第19話 トップコート
白色を着色してから三十分ほど経過したころ、長谷川さんがホームセンターの袋から取り出したスプレー缶を振りながら現れた。塗料スプレー缶の中に入っている攪拌玉によるカラカラという音が小気味よい。
そう、陽菜さんのリクエストはまだ達成されていない。陽菜さんのリクエストは、ラメの入ったホワイト。これからラメを塗装していく。
透明なラッカー塗料に微細の粒子が混ざっており、これが光を反射することでキラキラとした輝きを放つ。
「今度は私がやります」
着色は望がやったのだから、望のあとを引き継ぐのは私。私は純粋に、望が色を付けたギターに輝きを持たせたかった。
防毒マスクを受け取り装着した私は、これまでと同じ感覚で塗装をする。
「どうですか?」
無色透明だったこれまでの塗装とは違い、ラメの入った塗料の勝手がわからなかった。ネックを持ちヘッドの側面に塗料を吹き付けてから、長谷川さんに確認をしてみる。
「んー……なんかラメの量が少ないね」
「確かに……」
ラメなんてネイルくらいしかわからないけど、でも今吹き付けたラメはキラキラというよりはチラチラというか、微かに煌めいているような気がする程度だった。
「ラッカー塗料としての粘度を維持するためにラメの量が少ないのかな? ちょっと貸して」
長谷川さんは推測し、自分で確かめようとする。私はただ黙って言われた通りにネックとスプレー缶を手渡した。
「……やっぱりラメの量が少ないね。だけど厚く乗せようとすると垂れるなコレ。それに粒が粗いから塗料の吹きむらが目立つな。複数回に分けて様子見ながらしなきゃダメだ」
マスクをせず部分的に塗装した長谷川さんは、日の光を当てて塗料の乗り具合を見る。やはり噴射されるラメが少なく、職人の長谷川さんが塗装しても満足のいく輝きは得られなかった。
「ちょっとラメに関しては私が塗装してみるよ。経験則でなるべく厚く塗装してみる」
そう言って長谷川さんは私に防毒マスクを渡すよう手を差し伸べてきた。私はマスクを外して渡す。そのマスクを装着した長谷川さんはそのままラメ塗装を始める。
さすが本職の職人さんだけあって、長谷川さんは短時間で層の厚い塗装を終わらせてしまった。ハンガーラックに吊るされ乾燥しているギターを、第二軽音楽部の面々が心配そうに見つめる。やっぱり一回だけではそこまでキラキラした感じにはならなかった。塩を一つまみ振りかけたかのように、白いギターの所々だけ光が反射しているのみ。
結局、日が落ちる間際になってもう一回ラメを塗布する。二回目のラメ塗装でも先程よりも煌めき感が気持ち増した程度で、そこまで大きくは変わっていない。
「なに、明日の昼間、仕事の合間を縫って塗装してみるさ。学校終わってこっち来る頃には、もっとキラキラしているだろうよ。だから今日はもう帰りな。今日はもう遅いから」
空を見上げれば、空の端にわずかばかり茜色を残すだけで、ほぼ群青色に支配されていた。東の方角なんかはもうほぼ真っ黒になっている。
私たちは自作ギターの完成に一抹の不安を抱きながら解散した。
翌日の放課後、長谷川さんのお宅に行ってみると、
「おおー!」
そこには大量のラメが付着した白いギターが吊るされていた。これでもかというくらいに光を反射してキラキラ煌めいていて、一目みた途端第二軽音楽部のメンバーは感嘆の声をあげた。
まるで、夜間に降り積もった雪が朝日に照らされて輝いているかのような、そんな白色に仕上がっている。
「すごいよすごいよ朔ちゃんッ!」
色をリクエストした本人である陽菜さんは、私の隣で興奮していた。昨日一回だけじゃあ全然キラキラしなかったのに、一体何回吹き付けたらこのような仕上がりになるのだろう? 昨日の状態から一回や二回塗装しただけではこうはならないと思うけど。
「お忙しいのに申し訳ないです」
「いいよ気にするな。それに私自身もやってて楽しかったし。いい息抜きになったよ」
晴美先輩は謝意を伝えるけど、長谷川さんは気さくに答えるだけだった。こちらとしても本当にありがとうございます。
「さて、続きやりますよ。ほらほら動いた動いた」
長谷川さんは雑に促す。私たちは二階の試奏室にて制服からジャージに着替え、玄関を出て家の前に集合する。
「外見の仕上げはまだまたかかるけど、でも塗料を吹き付けるのはこれが最後になる。最後はトップコートを吹きかけて着色層の保護をする」
そう言って長谷川さんがホームセンターの袋から取り出したのは、透明なラッカー塗料のスプレー缶だった。でも取り出したのはスプレー缶一本だけではない。何本も何本も全く同じ銘柄のスプレー缶を取り出してはコンクリートの地面に置いていく。
「え? これ何回塗装するんっスか?」
千明先輩が不安で表情を曇らせながら尋ねる。
「そうだね、君たちが順番に塗装して、二周くらいしたら十分じゃないかな。トップコートの後に磨くから、その研磨分の層を考えるとそのくらい厚く塗装しなきゃね」
抑揚なく長谷川さんが答える。しかし私としては、回数よりもそのあとに研磨作業が控えていることの方が憂鬱だった。また磨かなきゃならないのね……。サンディングシーラー後の研磨作業の悪夢が蘇る。
トップコートの塗装自体はさして特筆すべきところはなかった。これまでの、サンディングシーラーと同じ要領で塗装をするだけ。白く煌めくギターに透明の塗料を吹きかけていくだけであり、もう塗装の方法に慣れてしまった私たちとしては苦ではなかった。以前ビビっていた千明先輩やあんなに怯えていた陽菜さんも、塗装の勝手がわかったのか今回は取り乱すことなく塗装を終えた。
案の定というべきか、私たちの中で一番上手くトップコートを吹きかけたのは望だった。やっぱり望は何をやらせても天才的ですごい。その様はついつい見惚れてしまうほど。そして見惚れてしまったのは私以外にもいて、晴美先輩と千明先輩に加え陽菜さんまでもが望を取り囲み、労う意味で大はしゃぎしていた。ときどき助けを求めるかのように困惑した表情をこちらに向けてくるものの、でもその称賛は望一人で受け止めるべきだと私は思い、遠くから微笑み返すにとどめた。
放課後にギター製作をしている私たちによって、時間的に一日に塗装できる回数は三回程度。何度もトップコートを塗布する関係か乾燥期間として一週間以上時間を空けるのが好ましいとのことで、平日の残り三日間で塗装し、土曜日から塗料の乾燥期間に入り、再来週の月曜日から作業を再開させるというスケジュールとなった。トップコートの足りてない回数については、また長谷川さんが暇なときに塗装してくれるそうで、またしても迷惑をかけてしまうことを申し訳なく思いつつも謝意を伝えた。
この二週間ずっとギター製作をしていたので、不意に時間ができてしまうと何をしていいのかわからなくなる。
でも五月ももう半ばを過ぎていて、中間テストが差し迫っていた。高校生として部活動だけではなく学業にも気を配らなければならないため、このタイミングでの一週間の空白は正直ありがたかった。
というわけで、テスト前の部活動停止という建前の塗装乾燥期間に突入するのであった。
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