第26話 双子の本音(2)
「……詳しくって、何?」
望の部屋にて向かい合う私たち。沈んだ表情の望を見つめながら、私は問う。
「私が望んだ望って何?」
触れられたくないところに触れたかのように、望の身体がビクッと小さく震えた。
「……昔の話だけど」
そして目を伏せ、乱暴に払われた手を反対の手でさすりながら、ぽつぽつと語り出す。
「確かに私がバラエティ番組に出たあと、あの企画がトラウマになってギターに触れることすらできなくなった。親切だった大人は、まるでゴミを見るみたいな目をして、番組を見てくれていた同級生も、好奇心からか無邪気で無自覚に人の心を踏みにじった。ギターで挫折した以上に、周囲の態度の変容が一番きつかった。今まで生きてきた中で、あのときが最もつらい時期だった」
望のトラウマの根幹。あの番組企画だけなら、それはただの小さな挫折になっただろう。その悔しさをばねにして、更なる高みへと行けたかもしれない。でもそうならなかった。周りの人間の反応が、望のトラウマを引き延ばし大きくしてしまった。そしてそれは望にとって致命傷にまで発展した。
その過去は、私が認識している過去と変わりない。ここに違和感はない。
「そんな地獄のような時期に、朔だけが手を差し伸べてくれた。どんなことがあっても私の味方でいてくれた。そのことが、私にとってたまらなく嬉しかった」
望はそう言ってから、私の身体に視線を向け、そして二の腕を触ってきた。
「逞しい腕。ねぇ、覚えている? あの時期、しつこく茶化されてたあのとき、男子がエスカレートして私をいじめようとしたときのこと。怯える私を庇うように朔が間に入って、いじめっ子を追い払ったことを」
「……覚えてない」
そんなことがあったかどうかはわからない。あったのかなかったのか断定できないのは、さすがに小学校低学年の頃の記憶なんて薄らいでしまっているから。それにきっと、もし望の言う思い出が事実だったとしても、当時の私は望を守ることが精一杯で深く考えている余裕はなかったと思う。だからこそ瞬発的な感情は維持されず、記憶にも残らなかったのだろう。
「朔がトレーニングするようになったきっかけよ。もしまた私がいじめられても返り討ちできるように、って。それで実際男子を返り討ちにしちゃうんだから、すごいものだよ。覚えてない?」
「そう、だったかな?」
私は曖昧に返事するだけだった。確かに私は、軽度に筋トレする趣味はあるけど、でもそれはこれまでなんとなく続けてきたものであって、私自身明確な目的もなかった。ただそれは今の話。途中で目的を失っていただけで、当初の目的は望が語る通りなのだろう。記憶にはないけど、でも望の語ことは納得ができる。
「心がズタズタになっていた私にとって、朔はまさに救世主だった。あの頃の朔は格好よかったな……」
「……今は格好よくない言い方だね」
「今の朔は素敵よ。心を奪われるほどに」
望は言いながら、私の身体を撫で続ける。その手つきが妙にいやらしく、こそばゆくて身体が縮こまってしまう。不快ではないけど、奇妙な気持ち悪さがあってなんかいや。まあ、気にするほどのものでもないけど。
望は人の身体を撫でながら続ける。
「朔に守られるのが心地よくて、他のことがどうでもよくなったの。どんなに嫌なことがあっても、朔さえいれば私は救われる。そう思えるようになってから、私の心は軽くなった。私の世界の中心に朔という存在を据えることで、私は生きる力を得られる」
望はふと、部屋の隅に視線を逸らした。つられて私もその方を振り向くと、そこにはスタンドにかけられた望の愛機、派手に木の杢が出たハイエンドギターがそこにあった。
「またギターが弾けるようになったのもそう。最初は怖くて見るのも嫌だったけど、この恐怖を心の中の朔が打ち破ってくれるって考えるようになってから、ギターに触れることができるようになった。触れてしまえばもう水を得た魚のように、夢中でギターを弾いてしまったわ。音の感覚も楽しさも、すべてが蘇ってきた」
「私の存在が、望のトラウマを打ち破ったんだね」
今までは、勝手に折り合いをつけてトラウマを克服したと理解していたけど、でもそのトラウマを乗り越えた起因が私にあるのなら、それはとても嬉しいことだった。
「だから私は、朔に守られる私を維持しようとしたの」
私の中に湧き上がっていた幸福感が、ふと途切れた。話の雲行きが怪しくなった。私は素の表情となり、正面の望を見つめる。望は何かに酔っているかのような、少しにやけた表情をしていて、それがまた不穏な気配を漂わせている。
「どういう、こと?」
「だって、私にとっての救世主は、あの出来事があってから現れたから。私が酷く傷ついたからこそ、朔は頼もしくなったから。朔はもう私の支えなの。だから朔がずっと私の傍にいてくれるように、私は傷ついた私じゃなきゃいけないの」
「望、何を言って……」
抵抗するように私は言ってみるも、その瞬間に望は私の両腕を掴んできた。拘束してきた望の手は、決して私を離さないと訴えているかのよう。
「だってそうでしょ。トラウマを克服してしまえば、もう一人で大丈夫だと判断されて、朔とは今までの距離ではいられないでしょ。どうやったって距離が離れるでしょ。だから私は、トラウマを克服したことを悟られないようにしてきた。でもいつまでも心配させていると朔が気に病んでしまうと思ったから、適度にトラウマを克服したように見せかけたの。そうやって、程よく傷ついている私を演出して、自然に朔を私に縫い付けたの」
そうか、と腑に落ちるところがあった。
それはマリ先輩が抱いた違和感。マリ先輩には、望は中途半端にトラウマを克服したと映っていた。でもそれは的確だったのかもしれない。だって望はそう見えるように演技をしていたのだから。
それに、マリ先輩が抱いた違和感のきっかけも、納得ができるかもしれない。
「望が学校で孤立しているのは、もしかして私の影響なの? 望に交友関係ができれば、私は安心してしまうとでも考えたの?」
望は目を合わせてくれなかったが、それでも小さく頷いた。
「朔以外の人と仲良くなれば、その人のスペース分朔が遠くなってしまうと思ったから。それは私としてもそうだし、朔としてもそう」
そして望はか細い声で答えてくれた。
確かに望は、第二軽音楽部の面々と接するとき、どこか困惑した態度を浮かべていた。それについて、私は親しい関係に不慣れなだけと解釈していて、一方マリ先輩は私に遠慮していると解釈していた。どちらの解釈も正解ではないけど、どちらかといえばマリ先輩の方が正解に近かった。
あれは私以外の人と仲良くなることに怯えていたのだ。他人と仲良くなってしまえば、その分私が離れてしまうと思っていたから。
望は足掻いてでも、救世主としての私と離れたくなかったみたい。
でも、それって。
「あのさ、話を聞いて思ったこと言うね」
私はまっすぐ望の目を見つめようとする。でも望は抗うように顔を逸らしたので、私は両手で望の頬を挟み、強引に私の方を向けさせた。
じっくり見つめ合ってから、言い放つ。
「それってさ、望が勝手に抱いた願望でしょ。私が聞きたかったのは、私が望んだ望の姿についてなんだけど」
最初にそう切り出したはずだった。でもどう考えても私が望んだ望ではない。どちらかといえば、望本人が望んだ望の姿。決して私ではない。
千明先輩は言っていた。大切な人が思っている通りの大切な人とは限らない、と。確かにその通りだった。
望は密かに、私に守られるよう振る舞いを演じてきた。そのことは正直ショックだった。
でも、ならば、望が思っている私という人物も、明確な祖語が生じている。
望にとって私とは、すなわちトラウマを乗り越えさせた救世主であって、その加護に溺れていたいというもの。でもそれは、私の意に反する私の姿。
私が望んでいたのは、私に守られる望ではなく、才能を知らしめて輝く望の姿である。
私も大切な人の本性を察することができなかった。でも望も、私の本心を汲み取ることができていなかった。しかも挙句には真逆な理想像を勝手に作り上げているという、始末に負えない状況。そう理解が進むと、段々イライラとしてきた。
「……違う。そうじゃないでしょ朔!」
望は若干涙目になっているが、声はむしろ私を責めるような勢いがあって、私は思わず怯んでしまった。そのまま、望の両頬から手を離してしまう。私は望に両腕を掴まれたまま、真正面から言葉を浴びる。
「朔はさ、私が番組で取り上げられていたとき、私のことを妬んでいたでしょ。私がテレビでギターを弾けば弾くほど朔の表情は消えていって、最後の方は睨みつけていたでしょ。昔の私は、私がうまくギターを弾ければ朔が笑顔になるって信じて弾いてきた。それはダメになったけど、でもダメになったあとの方が朔は親切にしてくれた。傍にいてくれた。だから私は思ったの。朔が望んでいる私は、ギターを弾いている私じゃないって。時間が経つにつれて、そう思わざるを得なかったのよ。それであのときの朔の態度に説明がついてしまうのよ!」
私はあのとき、そんな表情をして望のことを見ていたの?
いいえ、違う!
「私は、私にとって望は、憧れだったのよ! 眩しいくらいに輝いていて、それを目に焼き付けたくて、必死で、真剣に、望のことを見ていたの! だから私は、私の一番の願いは、またあの頃のように輝いて演奏する望の姿が見たいことなのよ!」
私は言い返しながら、肌にめり込む望の指に反発するかのように、二の腕に力を込めて望の指を押しのけた。残念ながら筋肉で負けるとは思っていない。
そうしてお互い感情的になったものの、数拍の間ののちに冷静になり、身体の力が緩んでいく。望の手も、流れ落ちるように私の腕をなぞってから離れる。
私も望も、拍子抜けしたような間抜けな表情をしている。
ようやく気がついた。私たちは双子の姉妹であり、いつどんなときでも一緒にいたからこそ、お互い以心伝心する間柄だと思っていた。
でもそれは錯覚でしかなかった。お互い勝手に忖度し合って、ずっと噛み合っていなかった。それはいつの間にかというレベルの話ではない。最初から。無邪気に楽器と戯れていた幼少の頃から、すでに私たちは噛み合っていなかったことになる。噛み合わないまま成長して、十年間自分が勝手に抱いた相手のイメージに一喜一憂していたのが、私たちだ。
私も望も、相手のことなんて何も知らないじゃないか。
大切な人が、自分が思っている通りの大切な人とは限らない。
千明先輩が言ったこの言葉は、本当に大切な人と本音でわかり合えた今だからこそ、余計に響いてくる。
近くにいればいるほど、見えなくなるものがある。
絶対的な信頼とは、絶対的ななにかを見失ってしまうことでもあって、その失った部分を無責任な虚像で埋めてしまい、結果歪めてしまう。
信頼とは盲目的である。だからこそ、より一層歩み寄る必要があるのかもしれない。
私は望に近寄り、きつく抱きしめる。
「離さな。絶対に離さない。私は望の傍にいる。安心して。だから望も、もうトラウマに囚われないで」
望を抱きしめながら、頬に涙が伝っていく。
「私も望が望む通りずっと傍にいるから、望も、私の望む通りに輝いて。またあの惚れ惚れする演奏を、私に見せて」
「うん。わかった」
望は返事しながら私の背中に手をもっていき、抱きしめ返す。その返事が湿っぽく震えていたことに気がつき、望も私同様涙を流していることを知った。
「じゃあさ、まず始めに――」
わかり合い、新しい自分たちになったところで、私は初めの一歩として一つの提案をしてみた。
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