第6話 初老男性の初恋

みなとみらい地区から帰って来て、風呂に入ろうと裸になった身体を鏡で見て驚いた。

「俺も随分と老けたなぁ・・・」

今日まで毎日風呂に入ってきて、今初めて自分の裸を見たような気分だった。今まで自分の裸なんか興味が無かった。俺は身体を鍛えるタイプでもないし、ナルシストの部分もほとんどないと思う。しかし何故か今夜は、じっくりと鏡を見てしまった。するとそこには、髪が薄くなり、白髪だらけで、痩せ気味のくせに肌だけはたるんで、ボテッと出ているお腹、皮膚もたるみ、シミも多く、精気もなく貧相な顔の、52歳の色白の男が、猫背に立っていた。

「これが俺か。今まで気にした事も無かった。」

いつの間にこんなに白髪が増えたんだろう。鼻毛にも白髪が混じっていた。シワも増えた。目元、口元、おでこに深いシワが刻まれていた。もちろん今の美容の技術は進んでいて、見た目を20代に保つ事はとても簡単な事だ。それどころか、中身も、なんなら細胞レベルで若くする事すら出来る。その技術は脳内にも及ぶ。今や記憶力や思考力を増やす為に脳にナノコンピュータを入れる事は当たり前となっている。まあ、身体中どこでも直せるという事だ。そのうち、生まれたままの身体の人間なんていなくなるだろう。脳以外は全て機械の身体なんて人間も出てくるだろう。そうか、そうすると、ロボットと人間のあいだに違いは無くなるのかもしれない。それならロボットが差別される事もなくなり、P子さんと結婚も出来るかも。

「ん?結婚?今俺は結婚って言ったのか?」

「えー?何?何か言ったの?」

台所からP子さんの声がする。いつの間にか独り言を言っていたらしい。

「あー何でもない。独り言ー。」

「はーい。」

なんだ結婚だなんて、そんな事は考えた事も無かった。ロボットと結婚って。人間同士でも結婚自体意味なんか無いじゃないか。何で結婚なんて考えたのか?あの家族の映像を見たせいかも。

でも俺も少し身体を若くするべきかもしれない。今がそのタイミングなのかも。俺は今までそういう、身体を若くしたり、脳にコンピュータを入れる事に興味が無かった。そうまでして長生きして何になる?今でも死んだように生きてるのに、さらに長く生きる意味があるのか?自ら死ぬ勇気もないけど、死んだような人生を無理矢理長くする気もさらさらない、はずだった。今は見た目が気になる。若さも欲しい。何故か?人から若く見られたい。イキイキと生きたい。何故か?


風呂から出て、P子さんに今日はもう電源を落としていいと言って、俺は寝室に入った。もう寝るかとも思ったけど、明日も明後日も休みだし、少しゲームをやる事にした。ベッドに座って、目の前の空中に指で映像を出した。今俺がはまってるのは自分が昆虫になって、ジャングルや砂漠など様々な場所をサバイバルするゲームだ。まだ、ジャングルのステージが始まったばかりのところだけど。俺はスパイダーライダーというネームで蜘蛛のキャラクターでやっている。たしかこの辺に蜘蛛の巣を張っておいたはずだけど。ああ、これか。久しぶりに来たので、もうかなり破れたり崩れたりしている。前はかなり大きかったはずだ。それでもハエと蛾と何かカラフルな蝶がかかっていた。話しかけても応答がないので、これらのプレイヤー達は今はログインしてないんだろう。取り敢えずハエと蛾を食べてHPを回復しておいた。彼等がログインする時は、この蜘蛛の巣にかかる少し前から再スタートするはずだ。

「どうも、どうも、スパイダーライダーさんですよね?」

いつのまにか蜘蛛の巣のすぐ近くに、大きな紫の蟻が来ていた。

「あー久しぶりです。ビッグアンアさんじゃないですかー。」

だいぶ前、俺の蜘蛛の巣にかかっていた時に仲良くなったプレイヤーだ。その当時はゲーム内で会うと一緒に行動して、他の虫や蛙やトカゲと戦ったりしていた。何ヶ月ぶりかに会った。

「私はほとんど毎日来てましたけど、スパイダーさんは最近は全然でしたよね?」

そういえば最近は全くこのゲームをやってなかった。P子さんと話してる間に夜遅くなってしまうパターンが多かった。アメフトのシーズンに入り、なるべく全試合が見たいってのもあった。

「ちょっと忙しくて。」

「何か他に面白いゲームを見つけたんですか?」

「いやぁ、ゲームではないんですけど・・・いろいろあって忙しくて。何ヶ月ぶりかで、このジャングルに来たんですけど、何か変わりましたか?」

「そうですねー。一時期は軍隊アリがたくさん来て、みんな嫌がってましたよ。なんか悪質なプレイヤーが集団で入ってきて。私は向こうの砂漠まで逃げましたよ。」

「えー砂漠まで行ったんですか?かなり遠いんじゃないですか?」

「かなり遠いですよ。3日かかりましたから。でもそうまでしないと、ジャングルじゃ何も出来ない状態でしたよ。」

「それでこんなに誰もいないんですね。」

「辞めた人も多いでしょうし、私みたいに遠くまで避難して、そのままそこに留まっている人もいるはずです。とにかく酷かったですよ。スパイダーさんも最近見ないから、それでこのゲームを辞めたのかと思ってました。」

ビッグさんとはこのゲームでしか連絡を取らないので、どんな人で何をしててとか、お互いに全く知らない。

「いやいや、それが理由じゃないです。軍隊アリが来てたなんて全く知らなかったです。そうですかぁ、ひどい人達がいるんですねぇ。」

「ちょっとルール違反が酷くて、闇のアイテムを使ったり、違法改造したりして、絶対にあいつらには、バトルで勝てないようにしてましたね。それで軍隊アリが通った後は生き物は何も残らないっていうね。それがしつこくて、何回も何回も定期的に荒らしに来るんで、みんな嫌になってしまって。運営会社もなかなかログイン停止に出来なくて、いろいろ裏技を使って入るので、特定が難しかったらしいですよ。今は捕まって実刑判決が出たらしいです。」

「実刑ですか?それは相当ですね。」

「それがゲームの犯罪だけじゃなくて、ロボットの不正改造なんかもしてたらしいんで、どちらかといえばロボットの犯罪の方が罪は重いらしいです。蒲田アーミーアンツとかいうグループですよ。けっこうニュースになって騒がれたんですけど、聞いた事ないですか?」

「いやぁ、ニュースも最近は全く興味なくて、チェックしてないんですよねー。じゃあ今日はジャングルにいてもバトルは出来そうもないですね?」

「この辺はまだしばらくは、生き物は戻って来ないでしょうね。じゃあどうですか?砂漠の僕の家まで行ってみませんか?いろいろ面白いグッズなんかも集めましたよ。」

「でも、3日もかかるのはちょっと。」

「大丈夫ですよ。地下に川が流れてる所を発見しまして、そこから船に乗れば半日で着きますよ。」

それならという事で、ビッグさんの案内で洞窟に入り、少し地下に降りて、地下水脈に出た。そこから船に乗った。かなり暗いので俺はモニターを3Dの部屋全体バージョンに変えた。こうすると部屋全体が3Dのゲーム世界になり、細かい動きも良く分かる。

「久しぶりにスパイダーさんに会えて良かったですよ。誰も居なくなっちゃったんで寂しかったんですよねぇ。」

「私もビッグさんに会えて良かったですよ。全く事情を知らなかったので。」

「来なかったあいだは何を?他に面白いゲームを見つけたんでしたっけ?」

「いえいえ、ゲームは全くやってませんでした。アメフトを見たり、あとは割と出掛けてました。買い物じゃないんですけど。」

「へー珍しいですねぇ、出掛ける人なんですね?」

「以前は全く外に出ないタイプだったんですけど、最近は出掛けるのが楽しくて。」

「ショッピングモールとかですか?」

「そうですねぇ。ぶらぶらと。何を買うでもなく。」

「男が一人でショッピングモールって、楽しいんですか?あれ?スパイダーさんは女性ですか?」

「いえいえ、男性ですよ。それと一人じゃなくて、友人の女性と。」

「えー!女性とですか?凄いですね。珍しい。何目的ですか?性交渉?」

「いやいや、そういうんではなくて、何ていうか、ただその人と出掛けるだけで楽しいんですよね。」

「えー!何ですかそれは?全然意味が分からないですね(笑)。」

「自分でもよく分からないんですよね、何なんですかね?」

「目的も無く、ただ一緒にぶらぶらするだけで良いんですか?それで満足?」

「はい。」

「いやー変わってますねぇ。」

「はい。自分でも変わってると思います。・・・ビッグさん、恋って知ってますか?・・・もしかしたら、これは昔の映画や小説に出てくる恋なんじゃないかと、その、知らないですけど、もしかしたら・・・。」

「恋って、えー!恋ってそういう感じなんですか?そのー、噂でしか聞いた事はないですけど、そういうのが恋なんですか?もっと私のイメージだと、こう、熱が出て、身体が病気になり、体調を崩し、借金をして財産を取られ破産し、人間を破滅へと導く恐ろしいものだと思ってましたけど。体調は悪くなりましたか?」

「いえ、体調は良いです。ただ少し心臓のあたりが、時々刺すように痛くなる時はありますけど、彼女の事を考えたりすると、あとはいつも通り。借金も破滅もしてないですけど。ただ最近は気がつくと彼女のことばこり考えてしまって、他の事は手につかず、ゲームも何もする気にならなくて。彼女ともっと話したい、もっと一緒に歩きたい、ずっと一緒にいたいとか、そんな事ばかり考えています。」

「へー、それはまた凄いですね。だからジャングルにも来なかったのかー、へー。」

「誰か身の回りに恋してる人はいませんか?何だか不安なんですよ。自分は病気なんじゃないか?頭がおかしくなったのではないか?これは本当にあの伝説の恋ってものなのか?そうだとして、これからどうしたらいいのか?病院にも行ったんですけど、どこも悪くないとのことで、だったら次はどこに行って誰に相談したらいいのか?」

「いやー恋してる人なんて初めて聞きましたよ。いないですねぇ。その相手の人は何て言ってるんですか?その人も恋状態だと言ってますか?」

「それが、・・・相手は人間じゃなくて、・・・そのー。ロボットなんですよ。」

俺は仕事以外ではビッグさんぐらいしか会話する人はいなかった。幼い頃に同じ施設で育った友達とは、もうとっくに連絡を取り合っていなかった。それに誰かと会話する必要もなかった。現代ではみんなそんなものだ。でも、この胸のモヤモヤを誰かに話したくて仕方がなかった。それで、久しぶりにジャングルに行く事を思い付いたのだ。最近は、プライベートな会話はこのゲームでしかしていなかった。それに、どこの誰とも分からないから余計に話しやすかった。ただ少し喋りすぎた気もした。でももう止まらなかった。どこの誰かも分からず現実世界では見ず知らずの人だと、何でもどんな秘密でも大胆に話せてしまうようだ。

「ロボットですか?ロボットってそれは違法になるのでは?性交渉用のロボットですか?」

現代では性処理は男も女もスペシャルヴァーチャルリアルで行う。3D映像を部屋に出して、しかも今の技術は素晴らしくて、触ったら感触もあり、匂いを嗅いだらそれを感じることも出来て、何から何まで生身の人間と変わらない。もちろんどんな好みも趣味嗜好も思いのままだ。でも、実際に存在する物体が欲しい人の為に、性交渉専用のロボットもある。

「いえいえ、普通のメイド用のロボットです。」

「えっ!メイド用のロボットだと、そんな変な事は出来ないじゃないですか?」

「もちろんもちろん、性的な事はいっさいしてません。ただ一度、抱きしめて・・・・。」

「えー抱きしめたんですか!!」

「はい、そしたら拒否されまして・・・。」

「そりゃあそうでしょう。なんか事件もありましたよね。」

十何年間か前に、ロボットへのレイプ未遂事件があった。しかし、ロボットの方が力は強い、拒絶されたら何も出来ない。その男性は腹いせにロボットをほぼ独占的に販売、レンタルなどをしている、国営企業の日本ロボットレンタル&エレクトロニクスの本社を一部爆破した。幸い正面入り口が一部吹き飛んだだけで、受付のロボットが二台破損したが、人間の被害は無かった。その男性は懲役150年の実刑判決が出て、まだ刑務所にいるはずだ。ずいぶんと話題になったので、よく覚えている。

「ありましたね。」

「それで抱きしめただけで終わったんですか?」

ビッグさんは興味しんしんのようだ。少し喋りすぎたとも思ったが、誰かに喋りたかった。

「それで、じゃあ何もしないから、添い寝だけしてくれないかと、」

「頼んだんですか?」

「はい・・・、」

「それも拒否されたんですか?」

「いえ、添い寝だけなら可能だと言うんで、添い寝してもらいまして、それで、手を繋がせてもらって。少し話しをして、それで寝ようとしたんですけど・・・、」

「寝れなかったんですか?」

「はい。その、やはり、隣で寝てるのが気になって気になって、それでやっぱり抱きしめたくなって、そしたらやはり拒絶されて。それで、弊社にはかなり質の高い性交渉専用のロボットがおります。とかなんとかのセールストークが始まりまして。違う違う!と、俺はそういうものは求めてはいない!と言ってもセールストークは終わらず。あれは、やはり、そのような展開になったらセールストークが始まるようにプログラムされてるんでしょうね。」

「よくある事なんだと思いますよ。それ系のロボットを売る事も重要な狙いなんでしょうね、あの会社ではね。性交渉専用ロボットはレンタルではなく、売ってるものしか無いそうじゃありませんか?」

「そうらしいです、何故かレンタルは無いそうです、それで、まんまと日本エレクトロニクスのやり口に、はまったって事でしょうね。それでそのセールストークを聞けば聞くほどみじめな気持ちになっていって、思わず怒鳴りつけてしまいました。この部屋から出て行けと・・・。」

「それでもセールストークは止まなかったんですか?」

「いえ、笑顔でかしこまりました、と。それがまたみじめで。俺は何をやってるんだろう、どうにかなっちゃったのか?と・・・。すると次の日に頼んでもいない性交渉専用ロボットのサンプルが送られて来まして、聞けば一ヶ月間無料お試しだと。その期間内に返品すれば料金は一切かからないとの事でした。私は何だか悔しくて切なくてイライラして、それでそのサンプルロボットを手荒に扱いメチャクチャにしてやりました。そしてら余計にムシャクシャして、遂にはバラバラにしていました。」

「流石にそれは弁償ですか?それとも訴えられて罰金とか?」

「それが、そういう趣味だという事にすれば、何のお咎めもないそうなので、そういう事にして、返品しました。」

「そうなんですかー知らなかった。でも良かったですね。」

「全然良くないですよ。すごく落ち込みましたよ。このままじゃ私は壊れそうですよ。こういう事が恋なんだとしたら、辛すぎます。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る