エピローグ

第31話 ライブ前のひととき


 望と本当の意味でわかり合えたあの日以来、私は望と手をつなぐことが多くなった。望に、絶対に離さない、ずっと傍にいる、と強く伝えたわけだけど、それを具体的にどう実行すればいいのかわからなくて、とりあえず手をつなぐことから始めた、……というのは後付けの言い訳。本当のきっかけとかあまりにも感情的過ぎて言葉に表せない。衝動的に手をつなぎたいからつなぐ。ただその衝動の頻度が多いだけ。


 望は「カップルみたい」と言い、露骨に恥ずかしがっていた。ただ望自身まんざらでもなさそうなので、それはそれでよかった。学校内では、人間関係に敏感な子たちが私たちのことを奇異な目で見てくるけど、別に気にしなかった。したいように想像すればいいさ。


 そんなこともありつつ、季節は六月を迎え、校舎内は夏服で溢れた。私も望も、陽菜さんも先輩たちも涼しい恰好となった。六月の活動は主にバンド練習。来月は学園祭でのライブが控えているし、なにより五月はギター製作に夢中になってしまいバンドの方はおろそかとなったので、勘を取り戻す意味でも重点的に練習を行った。


 作ったスノーホワイトのギターは、今は晴美先輩が弾いている。楽器をお披露目するにあたって、フロントマンが弾いた方が目立つから。毎日の練習で掻き鳴らされるスノーホワイトのギターは、聞けば聞くほど望が言った通り、高い楽器のようによく鳴るけどどこか物足りない安い楽器の音がしていた。


 そのことについて、長谷川さんはこう推測していた。


 曰く、塗膜が柔らかいラッカー塗料を必要最低限しか塗装していないので、塗装によって弦の振動が阻害されず十分にボディに伝わり、ふくよかにギターが鳴っているとのこと。確かに塗装が固く厚いせいでギター本体が鳴らなくなってしまうという話を聞いたことがある。だからこそハイエンドギターとかは、機能として十分な塗膜を確保しつついかに薄く仕上げるか、ということを意識しているらしい。


 実際に私たちが作ったギターも、長谷川さん曰く塗装は極薄の部類に入ると言っていた。ただ製作キットに付属していたパーツ類が安物のそれであったため、その部分でかなりのグレードダウンしているのでは、という見解だった。じゃあ高いパーツを乗せれば良質な音になるのか、という話になってしまうけど、残念ながらもう製作費は少なくなってしまったので、グレードアップは実現できそうになかった。それはまた今度の機会に。


 練習に追われる日々の中、ライブに向けて新曲を作った。ベーシストとして新しく加入した私の持ち味を生かせる楽曲が欲しいという意見が出たのがきっかけ。それに今回のライブで三年生は部活を引退してしまうので、この四人での思い出の曲を作ろう、という事情もあった。


 こうして六月は、練習に楽曲制作、そして学生の本分である学業と、目まぐるしく過ぎていく。季節も五月の後味を残した心地よく乾燥した暑さから、憂鬱となる梅雨を過ぎ、ねばりつくような湿度を孕んだ夏日へと移り変わっていく。気がつけば七月となり、カウントダウンするみたいに夏休みに向け日々が過ぎていった。


「朔、緊張しているの?」


 夏の体育館は暑苦しい。だけど私と望は互いを暖め合うかのように身を寄せ合っている。今は特別に人の温もりが恋しくて、自然とくっつきあう。夏服から伸びる腕が触れ合い、湿り気のある肌と肌が密着するも、相手が望だから不快ではない。望も離れようとしないので、望も私と同じ気持ちなのだろう。当然手はつないでいる。


「うん。緊張してる」


 私はさも当然とでも言うかのように、抑揚のない返事をする。


 私たちは今、舞台袖の邪魔にならないところに並んで座り込んでいる。先週テストが終わり、いよいよ学園祭当日を迎え、目前となった出番のため待機している。緊張しているかなんて、聞かなくてもわかるでしょ。


 私たち第二軽音楽部のライブは一日目の午後。今回は持ち時間三十分ほどの枠を確保しているので、学生バンドとしては充実したライブが行える。例の如く会場の後方には、長谷川さんによって呼び出されたライブハウスの知り合いさんが出張に来てくれていて、大量の音響機材がセッティングされている。もうリハも終わり、今はただただ時間になるのを待つばかり、先輩たちの反応から、すでにお客さんの入りは上々のよう。客席から聞こえてくる騒ぎが私たちを包み、緊張の度合いを跳ね上げていく。


 ふと、望はつないでいる手をギュッと強く握りしめた。


「望も緊張しているのね」


 そう言いながら、当たり前か、と思う。


 実は今回のライブ、望も出演するのであった。


 第二軽音楽部のバンドメンバー四人で四曲を披露し、途中望がゲストとして加わりインストを一曲挟む。第二軽音楽部としては五曲をこのライブで演奏することとなる。


 望はたった一曲の出番だけど、それでも私としてはこれほど嬉しいことはなかった。


 だってあの望が、また大勢の前で演奏してくれると考えると、心沸き立つものがある。幼い頃の思い出が蘇る。さすがに当時のような規模での演奏とはいかないけど、望本人が持つ才覚を不特定多数に示すことになる。それは私が狂おしいほどに憧れを抱き、そしてずっと待ちわびていたもの。それに望はこの十年でいろんな意味で成長している。かつての望と新しい望を同時に見ることができるなんて、想像しただけで昇天してしまいそう。


 今私は出番目前で緊張しているけど、同時に高揚としている。


「ねえ、ちょっといい?」


 私は唐突に言い出し、望から離れる。望は私の突然の行動にキョトンとしている。そんな望を無視して私は座り込む望の背後に回り込む。


「……………ッ!」


 次の瞬間、望は無言で驚いた。身体が一瞬ビクンと反応したからわかる。


 そして望の身体の反応をなぜこうも敏感に察知できているのかといえば、私は望の背後に回り込み望を後ろから抱きしめたから。慎ましく座る望に対して、私ははしたなく股を開き足で望を挟み込む。そうして距離を縮め、腕で望を包む。頬は望の頬と密着している。風通しが悪く暑苦しい体育館の隅で抱きつく。でも望は嫌がる素振りは見せない。


「子供じゃないんだから、そこまでしてもらうほど緊張してないよ」


 望はそう口では言っているけど、私は「うそつき」と切り捨てた。だって触れる望の肌から高速の心拍を感じるから。緊張しているからこその心拍数でしょ、これは。


「ライブ前なのに何してるの?」

「ライブ前だからしているの」


 望の体温が上昇する。望自身は平然を装っているけど、身体の方は正直だった。


 薄暗い舞台袖にて、お互いの心臓の音を認識する。


「……ドキドキする」

「それはどういう意味で?」


 私は嫌みたらしく尋ねる。望の今の緊張はライブのせい? それとも……。


「聞かないでッ」


 望は照れ隠しのつもりか、語気強めに拒否する。そんな望が可愛くて愛おしかった。


「大勢の前でライブするの久しぶりだもんね。緊張するのは当然よね。だから――」


 私はわざと望の耳元でささやく。


「――私で緊張を上書きしてあげる」


 今の望の緊張はライブのせいだけではないはず。私とこうして密着していることで感じている緊張も含んでいる。なら、姉妹として、大切な人として、私ができることといえば、不安と恐怖を誘発する緊張を私の色で満たしてあげることだった。


「……それ、朔が自分のためにしたいからじゃないの?」


 でもツンデレな望は見透かしたように言い返す。あら? バレてた?


 私だってライブ前で緊張している。その緊張を、望の色で上書きしたいと考えた私の浅はかさは、どうやら望に伝わっていたみたい。触れる肌を通して伝わったのかな?


「ダメ?」


 甘えた声で私は尋ねる。


「……ダメじゃない」


 望は私を拒否することなく受け入れる。本当にもう、ツンデレなんだから。


 そうして私はライブが始まるまで望を抱きしめ続けていた。


 そして時間となり、もうステージに立たなくてはならなくなった。前回の新歓ライブのときもそうだったけど、ステージに上がる前に皆で円陣を組み、気合を入れる儀式を行う。メジャーバンドでもよくライブのメイキング映像とかでやっているあれである。一応バンドマンである私たちは、プロの円陣をまねてそれらしい雰囲気を作り出している。


 晴美先輩がメンバーを招集しているので、私と望は立ち上がって集合する。けどお互い視線を合わせることができずにいた。なんと言いますか、近づきすぎて直視できなくなった、みたいな。そんな初々しい初恋のような反応をしてしまっている。


 チラリと、望の方を向くと、望の顔は赤くなっていた。舞台袖の暗闇でもわかってしまうほどに。望がそうであるなら、きっと私の顔も赤くなっているのだろう。


 こんな状態でライブをするのか? お互い相手からパワーをもらったわけだけど、でもライブ前の緊張をほぐす意味としては、もしかして失敗したのかもしれなかった。


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