第29話 調整 その3
最後に行うのはオクターブの調整。
「ギターの音程は、厳密に言えば完全に合わせることはできない」
そう長谷川さんは告げる。オクターブを含むギターの音程は、弦の太さや弦高の高さなどといった要因で変化してしまう。
長谷川さん曰く、ギターの構造上、高音域になればなるほど音が合わなくなってしまうとのこと。詳しい理屈はちゃんとあるみたいだけど、説明するのにかなり長い時間を要するとのことで、ここでは割愛することに。
「フレットがある弦楽器は、弦を押さえた時点ですでに音程が狂ってしまうのだよ。ギターって楽器はね、どうあがいても完全な音程を出すことはできないんだ」
その言い方は、どこか諦観しているかのようだった。
「……でもそれだと楽器として成り立たないですよね?」
数瞬の沈黙ののち、陽菜さんが小動物のように小首を傾げながら疑問を口にした。
「その通り。だから音程のずれを誤魔化す調整が必要なんだ」
そう答えながら、長谷川さんは試奏室のローテーブルの上に寝かせられたスノーホワイトのギターを指さす。
「ギターの弦には二つの支点、ヘッド部のナットとボディのブリッジがあって、この二つの支点の長さがそのギターの弦長になるわけだ」
長谷川さんの指が説明にあわせて動く。張られた弦を両端で支えている部位をそれぞれ指し示す。
「通常のチューニングをしたあと、1オクターブ高いポジションを押さえてチューナーで確認する。このとき1オクターブ上の音も合っていれば、大体全体の音が合っていることになる」
「そうなんですか?」
反射的に私は尋ねてしまった。
「少なくとも1オクターブ間の音程は合っていることになる。まあ、製造段階で打ち込んだフレットの間隔に狂いがなければの話だがな。それにこのポジション以外でわかりやすい基準点がないから、高音域に行くにつれて狂っていく音程のずれの修正は、オクターブ上のここでしかできん」
「なるほど、だからオクターブを調整するって意味なんですね」
「そう。この音程のずれを誤魔化すことを、オクターブ・チューニングという」
最後に長谷川さんは皮肉っぽく言った。
「オクターブ・チューニングは、ボディ側の支点であるブリッジで調整する。ブリッジには実際に弦を支えている
ブリッジのパーツには確かにドライバーで回す機構が備わっている。弦は短くなれば音は高くなり、逆に長くなれば音は低くなるので、通常のチューニングに対してのオクターブでの音の狂いにあわせ、ブリッジの位置を動かすことで適切な弦長に直す。というのがオクターブ・チューニングの本質となる。
だから理屈さえ理解できれば、オクターブ・チューニングを行うのは容易い。
まずはチューナーをギターに接続し、ギターのヘッド部のペグを回して弦を巻き取ることで、張力によるチューニングを行う。通常のチューニングを終えたら、今度は1オクターブ上の音、12フレットを押さえて音程を調べる。この際チューナーの針が正常な位置で止まらなかった場合は、ブリッジのサドルを動かして今度は弦長によるチューニングを行う。
通常のチューニングに対してオクターブの音が高ければ、サドルを動かし弦長を長くする。一方オクターブの音が低ければ弦長を短くしていく。そうして通常のチューニングによって合わせられた音とオクターブの音との差異をなくしていく。
ギターの弦は六本あり、それぞれ弦の
ちょうど第二軽音楽部のメンバーも六人いるので、それぞれ一人一本ずつオクターブ・チューニングを行っていく。順番はジャンケンで決めた。
「できたぞ!」
「わー!」
そうして順番的に最後の方だった千明先輩と陽菜さんが、無駄に大きな声で喜びを表した。というかこの低身長コンビはどこか性格の波長が合うのか、気がついたら仲良くなっていた。これがコミュニケーション能力というものか……。
試奏室のローテーブルには、オクターブ・チューニングをはじめとする、全ての調整を終えたスノーホワイトのギターが寝かせられている。ついにギターが完成した。
「じゃ、早速、弾きますかッ!」
「おー!」
「オーッ」
どことなくそわそわした晴美先輩が、完成したばかりのギターを前にして叫び、それにハイテンションな千明先輩と陽菜さんが同調する。皆まるで、新しいおもちゃを目の前にした子供のような、期待に満ち溢れたあどけない表情をしている。かくいう私も、早く音を出したくてうずうずとしてきた。
苦労して作ったギターが、ようやく楽器としての本領を発揮する。
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