第3話

 その日から俺と鬼は毎晩会うことになった。友達として、さまざまな話をするのだ。ある日は桃太郎の話を聞いた。


「桃太郎って知っているだろう? 桃から生まれた、ってやつさ。あれはね、かなり昔に実在しててね、でも昔話とすこしだけ違うってところは、桃太郎はホントは人間じゃなかったってことなのさ。桃太郎はね、鬼なんだ。キミはどうして彼が桃から生まれたのか、気にならないかい? あれは桃なんかじゃないよ、腹を膨らませた鬼なんだ。腹の中に子がいるのに、死んでしまったかわいそうな母鬼さ。でも子も死ぬ前におばあさんが見つけてね、腹を割いて取りだしたのが桃太郎ってわけさ。どうして鬼を育てたかって? 鬼を殺すためさ。いいかい、桃太郎のお話の教訓は、団結や勧善懲悪じゃない、教育によって子はいくらでも親の好きな性格にできるってことなんだ。鬼の子でも、教育次第では鬼を憎む。そして鬼を殺すために旅へとでる――ああ気づいたかい。人じゃ鬼を殺せなかったから、桃太郎を使ったってわけさ。これが桃太郎の真相だね」


 こんな話を聞きながら、ときどきうっかり背負い投げをしつつ、初めてできた友達との日々を俺は楽しんだ。そして鬼は日が昇りかけると自分の住処へと帰る。俺も連れてって欲しかったが、鬼は「人に見つかっちゃいけないんだ」と言った。


 だがその日々と並行して、青い瞳の少年とも会話した。彼はいつも深夜の一時頃になると現れる。


「おいおい、どうして鬼と仲良くなっているんだよ。まあ鬼退治は無理にしろって言ってるわけじゃないけどさ、でも鬼と仲良くなれとも言ってないよ。え? うるさいって? なんだなんだ、僕はキミの邪魔者ってわけかい。じゃあ僕のことも背負い投げする? ……ふうん、それはしないんだね。いやあ、困った。キミならあの鬼を殺してくれるんじゃないかって思ってたのに、残念だなあ」


 困っているような、そうでもないような、不思議な顔だった。


 少年は俺に毎晩「鬼退治は?」と問うようになった。それは会話と呼ぶにはあまりにも一方的で、俺はずっと「鬼退治はしない」とだけ答えた。あの鬼は俺の生まれて初めてできた友達だ。友達を殺したりなどしない。何より、鬼には背負い投げが効かないのだから、殺すこともできやしない。俺の返答を聞くと、少年はつまらなそうな顔をして、夢のように消えるのであった。


 その日、鬼はやって来なかった。


 鬼と出会って半月が経った頃だった。いくら鬼を待てども鬼は来ない。星は巡り、四時を越えた頃になっても鬼は来なかった。前日の「鬼とおにぎりの関連性」について話の続きが聞きたかったというのに……。鬼は来ない。やはり来ない。俺は次第にそわそわして、意味もなく、ぐるぐるぐるぐるぐると同じところを歩いてしまう。友達を持ったことが一度としてない俺だから、こんな時にどうしたらよいのかわからない。鬼の住処もわからないからどこへ行くこともできない。そして日は昇り、ついに鬼は来なかった。


 俺は口を半開きにして切り株の上で座っていた。俺を襲おうとした野犬を背負い投げすると、野犬はクゥンクゥン鳴いて死んだ。


 鬼は来ない。ただそれだけが俺の頭の中にあった。もしかするとこのまま会えないような気さえするのだ。何か、鬼に対してひどいことを口にしていなかっただろうか。記憶を探り、どうして鬼が来ないのかを考えた。だがどれだけ考えようと、思い当たる節などなかった。俺は切り株の上で待ち続けた。もしも鬼が今やってきたら……。そう思うと寝ることさえできなかった。


 朝になって昼になってまた夜になって、瞳の青い少年が現れた。


「おや、どうしたんだい。ひどくお疲れのご様子じゃないか」


 少年はニヤニヤ顔だった。そうか、もう一時か。ということはあと二時間も待てば鬼と会えるということになる。俺はそれだけを心待ちにして切り株に座っていた。


「なんでキミはそんなにあきらめが悪いんだい。いや、悪いのはあきらめじゃないな。頭が悪いんだ。キミは思考を放棄している。背負い投げだね。最悪を考えるのがこわいんだ。そう、キミはもう知ってしまった。何かを失うという恐怖をね。さて問題だ、鬼はどうしてここへ来てくれなかったと思う? それはそのうちわかることさ。キミが考えまいとしているいくつかの予測に、きっと答えはあるはず――」


「うるさい」


 俺は腰を上げ、少年のもとへと歩んだ。


 彼の首もとに手を掛けると、思い切り背負い投げをした。いつもと微妙に感触は異なっていた。ざわざわとした森の悲鳴を聞きながら、少年を地面へと叩きつける。すると、頭からではなく、背から叩きつけたのだ。この違いの意味は、俺にはわからない。


 少年は背を打ち、二秒後に喀血する。苦痛に顔をゆがめる、勝ち誇ったように口元を引きつらせていた。「――――」何かを呟くと、びくびくと痙攣して少年は動かなくなった。


 静寂が、やってきた。


 俺は再び切り株に腰掛けると、鬼を待った。空を見ると幾千の星が俺を優しく照らしていた。どこまでも続く闇に、俺は思考をゆだねる。星は西へと逃げ、それでも鬼はやって来ない。やがて昇ってくる太陽。その日差しを浴び続け、俺は物言わぬ木となった。


 そして、もう二度と鬼とは会えなかった。


 熊の死骸と野犬の死骸と瞳の青い少年の死骸がそこにはあった。三時になると肌が赤くなる少年の死骸に、俺は気づかないふりをした。


 少年の死に顔は、たいそう満足そうだった。

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