足りない言葉


「あら! あらあらあらあら! あら~!!」


 何回言うのさ。喉元まで出かかったツッコミは出なかった。私とミカゲさんを交互に見ながら母は、口元を手で覆うようにして驚いている。

 思えば、恋人を家に連れてくるのは初めてだ。30も目前になって初めて。この気まずさやら気恥しさはそのためか。

 チラリ、と横のミカゲさんを見る。普段からシャツスタイルが多いミカゲさんだが、今日も例外ではなく。シャツにチノパンという普通の──普段と何ら変わりのない、別にかしこまってない姿のミカゲさんだ。仮にも『婚約者』の両親に挨拶に来る姿には見えない。


「初めまして。御影陽一と申します。これ、よろしければ」

「あっ! 絢の母です。あら~わざわざどうもぉ! こんな所まで来ていただいて……なんにもない狭い家ですけど、どうぞ上がってください!」


 ミカゲさんは来る時に駅で買った手土産を母に渡して、促されるまま家に入った。私の実家にいるミカゲさん、すっごく違和感。母はいつも以上にテンションが高いし、私もだいぶ落ち着かない。対するミカゲさんは、おとといも来ましたよみたいな涼しい顔をしている。緊張とかしてないのかな、この人。


「お父さ~ん! 絢、帰ってきたわよ~!」


 母は私たちの前を歩きながら、リビングにいるであろう父に声をかけた。返事はなかったが、父はリビングのいつもの定位置に座っていた。


「……おかえり」

「た……ただいま」


 父はミカゲさんのほうをちらりと見たが、母とは違い会釈をする程度だった。ミカゲさんもそれに合わせて会釈をし、さっきと同じような挨拶をした。

 妙齢の娘が恋人を連れて挨拶に来たというのに、父は動じていない──というか、あまりにもいつも通りだった。……元々、私にそんなに興味が無いのかもしれない。昔から寡黙で、何を考えているのか分からない。私が漫画家を目指して専門学校に進む時も、賛成も反対もしなかったような人なのだ。


「お寿司! 取っておいたのよ。みんなで食べましょ!」


 父とは対照的に忙しなく喋り、動き続ける母。その様子を見ていると、確かに実家に帰ってきたという感じがした。



 * * *



 同じ食卓を囲みお酒も入れつつ、当たり障りのない会話(ミカゲさんの簡単な身の上話や、ここ最近の仕事の話)をしながらも、核心はつかない。私も今の状況をうまく説明できる気がしないから、何も言えないでいる。だって、何から言えば? 同棲? 馴れ初め? でも、私たちの馴れ初めって結構異質だし。母はたまに期待の視線を私に送ってくるけど、私は誤魔化すようにミカゲさんを見ることしか出来ない。ミカゲさんはいつものようなふにゃりとした顔で、寿司をつまんでいる。何度目かの視線の送り合いを経て、とうとう母が耐えきれずこちらに投げかけた。


「それで……その、今日はどう言ったご要件で?」


 母のその問いに、ミカゲさんは本当に少しだけ背筋を伸ばした。でも、表情は依然柔らかい。


「実はこの度、絢さんと一緒に住まうことになりましたので、ご挨拶に伺いました」


 絢さん、という呼び名がこそばゆい。一応、改まってくれているらしい。


「まぁ……! 絢もいい歳だしね。一緒に……ってことは、入籍は? いつ?」


 母はチラリと私を見た。私を見られても困る。私だって知りたいくらいだ。


「今日はとりあえず、同棲のご報告で。お互いの仕事や共同生活が落ち着いて、日取りを決めたら改めてご挨拶に伺おうかと思っています」

「……そうなの! そうよねぇ、大学の先生って忙しそうですしね。絢も本出したり忙しいもんね! ごめんなさいね私ったら先走っちゃって……」


 おほほ、と笑う母にミカゲさんも笑みで返した。2人は和やかだが、私は気が気でない。そういう話、私に先にしてくれないと困るじゃないか! 


「2人は付き合って長いの?」


 またしても母からの質問が飛び、ギクリと固まる。知り合ってからはそこそこ長いが、実は正式に付き合いだしてからそんなに経っていない。ありのままを伝えたら、驚くに決まっている。答えに詰まると、ミカゲさんはさらりと言う。


「ええ。それなりに」

「じゃあ、この子の性格もご存知でしょう? この子、昔っから集中すると周りが見えなくなっちゃって。仕事は好調みたいだけど、いい歳なのに、家事だってろくに出来やしないから……」

「ちょっと、お母さん!」

「本当のことでしょ! だからねえ陽一さん、正直ね、この子と生活だとか結婚だとか、大変だと思うのよ。この子ったら漫画のことばっかりで、私もかなり苦労したもんで。それでも、絢でいいんですか?」


 口答えしようにも、苦労させたのは事実なので何も言えなかった。

 私でいいのか、なんて──そんなこと、私だって思っている。漫画を描いてると部屋だって汚くなるし、料理もろくにしないし、締切近いと何日も風呂に入らないことだってある。今までお付き合いした人とはそういうことが原因で長続きしなかったし、私が男だったらこんな女選ばないと思う。母の心配ももっともだ。

 でも、そんな女の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれて、責任取るって家の契約までしてくれたミカゲさんだ。ここまできてじゃあ辞めます、とはならないと思うけど──ミカゲさんは、なんと答えるのだろうか。


「──絢さんいいんじゃなくて、絢さんいいんです」


 思わずミカゲさんを見た。今日の天気の話でもするように、ごく当たり前のことみたいに、ミカゲさんは話している。


「そんなふうに、一つのことに打ち込めるというのは素敵な事だと思います。寝食を忘れるほど漫画家という仕事が好きで、真摯に向き合って、ひたむきに努力して、ここまでやってきた。僕はそういう絢さんだから、1番近くで支えてあげたいと思うんです。家事を完璧にしてくれる結婚向きの誰かじゃなくて、絢さんがいいんです」


──あぁ、そうだった。


 プロポーズがなかったとか、婚約指輪がなかったとか、仕方なく責任とってくれてるのかもとか、そういうことを気にしていたことが一気に馬鹿らしく思えた。だってミカゲさんは、こんなにも私のことを選んでくれているじゃないか。


「……陽一さん……」


 母が何かを言いかけた瞬間、ガタリ、と大きな音がした。母の隣にいた父が椅子を引いた音だった。今まで母とミカゲさんの会話を黙って聞いているだけだった父の突然の行動に、一同言葉を詰まらせる。


「ちょっと、お父さん?」


 母の静止も聞かず、父はリビングから出ていってしまった。私と母は呆気にとられてしまう。

 こんなに重要な局面で、無言で席を立つとは何事か。それほどまでに私に興味が無いのだろうか。ますます父の考えが分からなくなる。母もこの行動には驚いているようで、オロオロと私たちと父が去ったドアを交互に見ていた。

 程なくして、父は何やら筒状のものを手にして戻ってきた。随分薄汚れていた画用紙だったが、私はそれを


「……絢は昔から、絵を描くことが好きだった」


 ポツリと、父が呟く。


「陽一さん……絢を、よろしくお願いします」


 父が深々と頭を下げたのを見て、そんなつもりはなかったのに、私の目から1粒、涙が零れた。

 父が持ってきたあの紙は、私が幼稚園に通っていた時に、父の日にプレゼントした似顔絵だった。私の原点とも言えるそれを、父は後生大事に持っていた。

 無関心だから何も言わないのだと思っていた。でも、違った。父は、好きなことに打ち込む私を、そっと見守ってくれていたのだ。その父が、私をよろしくとミカゲさんに頭を下げた。父が私のことで頭を下げるところを見るのなんて初めてだった。

 事の重大さに今更怖気付いてしまった。でも怖気付いているのは私だけだった。ミカゲさんは、父と同じくらい深々と頭を下げて、「もちろんです」と言ったのだった。



 * * *



 もともと一泊する予定だったので、上京してから物置と化していた元私の部屋を母が片付けてくれていた。ベッドはあるが小さいシングルベッドなので、お客さん用の布団を床にしいてそこで寝てもらう。


「お風呂、頂きました」


 ほんの少し顔を火照らせたミカゲさんが部屋に戻ってきた。ミカゲさんはよっこらせ、と言いながら私の隣に腰掛ける。


「ご両親、いい人たちですね」

「そう……ですね」

「アヤちゃんがのびのびと漫画を描くことが出来たのは、ご両親の支えがあったからですね」


 確かにそうだ。昔から寝食を忘れがちだった私を直接的に支えてくれたのは母だし、専門学校に通えたのも上京出来たのも父が金銭的に支えてくれたからだ。自分にとっては当たり前で気づけなかったことを、ミカゲさんに気付かされる。


「私としては、父があの絵をまだ持ってることに驚きました。無口で、何も言ってくれなかったから、私に興味無いんだとばっかり思ってましたし。言葉足らずですよねぇ」

「男親なんてそんなもんだと思いますけど。やっぱり、言葉がないとダメなんですかねぇ」

「そりゃそうですよ」


 実際、20年近く父のことを誤解していたのだから。さっきの一言がなければ、今後もずっと父の愛情に気がつけなかった。


「……アヤちゃん」

「はい?」

「結婚しましょう」

「──……へっ!?」


 突然のことに驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「いや……えっ、なっ、何で今!?」

「僕は言葉があってもなくてもどちらでもいいと思っていたんですが、それが原因でアヤちゃんに誤解されるのは嫌だなと思ったので。明言化してみました」


 だからって、今!? プロポーズって、もっと、タイミングとかシチュエーションとか、満を持して行うものじゃないのか。それに、ついさっきプロポーズなんてなくてもいいやって思ったばかりだったのに! 


「だ、だからって! こんな、私、風呂上がりですっぴんで、こんな寝巻きで!」

「すっぴんでもアヤちゃんは可愛いですよ?」

「そういうことじゃなくって!」


 ミカゲさんは私の言葉にピンと来ていないようで、不思議そうに首を傾げた。

 何かを言いたいのに言葉が出てこない私を抑え込むように、ミカゲさんはハグをした。ぐずる子供を落ち着かせるかのような手つきに、私は何も言えなくなってしまう。


「まぁまぁ──幸せにしますから。ね?」

「……っ、ああ、もう!」


 ミカゲさんには、今後もずっと敵わないんだろうな、と思う。私のことを幸せに出来るのなんて、この人くらいしかいないのだ。だって、こうやって頭を撫でられているだけで、絆されてしまっているのだから。


 鈴木絢。二十九歳。職業、漫画家。

 漫画みたいな……とはとても言えないし、順番だってしっちゃかめっちゃかだったけれど。

 本日、プロポーズをしてもらいました。

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