5章 完成に向けての最終調整

第27話 調整 その1


 今まで通りに学校に通い、放課後作業の続きをする。今日から本格的な調整作業となる。


「じゃあギターの反りから見ていこう」


「ああ、ギターのあるあるですね」


 長谷川さんの促しに、晴美先輩が反応する。そう、ギターやベースのネックはよく反ってしまう。まずその反りの調整から始めるとのこと。


「ギターをはじめとする弦楽器は、張っている弦に張力テンションがかかることで楽器として機能するようになる。でもその弦の張力は楽器にとてつもない負担をかけている。エレキギターの場合は、大体四十キログラム以上の張力がかかっているし、ベースはそれ以上、多弦ベースになれば百キロ越えは当たり前になる。それだけの力があの細い木材にかかっていると考えれば、引っ張られて反ってしまうのは当たり前。むしろ反らない方がおかしい」


「そ、そんなにヤベェ力がかかっているのか……」


 千明先輩は話を聞いて素直に驚いている様子。四十キロなんて中学生くらいの体重がかかっていることになるし、ベースに至っては太り気味の成人男性ほどある。私だって、まさかギターやベースにそこまでの張力がかかっているなんて知らなかった。


「逆に、弦を張らなければ反らないのかといえばそうでもない。弦楽器のネックは木材を切り出して作っている以上、失った質量分反りやすくなる。とくにギターとかの場合は、木材の切り出しは指板面側ではなくグリップ側が主になるので、弦の張力とは逆向き、ネックがのけ反るように反ってしまう」


「じゃあ弦の張力と、木材の反りが釣り合えば、ネックは反らないってことですか?」


 話を聞いたうえで、私は質問する。


「普通に考えればそうなる。でも実際は違う。とくにネックは木材だから湿度に弱い。木は乾燥すると縮み、逆に水を含むと膨張する性質があって、その性質によって反ってしまうことがある。環境によってギターのネックは動いてしまうのだよ。よって夏と冬で湿度差が激しい日本は、弦楽器にとって過酷な環境といえる。他には、照明の熱や演奏者の汗によって高温多湿になるライブも、弦楽器にとっては最悪の環境だ」


 長谷川さんは一呼吸し、話を区切った。


「楽器はね、生き物なんだ。その日その場所の環境気分で機嫌が悪くなってしまうくらいナイーブな存在。一日で機嫌が逆転することさえあり得る。さらには経年変化によって老いもする。だからこそ楽器は丁寧に扱い、こまめにメンテナンスしてあげないと、取り返しのつかないことになる。異常の早期発見が大事なのは、人も楽器も変わらない」


 楽器は生き物。その言葉に、私はハッとさせられた。今まで自分なりに大事に楽器を扱ってきたつもりでいたけど、でもそれは演奏するうえでの道具としての扱いでしかなかった。生き物を扱うような繊細さはなかった。しかし話を聞いて、それでは不十分であることに気付かされた。


「対策ってなんかあるんっスか?」


 長谷川さんの見解に、千明先輩が質問する。


「それはもう、弦は適度な張力がかかるよう少しだけ緩めて、オールシーズン加湿器と除湿器で保管場所の湿度を一定に保ち、持ち歩くときはケースに乾燥材を入れるしかないでしょ。また移動による環境の変化でコンディションが変わることもあり得るから、家から出てスタジオに行ったらまず状態をチェック。演奏後、とくにライブ後は必ずメンテナンスするしかない」


「そ、そこまでしなきゃならんのか……」


 千明先輩が若干引いている。勝手なイメージだけど、先輩はがさつっぽさがあるから、その反応はとても納得できた。


「まあ雑に扱ってもびくともしないギターもあるから、そこまで神経質にならなくてもいいと思うよ。ただやらないよりはマシって程度だ。これからやるネックの調整も、日々のメンテナンスに使えるから、覚えて損はない」


 そう言って、長谷川さんは試奏室のローテーブルに寝かせてあったスノーホワイトのギターに触れる。


「ネックの状態の調べ方は二通りある。一つは目視。もう一つは弦を使って感触で調べる方法。どちらもまずチューニングした状態で見る」


 長谷川さんは説明しながら、各弦素早くチューナーでチューニングしていく。……というか、さすがプロの職人だけあって、チューニングの手際がよすぎる。言い終えた頃にはもうすでにチューニングが完了していた。


 説明によれば、目視の場合はヘッドから覗き込むようにして、ネックの端から端までを一直線になるようにして見るらしい。ネックが大きく反っていれば、弓なり状態となったネックを一目で確認できるみたい。


 もう一つの弦を使った方法は、ネックの両端部分で弦を押さえるやり方。低音域と高音域のポジションを同時に押さえると、弦はフレットに密着するかたちになる。弦は引っ張られることで張力が増すけど、その状態はどんな定規よりも正確な直線になっているため、それをネックに押し付けることで、弦の直線に対してネックがどれだけ反っているかを比べる方法とのこと。


「ピッタリくっついてます」


 私は見たままの状態を伝える。弦を押さえると、弦とフレットが密着していることがわかる。


「じゃあそれは、弦の張力よりもネックの強度の方が勝っている状態だ。逆反り、ネックが山なりに反っている。その状態でローポジションを押さえて弾いてみればわかるけど、音が出ないかもしくはビリビリとしたノイズが混じるはずだよ」


 言われた通りローポジション低音域を押さえて弦を鳴らしてみると、確かにギターの音とともにビリビリとした雑音が混じっていた。


「そのビリビリは、ネックが山なりに反っているから、ローポジションを弾いたときに弦の振幅が反りの頂点に接触して発生しているんだ。ネックの反りの最大の弊害は、そのノイズにある」


「それってどうやって直すんですか?」


 私と一緒にギターを見つめていた陽菜さんが続けて質問する。


「エレキギターならネックの中にトラスロッドって呼ばれている鉄の棒が入っているんだ。そのトラスロッドをレンチで回すことによって、ネック内部でトラスロッドが動き反りを矯正する仕組みになっている」


 ギターには、ヘッド部かもしくはネックの下の部分にレンチで回す機構がある。この部分を回して締めたり緩めたりすることで、内部からネックを動かして反りを直すことになる。


 今回私たちが作ったギターは、ヘッド部に六角レンチで回す部品が取り付けられている。現在ネックが山なりに反っているので、早速トラスロッドを回して反りを直すことに。


 反り自体は結構簡単に直せた。なにせレンチでトラスロッドを回すだけだったから。長谷川さん曰く、反りの調整は正確に反りの状態を把握できないとできないが、ネックの反りの見方さえわかれば素人でもできるようになるとのこと。


 今日の作業は本当に勉強になる内容だった。家に帰ったら自分のベースでちょっと具合を見てみることにしようかな。そんなことを私は密かに思いつつも、作業は次のステップに移る。




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