エーデムを捨ててしまった私に、コーネは……いえ、トビの実家のジュデマ家は、癒しを与えてくれました。

 ウーレンとの国境に近いこの街は、リューと同じ……いや、それ以上に危ないところでした。が、ジュデマ家の庭には花が咲き乱れていて、私はついたとたんにほっとすることができたのです。


 トビは、私を家族に紹介してくれました。

 ジュデマ夫人は、トビに似た雰囲気を持ったしっかりした女性でした。ジュデマ氏は、がっしりとした感じの人ですが、すっかり体を壊し、今となっては一人では歩けないのでした。

 トビのお兄さんたちは、不幸に見舞われて既に他界していました。近くにお姉さんが結婚しているとのことですが、家は子供たちがいなくなって、夫婦だけになっていました。

 使用人が既に何人かいて、手が足りていないというのは、トビの嘘だとわかりました。きっと、私を救うためだったのでしょう。


「いいえ、本当に手が足りていないのですよ。手……よりも、心が、かしら? しっかりさびしい家になってしまったので」

 ジュデマ夫人は、そう言って微笑まれました。

 イズーでも見たことのないような、立派なカップでお茶を飲み、私はくつろぐことができました。

 私は孤児でした。多くの人たちの優しさに触れて育ったとはいえ、母や父を知りませんでした。

 数日もすると、私はジュデマ夫人を「おかあさま」と呼び、ジュデマ氏を「おとうさま」と呼ぶようになりました。そのほうが、お二人ともうれしそうだったのです。


 治安の悪いコーネの街を出歩くことはできませんでした。

 でも、体が不自由なおとうさまのために、手を貸したり、本を読んで差し上げたり……と、私の日々は充実していました。

 忙しいはずのトビも、暇を見てはリューの街からわざわざ様子を見に来てくれて、私は温かい家族の雰囲気を満喫し、癒されたのでした。


 ある日、おかあさまが言いました。

「あのね、レサ。私たちは本当にあなたが娘のように思えてならないの。エーデムの娘さんにこのようなことを言うのは失礼かもしれないけれど、トビのお嫁さんになって、本当に娘になってくれたら……と思うのだけど」

 私はびっくりしてしまいました。慌てて首をふってしまいました。

 おかあさまは、逆に驚いたようです。

「あ、あら? 私の勘違いだったのかしら? あの子があまりにもあなたを大事にしているので、てっきり……」

「あ、あの私、ここが好きです。ずっとここにいたいんです。トビのことも嫌いじゃない。でも……」


 セルディ様が好きなんです――そう思ったとたん、涙が出てしまいました。


 トビは、私に無理強いしません。

 さりげなく優しくて、私にはとても居心地のいい人なのです。居心地のいい場所を作ってくれるのです。

 ここには、私がほしかった幸せがあるのです。

 なのに、ふりかえってもくれないあの方のことが、どうしてこんなに忘れられないのでしょう?

 おかあさまは、なにもかも察してくださいました。

「いいのよ、いいの。ただ、親の贔屓目であの子はいい子だと思うだけ。好きな人がいるならば、まっすぐ好きでいいんですよ。打算的に幸せを考えても、あとで後悔しますから。自分の気持ちを大事にしてね」

 おかあさまは、そう言って、泣いている私を抱きしめてくれたのでした。


 まっすぐに……好き。


 エーデムを捨てたあの方と私の身分差は、かつてほどはありません。

 まっすぐに自分の気持ちを大事にしたら、いつか報われることがあるのでしょうか?

 私は答えを見いだせないまま、また辛い恋を選んでしまったのです。



 その選択から数日後、私はセルディ様から手紙を受け取りました。

 エーデムからシリア様を連れ帰ったということで、手を貸してほしいとの内容でした。


 シリア様はたいへんわがままな方で、普通の方には手に負えないのです。ましてや、セルディ様とシリア様は犬猿の仲。

 手紙はもっともなことでした。私はずっと話相手として、シリア様のお世話をしてきた実績がありましたから。


 身も心も癒された私は、リューに戻ることにしました。

 おかあさまとおとうさまに別れを告げるのは辛かったのですが、時々はトビと一緒に遊びに行くことを約束し、コーネを後にしたのです。

 この時の私の旅路は心地よいものでした。あの方の力になれるのだという喜びでいっぱいでした。

 でも、それはまるで次なる不幸の準備だったのです。

 そして、あの方に対する想いを純粋できれいなものとは思えなくなった、恐ろしい出来事は……もう目の前に迫っていました。

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