第22話 わからない本心


 塗装の仕上げについては作業に集中することができたので、作業中は雑念から解放されていた。しかし作業が終われば再び余計なことを考えてしまう。とくに渦中の人物が大切な人双子の妹なので、一緒に帰宅している間は若干気まずかったし、家に帰っても気軽に望の部屋を訪れることができなくなってしまった。こうなったのはマリ先輩から話を聞いた日からだけど、日に日に望に対して抱く妙な意識は増すばかりだった。


 望の様子はいたって普通、いつも通り。でもそのいつも通りを勘ぐってしまう。


 私の知らない望の一面。今まで気づきもしなかったその存在が、まるで亡霊のように私の意識にとり憑いてくる。そしてその亡霊の気配は、望と物理的な隔たりが生じている間が一番強く認識してしまう。


 そう、例えば学校。私と望は別のクラス。そのため基本的に日中は別行動となってしまう。当人がいないからこそ当人のことを考えてしまうし、悩んでしまう。


「はぁ……」


 私はたまらず深いため息を吐き出した。


 さすがにずっと気に病んでいるのはつらいので、私は気分転換として休み時間に購買部の自販機で飲み物を買い、そのまま自販機の傍にあるベンチに座り込む。しかし、こうして落ち着こうとすればするほど望のことを意識してしまう。


「人の本心ってわからないね……」


 私は半ば無意識に呟いてしまう。私に付き合って自販機までついてきた陽菜さんも、なんて反応すればいいのか見当がつかなかったのか、表情は微笑んでいるものの困り眉となっている。普段元気いっぱいな陽菜さんがこういう大人しい反応をしているということは、本当に反応に困っている証左かもしれない。


「あの、朔ちゃん、何かあった?」


 それでも陽菜さんは、私が何かに悩んでいることを察して相談に乗ろうとする。そういう優しい一面はとても好感が持てる。小さな手でパックジュースを抱え隣に座った彼女に、何もかも吐き出して楽になりたいという衝動にかられる。


 でも今抱えているモヤモヤを人に相談していいものなのだろうか? とりわけ今悩んでいることは望のトラウマに直結する悩みとなる。私が勝手に大切な人の本心がわからなくなっているのに、その解決としてその人の過去を明かしてしまうのは、どう考えても裏切り行為になると思う。だからこそ容易に相談できるものでもない。


「んー……なんて言えばいいのかな……」


 それでも、私は陽菜さんの厚意を無駄にしたくなくて、遠回しで抽象的でもいいから相談しようと思い、慎重に言葉を選ぶ。


 そうして数瞬の間をおいて再び口を開こうとしたとき、


「ん? 朔と陽菜じゃねぇか」


 唐突に私たちを呼ぶ声がした。その方を陽菜さんと二人揃って見やると、グラウンド方面から自販機に近づいてくる女子生徒が目に入った。


 千明先輩だった。


 体育の授業後らしく、千明先輩は体育着姿だった。ただ半袖のシャツは短いのに腕まくりをしてノースリーブ状となっており、穿いているジャージもまくって膝下丈にしている。確かによく晴れた五月の気温だから、暑くて少しでも涼しい恰好になりたいのはわかるけど、でもそれならもうジャージじゃなくて普通にハーフパンツでも穿けばいいのに。不良擬きとしてのおしゃれなのかしら?


「いやー疲れた。つーかあちぃー」


 千明先輩はいったん私たちの前を通り過ぎ、自販機に小銭を入れて飲み物を購入。ペットボトルのスポーツドリンクを手にして私たちが座るベンチの前までくる。様子を見るに、昨日のテストのショックからは立ち直っているらしい。一晩で立ち直るなんて、単純でいいな。


「二人とも何してんの?」


 ペットボトルのキャップを開けながら千明先輩が尋ねてくる。それに対して素直に「休憩中です」と答えようとしたところで、


「朔ちゃんのお悩み相談中です」


 と陽菜さんが包み隠すことなく明かしてしまった。


「なになになに? 男の話か? ってか朔の悩みってスゲェ気になるんだけど!」


 案の定千明先輩は嬉々として食いついてきた。先輩の性格上、私が悩んでいると知ったら面倒くさく絡んでくるだろうと予測ができたから、あまり事情を知られなくなかったんだけどなあ……。


「さあさあ、あたし話してみ」


 千明先輩はそう言いながらペットボトルを床に置き、胡坐をかいて座り込んでしまった。女の子が胡坐を、しかも敷物もない床にそのまま座るなんて、とてもはしたない。先輩は口と頭は残念だけど一応可愛い系を名乗れるほどの整った容姿をしているのだから、もう少し品格に気を使ってほしいな。もったいない。


 でも千明先輩は私の気持ちを察することはなく、胡坐をかいたまま前のめりになり、真正面から興味津々といったていで見つめてくる。


 これは何か話さないと解放してくれそうにないな……。


「なんと言いますか……、人の本心ってわからないんだなーって思ったんです」


 私は意図してぼかし、曖昧に相談してみる。広義的に捉えることができるから、答えも当然広義的で曖昧なものが返ってくるはず。そこから当てはまりそうな答えを選んで参考にすればいいので、その部分を期待してみる。


「なに? 望と喧嘩でもしたか?」

「ウグゥ!」

「え、望ちゃんとケンカしちゃったの?」


 しかし妙に勘が鋭いのか、千明先輩はおおよそではあるものの言い当ててしまった。核心をつかれてしまったので、私もつい反射的に呻いてしまう。


「あんなに仲いいのにどうしたの?」


 一緒のベンチに座る陽菜さんが心配そうな表情で見つめてくる。


「双子だから、あたしたちにはわかんない何かがあるんじゃね?」


 一方千明先輩は腕を組んで勝手に何かを納得していた。


「いやー、別に喧嘩しているわけじゃないんですけど、ただちょっと望が何を考えているのかわからなくなっちゃって……」


 込み入ったところは避け、表面的であり尚且つ直接的な悩みを打ち明ける。


「あ……ウン。仲いい友達でもたまにそういうことになっちゃうことあるよね!」


 陽菜さんは重たい空気を笑って誤魔化しながら共感してくれる。悩みを共感してもらえるのは気が軽くなるからありがたい。ただ、


「いやそれって、当たり前のことじゃね?」


 千明先輩だけは忌憚のない言い回しで答えた。


「だって姉妹だからっていっても、所詮他人だろ? 双子だったとしても変わらなくね?」


「ちょっと! 先輩!」


 しかしあまりにもストレート過ぎる言い方だったので、すぐさま陽菜さんが諫める。


 でも千明先輩は腑に落ちない表情を浮かべる。


「いやだって、そうだろ。いくら親しい関係でも相手の考えていることなんてこれっぽっちもわからねぇよ。いいか朔。どんな関係でも気持ちって言葉で言わなきゃ伝わらねぇんだ。言わなくてもわかる、言わなくてもわかってくれるなんて、そんなのは幻想だし、それでわかった気になるならそれはただの妄想だ。相手のことを勝手に察して勝手に本心を妄想して、それで自分の妄想が外れてたら何考えているのかわからないって、そりゃねぇだろ」


 千明先輩特有の乱暴な言い回しは、それだけに飾り気がなく、言葉が私の心に直撃してくる。否応なしに心が揺さぶられる。


「望のことがわからないってなら、直接望に聞けばいいだろ。お前は今何を考えている、ってね。聞けないなら勝手に抱いた妄想として早く忘れることだな」


「先輩! 朔ちゃんは先輩と違って品があって繊細なんです。それに女の子は複雑なんです! 男子みたいにいつも本音をぶつけ合えるわけじゃないんですからね!」


「いやそりゃそうだけどさ……つーか、あたしも女子だし! 百歩譲ってがさつなのは認めるけど、だからって男じゃねぇからな」


 陽菜さんは悩んでいる私を気遣ってか、乱暴なことを言う千明先輩に再度諫める。今度は語気強めに。その剣幕に先輩はおののいたのか、少し萎縮して答えていた。


 ただ先輩の忌憚ないアドバイスには刺さるものがあった。


 相手のことがわからないのなら、わからないなりに直接聞けばいいだけ。


 そのシンプルな答えは、いろいろと考えすぎてしまう私には出すことのできない明瞭な答えであった。


「まあ、あたしは馬鹿だからよ、何事も深く考えずにがむしゃらに突っ込むことしかできないけどよ。でもさ――」


 自分のことを馬鹿だという先輩。失礼かもしれないけど確かにその通りではある。でもその愚直なまでにシンプルで行動力のある千明先輩だからこそ持てるスタンスでもあった。私にはない、私とはまるで違う人物の見解に、正直羨ましいとさえ思えてしまう。


 千明先輩は珍しく年上らしい落ち着いた態度で続きを言う。


「――大切な人が、自分が思っている通りの大切な人とは限らないんだぜ。結局さ、相手のことを大切だと思っている部分ってのは、自分のフィルターを通したものであって、つまり自分の内側にしかないんだよ。相手のことが好きでも、その好きになった要素は自分自身の感覚でしかなくて、相手のことじゃない。相手の本性と自分の認識、その差をうまくすり合わせていくことが親密関係っていうんじゃないかな」


 そう言ってから、「そろそろ着替えねぇと次の授業間に合わんわ。じゃ」と捨て台詞を吐いてから立ち上がり、そのまま背を向けて歩き出してしまった。その後ろ姿を、私と陽菜さんは呆然と見つめることしかできなかった。


 なんだろう、千明先輩が格好良く見えてしまった。不覚にもあの小さい先輩に惚れそうになった。


 でもせっかく購入したスポーツドリンクを忘れて立ち去るあたり、締まりのない先輩だなと残念に思わざるを得ない。本当に、いろんな意味でもったいない先輩だな。



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