第23話 フレット処理
相手のことがわからないのなら、わからないなりに直接聞けばいい。
大切な人が、自分が思っている通りの大切な人とは限らない。
ありがたくも素晴らしいアドバイスをいただけた。ただそのアドバイスをしてくれたのが、頑張って不良を演じようとしている可愛い先輩こと千明先輩だったので、なんとなく癪に障った。多分不良特有の人情みたいなのに憧れてらしくもないことを言ったのかもしれないけど、でも受け手の気持ちはどうあれ、言っていることは正しい。
もっとまともな人が言えば信憑性が増すだろうなと思わなくもないけど、でも言葉の価値をその内容ではなく言った人で判断するのは、なんだか違うような気がした。せっかくありがたい言葉をいただいたのだから、その部分は履き違えないようしっかり心に刻みつける。千明先輩は正論を言った。
時間を作って、ちゃんと望と話そう。
双子の姉妹だからといって何もかもわかるわけではないのだから、しっかり向き合わなきゃ。
ただ学校にいる間は無理かな。人が多いし、なにより授業があるし。そのため学校が終わってからにしようと思うけど、でも放課後は例のギター製作があって結局向き合うタイミングはなかった。
今日もギター製作。作業に集中しましょう。集中している間は気が晴れるしね。
塗装を終えればあとは組み込むだけとのこと。でも組み込む前に行っておいた方が効率の面でやりやすい作業があるらしいので、塗装作業を終えた翌日、いつも通り長谷川さん宅の駐車スペースに集合していた。
「今回やるのはフレット関係の処理だ。別に組み込んでからでもできるけど、ヤスリを扱う作業だから、余計な傷をつけないためにもボディとネックをくっつける前に済ませた方がいい」
長谷川さんはそう言いつつ、折り畳み式のテーブルを広げ、タオル生地の布を被せている。そして敷いた布の上に、スノーホワイトに塗装されたネックを寝かせた。塗装前に貼ったマスキングテープはすでに剥がされている。
「フレット処理には大きく二つの作業がある。一つはフレットのすり合わせ。もう一つがフレットサイドの処理だ。どちらもギターの演奏性に関わる重要な作業だよ」
フレットは指板に打ち込まれている棒状の金属のこと。弦を押さえたとき、弦がこのフレットに密着することで、そのフレットが新たな支点となり弦長が短くなる。弦が短くなれば音程が高くなるというのが弦楽器の仕組み。
ギターのフレットは半音間隔で打ち込まれており、十二本のフレットで1オクターブ分となる。私たちが製作しているギターは二十二本と、一般的なエレキギターのフレット本数となっているので、一本の弦で2オクターブより一音分少ない程度の音階があることになる。ちなみにギターは音程の異なる弦が六本あるため、最大4オクターブほどの音を出すことが可能である。
「フレットが打たれている弦楽器の最大の欠点は、フレットの背の高さによっては音が出なくなることだ。弦を押さえたときに、弦振動の振れ幅に他のフレットが接触すると、ビリビリとしたノイズが出てしまう。これは押さえたフレットより他のフレットの方が高いのが原因。さらに状態が悪ければ、音が詰まって全く音が出ないこともある。そういった症状を防ぐためにも、予めフレットの背の高さを均一に揃えて上げる必要があって、それがフレットのすり合わせって工程なんだ」
「じゃあ、フレットがなければ別にしなくていい作業ってこと?」
千明先輩が素朴な質問をする。
「その通り。でもヴァイオリンみたいなフレットレスの弦楽器は、フレットがないため音程のポジションをピンポイントで押さえなければならない。それは容易なことではなく、そこがヴァイオリンとかのフレットレス弦楽器の演奏難易度を上げている。ギターは誰でもちゃんとした音程の音を出せるからこそ、長年ポピュラーミュージックで使われているのだよ。まあその分、調整面ではシビアになってしまうけどね」
私もベーシストの端くれとしてウッドベース――コントラバスのこと――に触れたことがあるけど、音の位置は何となくわかるものの、正確な音程を出すのが難しかった思い出がある。それだけフレットの存在は、演奏の簡略化に貢献している。
「ネックがねじれていたり波打っていたりするときは、フレットのすり合わせで帳尻を合わせてしまうこともある。けどこのネックは割といい感じに真っすぐだから、単純に隣同士のフレットの高さを合わせるだけで十分かな」
すり合わせというだけに、平らな当て木に紙ヤスリを巻きつけ、まさに擦り合わせるかのようにフレットを削っていく。一回だけ長谷川さんが実演してくれ、そのあと作業を真似てみる。ちなみに今日作業するのは、昨日の水研ぎとバフ作業をさぼった晴美先輩である。
「結構ヤスリ当たってないな……」
一見均一に打たれているかのように思えるフレットも、場所によっては背が低くなっている箇所もあり、意外と苦戦している様子。
「ハンマーで手作業によるフレット打ち込みもそうだし、機械で圧力をかけて打ち込む方法にしろ、木材の個体差で場所によって硬さが異なるから、どうやっても打ちむらが発生してしまう。まあ打ちむらがないようシビアに作業すればいいけど、それはそれで時間と技術力が必要になるけどな。安いギターとかだと、絶対適当に打ち込んですり合わせしてないだろってものが多い」
晴美先輩の作業の様子を、私たちは玄関先に座って眺める。途中、「弦の通り道をイメージしながら削って」や「力を加えるとネックがたわむから、添えるようにヤスリを当てて」などといったアドバイス受けている晴美先輩は、額に汗をにじませながら作業に没頭している。
「うん、こんなもんでしょう」
そうして一通りすり合わせをし、すべてのフレットにヤスリ傷がついたところで、長谷川さんのチェックをクリアした。
次いでフレットサイドの処理。
「お前はギタリストだからわかると思うけど、このネックでちょっとスライドしてみてくれ」
「ヘイ」
フレットサイドの処理を行うのは、晴美先輩と同様昨日の作業をさぼった千明先輩。千明先輩はネックを受け取り、長谷川さんに言われた通りにスライドを試みる。スライドとはスライド奏法のことで、押弦したまま指を滑らせることにより、音を出しながらなめらかに音程を変えるテクニック。千明先輩はネックを握り、そのまま手を滑らせて仮想のスライド奏法をする。
「いったーッ! なんだこれ!?」
しかし手を動かした途端、千明先輩は叫び声を上げながら左手をネックから離して飛び上がった。
「手の皮が引き裂かれるかと思った……」
千明先輩は若干涙目になりながら、離した左手の手のひらを眺めている。その姿を見て、長谷川さんはニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「フレットは打ち込んだばかりだと角が尖っていて棘のようになっている。それだととてもじゃないが演奏できたものじゃない。そのため角を丸めて握っても大丈夫なように仕上げてあげる必要がある。それがサイドの処理だ」
「ア、アンタ、わかっててスライドさせたな。危うく怪我するところだったぞ」
「悪いか?」
痛みをこらえる千明先輩の訴えは、実に弱々しいものになっていた。それに対して長谷川さんは、ただただ不敵に笑うだけだった。長谷川さんって面倒見のいい大人の女性だけど、意外とSっ気があるみたい。
切断されたフレットの端はかまぼこ上になっており、この角になっている部分を鉄ヤスリで整えていく。千明先輩は手のひらの痛みが引いてから作業を始めた。
「お前下手くそだな」
「う、うるさいわ!」
作業の様子を横から覗き込んだ長谷川さんが茶々を入れ、千明先輩が鉄ヤスリを握りながら反発した。
「もっとこう、初代新幹線みたいな形状にできないのかよ」
「いや無理でしょ! 棒状のものをそんなに丸くできねぇよッ」
初代新幹線がどういうものなのかがわからなかったので、ジャージのポケットからスマホを取り出して検索してみた。なるほど、確かに丸みを帯びた形状だ。
でもこの感じ、確かに私や望が持っているハイエンドなギターやベースのフレットの端は、どことなく初代新幹線みたいな丸い形状に仕上げられている。
「高価なギターは、フレット周りの精度を突き詰めているのがほとんどだ」
「そうなんですか?」
長谷川さんの言葉に、望が反応した。楽器のことに関しては特別興味津々であるところは、私の知っている望そのままだった。
「高価な楽器は、希少な材や上質なパーツを使っているというコスト面によるものもあるが、一番の要因はやはり職人の腕だろう。そして技術力が顕著に表れるのがフレット周りってことよ。すり合わせの精度とかサイドの処理の仕方など、フレットの仕上げ具合を見れば、そのギターのクオリティがわかってくる。いいギターは音が詰まることなく綺麗な音が出て、触り心地も滑らかだ」
「いい楽器って、音がいいもののことだと思ってました」
「まああくまで楽器だから、そこが一番重要なのは変わらないよ。でも音がいいというのはどうあがいても主観でしかない。弾く本人、聴く人が音を気に入れば、その時点でその楽器はいい音のする楽器だ。そこに値段が高いも安いも関係ない。楽器は、必ずしも値段とクオリティとサウンドが合致するわけではないのだよ。安くて粗悪なものでも音がいいものもある。値段が高くてクオリティもいいけど音が気に入らないものもある。だからこそ楽器は奥が深い。何をもっていい楽器と定義するかによって、楽器の価値が変わるからね」
長谷川さんの見解に、私は感銘を受けた。隣にいる望も固定概念が覆ったかのような驚きの表情をしている。また一つ勉強になった。
そうこうしている間に、千明先輩の作業は進んでいた。拙くとても初代新幹線のような丸い形状ではないものの、フレットサイドの角は確かに取れている。
最終的な仕上げとして、晴美先輩が行ったすり合わせによって平らになってしまったフレットを削って丸め、千明先輩が行ったフレットサイド部分もあわせて研磨し傷を細かくしていく。仕上がりが粗いと演奏したときにザラザラした感触になってしまうとのことで、かなり細かい番手までヤスリ掛けをした。
すり合わせの精度の結果は、実際に弦を張ってみないとわからないけど、長谷川さんとしては「大丈夫だろう」とのこと。フレットサイドの処理に関しては触れば結果はわかる。
「おお! スゲェ滑らか!」
先程痛い思いをした千明先輩が、自分で削って磨いたフレットを触って感動している。仮のスライド奏法をしても痛くない様子なので、作業自体は拙くても目的は成功したみたい。
「なんかこれ、スゲェいい楽器になりそう」
千明先輩は屈託のない笑みを浮かべながら、擦るかのようにネックを握った手を上下に動かしていた。
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