4 クラッシュ!


 ぼくは校舎の床へつづく板を、急な角度で上へとのぼる、斜めに渡された木の板という急坂手前で、一気に減速して校舎内にかけあがった。

 サスペンションがぐっと縮んで、視界が上を向き、はるか上にコンクリートの天井と、あり得ないくらい巨大な蛍光灯が見えたが、それも一瞬のこと。すぐにエリーゼは板を登り切り、青いリノリウムの床上へ飛び出した。


 減速していたため、ジャンプは控えめ。着地してタイヤが床を噛むと同時に、ぼくはステアリングを切ってエリーゼを急旋回をさせた。

 なにか、いつもと違う感触でエリーゼが旋回する。きゅるきゅるという変なボデーの揺れ方をしている。おそらく床がリノリウムのタイルだからだ。グリップが堅い。砂の乗った地面とちがい、すっごく平らな床面の上は、かなりな急旋回を強いてもタイヤが滑らない。


 よし!

 ぼくは心の中で叫んで、思いっきりステアリングを切り、アクセルをあける。タイヤのグリップが強いので、内側のタイヤが浮くんじゃないかというくらいまでの高速旋回で昇降口の床をまわると、前方ではなぜか旋回に苦戦している先頭集団が。そして横からは、右の板をのぼった後続集団がぼくに向かって突撃してきている。


 うまく曲がれないマシンや、ジャンプで体勢を崩してコントロールを失ったマシンが、つぎつぎと接触し、玉突き衝突を繰り返す。周囲に、ビリヤード台の上で突かれた玉の集団のようなめちゃくちゃな状況が発生していた。


 ぼくはゴーグルの中で目を見開く。

 レースゲームは得意なのだ。右から跳ね飛ばされてくるマシンを素早い判断で左にかわし、その向こうでスピンしているマシンを右にかわす。そのさきの接触事故でスピンしてしまった3台を、右、右、左とすり抜けて、ぼくは混乱した戦場を駆け抜け、いっきに前方の階段へ向かう。


 見上げるような階段は、まるでピラミッドの壁面のようだ。一番端に太い板がかけられ、マシン3台分の幅がある。

 一直線に階段ゾーンへ向かうぼくの背後に、オレンジ色の1台が迫ってくる。ミラーをちら見して確認する。高槻くんのGTR。いまの混乱でぼくが前に出たようだ。が、速い! 階段前のフロアを、GTRは強烈な大型フロントモーターのパワーをきかせてぐいぐい猛追してくる。


 どっちが速い? どっちが先に階段に着く? ぼくか? 高槻くんか?

 眼前に迫る絶壁のような登坂。まるで垂直にのぼっているようだ。階段の一番下の段が目の前に立ちはだかる壁のようで、次の段からはもう空の上にあるみたい。

 GTRが横に並んできた。この短い直線のうちに抜かす気か。ぼくは負けじと踏ん張るが、トリガーは引き切った状態で、これより上の全開はないし、ギアをあげる間もない。

「……デンドー」

 カメ先輩があえぐ。


 ダメだ。ぼくはトリガーをぱっと戻してアクセル・オフ。モーターが急減速してエリーゼにブレーキがかかる。となりでGTRが歓喜したように前に飛びだしてゆく。……が。


 階段は急坂である。角度にして40度以上の勾配だ。現実の坂道で、これほどの勾配は存在しないし、ミニ四輪のコースでもこんな急な坂道はないはず。第一ぼくは今まで、海賊公園のコースしか走ったことがない。高槻くんはあるのだろうか? いいや、おそらく、高槻くんもこれほどの急勾配を走った経験はないのではないか?

 勢いのつき過ぎたGTRは、マシンのフロント部分を、まるで垂直に切り立ったかと思えるような斜度40度の階段の板面に激しくぶつけて跳ね上がった。


 飼い主に飛びかかる犬のように立ち上がったGTRの車体は、前輪の接地を失ってコントロール不能に陥り、そのまま壁面にぶちあたって跳ね返り、ぽーんとジャンプして階段面にひっくり返って転がった。



『おーっと、ここでゼッケン13番。オレンジのGTRが、階段ゾーンでクラーシュ!』

 実況の声がスピーカーから全校に響き渡る。

『大会ルールにより、コースアウトはレース失格! 残念ながら、ゼッケン13番は失格だ。しかしマシンはだいじょぶなのか? これはクラッシュ大破もありえるぞ』



 ぼくはギアをローに落として慎重に40度の斜路に突入し、見上げるような坂道をのぼりはじめた。トリガーを引き切り、全力で板のうえを駆け上る。

 小型軽量のエリーゼはあっという間にローで出せる最高速度に達した。

 ──これなら、行けるんじゃないか?

 ぼくはアクセルの感触からギアをハイにあげる。エリーゼは鞭を与えられた名馬のように斜路の上で加速し、ぐいぐい階段を駆けのぼってゆく。


 バックミラーに、つぎつぎと斜路へ突入してくる後続のハイパワーマシンが映る。

 大型モーターの力をつかって、一気にぼくに追いついてくる……かと思ったら、こない。


「ふふふ」と、となりでカメ先輩が笑う。「あいつらみんなよぉ、まずマシンの重量がある。そして、フロントモーターだ。重心が前寄りだから、荷重が後輪にかかりにくい。どうせギアも高速セッティングの速度重視だろうぜ。坂登りは苦手だろうな」

 ぼくは後ろを見るのをやめて、行く手に集中する。

 もうすぐ階段が終わって、踊り場だ。急旋回がまっている。


 さっきまで走っていた校庭とちがって、校内の狭いステージではマシンが出せる速度には限界がある。下手に壁に激突したら、高槻くんとおなじクラッシュ大破もありえる。

 斜度40度というのは、ほぼ垂直に上昇しているような坂道だ。そこを快速に駆け上がったエリーゼが、打ちあげられたロケットみたいに斜路の上端から踊り場へ飛び出す。行き先が見えないので、ぼくは大きな跳躍を避けるため、あわててトリガーをもどした。


 ぽーんとジャンプしたエリーゼが、サスを沈み込ませて踊り場の床に着地するやいなや、ぼくはステアリングを切って急旋回させ、真正面から迫ってきた壁を間一髪かわした。

「うっひょーう!」

 カメ先輩が無責任な歓声をあげているが、こっちは必死だ。


 リノリウムの床の上で、きゅるきゅると変な揺れを起こすエリーゼを旋回させて、次の階段をめざす。板は同じ側。見上げると、かなり上を、あのポルシェ911カレラが高速で上って行っている。

「うほー、さすがリアドライブ。めちゃくちゃトラクションがかかってやがる。これは階段では、ついていくのがやっとだな。やっぱ、あいつ、手強いわ」

 とカメ先輩は感心しているが、こっちはそれどころではない。


 階段手前でギアダウンからの急減速、車体の跳ねを警戒してまっすぐ斜路に進入し、フルスロットルから、ギアアップ。後輪の空転に注意しながらアクセルをあける。もし、トリガーを引いてもマシンが加速しないようなら、それは後輪が空転してスリップしている証拠だ。ぼくはタイヤがスリップするぎりぎりを模索しながら、階段を駆け上がる。


「デンドー、お前、上手いな」

 カメ先輩は褒めてくれるが、こんなのはレースゲーム好きのぼくとしては、当然なことだった。が、いまは集中したいので、少し黙っていて欲しい。



『現在先頭集団は第二セクションの上り階段を抜け、旧校舎3階へ到達。トップを走るのはゼッケン2番の白いA80スープラ。安定した走りだ。つづく2番手に我がサギ高ミニ四輪部のオロチⅥ・Evaバージョンが続く。大型で車重があるオロチが階段でスープラに引き離された形だ』



 先頭集団はもう階段を抜けているのか……。

 ぼくは驚くと同時に、このペースなら追いつけるかもしれないという感触をつかんでいた。

 校庭のコーナーでの混乱に乗じて前に出られたが、先頭集団はあのまま高加速からの最高速で、ぼくを大きく引き離していたはず。だが、この階段ゾーンをいま先頭集団が抜けたということは、その差は縮まっている。軽量小型ボディーがこの急勾配で強さを発揮している。そして、ここからはコースは基本校内。屋外のような高速での走行は難しい。

 ──追いつけるかもしれない。

 そんな思いを胸に、ぼくはエリーゼに最後の階段を登り切らせた。


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