15

 しばらく無言が続き、たまらない雰囲気になりました。

 あの方は、また考え込んでおしまいになり、部屋を出て行こうとしませんでした。どうともいたたまれなくなり、私のほうが部屋を出るべきだと思いました。そっとベッドから降りようとして、寒さに震えました。私の服は、ベッドの下に投げ捨てられたまま。私は、何も身に付けていませんでした。

 あの方は、私よりも先にそのことに気がつき、身軽な動作で私の服を拾いました。そして、そっと私に羽織らせてくれました。


 その時の冷たさ……。


 布の温かな感触を通り越して、あの方の体の冷たさは、じわりと伝わってきたのです。かすかに首筋に触れかけた指先は、直接当たらなかったというのに、私をびくつかせるのに充分でした。

 かなり長い時間、あの方は昨夜の行為を悔やんで、恥じて、窓辺にたたずんでいたのでしょう。唇の色が紫なのは、けして薄明の空気の色のせいだけではありませんでした。

「レサ」

 あの方は床に跪き、私を見上げました。

 今まで長い間、あの方のお側にいましたが、これほどまでにまっすぐに見つめられたことはありません。あの方は、初めて私をしっかりと見たのです。

 ただし、身も凍るような後悔と懺悔の気持ちで……。

「僕は君に乱暴した」

 私はあの方の視線が辛くなり、目をそらしました。

「……いいえ、そんな……」

 乱暴ではありませんでした。とても、優しく愛されました。が、あの方のいう乱暴とは、そういうことではありませんでした。

「僕は……君に残酷だったね」

 私は、うっ……と声を詰まらせました。


 ええ、その通りです。

 セルディ様は、いつも私に残酷でした。

 愛されていないことはわかっている。

 愛されるはずもないことも、わかりすぎているほどに。

 なのにいつでも優しくて。

 毒気のない清らかで美しい微笑みで。

 何もかもうわべだけ……なのに、私を惹き付けて放してはくださらない。


 耐えきれなくて、私はぼろぼろと涙を流しました。

「……もう、いいんです。セルディ様。私が勝手に……」

 想いを寄せていたのです。迷惑だと知りながら……です。

 これで、私もきっとふっきれます。もう辛い恋はいらないのですから。

 そう私は言うつもりでした。でも、あまりにも切なくて、そして、こんなに切ないのに、自ら去るのが辛くって。

 こんなに残酷に扱われながら、私はそれでもあの方を愛しているのです。 

「よくないよ。レサ……こんなのは」

 冷たい手を毛布越しに私の膝においたまま、あの方は言いました。

「いいんです。もう、気にしないで……」

 そう。私は遠くに行くのですから。

 なのに、あの方は私の膝に頭を乗せて、懇願するのです。

「だめだよ、レサ。お願いだから、僕をこんな恥知らずで情けないままの、卑怯な男にしないでくれ」

 私は驚いてあの方を見ました。あの方も、ふと頭を上げて、まっすぐあの無垢な美しい緑の瞳で、私を見つめたのでした。

「僕に責任を取らせてほしい。君を大事にさせてほしい」


 ……あまりに残酷です。


 どうせ叶わぬ恋ならば、息の根を止めてください。 

 どうせ愛されないならば、冷たく突き放してください。

 もう、こんな辛い恋はいらないんです。

 私は、遠くに旅立って、もう二度とセルディ様にはお会いしない……はずなのに。


「そんなもったいないこと、言わないで……」

 責任だなんて、そんなこと……。

 こんな恋の成就なんて、絶対に間違っています。

 あの方は、私を少しも愛していなくて、今後も愛することはなくて、ただただ自尊心のためだけに、そんなことを言うのです。

 なのに、私の涙はいつのまにか、喜びのせいでこぼれ始め、頑になった心を融かし始めました。

 あの方は、冷たい体のまま、身を乗り出して私をそっと抱きました。

「レサ。もう二度と悲しい想いをさせないよ」

 その言葉を、どうして私がはじき飛ばせるのでしょうか?

 私は、ずっとあの方を慕い続けて、ずっとその言葉を待ち続けていたのですから。

「君を大切にする」

 甘く耳元でささやかれ、私の決意は飛び去りました。

 幸せで……うれしくて……。

 そして、もう逃れられないのだ……と、絶望しました。

「セルディ様……」

 あの方の冷たい体を抱きしめて、私は長い時間、泣き続けたのでした。

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