花乱〜からん〜 2
セルディが執務室に入った時、レグラスは机に向かって頭を掻きむしっていた。どうも、読みにくい文章があったらしい。
「おお! ちょうどよかった。セルディ、ちょいとこの文書、読んでみてくれないかな? ムテの文字が混じっていて、俺にはお手上げだ」
本国・ウーレンからくる文書には、時々意地悪なものもある。リューマ族に学のある者が少なく、しかも、族長であるレグラス・リューマが文盲に近いことを知っていて、大事なところは難しい表現を使ってくるのだ。間違って解釈させて、リューマに不利な契約をさせたりもする。
レグラスは、特別な血筋も立派な家の出でもない、ただの農民出身の男だ。ウーレンの属国としてひれ伏すリューマの人々に、自由と権利を訴えて族長に選ばれた平民だ。しかも、魔を持たぬ人間である。
日に焼けた褐色の肌と茶がかった瞳と髪、そして鍬を振るっていた筋肉質の腕。じっと見つめて、セルディは口元を固く結んだ。
――その腕に、女を抱くのだろうか? 愛もなく?
セルディは、真直ぐつかつかと歩み寄ると、無言で文書を手に取った。
「何か……あったのか?」
その態度がいつもと違うことに気がついて、レグラスが聞いた。
「ウーレン王母・リナ姫の誕生日に、
顔をしかめて、セルディは机の上に文書を戻した。
「手紙じゃない。おまえに何かあったのか? って聞いている」
レグラスがじっと見つめている。セルディは、ぷいと顔を背けた。
その様子をみて、レグラスはふんと鼻で息を抜いた。そして、机のうえにあるセルディの手を取った。
セルディは驚いて顔を向けたが、特に手を握るではなく、文書からセルディの手をよけさせただけだった。手は再び机の上に置きなおされた。
セルディが読んだ文書を面倒臭そうに手にとり、もう一度読み返す。そしていきなり、ぱっと破り捨てた。
「レグラス!」
セルディはあわてた。
万が一、リューマ族長がウーレンに対して礼儀を損ねたらどのようなことが起きるのか? 考えていないレグラスではないだろう。
「ふん、どうせ行ったところで、俺に恥をかかせて
「いくらウーレンでも、そこまで露骨に殺しはしない。僕がついてゆけば、レグラスに恥なんてかかせない!」
レグラスは笑った。
「バカ、おまえをウーレンになんて連れてゆくわけがないだろ? やつらの目的は、俺よりおまえかも知れないしな」
ウーレンのリナは、セルディを殺したがっている。王位の問題以前に、彼女は生理的にセルディを憎んでいるのだ。
本来は、リューマにウーレン第一皇子であるセルディがいることも、両国には微妙な問題に違いない。
しかし、レグラスはセルディを勝手に養子にしてしまったのだ。
「俺は流行り病になる。……そうだなぁ、顔に赤い
その提案に、セルディもほっと安心する。
なぜか、この義理の父の前では、セルディも普通の少年に戻ってしまい、素直に感情が顔に表れてしまうのだ。
その様子を見て、レゴラスは椅子で伸びをして、あらためて足を組みなおし、頬杖をついた。
そして、ギラリと目を光らせた。
「……で? おまえには何があった?」
今日、街で見たことを、事細かにセルディは語った。
買われて村から運ばれてくる少女たちの悲惨さ、馬車の悲鳴にも似た軋み、死んだ瞳……。
そして、少し言いにくそうにして、頬を染めた。
「レグラスは……女の人をお金で買うの?」
父と慕う人が、人買いを助長するような行為をしているなんて、絶対に嫌だった。
「ふーん、それがおまえの不機嫌の理由か?」
「真面目に答えてください!」
再び伸びをしたレグラスに向かい、セルディはついに声を荒げた。
それでもレグラスは、何かふんふんと鼻でいいながら、窓の外などを見つめている。
先ほどからピカピカゴロゴロと雷がうるさいが、レグラスは気にも止めず、むしろ激しい雨を楽しんでいるかのようだった。
なかなか話をはぐらかして進めない状況に、セルディのほうが焦り始めた。
「僕は……あの、あなたが女の人と、どうこう……と言っているのではないのです。花街の実態を知っておきながら、目をつぶっているのはあなたらしくはないと……」
「実態? 実態って、おまえ、どこまで知っている?」
開き直ったような質問に、セルディは言葉を詰まらせた。
それみたことか、とばかりに、レグラスはセルディの顔を見て、にやりと笑った。
「なぁ、おまえは実態をそれほど知っているわけじゃないんだ。だからなぁ、とにかくなぁ……」
「とにもかくにも……黙って見過ごせません!」
「いや、見過ごせなんて、俺はいわんぞ。いいや、それどころか……」
突然、レグラスは立ち上がると、セルディの背中をぽんぽん叩いた。
「大いに見るべきだ! よし、実態調査だ! おまえもこい!」
「冗談はやめてください!」
「冗談なものか! おまえもそろそろ女を知っておくべきだ!」
わけのわからないうちに、そのようなことになってしまった。
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