その後のふたり

責任の取り方

 ミカゲさんとの再会から数日が経った。ミカゲさんはあの日から毎日、お昼休みの時間や講義がない時にうちへやって来て、掃除の手伝いをしてくれている。半年間に溜まったゴミや汚れというのは一日やそこらで片付けられるものではなかった。片付け始めた初日、ミカゲさんが「これは長期戦ですねぇ」と焦ったふうでもなく笑っていたけれど、本当に長期戦だった。今日キッチン周りを片付ければ、やっとこの家が本来の姿──人間の居住スペースに戻りそうだ。

 掃除に追われて聞けずにいたこと、そろそろ聞いてもいいだろうか。


「……ミカゲさん、聞いてもいいですか?」

「はい、なんでしょう?」

「隣には、いつ戻ってくるんですか?」


 完全に聞くタイミングを逃していたのだ。再会した日、部屋の様子を見たミカゲさんは「まずはお掃除しなきゃですね」と言い、テキパキと掃除を初めてしまったので聞けなかった。

 私の寝室も泊まれる状態じゃなかったし、ミカゲさんは掃除が終わると「とりあえず大学の研究室に泊めてもらいます」と帰っていった。次の日も、その次の日も、ミカゲさんは研究室からやって来て、研究室へと帰っていった。いや、私の部屋が汚すぎるのが問題なんだけど。

 正直、ミカゲさんには早く戻ってきて欲しいのだ。早く半年分を埋めたい。今までのように酒でも酌み交わしながら積もった話もしたいし、前のように彼に腕枕をされて寝たい。……あけすけに言えば、早く前みたいにイチャイチャしたい! 

 確かに、こんなふうに汚れた責任取れって言ったよ? でも、再会した日にキスしただけで、その他は何にもしてない。掃除しかしていない! それが彼なりの責任の取り方なんだろうけど、私としては早いところ掃除を終わらせて引越しも済ませてもらいたい。

 戻ってくるつもりで隣の部屋の内見をしていたらしいし、そろそろ越してきてもいい頃なんじゃないか。大学の研究室だって、そんなに長い間ホテル代わりにできるもんじゃないだろうし。

 シンクの周りに溜まったカップ麺のゴミを袋に詰めていたミカゲさんが動きを止めて、「あぁ、」と言った。


「それなんですけどね」

「はい!」

「やっぱりやめたんですよ、隣に戻るの」


………………はい? 


「え、は? ミカゲさん、それは、どういう……」

「そのままの意味ですよ。今、別の部屋を探してるところです」

「えっ、……な、なんっ……」


 ショックが大きすぎて上手く言葉が出てこない。別のところに住もうだなんて、なんで急に。私のことを選んで戻ってきてくれたんじゃなかったの? 一緒にいましょうって言ってくれたのに。別のところって、どこに? じゃあ今までみたいにお互いの家をゆるく行き来したり、夜中ふらっとコンビニに出かけたりできないってこと? 

 色々言いたいことはあったけれど、言葉が出てこない。ミカゲさんさんは呆然としてる私をよそに、一旦作業を止めて、玄関に置いてあった自分のカバンの中から書類を出してきた。


「ちょうど午前中に何ヶ所か見てきたんですよ。アヤちゃんはどこがいいと思います?」


 どこがいいと思うですって? それを私に聞く? 私はここに戻って来て欲しいのに。

 その書類を受け取る。内見してきたというのは本当らしい。マンションやアパートの間取りが大きく載っている紙が数枚。自然と住所に目をやる。……どれもこれもこの家からだと30分以上かかるじゃないか。しかもなんなら、ミカゲさんの職場からも遠ざかってるし。職場が近いからってここのアパートに住んでたくせに、なんで? 


「……ここじゃ、ダメなんですか? ミカゲさんの職場だって近いし……コンビニも、割と近くて……それに……」


 私もいるじゃないですか。そう言いかけて、口ごもった。それを好条件とするのは、我ながら痛い。

 ミカゲさんはあごひげを擦りながら「うーん、」と唸った。あんまりいい反応ではない。


「確かに大学は近いんですけどねぇ。壁も薄いですし、それに……」


 やっぱり、否定的な言葉が並ぶ。ミカゲさんの中にここに戻ってくるという選択肢はもうないのだ。それに気づいて、うっかり泣きそうになった。

 でも、ミカゲさんの次の言葉でそれも止まった。


「僕もアヤちゃんも、お互いの作業部屋が必要ですし、1LDKこの部屋だと2人で住むには狭いでしょう?」


 今、なんて? 

 顔を上げると、ミカゲさんがいつもと変わらない朗らかな笑みを浮かべている。手元の資料を見ると、ミカゲさんが見てきた部屋の間取りは全部3LDKの物件だった。


「……い、一緒に? 2人で住むんですか?」

「え? 責任取れって、アヤちゃんが言ったんですよ」


 そうだけど。確かに言ったけど。

 あの時のそれはついはずみで言っちゃったというか、そういう重い意味で言ったつもりじゃなかったというか。でも、一緒に住んだらひとつ屋根の下にいるわけで、お互いの家を行き来する手間さえ省けるわけだから……それって……それって、めっちゃいいんじゃないの? でも待って。一緒に住んでまで取る責任って、それってつまり──。


「で、どうします?」

「……コ……」

「コ?」

「……コンビニ……近いとこが、いいです……」


 あまりの急展開で頭が働かなくて。他にも言うことはあっただろうに、ようやく絞り出したのはそんなどうしようもない注文だった。

 ミカゲさんは「ふふ」と小さく笑って、なんでかは分からないけど急に抱きしめてくれた。そうか。同棲したら、こういうのも毎日してくれるんだ。埋めた胸元からふわりとミカゲさんの柔軟剤の匂いがして、一緒に住んでも柔軟剤はこれにして欲しいなぁなんて、ぼんやりと考えた。

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