花乱〜からん〜 5
セルディをお客にすることによって、マナのプライドは保たれた。
自分の部屋に少年を招きいれると、マナは扉に鍵をかけた。なぜか手が震える。
私としたことが、緊張しているなんて……。
マナは自分でも驚いていた。
マナの部屋は、かなり豪華だった。派手さでは、もしかしたらリューマで一番かもしれない。マナの財産ではなく、この宿にあった調度をうまく再利用しただけなのだが、時に贅沢な気分に浸りたい
部屋の様子に落ち着かず、あたりをきょろきょろしている少年の美しさに、マナは思わずため息をついた。
何ともはかなげな少年だった。
いかにも純血種らしい白い肌はきめ細かく、どこにもクスミがなく透き通るようだ。唇は少女のような桃色で、吸い付いてしまいたい衝動にかられる。不安げなエメラルドの瞳は、吸い込まれそうなくらいに大きくて美しい。そして、豊かな銀髪。綿毛のように柔らかそうだ。リューマ族にはけして出ない髪の色である。
――女であることが恥ずかしくなちゃうわ……。
マナは素直にそう思った。
レグラスの愛人という噂も、もしかしたら本当なのかもしれない。好色のレグラスが、こんな美少年に手を出さないなどとは思えない。
でも……。
マナはその考えをすぐに改めた。
マナの経験で鍛えた目が、この少年は、身も心も何もかも、誰にも許しそうにないだろうことを見抜いた。
「本当に初めてなのね? かわいいこと」
一瞬針のような視線が向いた。が、再びマナを無視して、扉や壁の前をうろうろし始める。何かに憑かれてでもいるかのようだ。
弱々しそうに見えて、どこかきつい。下手な手の出し方をしたら、レグラスといえど、叩き切られそう……。
そう思うと、笑えてきた。
天蓋つきのベッドに片肘をついて横になりながら、マナはタンブラーを数回傾けた。酒に強いマナであったが、飲むとますます色っぽくなると評判だった。豊満な胸を大きく膨らませてため息をつくと、とろけるような瞳でセルディに熱い視線を送りつづける。
セルディは、壁を散々舐めるようにして探ったあと、入ってきた扉ではない扉を見つけて、取っ手を回している。まるで逃げ道を探しているよう。
「そこは開かないわ」
ねずみをいたぶる仔猫の気分で、のんびりと、美少年観察を決め込んでいたマナだった。しかし、そろそろいいだろう……。
マナは、タンブラーに度数の軽いお酒を注いで、蛇のように体をくねらしながら歩み寄り、取っ手を回すセルディの手に手を重ねた。
「隣の部屋と繋がっているのよ。向こうが応接用、こちらが寝室として使われていたらしいわ。これでもここは高級宿だったのよ。……昔の話だけどね」
激動する時代が、かつての繁栄を過去のものとする。今は、花街としての繁栄があるのだ。
マナは、飲めないはずの少年の手を持ち上げ、タンブラーを持たせて微笑んだ。
「すこしは飲んだほうが、気分が落ち着くわよ」
セルディはタンブラーを受け取ったが、いかにも汚いものでも見るような瞳で、マナを睨みつけた。しかし、そんなことにめげる彼女ではなかった。
「あら? 私のことが嫌いかしら? 私はあなたが気に入っちゃったわ。坊や」
「鍵がほしい。向こうへ行きたい」
「ここは入ったら、もう出られないの」
同情するような口ぶりで、マナは一瞬だけ神妙そうな顔をした。しかし、すぐにいやらしい微笑を浮かべ、セルディのあいているほうの手を握り、そっと自分の頬へと持ち上げた。
上目使いに少年を見る。その気になるように、細くて華奢な指先を口元に運び、そっと唇をなぞらせる。指に真っ赤な口紅が移った。
セルディはほとんど無表情のまま、無言でなすがままを許していた。が、目が心を許していないことをはっきりと伝えている。
リューマ族を軽蔑する純血種の瞳だ。
その冷たい視線に熱い視線をからめながら、マナは、今度は自分の手をセルディの頬に伸ばした。柔らかい頬もひんやりとしていて、色仕掛けの効果が薄いことを証明していた。
マナは別の手段に切り替えた。
「六年前はね、今年以上に不作だった。ただそれだけ。それのどこがいけないかしら? 私の親は利口だったわ。一番役立たずの末の娘を、寝ている間に首を絞めて口減らしするか、人買いに売り渡すか……で、正しい選択をしたのよ」
このような身の上話は、普通の男にはしないものだ。
ただ、身の不幸を嘆く弱いだけの女だと軽蔑される。それに、男はかわいそうな女を慰めたいのではなく、自分が慰められたいのだから。
でも、潔癖で生真面目な少年には、このような同情を誘う話が効果的だ。たとえ、マナにとっては、売られたことが幸運の始まりだったとしても。
田舎にいたままならば、このようなきれいな服も、爪を染めることもなく、高級な部屋を自室とすることも無かっただろう。
その本性を見抜かれたのか、少年は睨みつけたままだった。
「首を絞められるべきだったかしら? そう言いたそうね」
この手もダメなのか……と思った時、セルディの視線が別の一点にそそがれた。
マナの自慢である巻き毛である。手入れが行き届いていて、見事な縦ロールになっている。この髪に惹かれてマナを所望する男も多い。でも、あまりにも見事な銀の髪を持つ少年の前に、マナは自分の武器の効果を期待していなかった。
セルディは手を伸ばし、マナの赤茶けた髪に触れた。
しかし、その気になったわけではなく、髪を止めていたピンを一つ抜いただけで、マナのプライドを傷つけた。
顔をこわばらせるマナにタンブラーを押し付けると、セルディはピンを鍵穴につっこんで、カシャカシャ回しはじめた。
マナのことなど、眼中にない。あまりの態度だ。期待した分、腹立たしい。
「そこの鍵は掛けられたまま失われて、花宿になって以来、開けられたことがないという話だわ」
そういったとたんに、鍵が開く音がした。
しかし、扉は開かない。
どうやら何かで向こう側が押えられているらしい。
鍵が開いたときにはさすがに驚いたマナだったが、まったく扉が動かないことに、セルディをあざけるような口調で言い含めた。
「愛するレグラスお父様のもとへは行けなくてよ。行ったとしても、レグラスは女を抱くことに夢中。あなたはお邪魔にされるだけ……」
その時、隣からベッドを揺らすような音が聞こえてきて、マナはくすりと微笑んだ。セルディの顔がひきつった。
「そろそろ向こうもいい頃かもね? さあ、私たちも楽しみましょう」
タンブラーを高々と上げて、マナが宣言したとたんだった。
セルディはマナからタンブラーを奪い取ると、一気に中味を飲み干してしまった。
軽めの酒とはいえ、あまりの豪快な飲みっぷりに、さすがのマナも驚いた。
――覚悟がついたという意思表示?
飲めない少年がそのような飲み方をしてしまったら、役に立たなくなるだろう。
あきれて見つめるマナの前で、当の本人は顔色も変えない。
しかし、驚いたのはそれだけではない。セルディは空になったタンブラーを壁に当てると、耳をつけて隣の音を探り出したのだ。
「まぁ! それは、ちょっとぉ……」
隣に聞こえないようなささやき声で、マナはやめさせようとした。
これは娼婦同士の決まりごとに反する行いだ。
いくらなんでも非常識が過ぎる。
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