3 ハイでスタート!
ハイでスタートしろと言われて、ぼくはびっくりした。
ミニ四輪はギアボックスの歯車を入れ替えて、サイクリング自転車みたいにギアを変えて走る。
これは小さいモーターでスピードを出すためと、もうひとつ、狭い場所を激突しないで走るために低速のギアを用意する必要があるからだ、とバンビ模型のおじさんに教わった。
また、RCカーなんかとちがってWi-Fi操作のミニ四輪は操縦者からはるかに離れた場所を走ることが多く、壁につきあたっても、手で動かして位置を変えることが出来ない。そのため、ホイラーのトリガー・レバーをゼロ位置から前に入れると、モーターが逆進してバックできる機構が全車についている。これはタニヤとGASE社が最初から決めた規格である。
変速機のギアは3つあり、ロー、ハイ、トップ。自転車のギアと同じで、ローはパワーがあるが、速度は出ない。トップは速度がでるがパワーがなく、ハイはその中間。当然発進のときは、一番低いローギアを使う。
「なんで、ハイ?」
「いいから、早く」
もうすぐスタートのブザーが鳴る。
仕方ない。ぼくは唇を噛んでホイラーについた変速レバーを親指で動かした。
カメラ映像すみの計器表示のギアが、『ロー』から『ハイ』に変わる。
これじゃあ、ただでさえモーターのパワーが小さいエリーゼは、スタートで出遅れてしまう。目の前の高槻くんのGTRについていくことは、もうぜったい出来ない。
が、カメ先輩は全然ちがうことを言った。
「真後ろにいる飛び込み参加のポルシェ911ターボは、かなり上手いやつだから、勢い込んでこっちのケツに追突してきたりしないさ。だから、安心しろ」
なんで後ろの車のこと心配してるんだか……。
『レディー!』
声がかかった。
ぼくは真正面に視線をむける。
『ゴー!』
ハイタニーの叫びとともに、アプリケーションに直結したブザーが鳴り響く。ぼくはホイラーのトリガーをめいっぱい引き絞った。
初めてのレース。初めて人と走る。ぼくは、ぼくのエリーゼはいま、初めてスタートを切った。
目の前のGTRが、後輪から砂煙を噴き上げて、有り余るパワーにタイヤを空転させながら、強烈な加速で飛び出してゆく。
ぼくのエリーゼは、一瞬後れをとるが、ハイギアの緩い加速で滑らかに走り出し、前車のテールを追いかける。視界のすみで同時に走り出した何台ものマシンの影をとらえているが、いまは正面に集中するしかない。ぼくは高槻くんのGTRの後塵をはいしながらも、一瞬のもたつきを抜けていまは一気に最高速に達しようとしている。
「ここからは、おまえの腕次第だな」隣でカメ先輩がささやく。「つぎの右コーナーは直角。各車乱れてラインを崩すから覚悟しとけよ。うまく、切り抜けろ」
ぼくは集中し過ぎて返答できない。どきどきと心臓の音が激しく耳を打ち、周囲の歓声と、スピーカーから流れる実況の声が遠のき、まるで海の底に沈んだような錯覚をうけていた。
と見る間に、前方で何台かのマシンが土煙をあげながら、ゆらゆらと揺れ始めた。
コーナーだ!
ハッとなってぼくはホイラーのステアリングを切る。
目の前でも高槻くんのGTRが車体を曲げて右旋回の体勢へ入っている。が、その車体が、強烈なホイルスピンを伴って、崩れるようにテールスライドしてお尻を振った。そしてそのまま、水に流される甲虫のように、抗いきれない横Gに屈して、ずるずるとアウトへ滑って行く。高槻くんは慌ててステアリングを反対側へ切って持ちこたえようとしているが、一度滑り出したタイヤはそう簡単には止まってくれないものだ。ぼくはよく知っている。
チャンス……。
ぼくの頭の中で、いくつものスイッチがいっせいにONになる。ぼくはギアをトップにあげると、そのまま右旋回に入る。エリーゼのタイヤが確実に路面に喰いついている感触がある。VRカメラを通した映像と、ステアリングに反応するボディーの動きが、それをぼくに教えてくれていた。まるでエリーゼの言葉が聞こえるようだった。
まだまだ行ける!と。
四方の大型FRマシンどもが、一斉にリアを流してコーナーの外側へ車体を流している濁流のなかで、ぼくの黄色いマシンただ1台だけが水上をすべるヨットのように軽快にコーナーを旋回して、一番内側のラインに飛び込む。
「おおっ」
となりでカメ先輩が声をあげている。
土煙が晴れ、前方に直線コースが広がる。校舎へつづく一直線の道。ぼくはかまわずトリガーをめいっぱい引き、最高速までエリーゼを加速させる。
前には何台もいない。4、5台か? もしかして6台。それくらいだ。
が、油断はできない。
エリーゼはパワーがない。最高速度はたぶん他のマシンより一段落ちる。ここで前には出たが、すぐ後からは他のハイパワーマシンが大型モーターの力を発揮して追撃してきているにちがいない。
ぼくは視界の上端にあるバックミラーをちらりと見て、後方を確認する。
すぐ背後に灰色の影が一瞬見えた気がした。え?と思ったときには、すぐ右に並んでくるマシンがある。ドアとドアが接するほどの近距離。ぎょっとしたのも、つかの間。そのマシンは強烈な加速でぼくのマシンを引き離し、ぐいぐい加速してゆく。
甲虫のような丸い特徴的ボディー。ガチョウの尻尾のようにちょんと上向いた上品なリア・スポイラーは、寝ぐせに見えなくもない。あれはスタートのときに真後ろにいたポルシェだ!
「えーと、99……」
「911カレラ・ターボ」カメ先輩が補足してくれる。「やはり上手いな」
ぼくは必死に直線でポルシェについていこうとするが、ぐいぐいと引き離される。
「あの911カレラは、唯一リアモーターのシャシーを使っているんだ。タニヤのRF4研という別部署が開発したシャシーなんだが、重心が極端に後ろにあるため、コントロールが難しい。が、いまみたいな悪路では後輪のトラクションがめちゃめちゃ良いから、旋回性能が高い。にしても、RR(リアエンジン・リアドライブ)は難しいんだが、このドライバーは見事にコントロールしてる。手強いぞ」
と、そんなことをとなりでカメ先輩が語ってるあいだに、後続の集団が猛追してきて、ぼくの周囲をあっという間に取り囲む。ライオンの群れに追われたインパラの子供の気分だ。わっとばかりに襲いかかってきたハイパワーマシンたちは、補足したら興味をなくしたみたいに、ほくのことを追い抜いてゆく。その一団の中には高槻くんのGTRもいた。
「いま抜かして行った中に、電光アヴェンタはいなかったよね」
ぼくが尋ねると、すかさずカメ先輩がこえたる。
「雪花か? あの女なら、最後尾のスタートだぞ。200台ちかく抜かなきゃならないんだから、下手したら上位入賞も難しい。そうそう簡単にここには来られてたまるか」
ぼくは残念半分、安心半分でバックミラーに目をやり、「ひっ」と呻いた。
後方から土煙をあげて、さらに後続の集団が迫ってきている。まるで荒野を爆走するバッファローの大群みたいに。
そして前方からは、校舎が断崖絶壁のような巨大な壁となって迫っていた。ミニ四輪のカメラから見る校舎は、まるで巨人の住む城砦のようにでかい。
アスファルトが終わり、コンクリートが一段高くなった場所から昇降口だ。
さっき歩いたときは、気にもしなかった段差だが、ミニ四輪で突入するとなると、崖をのぼるのに近い。コンクリートの段には、端から端まで木の板がかけられて坂になっているが、いまの視点からは坂の上は見えない。
あっという間に迫ってきた木の坂を跳ねるように登り切り、サスの力で軽くジャンプしたエリーゼは着地と同時に作戦通り左に寄る。
視界がひらけ、昇降口のコンクリートの平原を走る先頭グループのテールが、いっせいに右に寄って行く。
ここはまだ地面だが、つぎの段差を登り切れば校舎内。そこへあがる板は斜めに渡された3枚で、この先の階段にちかいのは一番右。そこへ殺到する先頭集団のラインから離れ、ぼくは一番左の板へ。
後方から追いついてきた後続集団は、ぼくを無視して右の板へ殺到してゆく。
ぼくは、ホイラーをにぎる手に、ぐっと力をいれた。
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