第18話 着色
サンディングシーラーの塗布が終わると、カレンダー的にちょうど土日を挟むこととなった。長谷川さん曰く、次の作業に向けての乾燥期間としてちょうどいいとのことで、私たちが苦労して塗装した製作キットのギターは、休み中長谷川さんの工房の塗装室内で保管されることに。
私はこの土日、久々に自分のベースを弾いた。ギター製作を始めて一週間、初めての作業によって毎日精神的に疲れて帰宅しているので、夜ベースを弾く余裕はなかった。まだ先だけど学園祭のライブのこともあるので、腕がなまらない程度に練習した。
週が明けて月曜日。ギター製作の再開である。この日は事前に教えられていた通り、着色に向けてのサンディングシーラーの研磨をする。基本生地調整のときと同じようにヤスリをかけていく。強いて作業内容の違いをあげるとしたら、今回は紙ヤスリの番手が前回よりも細かいという点。番手が粗すぎるとせっかく吹いた塗装が剥げてしまうらしい。
生地調整のときは木材特有の、少し黄みがかった粉塵が舞い上がったけど、今回は固まった塗料による白い粉塵で、色のせいか前回よりも煙たく感じられた。
スプレーによる塗装は、塗料が霧状に塗布される。そのため塗装面をよく見ると飛沫が集合して層になっており、うねりのような凹凸となっていた。この凹凸をなくすのが、着色前の研磨の目的らしい。
当て木に紙ヤスリを巻きつけて実際に磨いてみると、うねりや飛沫によってヤスリが当たっている場所とそうでない場所がはっきりとわかるようになった。なんというか、ヤスリが当たっている箇所はヤスリ傷によって表面が白く濁るのに対し、そうでない部分は透明なままである。全体的にヤスリをかけ、塗装面を白く濁らせていく。
「まだまだ甘いな。このあたりと、あとここもヤスリが当たってない」
分担して研磨しているときに、仕事の合間を縫って様子を見に来た長谷川さんに仕上がりを見てもらったけど、全然だめだった。ここで妥協すると色の乗り方に歪みが生じるとのことで、長谷川さんのチェックは生地調整のとき以上にシビアになっている。
長谷川さんに見せるたびに駄目だしされる。生地調整のときのように遊んでいる心の余裕はなく、ただひたすらに黙々と研磨作業を続ける。それは苦行でしかなかった。汗がにじむ中、なぜ私はこんなことをしているのだろう、と考えてしまう。途中集中力が途切れたタイミングで交代し、手が空いても何かする気分もなく、ただただ隅に座り込んでうなだれていた。私以外の面々もぐったりとした様子である。
その日は学校が終わってから日が暮れるまで、時間にして二時間少々ずっと跪いて研磨作業をしていた。着ていた学校のジャージは粉で真っ白になっている。研磨という単純作業でありながら、なかなかうまく仕上がらないそのジレンマに、肉体的にも精神的にも疲弊した。今までで一番つらい作業であり、もう二度と研磨作業はしたくないと思ってしまった。女三人寄れば姦しいという言葉はあるものの、女子高生六人もいるのに誰一人として言葉を発しなかったのは、きっと疲労のせいだろう。
ただ幸いにも、最後の最後で長谷川さんのチェックを通り、今日中に研磨作業を終えることができた。明日はいよいよ着色である。
「色、私がやってもいいですか?」
そして実際に着色する段階になって、唐突に望が言い出した。
「急にどうしたの?」
私は聞き返すも、内心としては嬉しかった。私もそうだけど望も積極性という言葉とは無縁な性格である。そのため自ら何かをしたいと言い出したときは、大抵本人に何かしらの心情の変化があったからというのが理由にある。望が自らやりたいと言い出したということは、望にとってこの楽器製作に何か興味が惹かれるものがあったからだろう。ギター作りをきっかけにできないかと考えていた私としては、これは朗報だった。
「いや別に。ただ、先週塗装してみて、案外楽しかったから、またやってみたいと思っただけだよ」
望は抑揚のない、平坦な口調で答えた。私は先輩たちが何か言い出す前に防毒マスクを望に手渡し、もう望が着色するという空気を作り出した。功を奏したのかどうかはわからないけど、幸い誰も異議を申す人はいなかった。
着色といっても、やり方はこれまでと変わらない。ネックもボディも、側面は形状に沿って吹き、面の部分はつづら折りに塗装していく。ただこれまでと違うのは、吹き付けられた塗料が色という要素によってはっきりと視認できるという部分だけ。
望が巧みにスプレー缶を動かし、味気ないギターが彩られていく。サンディングシーラーの層の中からうっすらと見える木目も、噴射される着色料によって塗りつぶされていく。陽菜さんがリクエストした、雪のように混じり気のない白。
「おお……」
先輩たち、そしてその色を望んだ陽菜さんまでもが、望の手によって着色されていくギターに見惚れた。
ほどなくしてギターの着色は終わった。家の前の駐車スペースに設置された簡素なハンガーラックには、真っ白に変貌したネックとボディがそれぞれ吊り下げられている。春の心地よい微風が、私たちの髪と一緒に乾燥中のギターも揺らしていく。
「いやーお疲れ様」
「ヘイヘイ飲め飲め」
作業を終え防毒マスクを外した望は、唐突に晴美先輩と千明先輩に囲まれた。そして肩と腕を掴まれて玄関まで連れられ、強引に座らされた挙句お菓子とジュースを押し付けられていた。
「ど、どうも」
望は笑顔の二人に挟まれながら、とりあえずとして炭酸ジュースを受け取る。いつもよりも馴れ馴れしい先輩二人に、望は戸惑っている様子。
でもそれは仕方のないこと。そもそも望は第二軽音楽部のメンバーとそこまで深く関わっていない。あくまで私が第二軽音楽部のベーシストとして加入したのであって、望は私に付き合っているだけ。望と先輩は、私という共通の繋がりがあってこそ初めて関係性が生まれるのである。
だからこそ、直接的な関わりに、どう反応していいのか見当がつかない。なまじ私以外の人間を信用していない望としてはなおさら。
一瞬、望は私の方を見た。困惑している様子であり、まるで私に助けを求めているかのよう。その姿がまた愛おしく感じてしまう。
「ど、どうしたんですか?」
「どうって、後輩を労うのは先輩の役目だろ」
「椎名妹よ、オメーはスゲェよ! よくやった」
望は先輩に向き直り、恐々と尋ねる。でも晴美先輩も千明先輩も、望の態度とは真逆の爽やかで親しみのある微笑みで答える。
「それにしてもライブの練習のときといい今回のギター作りといい、望たんにはお世話になりっぱなしだねー」
「たんってなんですか。アニメキャラじゃあるまいし……」
「有能な後輩をもってあたしは嬉しいよ」
「は、はあ……そうですか」
先輩二人に両サイドから密着され、望は縮こまっている。それは物理的なものもあるけど、でも本質としては褒められて恐縮している様子である。そんな望の反応はとても新鮮で、私以外の人から好かれているこの状況を私はとても尊く感じるとともに、望を取られたという軽い妬みにどことなく囚われた。でも、これは望本人にとっていい傾向だと素直に思う。
こうやって周りとの関係が作用して、望の深層にあるトラウマも解消してくれないかと、私は勝手に希望を抱いてみる。悪くはないと思うけど、それがうまくいくかどうかは不安でもあった。
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