第7話 成長

暫くして仕事に慣れ始めた頃、飛鳥は気分転換にベンチに腰掛け初めてこちらの世界に転送されてからの一週間を振り返ていた。


始まりの日、真新しい光景に目移りしながらも自身の身に起きた状況が飲み込まなかったあの日の出来事は今でも稀に思い出す。

本当に不思議な出来事だった。何の前触れもなく電脳世界に転送された挙句、様様な混乱に巻き込まれタレント業の事務所に働くことになるとは誰が想像がついただろうか、いや、自分自身でも想定の範疇を超えているのなら論議するまでもないのだろう。


「本当に、色々あった一週間だったな」


自分の中で何かが変わったようで、何かが弱くなったかのような感覚、そんな摩訶不思議な体験をした飛鳥は物思いにふける。と


「お疲れさん、アスカ」


「エリさん、お疲れ様です」


休憩室のベンチ座る飛鳥に接近すると、問答無用でエリは隣の席へと腰掛けベタにも缶コーヒーを渡す。

ここ数日イベントの兼ね合いもあり働きっぱなしだったからか、彼女と二人だけの時間を過ごすのは久しぶりな気もした。


「大分仕事に慣れてきたようで何よりよ、仕事ほったらかして夜通しゲームした時はどうしてやろうかと思ったけど」


「あはは、どうしてやろうって実際にどうにかされたんですけど」


あの後胸ぐらを捕まれ作業場へと強制連行された飛鳥は、放棄した仕事が終わるまで部屋の外に出るのもままならなかった。

同時に電脳社会の厳しさを痛感させられる羽目になり、飛鳥は二度とエリの機嫌を損なわないようにと心に強く決心した。


「どう、仕事の方は?」


「まあ、正直価値観が変わりましたね。今までこんな裏方の仕事を人間がする意味なんて無いと思ってましたけど、ちょっとずつエリさんが言いたかったことが分かった気がします」


飛鳥が最初に問い掛けたとき、エリはすぐに答えを言わず自分自身で解答を導き出させようとした。

今の彼には分かる、エリが導いてほしかった模範解答が何なのかを。


「へえ、答えを導き出したのね。で、私達の職業が今でも人力で行われてるのは何でだと思ったの?」


「タレントとのコミュニケーションは人間同士の方が有効的、まあそんなところでしょうね」


「まあ大体正解ってところね。私達の仕事はあくまでもタレントのサポート、AIによって感情がプログラムできるようになった世界になっても、人の心を支える仕事は人がこなすべきだと私は思うわ」


どんなにAIが発達しても、カウンセラーという職業は無くならない。とある著名な学者が公言した次世代に向けての名言が飛鳥の脳裏に浮かび上がり、エリの発言との共通点を見出され説得力を増した。

感情を理解するのと、理解した感情を他に活かすことは違う。それは幾ら本を読むのが好きでも、本を書くのとはまた違うと思うように知識と知恵は似て非なるものなのだ。


「この仕事で大切なことが何かを見極めれて何よりよ。報酬として明日のルカのイベントには出向いてもいいわ」


「え、でも、俺ここから出られないんじゃ……」


「そんなの後で解除しておく、貴方には此処を抜け出す道理はもうないで筈でしょ?」


「……?」


信頼の裏返しか、はたまたよからぬことか、一体何のつもりで不利益を承知の上で受託するのか飛鳥は理解しかねる。

しかし、その疑念は次に発せられる言葉によって解消することとなる。


「ね、貴方ルカのこと好きでしょ?」


「ぶふ……っ!!」


エリから与えられた缶コーヒーを口にした瞬間、飛鳥はあまりの負荷に耐え切れず吹き出してしまう。これも稀に見るベタな反応だ。


「ごめんなさい、ちょっと何言ってるか分かんないです」


「えーそこ誤魔化す?ここ一週間ルカの姿が視界に入ったら目で追ってたくせに」


「うあああ!!やめてくださいってば!!」


エリは悪戯な表情で弄ってみせるが、飛鳥は一切余裕を垣間見せない態度を露にする。仕方ないだろう、ルカの姿を目で追っていた行為は言わば飛鳥にとって誰にもバレたくなかった羞恥の事実であり、エリの前では何から何まで筒抜けであった事に穴があれば入りたい感情に駆り立てられた。


「で、実際どうなの?」


「……黙秘権を行使します」


「否定はしないのね。なら質問の仕方を変えるわ、ルカのことはどう思ってるの?」


ボロを出すまで質問を繰り返しそうだったエリに、飛鳥は内心諦めムードで嘆息を漏らす。

そして彼女から放たれる謎の威圧感に逆らえず、遂に自白する覚悟を決めるのであった。


「か、可愛い奴だと思います。人を労わることもできて、才能もある。俺なんかよりよっぽど価値ある存在だと思いますよ」


「価値ある、か。今の時代に人間の指標ほど脆いものはないけど、確かにルカは才能の塊だわ。でも、彼女が彼女として成り立っているのはVtuberというコンテンツがあるからっていうのも忘れてはダメよ」


バーチャルユーチューバーVtuberはメディアの革命である。旧来までのユーチューバーの基本コンセプトは『顔出し』『地声』といった自身の素の表情を見せる形式だったが、アバターという名の仮面を被り、全く違うキャラクターで世界に放送を配信することだって可能になった。

つまりリアルタレント達にある公の舞台に自分自身の情報を発信するというセオリーを壊すことで、通常は身バレ等で敬遠しがちだったユーチューバーという職の入り口を広くした。そしてその革命に講じて人気を掴んだ一人がルカ、彼女はVtuberというコンテンツがあってこそここまで伸びたと言っても過言ではなく、恐らく旧基本コンセプトではここまで飛躍することもできなかった存在だろう。


顔を出さず、中身を表に出さないのが新しいメディアコンテンツの基本コンセプトであり、よりタレントがキャラクター化した時代。それが現代であった。


「それで、勿論貴方は明日のイベントには行くわよね?」


「ええ、実際にルカが活躍している姿は見てみたいですし、他のVtuberがどんなものかも確認しときたいので」


「そう、じゃあこれをあげる」


飛鳥はエリから手渡されたものを見ると、何やら『RACEイベント関係者証明書』と書かれたカードが確認できた。

いわゆる関係者専用のフリーパスのようなものであったのは確かだが、何故そんな大層な代物を自身に託すのか飛鳥は理解しかねる。


「これって……」


「私に授けられたイベントのフリーパス、これで自由に会場を行き来できると思うわ」


「でも、これはエリさんのじゃ……」


「いいのよ私は、それに貴方は今のルカを見据える義務がある。夜通しイベントの為にゲームに付き合ってた貴方にはね」


どうやら飛鳥に託された義務とは、ここ数日でゲームに腕の磨きを掛けたルカの姿を見てくることらしい。

その為だけに彼女は自らに明け渡された関係者専用のフリーパスを手放し、まだ新人の編集者である飛鳥に譲渡した。一体何の気概かは分からないが、それがエリの信念なのだろう。


「まあ精々楽しみなさい。そして、あの子が躓いていたら背中を押してあげて、それが貴方の役目なんだから」


「……ルカは俺のサポートなんて無しでも優勝しそうですけどね」


「さあ、それはどうかな。確かに彼女はゲームは上手い方だけど、今回ばかりは得意分野は封印されるから、厳しい試合になるかもしれないわ」


確かに数日前のルカの格闘ゲームを見たところ非常に拙い出来栄えとなっていたが、そもそも種目そのものが二世代も前に販売されたゲームの為、そこは他の参加者と出発地点は同じと言えた。

厳しい試合になるかは分からないが、必要最低限のコマンドと立ち回りは教えた、後は決勝にさえ進めれば十分勝機はある。だからこそルカに伝えるべきアドバイスはもう無いと飛鳥は思えていたのだ。


「まあ、善処します。エリさんが会場に行けない分俺が立ち回らないとダメですからね」


「ん、いや、私も会場には行くわよ。ほら、一般入場者用のチケットもあるし」


するとエリはポケットから一枚のチケットを取り出して、自身もまた会場に入場できることを証明した。


「じゃあ俺は仕事に戻ります」


「うん、それじゃあアスカ、明日はよろしくね」


飛鳥は仕事場へと戻る為ベンチから立ち上がり、エリに背を向けて廊下を突き進んだ。

彼がルカの担当に入ってから回された初めての重要な仕事、彼女が優勝する為にも最善を尽くすようにしよう。と飛鳥は胸中で誓うのだった。



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