12


 あの方からの初めての口づけは、お酒と血の香りがしました。

 爪が食い込むほど強く腕を押さえつけられ、私は驚いて身を引きました。すると、あの方は包帯がひらひらと舞う左腕を私の背に回し、頭を押さえつけました。もう頭を引くこともできず、私は攻め入るようなあの方の口づけを、すべて受け入れたのでした。

 唇を押し割って入ってきた舌に、私は甘さよりもしびれを感じました。アルコールのせいでしょう。実際、セルディ様はかなり飲んでいました。


 いくら飲んでも酔えない人なのに……。


 私のほうは、初めての口づけとお酒の味に、酔いが回ったようです。抵抗するどころか、体が急にだるくなり、ふうっと息を漏らしました。くらくらとその場に倒れてしまうのではないか、と思うほどに。

 でも、私は倒れませんでした。突然、セルディ様が私を抱き上げたからです。

 私はびっくりして、すっかり酔いが醒めました。

 左腕からの出血は、まだあったと思います。でも、あの方はまったくよろめくこともなく、私を抱き上げて運びました。

 その先がどこなのか、おおよそわかってしまった時、まさかと思いました。

 私はあの方の胸に顔を埋めました。怖かったのと、恥ずかしかったのと、うしろめたく思いました。

 そして、確かに戸惑いました。前の持ち主を感じて……。


 でも、どこかで、その行為を望んでいた私もいました。

 ずっとずっと小さな頃から、いつか、この日が来たら……と。だから、私はそっとあの方の首に腕を回したのです。


 シリア様のベッドの上に、私はそっと下ろされました。

 そして、次の瞬間には、私の上に被いかぶさるようにあの方がいました。

 二度目の口づけは、ついばむように優しくて……でも、私は、これからされるだろうことに恐れを感じていました。

 男性を受け入れるのは初めてだったからです。そして、このベッドの上で起きたことを想像して、恐ろしかったのでした。

 あの朝、シリア様の体には、無数の痣がありました。

 セルディ様が、シリア様にどのような仕打ちをしたのかなど、一目見ればわかってしまいます。そして、あの日以来、シリア様はご自身を失われ、最後は塔の窓から飛び降りて、命さえも失われました。

 エーデムの容姿を持ちながら、セルディ様はウーレンの残虐さを持っていました。

 ましてや、今のセルディ様はとても尋常ではありません。尋常であれば、このような行為など、なさるお方ではありませんから。


 それでも私は抵抗しませんでした。

 どのような暴力でも、あの方が望むならば、この身が裂けてでも耐えきろうと思っていました。それでも体が震え、舌を噛み切りそうなほど、私は怯えました。

 何度目かの口づけのあと、あの方は私の髪に触れ、そっと耳元に掛けました。そこにそっと唇を運び……。

「大丈夫。乱暴にしないから」

 ささやきは、まるで媚薬のよう。

 言葉が私をとろかしました。あまりに甘くて優しくて。

 体がふっと緩んだとたん、あの方の唇は私の首筋をなぞって、下へと移動していきました。

 胸元がほどかれるのを感じました。そして、愛撫……。

 私の肌を被っていた布の感覚が取り去られ、別の温かさを感じると……心臓がどきどきしました。いえ、それはあの方の鼓動だったのかも知れません。

 体の上を滑らかに滑ってゆく銀色の髪に、私はいつの間にか指を絡ませていました。とても戸惑いました。


 これは……不安で怖くて……痛いの? それとも、快いの?


 心地よさが勝ると愛撫は少しだけ乱暴になり、不安でいっぱいになると優しくなり、そして再び私の唇へと戻ってくるのです。

 無理強いのない優しさに、私の不安は薄れました。

 でも……。

 それが何度も繰り返されると、私はすっかり慣れてしまい、優しさをじれったくさえ思いました。

 私の戸口をくすぐるようなノックをして、止めて再び唇に戻る……体の芯が熱くなり、奥がうずきました。

 その感覚に戸惑いながらも、私は願いました。


 ――もっと、もっと……私に触れて。


 数えきれなくなった口づけの数。私はあの方に体を投げ出し、抱きしめて叫んでいました。

「ああ! セルディ様! セルディ様!」


 ――あなたが欲しい!


 涙がこぼれました。

 私は、いったいいつからセルディ様を求めていたのでしょう?

 じっと耐え忍び、気持ちを押し殺して……。


「愛している。愛している。愛して……」


 甘く切ない声――でも、いつもよりもずっとうわずった声で、あの方は何度も私の耳元でささやきました。

 その声に揺すぶられて、私はさらに幸せの絶頂へと上り詰めるはずでした。

「……うっ、あ、あ、セル……」

 自分の声が恥ずかしくて、私は指を噛み、堪えました。その指をあの方は奪い取り、そしてそっと唇を押しつけ、懇願しました。

「お願いだ。言ってくれ。君だって、僕のことを好きだろう?」

 激しく攻められて、甘く懇願されて、私は自分が融けてなくなりそうなくらい、恥ずかしさと、幸せを感じていました。このまま死んでもいいくらいに。

「好き……あ、うぅ、ん!」

 指を噛まれて、言葉は途絶えました。その後は、言葉になりませんでした。快感が頭の中を突き抜けてしまい、もだえ、うめくだけでした。

 でも、私は叫び続けていました。

 心の中で、あなたを愛していると。あなただけを愛していると。


 なのに、あの方は。


「……あぁっ、シリア! もっと僕を愛してくれ」


 私の心は石になりました。


 体だけは熱いまま、あの方を受け入れていました。

 でも、心はぽっかりと穴があき、何も感じなくなっていました。それどころか、冷たいものが、心の穴を通り過ぎ、涙さえ凍りそうでした。

 そう、私は泣いていました。あまりの不幸に。


 今、セルディ様が抱いているのは、レサなんかじゃない。シリア様の幻。

 私はただ、シリア様の幻影に、体を貸してあげただけ。そして、あの方がこれほど優しく愛してくれるのは……シリア様なのです。


 私は、あの方の背に回した手を緩めました。

 そして、そのまま胸を押しつけ、体を離すこともできました。私は私よ! と泣き叫び、あの方を拒絶することだってできたのです。

 乱暴されるかも知れません。むしろ、拒絶に逆上して殺されてしまったほうが、私は幸せだったでしょう。

 でも、私にはできませんでした。

 緩めた手を再びぎゅっと強く握りしめ、涙声で言うしかなかったのです。


「私も……愛しています。セルディ……」

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