後編
走れば五分くらいで神社に着く。コウはいつものように賽銭箱の横に座っていて、私を見つけると笑顔で手を振った。
「久しぶりだね、ミフユ」
「うん、久しぶり」
言葉を交わしながらコウの隣に座る。
「ごめんね、あんまり来れなくて」
「気にしなくていいよ。僕はミフユに会えるだけで嬉しいから」
彼の言葉に少しだけ安堵する。
「部活がすごい厳しくてさ、全然休みがないの」
「そっかあ」
「楽しいからいいんだけど、コウに会いに行く暇が無いのはちょっとね」
「今日は練習がお休みなんだ?」
「うん、もうすぐテストなの」
「テスト?」
「木曜から、中間テストなんだ」
「ふうん?」
彼はまだ不思議そうな顔をしている。まさか、テストを知らない訳ではないだろう。
「どうしたの?」
「えーと、勉強はしなくていいの?」
控えめに尋ねるコウに私は苦笑いを返した。
「一応してたんだけど分かんなくて。だから、一休み」
彼も困ったような笑みを浮かべる。
「だから、テストが終わるまでは学校帰りに来れると思うよ」
コウは一瞬だけ泣きそうな顔をした。泣きそうだけど嬉しそうな表情。そう見えたのはほんの少しの間だけで、あれ、と思ったときにはもういつもの笑顔に戻っていた。
「よかった。またたくさん会えるんだね」
「うん。だから待っててね」
「もちろん」
本当は、今日コウに会う前までは不安だった。前に会ったのは一ヶ月近く前だったから、もうコウは待っていないかも知れない、なんてずっと考えていた。
「本当はね、ミフユはもう来ないかも、って思ってた」
一瞬、私の心を読まれたのかと思った。
「ミフユはもう、随分大人になったから」
コウは今まで見せることのなかった寂しい表情で言う。確かに私は、見た目にはコウとそれほど変わらない年になったけれど。
「今日来てくれたときも、嬉しかったけど怖かった。忙しいからもう会えない、なんて言われたら、って」
「そんなこと言わないよ!」
思わず大声で否定すると、コウは寂しげな表情のまま微笑んだ。違う、そんな顔して欲しくなんかないのに。
「もしかしたら、の話だよ」
私は何度も首を横に振る。
「絶対に言わないよ、友達だもん。だから、そんなこと言わないで」
「ごめんね、ミフユ」
コウの手が私の頭にそっと乗せられる。
「でも、いつかはそうなるよ」
「ならない。ならないよ」
否定しても、彼の言いたいことは何となく分かる気がした。
「いつかは恋人ができて、仕事に就いて、結婚するんだ。そしたら僕のことなんて忘れてしまう」
「忘れないよ! 私は絶対に、ずっとコウの友達だよ」
「絶対なんて、存在しないんだよ」
思わず顔を上げる。コウは私の髪を撫でながら悲しげに微笑んでいる。優しい表情なのに、言葉は冷たい。
「友達は、いつか忘れてしまうものだから」
「なんで、そんなこと、」
涙が勝手に溢れてくる。言葉が上手く出ない。泣いている場合じゃないのに。何か言わなきゃ、何か。
「ごめんね」
コウは謝りながらずっと私の頭を撫でてくれる。いつもは涙を止めてくれるその掌が、余計に涙を溢れさせた。
「今日はもう、帰った方がいい」
コウは何度か私の頭を優しく叩く。
「何を言ってもミフユを傷つけてしまいそうだから」
上手く出ない言葉の代わりに小さく頷く。コウが傘を開いてくれて、私は涙を袖で拭ってから傘を受け取る。地面に降りて、一歩先に出てから振り返る。コウは困ったような笑顔で手を振った。
「さよなら」
またおいで、でも、待っているよ、でもなくて、さよなら。その意味を考えたくなくて、私は逃げるように神社を後にした。
***
何となく家に帰る気がしなくて、コンビニの前で空を見上げていた。いつもなら雨が降り続くのが嬉しいのに、今は逆に気持ちが落ち込んでしまう。
恋人ができて、就職して、結婚して。
いつかコウのことを忘れてしまうなんて、考えられないのに。
「一番近そうなのは、恋人かなあ」
呟いた声は雨音にかき消される。恋人ってデートとかキスとかして、いつも一緒にいて、コウに話すようなことは全部恋人に話して。頭とか撫でてもらって。頭を撫でるっていう行動は、上手くコウ以外の人と結び付かないけれど。年頃の女の子なんだからそのくらいは妄想できないと、とか思いながら必死で考えようとしてみるけど、どうもコウ以外にしっくり来ない。ましてデートやキスなんて。
手をつないで、抱きしめて、キスして。
「あ、れ?」
何か、おかしい。だってコウは友達で、いつも会いたいのはたまにしか会えないからで、何でも聞いて欲しいのはコウが真面目に聞いてくれるからで、寂しい顔をして欲しくないのは、大切な、
大切な人だから。
「どう、しよう」
改めて空を見上げる。雨はまだまだ止みそうにない。コウは、まだ神社にいるだろうか。
***
空を見上げて溜め息をつく。雨はまだ止みそうにない。ミフユはそろそろ家に着いただろうか。
彼女を愛おしく思っていることに気付いたのは、名前をもらってからあまり経っていない頃だ。何にでも正面から向かっていって、その度に泣いたり笑ったりして、僕を頼ってくれる。思いを伝えれば、彼女はきっと受け入れてくれるだろう。
だから、突き放した。友達になれたとしても、恋人には絶対になってはいけないから。それなのにもう後悔していて、いつまで経っても彼女の泣き顔が頭から離れない。
もし、もしもまたミフユが来てくれたら。ミフユが僕を必要としてくれたなら。この思いだけは隠し通して、僕が必要でなくなるまで、彼女の傍に居続けよう。
***
コウはまだ同じ場所に座っていた。私の足音に気付いて顔を上げ、不思議そうな顔をする。
「戻ってきたの?」
「うん」
傘を閉じ、賽銭箱とコウの間に座る。コウは何も言わず地面に視線を落としている。気まずい沈黙を破るために、横顔にそっと声をかける。
「ねえ、コウ」
コウが顔を上げ、正面から視線がぶつかる。
「コウの話、聞きたい」
「僕の?」
ゆっくりと頷く。コウは視線を逸らして少し考え、それからまた顔を上げた。
「気付いてるだろうけど、僕は人間じゃない」
コウは泣きそうな顔で私を見つめる。話しながらも後悔しているような表情だった。
「妖怪と神様の中間みたいなもので、この神社からは出られない」
私を見つめる瞳はいつものように真っ直ぐではなく、頼りなげに揺れている。
「化け狐って名前が一番近いと思う。晴れていると上手くこの格好になれなくて」
私は無言でその瞳を見つめ返した。
「いつから存在しているかも、いつまで存在するかも分からない。だから、」
一度言葉を途切れさせて、コウは視線を泳がせる。私とは目を合わせずに視線を落として、小さな、けれどよく通る声で言った。
「今までそうだったように、ミフユもいずれ僕の前からいなくなってしまう」
視線を落としたまま、コウは呟く。
「やっぱり、話すべきじゃなかったかな」
「ううん。そんなことない」
私は首を横に振る。次は、私が話さなくちゃ。言葉にするのにすごく勇気のいる思いだけど、ためらっているわけにはいかない。
「私、コウが好き」
コウは弾かれたように顔を上げる。
「友達じゃなくて、恋人になろう」
「なに、言って」
「恋人は自然に忘れたりしない。大人になっても、コウに会いに来るよ。死んだら幽霊になってでも会いに行くから」
一気に言って、いつも彼がするように、真っ直ぐに瞳を見つめる。
「恋人になって」
コウは呆けた顔で私を見つめていて、すぐには返事がなかった。それでも視線を外さずにいると、コウの手が私の頬に伸びた。その時にやっと、私は自分が泣いていることに気付いた。
ぎこちなく笑って、コウは突然私の肩に頭を預けた。
「こ、コウ?」
「なんで、こうなるのかなあ」
「え?」
意味が掴めずに聞き返しても返事はない。いつもコウがしてくれるように、そっと髪を撫でてみる。
「駄目だって分かっているのに、君を僕のものにしたくなる」
「う、ん」
曖昧な相槌を打って、また髪を撫でる。
「ミフユ」
コウはまだ顔を上げようとしない。
「本当に、僕のものにしてしまっていいの?」
消え入りそうな声で呟いて、コウはようやく顔を上げた。やけに恥ずかしくて、視線を逸らして何度も頷く。
「ずっと、一緒だからね」
上手く出ない声で言うと、コウの腕がぎこちなく私の背にまわった。
「大好きだよ、ミフユ」
静かな雨音の中で、私達は初めての口付けを交わした。
雨狐(あまきづね) 時雨ハル @sigurehal
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