第2話 ドーム都市横浜

ほんとに簡単な申し送りをし、制服からスーツに着替えて、各書類にハンコを押したら帰りだ。

「お疲れ様でした。よろしくお願いします。」

「お疲れ様でしぃた。さっきの話ですけど、研修室で何を見ておけば良かったんでしゅたっけ?」

やっぱり分かってなかった。

「ああ、それは、やっぱりいいです。忘れて下さい。やっぱり私の見まちがいだった気がします。忘れて下さい。」

「そうでしゅか。了解です。忘れましゅ。忘れるのは得意なんで。」

自虐ネタかぁ。笑えない。

「いやいやいや、そんな事はないと思いますけど・・・、じゃあ帰ります。お疲れ様です。」


そしてやっと、ずっと待機させていた、関口さんが乗ってきた高速タクシーで無人島を出た。いやー今日も疲れた、何もしてないけど(笑)。海上10メートル程の高さを飛ぶ、この高速ドローンタクシーは本当に気分が良い。もちろん全自動運転で景色や鳥達を見ながらゆっくり帰れる。最初の頃は夜勤に慣れなくてどうしても寝てしまっていたが、最近は何故かあまり眠くならない。その昔の人は超満員電車という、そのまた大昔のアフリカからアメリカ大陸各国へ送られた奴隷船のような、人がぎゅうぎゅうに詰まった電車で毎日何時間も移動してたそうだが、とても信じられない。よく死者が出なかったもんだ。いや、多少の死傷者は出てたのだったか、かなり前に読んだので、うろ覚えだ。たしかあまりにも人が多くて、不衛生になり、コレラなどの死に至る菌が充満してかなりの死者を出したとかなんとか。

最近はこのドローンタクシーの利用者が多くて、電車なんて博物館かアトラクションドームにでも行かないと乗れない。ドロタクは無料だし呼べばすぐ来るし管理する必要もないし、とにかく便利だ。

しばらくすると横浜のドーム屋根が見えてくる。横浜市は50年前に、都市全体をドーム屋根で覆った、日本で最初の都市だ。今では東京の一部、名古屋、大阪、広島、福岡、札幌、仙台、千葉と随分増えている。それ以外の場所に住む人はだいぶ減ったが、まだ多少の都市はあるらしい。そこではまだ台風も吹雪も雨も雪も降るので今だに傘やレインスーツを使うらしい。竜巻の被害もたまにあるとか。夏は暑く冬は寒いそうだ。よくそんな所に住めるものだ。特に氷河期に入った現代ではドーム屋根無しの町に住むのは自殺行為じゃないだろうか?

そういえば何百年か昔は温暖化の危険が騒がれていたとか。やっぱり昔の科学は幼稚で野蛮だったらしい。そんな有り得ない事を本気で心配してたとは。こんなに寒いのに。結果はめっちゃ氷河期だよ(笑)。

それにしても、ようやく帰れる。嬉しくて仕方がない。何でだろう。そんなに仕事が嫌なのだろうか?別に働く義務は無いから辞めても良いんだけど。いや、別に辞めたいわけじゃないと思うけど。よく分からない。まあ、ただ嬉しいだけだ。はー帰れる。

横浜駅が見えてきた。また大きく広がった気がする。横浜駅は昔から増築、改築、建て替えを繰り返し、増殖し続けていて、工事をしてない期間が無かったと言い伝えられている。俺が子供の頃はまだ横浜駅と桜木町駅は別の駅だったが、今では一つになってしまった。その理由は高速歩道が開発されたのが大きい。ほとんど歩かずに時速60km〜70kmのスピードで駅構内を移動できるようになり、全国のターミナル駅は巨大化に拍車がかかっていった。東京駅は今や新橋、銀座から秋葉原までを呑み込みつつある。高速歩道ってのはどういう仕組みなのか全く分からない。胸ぐらいまでの高さの手すりと普通に見える動く歩道なんだけど、高速で移動したり、急に止まっても体には全く負荷がかからない。風で髪型が乱れることもない。視界も狭くならず良好に景色も楽しめる。本当に不思議だ。俺は一時期マクロデータスペースにアクセスしたり、ネット中をいろいろ調べてみたが、全然情報が出てこなかった。友達に話しても全く興味を示さず、疑問にも思わないらしい。日本人はこんな事で大丈夫なのかと、少し心配になる。みんなどんどん馬鹿になってる気がする。こんなの身体に悪いんじゃないのか?でも俺もそれ以上は調べてないけども(笑)。


巨大な要塞のような横浜駅上空を少し通り過ぎると、住宅街が広がる。その中の30階建ての低層マンションの8階に俺の部屋がある。10階のタクシー乗り場で金も払わずにタクシーを降りる。俺の身体のいろんな場所(顔、手、内臓など)で複合的に個人IDを認識して、自動で支払われるらしいが、もはやその仕組みはよく分からない。自動引き落としになる金額もおそろしく安い。ただみたいなもんだ。80年前のオイル革命以来、物価は随分と下がった。生活に必要なものはほとんどただみたいなものだ。さらにこの身体IDのシステムにより、何も持たずに買い物が出来るから、買ったという感覚が無い。全て無料のように錯覚してしまう。いい世の中になったもんだ。


マンションのドアを開けるとロボットのメイドが出迎えてくれる。もちろん何処からどう見ても人間にしか見えない。性別も顔も体型も性格も全て雇い主の好みにカスタムしてもらえる。俺は20代半ばの少しぽっちゃりのタイプにしてもらった。あとは特に希望は言わず、お任せにした。

「おかえりー、お風呂入るでしょ?ご飯の用意も出来てるよ。」

「ただいまー、ありがとう、疲れたー。」

「お疲れ様。」

口調も気兼ねなく話すように設定してある。長くいっしょにいるし、かしこまった口調で話されると疲れてしまうからだ。

「今日はご飯は何?」

「あなたの好きな餃子よ。」

「いいねー餃子!」

風呂に入るとまず身体が浮いて空中に横になる。そこにミストが全身に浴びせられ、身体を洗ってくれる。それと同時に機械の部分のメンテナンスと生身の部分のマッサージが行われる。俺の機械の部分は右膝と左足の小指と薬指だけなので、すぐ終わる。

風呂を出るとビールと夕飯の用意が出来ている。

「相変わらずうまいよ!P子さん!」

このロボットメイドの名前だ。俺が勝手につけて、そう呼んでるだけだけど(笑)。まあ俺だけの呼び方ってところだ。本当はPなんたらかんたら型何号みたいな名前だったと思う。それじゃ呼びにくいからP子でいい?と了解を取ったのだ。おそらくこのレンタルを利用している人は名前なんて呼ばないと思う。ただ命令するだけだろう。俺は一人暮らしの寂しさを紛らわす為に、誰かと住んでる感が欲しくて、わざとそうしている。名前だったり、タメ口だったり。あらためてそういう事を考えると虚しくなるけど。ただ、P子さんとは最初から気が合った。ロボット相手になんか変な言い方だけど。量産品だからどれも一緒のはずなのに、俺には一緒じゃない気がする。顔も何の希望も言ってないのに、好みだった。美人でもないけど、まあまあの感じだ。あまり美人だと疲れるから、美人は好きじゃない。それとも何かのアンケートに答えてたのかな?それをレンタル会社がリサーチして好みのタイプを送ってくるとかか?

「ありがとう。でも毎回同じに出来るようにプログラムされてるので当たり前ですけどね。」

「ああ、そうか(笑)。」

「あなたの好きなものは全てメモリーに入ってるわよ、その為にここにいるんだから。それが私の仕事よ。」

「そうか仕事か。そうだよね。」

俺はご飯を済ませて、いつも通り、2〜3時間ベッドで眠った。

俺は何故か、P子さんがロボットである事を忘れてしまうことが多い。わざと一線を引かずフランクな感じにしてるからなんだけど。なんか喋りやすいし、何だろう?やっぱり顔かな?美人でもないが、ブスでもない、普通だ。かといってロボットメイドが全部同じ顔なわけではない。それだと街の中が同じ顔だらけで気持ち悪い事になる。体型はぽっちゃりだが、太めの印象ではない。太過ぎず、痩せすぎずといったところだ。胸も大き過ぎず、小さ過ぎず。うちに来て3年になる。よく働いてくれる。それもプログラムだから当たり前か。でも、前のロボットより全然印象が良いのは何故なのか?企業努力と言ってしまえばその通りだが。何だろうな、疲れてるのかな?早く帰りたいのはP子さんに会いたいからかもしれない。勤務地の異動願いを出してるのは、あの島がなんか気持ち悪いし、飽きてきたからだと思ってたけど、本当は毎日P子さんに会いたいからかも。いや、それはないか。ロボットだし。やっぱり疲れてるのかな。それともおかしくなったのか?


夕飯は南側の窓際のテーブルで食べる事が多い。ここからの眺めが好きだ。空中をアリの行列の様に規則正しく飛ぶタクシー。高僧ビルの群れが途切れる事なく海の方へ続いている。頭上にはドーム屋根なのに、星も見える。これはドーム屋根に移したビジョンなのか?それとも屋根の材質がかなりの透明度を誇る為に見えるのか?ちなみにこの屋根には各ブロックごとにシェードの様なものがついていて、日光や温度を自動で調節しているらしい。最近の技術の進歩は、本当にすごい。

「今日はアメフトは見なくていいの?」

「ああ、忘れてた。」

「あら珍しい。アメフトを忘れるなんて。」

「疲れてるのかなぁ。今週はシーホークスはどことだったの?」

「3日前にペイトリオッツとよ。」

「おっ!それ面白そうだな。他には?」

「ラムズ対レイブンズ」

「それはどっちも好きじゃないな。」

「テキサンズ対カウボーイズとブラウンズ対ブロンコス。」

「ナイナーズは?」

「ナイナーズはバイウイークで今週は無いわ。」

「じゃあやっぱりシーホークスの試合を見せてもらおうかな。」

最近の映像システムも随分良くなっている。広い球場の何処の視点からでも見れるし、倍率も思いのまま。クォーターバックの隣にいる視点からも見ることができる。目の前で実際にあったかの様にハードヒットのタックルも見れる。凄い迫力だ。でも今日は第1クォーターが終わる前に見る気が無くなった。

「やっぱり映画でも見ようかなぁ。何かオススメはある?」

P子さんは食器を片付けながらスラスラと答える。

「そうねぇ、あたなの好みだと、『未来世紀ブラジル』『クウォーターブラザーズ』『シュメールの王』『俺はある日、進化する夢を見た』『マリアの恋人』『老人とギター』『ポンヌフの恋人』あとは」

「ちょちょ、ちょ、ちょっと待って。ブラジルとポンヌフとマリアの恋人は見たなぁ、昔。」

「やっぱり、好きそうな感じだと思ったわ。」

「よく分かるね(笑)。凄いよ。」

「別に凄いわけじゃないわ。言ったでしょ、あなたのデータは多角的に大量に入ってるのよ。流石に昔見た映画までは入力されてないけど、他のデータを解析すれば、だいたい分かるわ。映画なんてそんなに多くないしね。せいぜいが何億本かでしょ?」

「まあ、ね、知らないけど。じゃあ何にするかな?恋愛系が良いかなぁ。」

「じゃあ『6月は大嫌いだけど』『その後の関係』『いつか月の上で』『深海からのメッセージ』『星の彼方へは』『体重120キロの恋』『キチ○イの恋』『私と彼の100万光年』それから・・・」

「ちょっと待ってちょっと待って速い速い。じゃあ体重120キロにしようか、コメディタッチでしょ?」

「見た事はないけど、コメントを見るとそのようね。」

「見た事ないの?じゃあ一緒に見ようよ。もう終わったんでしょ?」

「え?私も見るの?どうして?」

「どうしてって、恋愛映画なら一人で見るより、女の人と見たいでしょ?」

「そういうもんなの?でも私は映画は見ないのよ。見ても分からないの。」

「分からないってどういう事?意味は分かるでしょ?」

「意味は分かるわよ。でも何で登場人物達はこんな行動をするのか?こんな事を言うのか?とかそういうのが分からないわ。いいえ、その人間はそういう事をするという知識はあるわよ。でもそれの何処が面白いのかが分からないし、そもそも何で映画を見るのかも分からないし、知識を得たいならデータを直接頭に入れればいいでしょ。他のものの時はあなたもそうしてるわよね?」

「映画のストーリーや映像を仕事のマニュアルみたいに頭にインプットしても何にも面白くないよ。だったら見ない方がいいよ。」

「多分私には感情がないから、他者に共感できないからじゃないかしら。時間の無駄に思うわ。」

「じゃあ分かった。ソファの隣に座って手を握っててくれないか?それならいいだろ?」

「まあ、ご主人の指示に従うのが仕事だから。」

「じゃあそうしてくれ。」

P子さんがロボットだという事をつい忘れてしまう。そうなんだ。所詮は感情も何もない機械の塊なんだった。

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