新しい部屋
「ひ、広い……」
思わず声が漏れた口を慌てて手で塞ぐと、不動産屋さんが小さく微笑んだのが見えた。田舎者丸出しだったのが恥ずかしい。キッチンを眺めていたミカゲさんに駆け寄り、小声で訴えかける。
「ミカゲさん! ここ、新築な感じだしリビングやたら広いし、ちょっとやりすぎでは!?」
「そうですか? 今までが手狭すぎたかなと思ったのですが」
「あんまり広いとお掃除が大変ですよ!? それにここ、お家賃結構するんじゃないですか!?」
「掃除するのは僕なので大丈夫ですよ。お家賃も大丈夫ですよ、僕たち2人とも前よりお給料増えてますし」
そう言ってへらりと笑うミカゲさんに何も言えなくなってしまう。そりゃそうだけど!
「それに、ほら。リビングが広かったらアヤちゃんここで担当さんと打ち合わせ出来るでしょうし」
確かに、今までは私の部屋が汚いあまりにファミレスで打ち合わせをしていた。周りを気にして会話をしたりとか、打ち合わせの度にご飯代もかかったりだとか、何かと不便は多かった。そういうことも見越して、この物件を候補にしたのだろうか。私より何枚も上手なミカゲさんに何も言えなくなってしまう。
するりと私の横をすり抜けて、次の部屋に向かったミカゲさんを慌てて追いかけた。
「ここは寝室ですかねー」
「そうですね」
日当たりの良い6畳ほどの部屋だ。間取り的にもここが1番寝室にもってこいではあるけど。するとミカゲさんは、不動産屋さんに聞こえないようにこっそりと耳打ちをしてきた。
「ベッドはダブルにしましょうね」
「!」
私のせんべい布団で何度も一緒に寝たし、ていうかそれ以上のことだって何度となくしてるのに、改めてそう言われると、本当にこれから一緒に暮らすんだなっていうことを実感して──なんというか、非常に照れるんですが!
「いかがですか?」
不動産屋さんが頃合いを見て言った。ミカゲさんは、「そうですねぇ」と適当に相槌を打ってから不動産屋さんに尋ねた。
「ここって、最寄りのコンビニまで何分でしたっけ?」
「こちらの物件は、コンビニまで徒歩3分となっております」
不動産屋さんはニコリと笑った。家賃とか広すぎる空間とか、いろいろと思うことはあったけれど、それはかなり魅力的だ。今の家はコンビニまで早歩きで徒歩5分だけど、真冬なんかはそれでも辛く思う時もあった。それが3分。往復でも6分。ぐぅ、良い。
私が黙っていると、ミカゲさんが一足先に「ここにします」と口を開いたのだった。
* * *
元々頂いていたお休みを少し延ばしてもらった。理由を聞かれたので、端的に「引越しをするので」と言った。勘のいい小宮さんが何かを言いたげにしていたので、「引越しが完了したらまたお知らせします!」と慌てて切った。
今の家の退去日もいつの間にか決まっていた。どうやら裏でミカゲさんが大家さんと話を進めていたらしい。いつも思うけど、ミカゲさんってのほほんとしているようで抜かりがない。私の部屋はミカゲさんが掃除をしつつ荷物をまとめていたし、ミカゲさんの荷物は大学の研究室に箱のまま置いてあるそうなので、引越しは意外とすぐに終わりそうだった。
「こっ……!?」
入居用の書類を提出しておいたので確認してください、とミカゲさんにコピーを手渡された。とりあえず一通り目を通していたのだが、とある項目に私は言葉を失った。今回、契約者はミカゲさん、私は同居人という立場になるのだが、着目すべきは、そこの続柄の項目だ。
「婚約者、なんですか!? 私!?」
「そう書くように言われたので」
「言われたので、って……」
さらりと言ってのけるミカゲさん。その文字を書く時、彼は何を思ったのか。
確かに、ミカゲさんもいい歳だし、責任取るって言ってくれたし、一緒に住むんだし、いつか最終的にはそうなるんだろう。でも、というモヤモヤが胸に残る。恋人という言葉だって未だにしっくり来ていないというか慣れてないのに。それに── ちゃんとプロポーズだって、されてないのに。
指輪とか、そういうものもなかったけど、あの言葉がプロポーズだったのかな。それとも今更そういうのいらないとか、思われてる? そりゃあ確かに、婚約指輪なんて短い間しか付けないし、それ貰うんなら新しいペンタブかiPad Proとか欲しいけど……、でもそういう話じゃなくって。結婚とかそういうの、具体的にミカゲさんはどう思ってるのかって話で。
「おやすみもまだありますし、ご挨拶に行かなくちゃですね」
「? どこにですか?」
「アヤちゃんの実家にですよ? 連絡しておいてくださいね」
「……へ!?」
プロポーズだって、されてないのに?
なんと、ミカゲさんが、私の実家にご挨拶に来るらしい。
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