花乱〜からん〜 4

 

 セルディはまったく乗り気ではなかった。

 無理矢理つれてこられた場所は、飲み屋と踊り場が一緒になったようなところで、騒がしいくて落ち着けない。奥に舞台があり、女たちが裸に近いような格好でいかがわしい踊りを踊っている。そして、男たちもだらしなく奇声を上げまくっていて、気に入った女を見つけると誘い、やがてこっそりと二階への階段を上ってゆくのだ。

 レグラスを出迎えた女は、やや痩せ型で目付きのきつい女だが、セルディを見てにっこりと笑った。

「初めてですのね? 私はジュマ。どうぞ、ごゆるりと……」

 ジュマと名乗った女は、派手な金髪を充分にいかす落ち着いた闇色を使って、全体の雰囲気を纏め上げている。どうすれば自分を美しく見せられるのかを把握しているのだろう、頭がよさそうだ。色白の顔にやや抑えめの口紅の赤だけが、彼女の職業を表していた。

 娼婦にしては思ったよりも品がいい女だが、なにやら嫌な感じがした。褐色の瞳が、ウーレン王母のリナを思い出させる。

 ちょっと小さめのドレスは派手さはないが、ぴったりと身体に張り付き、やや細めで締まった体の線を想像させる。わざとなのだろう。

 レグラスが、その細い女の腰に手を回して振り返った時、セルディは喉の奥に、何か苦いものを感じた。

「こいつにも経験を積ませようと思ってな」

「まぁ、ご自分の恋人に女をあてがうつもりですの?」

 女は口元を押えて笑った。セルディは笑えない。

「こいつは俺の息子だぞ? 噂をするのはかまわないが、ほどほどに頼む」

 レグラスは楽しそうだが、セルディはちっとも楽しくない。

 この蒸し暑い騒がしい空間の、どこが憩いとなるのだろう? 安らげる雰囲気はまったくない。セルディはトビの言葉を思い出して、憂鬱になった。

 花ならぬ、汗と湿気と香水が入り混るねっとりとした匂いが、さらに息を止めさせる。めまいがしそうだ。たまらず「帰る」と言いたくなって、レグラスの上衣をつかまえかけた時だった。


 二階から一人の女が降りてきた。

 赤茶けた巻き毛を躍らせて、赤いドレスを身に纏っている。谷間が見えるほどの豊満な胸元に、無理矢理絞めたウエストの細さが気持ち悪い。体のバランスから考えて、三分の一くらいに矯正しているのではないだろうか? 

 全身で娼婦であると主張しているような女で、人を食ったような朱色の口紅、その上、爪も赤かった。ここがエーデムであったなら、不吉な女として誰も相手にしないだろう。

「いらっしゃいませ。レグラス様」

「おう、マナか? 元気か!」

「ええ、ありがとうございます。あら、そちらの方は?」

 階段を下りながら舐めるように観察していたくせに、まるで今気がついたような言いよう。白々しさに、セルディは眉をしかめた。

「ああそうだ、マナ。こいつをお願いする。初めてだからお手柔らかに」

 レグラスは、このマナがお気に入りらしい。一気に顔が緩んでいる。セルディは思わず胸が悪くなりそうだった。

「まぁ、うれしい! こんなきれいな子のお相手させていただけるなんて!」

 こちらはまったくうれしくない。



 四人はひとまずテーブルについた。

 下っ端の少女が酒を運んでくる。ぎこちなさに、こちらが心配になるほどだった。着せられたドレスも着慣れておらず、妙に似合わない。ウエストがきつくてバランスが取れないのだろう、飲み物を持っていたが、大半はお盆の上にこぼしていて、先輩であるマナの冷たい視線にたじろいでいる。

 馬車で運ばれてきた少女たちを思い出す。同じ目をしている。

 たぶん、この子も最近田舎から着いたばかりの少女なのだろう。自分たちが帰った後は、今は客に対しけばけばしいまでの笑顔を振り撒いているマナに、厳しく指導――いじめともいう――されるのだろう。


 これが実態……。


 セルディはレグラスのほうに視線を送ったが、彼はまったく気がつかないようだった。鳥の揚物にかぶりつきながら、酒を飲み、楽しそうにジュマと言葉を交わしている。マナも負けじと話に加わろうとしている。

 ざわざわとうるさい落ち着かない場所で、セルディはたった一人、取り残されたような気持ちになった。仕方がないので、聞きたくもない三人の会話に、参加しないまでも耳を傾ける。


 意外なことに、政治・経済の話にも及び、彼女たちは必死で、どちらがより情報を持っているのかを争う。何だか醜い女の戦いを見ているようだ。

 身体を売って得ている情報。

 しかし、内容が深いことに、セルディは驚きを隠せない。

 レグラスはもっぱら聞き役が多い。セルディと話している時の雄弁さはどこへやらだ。彼は、自分の話すことが、やはり彼女たちの口から情報となって漏れることを知っているのだ。


 ――もしかしたら、花街通いは情報収集のため? 


 セルディがそのように思い始めた時、舞台の方からどよめきが起こる。

 かなり妖しげな踊りが繰り広げられていた。目元を真黒に染め上げ、素顔のわからない女が、胸を振り、腰を振る。ドレスの裾を持ち上げて、普通は見せない禁断の脚をあらわにさらす。

 その様子を見ているレグラスの締まりのない口元を見ていると……やはり単なる女遊びなのだ……としか思えない。

 セルディは落胆する。

 どこかに救いの糸口がほしいのに……。


「お疲れになっているのかしら? おとなしいのね」

 ジュマがタンブラーを差し出した。何種かの酒をまぜあわせた、香り高い飲み物だった。セルディは受け取ったが、口をつけようとしてやめた。

 この酒はきつすぎる。たぶん、飲んでしまったら、判断力や反応速度を鈍らせるだろう。

「あら? お酒は飲めると聞いていましたが?」

 不思議そうな顔をしてジュマが覗き込む。その目付きが気に食わない。

「いいえ、私は飲めません。単なる噂です」

 そういうと、セルディはタンブラーをジュマにつき返した。さすがに、ジュマは不愉快そうな顔をみせた。客に一方的にこびるのは、駆け出しの娼婦だけである。

「ジュマ。悪いが俺たち、ちょいと休みたいんだ。酒はもういい」

 レグラスの一言で、その場は何となく取り繕われた。

 しかし、かえって気持ちがしぼんでゆく。レグラスはセルディの嘘を知っていて、向こうのご機嫌をとったように思えて仕方がない。

 今、この時が楽しくあればそれでいい……そう思っているとしか思えない。

「では、こちらへ……」

 ジュマが席を立った。ギラリと目が光ったような気がした。

 マナがそそくさとセルディの腕を取る。

「さあ、あなたも……」

 嫌だと言うこともできなかった。


 四人はひっそりと階段を上がる。

 元は立派な建物だったのだろう、階段の手すりには凝った装飾がなされていたが、何せ古い。木肌は手垢てあかで黒光りし、紋様の角は消えている。

 二階の廊下はさほど長くは無い。しかし、小さな小部屋が四つほど並び、時々悲鳴のような声が聞こえる。

 そして何よりも、床がぎしぎしときしんだ。

 何か不安がよぎった。

「レグラス……」

「おう、なんだ? 初めてだからって心配するな。楽しんでこい!」

 脳天気に手をふる様子は単なる助平親父で、セルディは力が萎える。


 ――そういう心配じゃなくて……。


 声にしたかったが、言えなかった。

 レグラスの姿が、奥の部屋に消えていった。

 その隣の部屋の入り口で、マナがこっちと手招きしている。

「大丈夫。私がちゃんと教えてあげる」

 軽いウインクとすぼめられて投げられたキス。

 マナの言葉に、さらに疲れが増してくる。


 ――そうじゃなくて……。

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