花乱〜からん〜 6


 その頃、隣の部屋では……。

 どすんと、勢いよくレグラスがベッドに体を投げ出した。

「はぁ……」

 と、小さく息をつく。

 まだ、ブーツも脱いでいない状態で、ジュマが差し出すタンブラーを受け取ると、口元まで持っていきかけたが、一度ベッド横のテーブルに戻した。

 マナの部屋と続き部屋とはいえ、ジュマの部屋は落ち着いていて、シンプルだった。安らぎを求める男に人気がある。

 いつも騒がしいマナとは違い、ジュマは相手のその日の気分にあわせることが出来る女なのだ。

 そして、ため息の原因が隣の部屋の少年であることも、ジュマは見抜いている。

「あなたも驚いたことをしますのね。純血種って、異種族の女など抱かないのではないのですか? あの子、困惑していたようですわ」

 レグラスのタンブラーにかちりとタンブラーをあて、ジュマも酒を飲む。

 ジュマの言葉に、レグラスは笑った。

「あれはリューマ族だ。たとえ見かけがどうであろうと……」

 傾いてゆくタンブラーに、ジュマの瞳がそそがれている。

「飲みすぎではありませんか?」

「そんなことないさ……」

 空になったタンブラーを、レグラスはベッド脇のテーブルに置いた。

「きれいな子よね。あなたは両刀使いだと思っていたのだけど、噂はどうやら違ったようね」

「ははは、俺は女専門だ」

 そういいながら、レグラスはジュマを引き寄せた。

「……マナはついているわ。いい子にあたって……」

 甘い口づけの合間に、ジュマは言葉をふっと漏らす。白いうなじに唇をあて、レグラスも小声で耳元に甘くささやく。

「ジュマ、君もついているぞ。俺を独り占めしても、マナのいじめにあわなくてすむぞ?」

「まーーーーー! 何ですって!」

 キンキン声が壁を突き抜けた。

 その声は、もちろんジュマのものではなかった。


 セルディは、あわててマナを押さえつけ、口をふさいだ。

 まさか、こんな声をあげられるとは思ってもいなかったのだ。

 散々セルディの盗聴を止めさせようとしていたマナだったが、敵の動向を探るという誘惑に負けてしまい、セルディと並んで壁にタンブラーを押し当てていた。

 セルディが止させようと引っ張ったが、マナはすっかり夢中になり、聞く耳をもたない。もとより、自分が先に始めたことだから、強いことは言えない。

「これはね、お勉強なのよ。坊やは先輩たちの行為をよく見習うべきよ」

 もっともらしい理由をつけて、マナはセルディよりも真剣に、壁の向こうの様子を聞いていた。

 向こうは壁に耳など当てていないから、マナの叫び声がどのような意味だったのかまでは気がついたとは思えない。だが、間違いなく静まりかえったところをみると、盗み聞きに気がつかれた可能性がある。

 セルディは、マナを押さえつけたまま、緊張の面持ちで壁に耳を当てていた。

「あーん! ……そんなところ、さわっちゃぁ嫌ぁーーーん!」

 突然、セルディの腕の中で、マナが声をあげた。セルディはあわてて手を放した。

「な、何を言っているんですか!」

 小声で怒鳴なると、マナはいやらしそうな微笑みを浮かべた。

 確かにマナの口を手でふさぎ、壁を蹴飛ばしそうな勢いだったため、抱えこむようにして体を壁に押し付けた。柔らかな胸に腕が触れていたし、体も密着していたので、マナが感じてもおかしくはないのかも知れない。

 しかし、そうではなかったらしい。

「もう、機転を利かせてあげたのよ? これで向こうも気にしないわよ、こっちのことは」

 マナは再びタンブラーを拾うと、壁にへばりついた。


「……もしかしたら、みかけによらず、セルディはスキモノなのか? あんなマナの声、聞いたことがないぞ!」

 レグラスが、大真面目な声で叫んでいる。

 壁の向こうで、セルディが赤面しながら首を振っていることは、もちろん気がつかない。

「違う、違う……」

 恥ずかしそうにしている少年を見て、マナは少しだけおかしくなった。

 あんなに娼婦を蔑視したのも、純血がなせるわざではなく、単なる晩熟だからなのかもしれない。そう思うとかわいく感じる。


 ――早く食べちゃいたい!

 でも、こんなに隣を気にするなんて、彼もレグラスを好きなのかも? 恋敵だわ、恋敵!


 と、思いつつ、マナはつい手を伸ばし、セルディの銀髪に触れてみる。先ほどから触れてみたくて仕方がなくなっていたのだ。

「何?」

 耳はそのまま、目だけをこちらに向けて、セルディは短く聞いた。

「何でもないわ」

「何でもないならかまわないでほしい」

「まぁ、かわいい!」


 何でもなくはない。

 マナはすっかりこの少年が気に入ってしまい、隣の部屋よりも、セルディへのちょっかいのほうが楽しくなっていた。

 セルディの隣部屋への関心は、真剣度を増している。

 不思議なことに、この少年の瞳は緑なのだが、真剣な表情になると、奥に赤い光が灯ったように目の色が変わる。

 マナは、タンブラーをもう壁に押し当ててはいなかった。かわりに、セルディを観察し、いろいろな実験を試みて遊んでいた。

 緑石のピアスの耳元に息を吹きかけると、おもむろに手で払ってきて嫌な顔をする。それでも隣を探る集中力は途切れないようだ。

 こんなに態度が横柄おうへいなのも、レグラスに対する愛がなせるわざなのかもしれない。

きっと女を愛せない性質にちがいない。それでいてきっと、純血種のプライドがあって、レグラスのような男に告白する勇気もなく、ただひたすらに切ない思いを胸に秘めているにちがいない。


そういえば、レグラスを見る彼の目は、うるうる潤んでいなかっただろうか?

まるで少女のように、可憐な唇を震わせてはいなかっただろうか?


 美少年の片思い……という空想が、次から次ぎへと妄想を引きおこし、まるで現実だったかのように思わせる。いや、マナは現実だと確信してしまった。

 世の中の女なるもの、なぜか美少年と男と結び付けたがる癖があるものだ。

 マナはくすくす笑いながら、心の中でささやいていた。


 ――でもね、レグラスは私のことを愛しているのよ。


 次は目隠しを試してみよう。そっと後ろに回って、両手で目を隠してみる。

 どのような反応をするだろう?

 嫌がって手を取るだろうか? 怒鳴り出すとか、殴るとか、押倒すとか? あら、素敵かも?

 勝手な想像は、マナを楽しくさせる。 

「だぁれだ?」

 何も反応しない。

 どうやら、目は見えていても壁の向こうを見通せないから、ふさがれたところでかまわないと思っているらしい。マナはつまらなそうに手を外す。

「ノリが悪すぎよぉ。何もないなんて、私は困るのよ。ねぇ坊や、楽しいことをしましょうよ」

 マナの願望は無視されて、この部屋では何も起きなかった。


 しかし、隣の部屋では何かがおきかけていた。

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