第8話 勝負の時

翌日、飛鳥は出場選手側の関係者として会場に足を運び、ルカがいると思われる楽屋を探していた。


「ここかな……」


表札には明確に『ルカ様』と記されているのを確認した飛鳥は礼式上ドアを二回ノックして、「ルカ、入るぞ」と呟きドアノブに手を回す。


「ア、アスカ、どうして此処に?」


「ルカ、応援に来たぞ……ってあれ」


楽屋に足を踏み入れるや否や飛鳥はルカの方に双眸を向けると、彼女の隣に座っていた軍服を着付けているオッドアイの女が目に入る。

外装だけならただ痛々しいコスプレイヤーだが、ここは電脳世界な故奇抜な格好こそが常識であるが為、何ら違和感のない姿と思えた。


「え、何々、これが世に言う修羅場ってやつっすか?」


「いや、違うけど」


「的確なツッコミあざまーす大佐!いやー感服感服!」


初手一連の会話から話が通じない変人であるのは理解できたが、一体彼女が何者かは定かではない。というか、何者だっていう話である。


「えーと、誰?」


「何と、それがしめのことを知りませんでしたか。コホン、申し遅れました。私バーチャルタレント事務所『Plume』所属のVtuber、柏木メアリでございます!以後お見知りおきを」


個性全開の自己紹介に飛鳥は一瞬躊躇ってしまうが、何とか彼女のペースに飲まれないと一人大人の立ち位置で返答しようとする。


「メアリさんって言うんだね。俺はルカの編集を担当しているアスカ、よろし……」


「そんな敬称付けなくていいですよ、メアリと呼んでください!某と大佐の仲じゃないですか♪」


「いや初対面な上にそんな親しくないと思うけど」


「的確なツッコミあざまーす!!」


こいつは本当にやばい、話が通じないというより言葉が通じないのではないかと疑念を浮かべてしまう飛鳥は眼前の奇人に対抗策を練ろうとする。

が、この様子ではどうやっても相手方のペースに飲まれてしまう。一人でどうこうできないのなら他者に力を借りる、そう思った彼はルカに助けを求める視線を送った。


「メアリ、アスカも困っている様子だから勘弁してあげて」


「それは失礼しました!ささ、大佐殿もお座りになってください。座布団は暖めておきましたので」


「豊臣秀吉かよ」


「的確なツッコミあざまーす!!」


さっきから何を言おうにも最後は感謝されているが、人が必死に返したコメントを逐一ウケ狙いに捕らえられた挙句賞賛される恥辱は果てしなく凄絶なるものであり、飛鳥は奥歯を強く噛み締めるまでに苛立たしさすらも覚えてしまう。

だがこれがVtuberと呼べるものだ、バーチャルな存在はリアルタレントよりアイデンティティが目立つようになったが、逆に言えばVtuber業界では何かしらのキャラを確立させなければコンテンツに埋もれてしまう。よって事務所に入るような実力者は大体が変人と断言してもいい、いや、断言できた。


「それでルカ、どうしてこの人が此処に?」


「あーうん、メアリもRACE参加者だから、わざわざ挨拶に来てくれたの」


「いやー実は某ルカ様のファンでして、彼女をきっかけにVtuber界に進出したと言っても過言ではないぐらい昔から追いかけてたんですよ」


それにしてはキャラの方向性も様相も大分相違する点が見られるが、飛鳥の注目を引き付けたのはそこではない。

メアリは確かにルカを追ってVtuber業界に介入したと言った、もしそれが本当ならば彼女はルカよりも短期間に大きなイベントに参加するまでの人気を掴んだことになる。余程の才能の化身ではなければ通常不可能な人気の広がり方だ。


「それよりルカ様、今日はもう一つ貴方に用事があるのですが」


「そういえば話の途中だったね、何だったっけ」


「実は某、ルカ様に提案があって此処に来まして――」


メアリは間を溜めて、まるで彼女の性格、風貌からは予想もできないような真面目な話でも切り出すものかと飛鳥は思うが、次の瞬間それよりも遥かに凌駕する発言が飛び込んだ。


「単刀直入に言います。ルカ様、某と百合営業をしてください」


「……え?」


「……え?」


突如として訪れた静謐、この何とも微妙な空気感を漂わせた戦犯は言わずとも知れた軍服娘であろうが、問題は彼女が単刀直入に言い過ぎた結果、話を端折過ぎて結局何が言いたいのか分からなかった事だ。


「今宵はVtuberの中でもバ美肉というものが流行っていると聞きました。中身が中年男性でありながら百合を名乗るのは全く持ってけしからん事です。ですから某とルカ様で真の百合とは如何なるものかを世の中に知らしめましょう!」


「ち、ちょっと待って、話が端折られ過ぎて全く読めないんだけど……」


「ですから!百合ですよ百合!某とイチャついてください!」


「いやだからそこが分からないって言ってるんだけど」


二人の会話を見守る飛鳥の身からして、やはりメアリという女は相当頭のネジが飛んでいるやばい奴だと思えた。

生憎ルカもこの話の展開には困惑している様子で、メアリは早期の決断を迫らせるように容赦なく詰め寄る。


「ねえアスカ、流石にそういうのは事務所的にアウトよね?ね?」


「あー、そうだな……」


嫌な流れで話を進めるメアリを見兼ねたルカは、メアリの提案が企業方針にそぐわない企画内容である旨を暗に示そうと飛鳥を事務所の大人としての見解を迫らせようとした。

が、煩悩で構成されてる飛鳥の思考回路には、それも悪くないとも思えたのだ。


「うん、いいと思うぞ!」


「ちょ、アスカ!?」


「わーい!事務所の大人から許諾を得たということは、もう提案を受け入れたと言ってもいいんですね?」


「ちょっと待って!ルカはそういうのはちょっと、嫌っていうか……」


ルカが本気で嫌がっているような表情を窺い我に帰った飛鳥は膨らませた二人の百合シーンを掻き消すかのように首を横に振り、すかさず事務所の大人としての擁護的な行動を取る。


「いや、やっぱりダメだ!お前の正義感か何だか知らない妙な企みにルカの清純さを奪わせることなんて許さないぞ!」


「そんな!大佐はこのまま百合業界がバ美肉などに汚染されてもいいと思うのですか!?」


「いや知らん!知らんけれども、何よりルカが嫌がってるだろ。俺は幾ら仕事とはいえ、こいつが嫌がるような事はさせたくないと思ってる。それが事務所の意見だ」


百合業界やらバ美肉やら先程から意味不明な言語を連呼するメアリに飛鳥は反撃すると、軍服を着付けた変人女は頬をぷっくりと膨らませまるで不満があるような面持ちを晒す。何だか知らないが論破されたみたいだ。


「ならば勝負です!今日のイベントで優勝した方が負けた方に何でも一つ言う事を聞いてもらえる権利を譲渡される。これでどうでしょうか!?」


「……お前、ただルカとイチャつきたいだけじゃないだろうな?」


「そ、そんなはずないですよ!某はただエヘヘ……百合業界を取り戻したいだけで……」


先程から大層な大義名分を掲げているメアリだが、いざ本質を突くとニヤケ顔を隠し切れずボロを出した。

駄目だ、完全に私欲が混じっている。そう判断した飛鳥は一旦この楽屋からこの行き過ぎたファンを追い出そうかとも考えたが、直後ルカが堰を切るように口を開いてみせる。


「――それならいいわ」


「っ――おいルカ、お前まさか……」


見誤っていた。彼女はゲームにおいて負けず嫌いであり、売られた勝負は買わない勝負師であることを。

今ルカは満たされている、勝負に勝ちたいという闘争心と、戦えることへの快楽によって。


「勝負で白黒着けるなら、ゲーマーとして売られた勝負を買わない理由は無い。決勝で会いましょう、メアリ」


「……勿論、某も決勝に進み、憧れである貴方とゲームで対戦できるのを心より願っています!!」


目的を果たしたメアリは悠々と楽屋を後にして、その場は何とか収まりはしたが問題は勝負を引き受けたルカにあった。


「良かったのかよ、あんな約束して」


「えへへ、思わず引き受けちゃった」


「……ったく、負けず嫌いも程々にしろよ」


正直なところ二人の間で交わされる勝敗の行方がどっちに転ぼうと飛鳥にはデメリットは無かったが、立場上嬉しがる訳にもいかないので形式的ではあるが追い詰められた雰囲気を醸し出した。

柏木メアリ、何とも例え難い個性的なキャラクターが特徴だが、ゲームイベントに参加しているという事は恐らく彼女もゲームが上手いのだろう。

侮れない相手、一見ふざけた相手だが、人を見た目で判断するのは人の愚かな部分だ。


「ルカ、優勝できそうか?」


「んー、まあ参加者を見た限り特別種目競技に特化した人はいなさそうだけどね。一人を除いては……」


「一人?」


ルカはどこか腑に落ちない神妙な面持ちを晒し、飛鳥は常々胸中に抱いていた何かしらの不安要素が肥大化しているような感覚に苛まれる。

その不安要素が何であるかは自身にも分からないが、恐らく碌でもないのは確かであった。


「神木メアリ、彼女は格ゲーにおいて頭一つ抜けたゲーミングセンスを持ってる。大会に出るのは今日が始めてみたいだけど、実況動画を見れば実力は一目瞭然に思えるほど優れているわ」


「……そうか」


エリが誇張して述べた厳しい戦いになる、という言葉の意味がようやく分かったような気がした。

彼女はこの事を知っていた、今イベント大会には神木メアリのような兵が紛れていたのを。もしもメアリと決勝で当たればルカが圧倒的に不利、消極的な思考は避けたいが、それが冷静な見解と言える。


「ねえ、アスカ。ルカから一つお願いしていいかな?」


「一つと言わず何個でも言ってくれ、俺の力で可能な範疇は叶えるからよ」


「へえ、なら約束。もしルカが優勝したら、何でも一つだけルカの言う事聞いてくれないかな?」


一体どんな無理難題が飛んでくるのかと思えば、それは極有り触れた最弱にも最強にも成り得るジョーカーのような要求であった。

何でも一つだけ要求を飲む。そんな契約書にサインをするような懇願の仕方をせずとも大体のことは二つ返事で願いを叶えてやるというのに、何故ルカはわざわざ目標達成の報酬として要求を設定するのか飛鳥は少しばかり疑念を抱く。


「別に良いけど、その願いってのは何だ?」


「それは秘密。でも、ずっと私がアスカにしてほしかったことをしてもらうって言ったところかな♪」


「……?」


若干危機感に近い感覚を感じたが、何かの思い違いだと捉え気にするのをやめた。

が、そうこう話しているうちに時間は過ぎ、飛鳥は急いでエリから通達されたイベント日程データからリハーサルが始まる時間を確認した。


「ルカ、そろそろリハーサルの時間みたいだから会場に向かった方がいいぞ」


「そうね、私もそろそろかなって思ってたから行くことにするよ」


ルカは畳みから立ち上がり、リハーサルに向け身支度を整えようとする。

そんな彼女の背後を見据え、飛鳥は何か一言言葉を捻り出そうとした。


「ルカ、自分の実力を出し切ってこい」


「勿論!それで約束の件、絶対に忘れないでね!」


「ああ」


本番まで後二時間弱、緊張感で精神が押し潰されてもおかしくない中、ルカは熟練したタレントのような佇まいで会場に足を運ぶ。

こうして、戦いの火蓋は切られようとした。



    ______________




-VRネットワーク RACE会場-


一般席は推定何百人を超えるアバターが犇めき合い、会場には生配信用に用意されたカメラが空間に浮かぶ。

まだ大会は始まってもいないというのに、既に某動画配信サイトの生配信では視聴者数30万人を突破、流石は今話題のVtuberがゲストなだけあり人気も異常だ。



――すると次の瞬間、会場の照明が消灯し前方の巨大ディスプレイから映像が流され始めた。



同時に湧き上がる歓声が空間を震動させ、いよいよ開幕する注目イベントに皆が釘付けになる。


「さあ始まりました!RACE第一回大会、実況を務めさせて頂くのは私『ブラックディスター』と……」


「解説の『アライグマ』です。最近はVtuberソムリエとしてオススメ動画をブログに上げてます。良かったら見てください」


メンズ物のゴスロリ服を着付けた男性アバターと、その容姿とは不釣合いなまでの低音ボイスを放つアライグマの人外アバターが特徴的な二人の姿がディスプレイの映像に切り替わり、サイトに直接映像を伝達する数十台のカメラは一切に前方へと振り向く。


「解説のアライグマさん、今大会は注目のVtuber達を集めた初のゲームイベントとなりますが、ずばり注目ポイントはどこでしょう?」


「やはり注目すべきは次世代の七人と称されるVtuber、ルカちゃんの参戦だと思われますね。youtubeチャンネルの登録者数は15万人、今となっては四天王に続く勢力を拡大しています」


「なるほど、確かにルカちゃんは今大会優勝候補とも囁かれるまでにゲームが得意なようですから、これは期待ですね」


前座としてVtuber業界に精通していると思われる二人のゲストによる紹介が執り行われ、イベント関係者として参加していた飛鳥は特別に用意された視聴部屋で様子を確認していた。

それにしても予想以上の賑わいだ、最近Vtuberコンテンツが人気なのは知っていたが、プロゲーマーでもない二次元キャラがゲームをするだけの企画でここまで人を集客できるのは大衆媒体としての何よりの証拠だ。


「お、ここ空いてるみたいやな。そこのえらい格好いいお兄さん、隣座ってええか?」


「……?ああ、構わないけど……」


四列に並べられた長椅子にちらほら人が座る中、飛鳥の隣に一人の女性が腰掛ける。

その風貌は随分と特徴的で、金髪に袴姿といったミスマッチな組み合わせは飛鳥も一瞬目を疑わざるを得ない。


「ふー、それにしても大層な大会が開かれたもんやな。そう思わへんか?」


「え?」


一瞬自分に対して尋ねているのか分からなかった飛鳥は返答に戸惑うが、念の為彼女から投げかけられた質問に呼応しようとする。


「まあ、そうですね」


「そうやろそうやろ。それにしてもこういうでっかい大会に後輩が出場する姿見ると、何だか昔の下積み時代を思い出すなぁ」


「え、後輩って……」


まさかとは思ったが、この女が述べる後輩が大会出場選手だとするならば、必然的に彼女もVtuberとしての立ち位置に属する存在である事が予測できた。 

確かに身なりはとても誰かのマネージャーには見えないが、何故Vtuberが関係者専用エリアに踏み入れているのか理解しかねる。


「ああ、うちの事務所の後輩が大会に出場するしててな、面白そうやから駄々こねて此処に来てるんや」


「後輩ってことは、お前もVtuberの端くれなのか?」


「え、お兄さんウチのこと知らんの?」


「いや、知らないけど」


二年間もネットに入り浸りどうしてVtuber界隈に関しては情弱なのかは飛鳥自身も分からないが、生憎彼女のような関西弁が個性的なバーチャルタレントは聞いたことすらない。

そんな誰だか判断しかねている飛鳥を見据え、女は何がおかしいのか堪え切れない笑い声を上げてみせる。


「あははは!まさかこんな時代にまだウチのこと知らん人がおるもんなんやな。知名度はまだまだゆうことか」


「……?」


そんなこんなで会話を交わしていると大会の説明で場を盛り上げていた二人の司会者が話を切り替え、飛鳥また表示された画面方向へと見入ってしまう。

会場は既に盛大な盛り上がりを見せ、生放送の視聴者数も70万人を超えた。たった数名の出場者の宣伝効果で此処まで客を拾えば運営側としてはかなりのビジネスだろう。



「それでは今大会の参加選手の登場です。まずはこの人……」


すると会場前方に演出と思われる吹き荒れた煙が出現し、一人の軍服を着付けた少女が姿を見せる。


「活動期間約三ヶ月でチャンネル登録者数七万人を突破。ミリタリー系Vtuber、柏木メアリ!!」


「イエスマム大佐♪柏木メアリチャンネルのメアリでございます!」


先陣を切ったのは格闘ゲームのガチプレイで電撃の如くリスナーを増やした期待のルーキー、オッドアイの目を輝かせ自身の挨拶を振りまいた。

そして次々と実況の紹介の下参加選手が登場して、それぞれが個性を表現する挨拶で観客の心を掴もうとする。


「そして最後の出場選手はこの方、今期待の星、次世代のVtuber業界を担う七人の一人、ゲーマー系Vtuber『ルカ』の登場です!!」


「オースオース皆!今日も元気なルカだよー!」


会場の盛り上がりは最高潮、声援が空間を反響させ熱気すらも伝わりそうな勢いの注目のイベントが今始まろうとしていた。


        ________

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