第30話 完成。そして試奏


 完成したばかりのスノーホワイトのギターを、早速試奏室に置かれている大型のアンプに繋ぐ。


 最初はギターそのものの音を聞きたいので、エフェクトをかけずに純粋なクリーンサウンドの音を作っていく。アンプのツマミをいじりフラットな音が出るようにしてから、晴美先輩はアンプの前に置かれた丸椅子に座ってギターを構える。


「あ、待ってください」


 しかし私は待ったをかけた。


「その、最初は望に弾かせたいんです。ほら、ギター作りたいって言いだしたのは私ですし、でも私はベーシストでギターとかうまく弾けないから、妹の望に弾かせたいんです」


 私は適当に言い繕うけど、望に弾かせたいのは本心から。


 あの夜、私と望が本当の意味でわかり合えたあのとき、私は初めの一歩としてとある提案をした。


 完成したギターを、望が最初に演奏してほしい。


 そもそも私がギターを作りたいと言い出したのは、ギター作りを通して望に再びギターへの情熱を抱かせることができるのではないかと考えたから。結果的には私の望に対する認識を改めることとなったけど、でもきっかけが望に対して抱いた感情だから、終わりも望に関することでありたい。それに今回のギター作りによって、私たちは偽りなく心を通わせることができたのだから、やはり姉妹として完結させたかった。


「それもそうだな。言い出しっぺがそういうなら、わたしたちはそれに従うよ」


 晴美先輩は気さくに同意してくれて、おもむろに椅子から立ち上がり、ギターを直接望に手渡した。望は静かに受け取る。


 望がギターを持っている。ただそれだけのことだけど、私にとっては悲願だった。だからこそ、ギターを持っている望の姿は神々しく、愛おしかった。


 望はアンプの傍に置かれた丸椅子に腰かけ、制服のポケットから自前のピックを取り出す。いつも持ち歩いていたのか、それとも完成間近だから持参したのか、ようとしてその真意は知れない。だけど手に馴染んだピックを用意したということは、望が本気を出してくれるのではと期待せずにはいられない。


 望の左手が弦に触れる。


 望がクリーンサウンドで奏でたのはアルペジオだった。しかしそのアルペジオはただ単にギターコードを押さえて各弦順に弾いていくものではなかった。和音を奏でている間も押さえ方が変化していき、またコード進行も頻繁に変わっていくので、本当に忙しなく弦を押さえる左手が動く。


「……すごいな」

「あたしなら頭が混乱して弾けねぇわ……」


 同じギタリストの晴美先輩と千明先輩が、露骨に息を呑むのを感じた。アルペジオ一つでギタリストとしての格の違いを見せつけられたとでもいうかのように。


 でも確かにわからなくもない。複雑難解なアルペジオを平然と弾いているのもそうだが、その上で混じり気のないクリーンサウンドを生かした綺麗で艶やかな音色をコントロールしている。瞳を閉じれば景色が浮かぶアルペジオ、と言い表すべきだろうか。ただ旋律を奏でるだけではなく、人を惹きつける表現力がそこにはあった。


 でもこの表現力は望のものはなない。このアルペジオのフレーズは、アルペジオを評価されているプロのギタリストが演奏したもの。実際にこのフレーズを含む楽曲を、私は聞いたことがある。望はフレーズだけではなく、プロギタリストの表現力を含めて完全コピーをしていた。


 望のギターは、再現するギター。


 誰かが一度アウトプットしたものなら、天才的な技量をもってして再現してしまう。ギタリストとしての望はそういう特性がある。


 アルペジオを弾き終わると、望はギター本体のノブを回しギター側で音作りを変える。ピックアップをフロントに切り替え、トーンを絞って籠った音にする。そうして奏でられるフレーズはジャズのそれだった。


 途端、マリ先輩が反応した。普段大人しい先輩だから露骨な反応はしなかったけど、でも無言で目を見開き驚きの表情をする。元ジャズドラマーの先輩だからこそ、何か刺さるものがあったのかもしれない。


 私としても、ジャズ向きのホロウボディ――内部に空洞があるエレキギター――でもなく、弦もジャズ向けのものでもないのに、ここまでジャズを表現できているその技術に瞠目した。望は特定のジャンルに不向きな楽器でも、それを加味したうえで演奏し、サウンドを表現している。先程のアルペジオだけでそのギターの特徴を捉え、生かしている。そういう対応力を含めての望の演奏力である。


 どこかで聞いたことのあるジャズフレーズを弾いたのち、望はギターとアンプのコントロールを操作して音を変える。今度はアンプのドライブチャンネルに切り替え、イコライザーも動かして適度にひずませたエレキギターらしい音色にする。


 そこから、パワーコードを掻き鳴らすパンク的なフレーズや、カッティングを多用したポップよりのフレーズ、さらには趣向を変えてブルース系のフレーズなど、様々な角度からのアプローチによってそのギターが秘めるポテンシャルを引き出していく。


 アンプのゲインを上げ、さらに音を歪ませる。その過激なディストーションサウンドによるハードロックな演奏。往年の名曲のフレーズから、はたまた超絶技巧を必要とする高度な速弾きなどでギターを弾き倒す。途中イコライジングを変え、重くも鋭いサウンドにしてから、メタル系のリフやソロを弾きこなしていく。


 その流れで、望はまさかの第二軽音楽部の楽曲を披露してしまう。新歓ライブで演奏した曲。晴美先輩のリフが、千明先輩のギターソロが、望の手によって再現される。楽曲のデータを持っていない望がこの曲を聴いたのは、精々私たちの練習に付き合っていたときと、そして本番のときくらいのはず。そのわずかな視聴だけで先輩たちのギターを完全コピーしたのだ。そのことに、一同驚愕を禁じえなかった。


 望の演奏に釘付けになる。


 そうして一通り弾いた望は、ギター側のボリュームを絞り演奏誰かのコピーをやめた。ギターを膝の上に寝かせ、見下ろすように眺めていく。


「なんかこれ、なんて言えばいいかな……。よく鳴る安いギターの音がする」


 そうして出てきた第一声は、とても辛辣なものだった。


 けどその言葉によって、今は完成したばかりのエレキギターを試奏していたことに気がついた。皆も、望の演奏ばかりに夢中になり、もうそのことなど頭から抜け落ちていた。望がギターの感想を述べてから、陽菜さんも先輩たちも、魂を抜き取られたような圧倒された表情をしながら、演奏に対しての拍手をしていた。


「……あれ……」


 私も望の試奏に惹きつけられていた。しかし私の場合は少し事情が異なった。いつの間にか私の頬を涙が伝っている。その涙を指先で拭いつつ、慌てて周りに注意を向ける。幸い皆望に夢中になっていたおかげで、私が泣いているのに気がついた人はいなかった。


 私はトイレに行くことをさりげなく言い残し、静かに試奏室を出た。そして実際に長谷川さん宅のトイレに向かうも、廊下の途中で跪いてしまう。別に、本当にトイレに行きたかったわけではなく、ただ一人になりたかっただけなので、廊下でもどこでも構わなかった。


 一人になった途端、決壊したかのように止めどなく涙が溢れた。防音設備のある試奏室の中までには聞こえないだろうけど、私としては無様に泣いている自分が許せなくて、泣いている声を必死で噛み殺していた。でも爆発する感情を止める術がなく、涙という形になって排出され続けている。


 私が泣いている理由は明らかだ。


 私は望の演奏を生で見られて、感動している。


 この十年の間、恋焦がれた演奏。まるで精密な機械が演奏しているかのような正確無比なテクニック。大抵のことは高いレベルで再現できてしまう望の才能を発現させたそれは、幼い私を魅了し虜にしたものである。


 それを再び目にし、耳にした。そのことがたまらないほど幸せである。


 これまでの鬱屈とした想いが助燃剤の役割をしているのか、私の感情の爆発は止まない。ただ段々と、これはこれでいいのではと思い始めてきた。感情を爆発させることで、望への想いを噛みしめることができる。それはかけがえのない相手がいる身としてはとても幸福なことである。むしろ贅沢すらある。ならば、感情の赴くままに発散させるのも悪くはない。


 そういうわけで、私は一人、人様の家の廊下で泣き崩れていた。決して負の涙ではなく、むしろ幸福の涙を。これでもかと流し続けていた。




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