第20話 訝しむ乾燥期間


 テストを控え部の活動がなくなった今週、普段通り学校に通い授業を受ける。けど今日はいつもと違った。


 というのも、午前中の休み時間に、珍しくスマホに通知が来たから。


 私は教室の自分の席に座ったまま、スマホを操作して送られてきたメッセージを見る。送り主はまさかのマリ先輩。陽菜さんをはじめ晴美先輩や千明先輩など陽気な人たちから連絡が来ることは多々あるけど、比較的物静かで大人しいマリ先輩から連絡が来ることなんて滅多にない。


 そんな意外な人物からの連絡なので、一瞬内容を読むのを躊躇った。内容の想像がまるでできず、虚を衝かれたみたいで若干恐怖を感じた。


 でもとりあえず目を通さないことには何も始まらない。私は半ば反射的に眉をひそめながら送られてきた文章を読む。


『次の休み時間に購買の自販機前まで来て。一人で』


 なにこれ?


 それは短い文章だった。それ以上でもそれ以下でもない、ただの呼び出し。とくに女の子らしい装飾があるわけでもなく、淡々とした地味な文章である。


 しかし呼び出される理由の見当がつかないので、こちらとしては何がなんだかわからない。そのことに名状し難い気味悪さがある。しかも「一人で」って、なに? でも今すぐどうこうできることでもないので、私はただただ怪訝に思いつつもスマホをしまうことしかできなかった。


 そのまま次の授業を受け、そして例の休み時間がやってくる。私は指示された通りに、購買部の自販機に一人でやってきた。


「すみません。遅くなりました」


 マリ先輩はすでに来ていた。少し不思議ちゃんな感じの人だけど、一応先輩なので礼儀として謝った。


「気にしないで。急だったから」


 でもマリ先輩は気にしていないのか、小さく手を振って受け流す。


 学校にいるためか、今のマリ先輩は派手なギャルの装いではなく、黒髪に眼鏡という地味スタイル。普段は大胆に着崩している制服も、今はしっかり着こなしており、スカートの丈も長い。何気に校舎内でマリ先輩と会うのは初めてだったので、こっちの地味モードは逆に違和感があって気持ちが悪かった。


「あの、それで、用件はなんですか?」


 私はマリ先輩の違和感を無理やり我慢しながら、単刀直入に用件を聞いた。授業と授業の合間の休み時間は短いので、早く話を済ませて教室に戻らないと、お互い次の授業に間に合わなくなってしまう。テスト前なのでそれは非常に痛い。不意に呼び出された気味悪さもあるけど、私としては学業に支障が出る方が懸念だった。


「望さんのことよ。一人で来てって言ったのも、そういう意味」


 瞬間、私は警戒した。いきなり呼び出された不穏さや先輩の地味モードによる違和感、さらには次の授業の心配などが一瞬で吹き飛ばされてしまった。それほどまでにマリ先輩が口にした言葉は衝撃的だった。


「……望が、どうかしましたか?」


 私は探りを入れるかのように、用心して話を促す。


「あまり人のことをこういう風に言うのは失礼かもしれないけど……でも言うね。望さんって、どこかおかしいよね」


 素の部分が上品なマリ先輩は、望のことを悪く言わないよう気を使ったみたいだけど、それでも割とストレートな言い回しだった。


「……どこがおかしいんですか?」


 私は、相手が上級生であることを忘れたかのように、自然と言葉に怒気を孕ませていた。こちらから言わせてもらえば、無理やりなイメチェンを受け入れ今に至るまでそれを突き通している先輩の方がおかしいと思う。この人はいきなり何を言い出すんだろう?


「……自覚、ないんだね」

「……先輩、喧嘩売ってます?」


 多分育ちがいい先輩のことだから、語弊があったとかなんとかで弁解するかと思ったけど、でも実際はさらに炎上させるかのように憐憫の情を向けてきた。そのことに苛立ちを覚えた私は、先輩相手に思わず棘のある言葉で反抗してしまう。


 望のことを悪く言う奴は、私が許さない。


「そういうわけではないけど、でもね、望さんのことを見ていると違和感を覚えるの。そしてその違和感が確信に変わったのが先週」


「先週、ですか……」


 望に違和感がある。そう言われ、私は先週の出来事を思い返してみた。先週は製作しているギターの着色やトップコートを塗布した以外に、とくに珍しいことなど起きていないと思うけど……。姉妹である私が認識できないのだから、その違和感は気のせいではなかろうか。


 先週のことを思い出そうとしている私に痺れを切らしたのかどうかは定かではないけど、考え込む私をよそに、


「先週の、先輩たちとのやり取りのことよ」


 とマリ先輩は明かした。マリ先輩にとっての先輩なので、該当者は晴美先輩と千明先輩である。


「何か変なことありましたか?」


 確かに望がギターに着色をしたあと、晴美先輩と千明先輩に絡まれていたけど、別に変なことはなかったと記憶している。精々、普段人付き合いに慣れていない望が、馴れ馴れしい先輩たちに困惑したくらいだろうか。


「休み時間で時間がないから率直に言うけど、望さん、朔さんに遠慮してない?」


「はい?」


 マリ先輩の発した言葉があまりにも突飛すぎて、私は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。いきなり何を言い出すのだろう? 私の中で先輩の不思議ちゃん度合が増していく。


「先週の望さんと先輩たちとのやり取りで、一瞬朔さんの方を見たでしょ」


「ええ」


 不意に先輩たちに挟まれ、困惑して私に助けを求めるかのような視線を望は投げかけてきた。そこは間違いない。


「その様子を見てね、望さんは朔さん以外の人と過度に仲良くなることを避けているかのように思えたの」


「過度に仲良くなることを避ける……。まあ、言い得て妙といいますか、確かに望は対人恐怖症みたいなところはあります。人にはいろいろとありますよ」


 その原因は間違いなく過去の出来事である。幼い頃のトラウマによって望は孤立したので、トラウマがぶり返すのを無意識に回避した結果ではなかろうか。ただそのことを伝えるのは躊躇われたので、曖昧にぼかした。


 しかしマリ先輩は「そういうことじゃないの」と、私の言葉を否定した。


「対人恐怖症なら反射的に人を避けてしまうと思うけど、でも望さんの様子を見ていると、意識して人を避けているようにとれるのよ」


「意識して、人を避ける……」


 マリ先輩が抱いた望の印象。私はそれを思案してみる。でもいまいちピンと来ない。姉妹である私の見解としては、やはり過去のトラウマ故に人を遠ざけているようにしか思えなかった。


「じゃあ聞くけど――」


 妹のことで考え込む私に手を差し伸べるかのように、マリ先輩は新たな方向から切り出してきた。


「――望さんはなぜ第二軽音楽部に入部したの?」


「なぜって、私に付き合って、ってことかな?」


 流れでそうなってしまったけど、でも私に依存している望としては、私が第二軽音楽部に入部したということが最大の入部動機だと思う。


「わたしはね、望さんが第二軽音楽部に入部したこと自体に疑問を持っているの。だって、望さんは、ギターに対して少なからずトラウマを抱えているでしょ」


「ん?」


 マリ先輩の言っていることに違和感を覚えたけど、しかし当のマリ先輩は私の反応を気にすることなく続ける。


「ギターに対してトラウマを抱えているのに、どうしてまたギターに関わっているの? そしてどうして自らギターに近づくようなことをしているの?」


「先輩、なに言って……」


 私は瞬間的に「もしかして!」と脳内がフラッシュした。マリ先輩の言い様は、とても嫌な予感がする。


「望さん、いえ、椎名望という女の子は、幼い頃バラエティ番組に出演していた子でしょ。十年前は頻繁に出演していた女の子が、ある日を境に出演しなくなった。それってあの番組の内容のせいでしょ。あの番組の企画が、望さんを傷つけた」


 確信した。マリ先輩は、昔の望を知っている!?


「どうして……知っているのですか?」


 私は絞り出すかのように、辛うじて疑問を口にすることができた。


「どうしてって、私は物覚えがいいから、昔のことでも割と覚えているタイプなの。でもそれだけじゃない。私たちの世代にとって望さんは、とても刺激的だったからよ。音楽や楽器のジャンルは異なっても、同じ演奏家だもの。影響は受けるわ」


 そういえばマリ先輩はもともとジャズドラムをやっていて、そこから短期間で今のスタイルに転向してしまうほどに、要領がよく物覚えがいい。そういう人は、ある意味では記憶力が柔軟で優れていると思う。だからこそ昔のことも覚えていられる。それに加えて鮮烈な影響力があった人物なら、十年経った今でも覚えていてもおかしくはない。


「……知っていたのですね」


 私は降参したみたいに、力が抜けた頼りない呟きを漏らした。その呟きに、マリ先輩は無言で頷く。


「当時のわたしも、あの放送を見てショックを受けたわ。わたしたちの憧れのヒーローが、あんな醜態を晒すなんて思わなかったもん。でも今だからこそわかるけど、その醜態を作り出したのは周りの大人たちであって、望さんに落ち度はなかった。年齢を考えれば当然のことだよ。ただそれでも、本人にとっては耐え難い屈辱だったでしょう」


「……はい。望は、あの番組の企画がきっかけでトラウマを抱え、しばらくギターが弾けなくなったんです」


 今でも思う。あの出来事がなければ、今頃望はどんなギターヒーローになっていたかと。


「しばらく?」


 私はあり得たかもしれない未来を夢想するが、しかしマリ先輩は私が発した言葉を訝しんだ。


「しばらくってことは、今はもうギター弾いているの?」


「え? ええ。家で、一人自分の部屋で弾いてますよ」


 私は聞かれた通りに答えるも、マリ先輩は口元に手を当てて考え込んでしまった。


「……段々とわかってきたかも」


「なにが、ですか?」


「最初はなんとなくの違和感でしかなかったけど、先週の先輩たちのやり取りで違和感の存在を確信して、そして今朔さんと話してその違和感の正体がつかめたかも」


 マリ先輩はそこまで言ってから、ふと思案によって下がっていた視線を上げ、真面目な表情で私のことを見つめてくる。


「過去のトラウマでギターが弾けなくなったことは納得ができる。でも今は一人で弾いている。その上第二軽音楽部の活動に中途半端に参加している。それも過度に深い関係にならないよう意図して人を遠ざけながら。それって変じゃない」


「いやでも、それはトラウマをある程度克服したからじゃないですか?」


「ならもっと堂々としていていいと思う。トラウマを跳ねのけるだけの勇気があったのなら、あとは自信を取り戻して徐々に昔みたいに活発になればいいだけだよ。逆に今もトラウマに苦しんでいるのなら、そもそもギターなんて見たくもないはずだから音楽に関わろうとしないはず。でも望さんの場合は、中途半端にトラウマを脱して、いつまでも同じ個所で足踏みしているだけ。わたしが覚えた違和感の正体が、まさにそれなのよ」


 マリ先輩の見解に私は納得しそうになった。今までは表面上の心の傷が癒えただけだと思っていたけど、マリ先輩に言わせてみれば何もかもが中途半端だという。そう言われるとそうだと思えなくもないけど、でも容易にその見解を受け入れられるものでもない。今までずっと当たり前だと思っていた考えが実は違っていましたなんてことは、素直に飲み込むことは不可能である。


「そして朔さんに遠慮するかのような態度。多分ね、望さんには朔さんが知らない一面があって、その部分が今の望さんを形作っているのだと思うの」


 私が知らない望の一面。


「せ、先輩になにがわかるっていうんですか!?」


 でも私としては、そんな望の一面を認めるわけにはいかなかった。だって双子の姉妹としてずっと一緒にいたんだもん。番組企画によって望が絶望に叩き落されたときだって、私だけが望の傍にいたのだ。他の誰でもない私が、ずっと望を支え続けてきた。だからこそ望も私に依存するようになった。なのに私が知らない一面があるなんて、そんなのあり得ない!


「確かに、わたしはなにもわからない。でもわからないからこそ、わかることもあるのよ」


「……言っている意味がわかりません」


「簡単なことよ。わたしは出会ってから日が浅いけど、それ故客観的に相手を見ることができる。一方朔さんはずっと一緒にいたからこそ見えなくなってしまった部分があると思うの。わたしと朔さんとでは、望さんという人物の見え方が違っているということよ。灯台下暗し、とでもいえばわかりやすいかしら」


 そこまで言われて私は気がつかされた。確かにそういう見方をすれば、私の知らない望の一面があってもおかしくはない。というか、そう思えてしまった途端、私は望という人物がわからなくなってしまった。


 望は皆に取り囲まれたとき、困惑した表情をしていた。ずっと望の傍にいた私はその表情の意味を、距離の近い関係に不慣れである故に助けを求めている、と捉えていた。一方出会って一ヵ月そこそこのマリ先輩は、望は私に対して遠慮していて過度に親密になることを避けている、と捉えていた。


 たった一人の人物を見ているはずなのに、見る人によって全然違う見え方となる。では一体本当の姿はどっち?


 望。今あなたは何を考えているの? 何を思っているの?


「もうそろそろ休み時間が終わるからこれで最後にするけど、今の望さんって、?」


 最後にマリ先輩は控えめに口にしたけど、それは私にとっては顔面を殴られたくらい衝撃的な言葉だった。少し前の私なら一蹴していたと思うけど、望のことがわからなくなっている今では、その言葉を否定できるだけの自信がなくなっていた。


 望、あなたは一体……。



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