースケくんが寝ぼけまなこで言って、あたしはそのとき鬼の話を思い出した。どうして忘れていたんだろって思うくらい、一瞬で鮮やかになって、ばっちゃに聞かされた光景が思い出された。入れ歯の口で、それでも丁寧にばっちゃはあたしに聞かせてくれたんだ。あたしはなぜかドキドキした。何かこのままではいけない気がした。その晩、あたしは寝付けなかった。月が黄色い夜だった。


 森っていうと、木がたくさん生えてて、草もボーボーで、変な虫がいっぱいいて、フクロウが鳴いているイメージがあったんだけど、そうでもないみたい。というのも、寝付けないあたしは、今、森の中にいるからわかるんだ。ばっちゃが入っちゃいけないって言ったあの森に。


 森にはちゃんと道があって、木だってけっこうたくさん切り株になってる。蛾とかハエはぶんぶん飛んでるけど、変な虫なんて一匹も見ない。たまにカブトムシが木に止まっているくらい。フクロウかどうかはわからないけど、鳥の声は聞こえていた。後ろを何度も振り返りながら森の中を進んだ。


 ばっちゃには止められていたこと。それを破っているのがなんとも気分がよくって、腕の中に力がふわふわ入ってるみたい。足だって軽い。あたしは、ヒーローにでもなったようだった。


 この森にいる鬼に出会っても、倒せるんじゃないかって、あたしは思う。


 生ごみをほったらかしにして、それを火にかけたようなにおいがする。


 タヌキが、死んでいた。


 たまに道路なんかで死んでいるのを見かけるからわかる。これはタヌキだ。舌をべろーんと伸ばしている。頭はぐちゃってなってて、そこにハエがいっぱいいて気持ち悪い。タヌキのまわりはなぜか土がえぐれてた。


 いやぁな感じだったから、あたしはその場を離れた。でもすぐに、今度はキツネが死んでいた。さっきのタヌキみたいな死に方。うえー。気持ち悪いったらありゃしない。目を逸らして進むと、犬が死んでいた。


 気づいたら、いっぱいいっぱい死んでいる。


 タヌキにキツネに犬に鹿に――それからクマ。


 みんなみんな、まるで地面に叩きつけられたように死んでいる。クマにいたっては、その頭が地面にめり込んでいる。


 きついにおいに、あたしは鼻を押さえた。そのときあたしの中では「鬼」なんて消えてて、ただただこの場から帰りたかった。だからその声に「にょおおおおおおおんぎゅぢゅあぎゃらゎがんごぉぉんなああっはあぁるらああああああ!!!!」という奇声を上げてしまったのも仕方ないんだ。


 ――誰だ、あんたは。


 と、声がした。


 誰もいないと思っていたこの森で、背後から死人のような声がした。びっくりと怖さとイミワカンナイとびっくりとびっくりがない交ぜになって、思わず叫んでしまった。そして叫びながら、「鬼」を思い出して、なおのことあたしは叫んでしまった。


「おにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッ!!!!!!」


 鬼!鬼!鬼!


 この森には鬼が出る、と、ばっちゃが言っていた。


 桃太郎の末裔。鬼を倒すために育てられたかわいそうで孤独な鬼。その末裔。あたしはその話を聞くたびに思うんだ。もしかしたら鬼は、自分が鬼と知ってて鬼を倒したんじゃないかって。自分を殺すことができないから、自分の代わりに鬼を殺したんじゃないかって。


 あたしの「おにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!!」は遠くの山にこだまして、「おにぃぁあんぃあんぁあんぃいんぁああんっぁんっぁあんいぃぃんんんぁっ……!」ってエッチな声になって戻ってきて、それからやっとあたしは正気になった。


「誰!?」


 声のした方――あたしの後ろ!――を見ると、切り株に座ったぼろぼろの人がいた。


 ひげはお父さんより伸びていて、髪はお母さんより伸びている。黄ばんだシャツを着ていて、あちこちが破けてる。掻きむしったような痕が腕には残ってて、紫色になっている。


 切り株に座った姿は、一枚の絵のように様になっていた。まるでずっと座り続けていたようだった。でも、絵にしてみればかなり怖い。そこの空間だけがやけに重くて、夜の大雨みたいに、寂しげだった。


 たぶん、この人が鬼なんだ。


 ばっちゃが言った、鬼。


 鬼退治にいった鬼。


 その末裔の鬼。


 鬼は、ゆっくり口を開いた。


「俺は――誰なんだろうな」


 呟くような、声だった。

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