第15話 生地調整


「ふーん。これが四万円のキットか……。材もパーツも、安っぽいな。四万ならこれが組み上がった状態のギター買えるぞ」


 ゴールデンウィーク開け、学校が終わったあといったん家に帰り、製作キットが入った大きい段ボールを抱えて電車に乗って、二人で苦労して長谷川さんのお宅にお邪魔した。そして中身を見た職人長谷川さんの感想がこれだった。そうですよねー。私もそう思いました。


「これ、どうやって塗装するのですか?」


 もう買ってしまったものはしょうがない。作るしかない。というわけで教えを乞うことに。


「その前に、どういう仕上がりにしたいの?」


「どういう……」

「……仕上がり?」


 逆にそう聞かれ、私と望はそろって首を傾げるしかできなかった。


 というわけで、緊急ミーティング。場所はいつも通り二階試奏室のソファー。六人の第二軽音楽部勢揃いです。


「――ということで、どういう塗装にしたいですか?」


 もう日が暮れ始めているので、簡潔に議論開始。……したのはいいものの、それぞれがこれといってどうしてもしたいカラーリングなどはなく、無秩序にいろんな色を述べていくだけになってしまったので、最終的にじゃんけんで一人決めてその人に決定権を委ねた。


「白がいいです! それもただの白じゃなくて、ラメが入った綺麗なの! ザ・スノーホワイト!」


 というわけで絶対的な決定権を得た陽菜さんの好みで、自作ギターの色はラメホワイトに決まった。


 ただ色を決めるだけなのにえらく長引いてしまい、日は完全に落ちて夜になっていた。五月の夜は意外と寒い。日中の陽気が嘘のよう。自然私と望は寄り添い、互いの熱を微かに感じながら帰宅した。


 翌日の放課後。


「じゃあ、塗装の下準備やるよ」


 長谷川さんの指導のもと、ついにエレキギターの製作が始まった。


「木材の塗装は、塗装前に生地調整をします。生地調整とは、塗装する木部をヤスリで研磨することです。へこみや大きな傷があるまま塗装すると、そのへこみや傷が消えないまま塗装が仕上がることになり、美観を損なうことになる。そのためヤスリ掛けしてへこみや傷を慣らして最終的な木部の状態を調整します」


「はい、質問です」

「はい、椎名朔さんなんでしょう」

「なんでフル装備なんですか?」


 塗装前に生地調整というものを行う意義は理解しました。でもその生地調整をする私たち第二軽音楽部の六人は、今学校のジャージを着用し、顔には使い捨てマスク、頭にはタオルを巻かされている。なにこれ、工事現場にでも行くの?


「何でって、木材をヤスリ掛けするんだから、粉塵すごいでしょ。制服汚れるし、髪も粉塵まみれで真っ白。マスクは、まあ、呼吸器系保護の気休めだな」


「そ、そんなに粉が出るのですか?」


 陽菜さんが若干怯えながら質問するも、長谷川さんは「出る」と短く言い切った。


「あー……だから外なんですね」


 そこで望が諦観したかのように呟いた。現在私たちがいるのは、長谷川さん宅の玄関前、二台分あるコンクリートの駐車スペース。ちなみにお仕事で使っているだろう機材車が一台停まっているので、作業スペースとして割り当てられたのは車一台分の駐車スペースだった。


「いやまあ、粉塵のこともあるけど、これから仕事の続きしなきゃならないから、正直言うと邪魔なんだ。だから君たちは外」


 まあそうですよね。お仕事が本分ですから、私たちが邪魔しちゃダメですもんね。


「ま、そういうことだから。荒い番手から始めて、徐々にヤスリ傷を馴染ませるように番手を細かくしていってね。全体的にヤスリをかけ終わったら見せに来てね。じゃ」


 長谷川さんはそう言い残して一階の工房へと姿を消した。残されたのは、ただの女子高生六人組。


「それじゃあやりますか!」


 無駄に気合の入った声を上げたのは晴美先輩だった。うん、一人だけ目が輝いている。改造マニアである先輩にとってこういう作業は血がたぎるものがあるのでしょう。自転車だって魔改造してますし。


 ふと、私は思った。


「先輩のあのギターって、自分で改造したのですか?」


 私は晴美先輩に問いかけた。新歓ライブのときに弾いていた、あの部分的に塗装が剥げている魔改造ギター。あれも自転車同様に自分の手を加えたものなのだろうか。


 晴美先輩は当て木に紙ヤスリを巻きつけながら「いいや」と答える。長谷川さんが事前に教えてくれたけど、どうやら紙ヤスリってそのまま手で研磨するのではなく、手頃なサイズの木材に巻きつけて使用するみたい。今も真四角なものや湾曲したものなど、ギターの形状に合うよう様々な当て木が用意されていた。


「あれはもともと長谷川さんのギター。リサイクルショップにジャンク品で投げ売りされているのを買って直したみたい。なんか実験用のギターとしていろいろいじくっていたらしいけど、その魔改造具合をわたしが気に入って、無期限で貸してくれたの」


 駐車スペースに座り込み、敷かれた段ボールの上に寝かせられたギターのボディを研磨しながら、晴美先輩は答えた。でも基本他人に興味がない私は、それ以上その話題に興味が湧かなかったので、「そうですか」と適当に返事して会話を打ち切った。


 手持ち無沙汰になるのが嫌で、私も研磨作業をすることにした。この製作キットのギターは、ネックとボディがボルトによって留められているデタッチャブルであり、つまりネックとボディを別々で作業できる。晴美先輩が最初にボディを手にし、そのあとに私がネックを手にしたものだから、いつしか先輩組がボディ担当で、私たち後輩組がネックを担当する構図となっていた。


 ただボディよりはネックの方が面積は小さいので、私たちネック組の方が作業ペースは速かった。一通り荒い番手の紙ヤスリでネックを研磨して、番手を一段階細かくしても、先輩はまだ一番荒い番手の研磨をしていた。


「あー! 疲れた。一旦木屑払おう」


 一通り荒い番手の研磨を終わらせた晴美先輩が、集中力が切れたのか音を上げた。

 長谷川さんの工房からエアコンプレッサーのホースが伸びている。粉塵払いとして長谷川さんが用意してくれたもの。晴美先輩はそのホースの先に取り付けられた拳銃型のノズルの引き金に指をかけ、圧縮した空気をボディに向けて放った。


 瞬間、私たちの視界は白く濁った。


 空気の噴射に、ヤスリ掛けによって発生した木屑が舞い上がったから。


「ちょっと! 先輩!」


 私はたまらず非難した。


「ごめんごめん。まさかこんなに舞い上がるとは思わなかった」


「貴様! やりやがったな!」


 陽気に謝る晴美先輩に、千明先輩は笑いながらノズルを奪い取り、晴美先輩に向けて空気を発射した。圧縮に制限が設けられているのか、エアコンプレッサーといっても市販の埃飛ばし用エアーダスター程度の威力しかなく、晴美先輩は不意打ちに怯んだだけだった。


「フハハハハ! かかってこいや!」


 その拳銃型のノズルを手にして調子に乗った千明先輩は、今度は私たちに向けて空気を打ち出した。顔面に空気を食らった陽菜さんが「ぐへぇ!」とやたら可愛い声で呻いたのが、また一同の笑いを誘った。


「ちょ! おま! 痛い痛い痛い! 落ちる落ちる!」


 いい加減鬱陶しくなった私は、軽度な筋トレ趣味で鍛えた身体を生かして千明先輩に関節技を決め、ギブアップするまで締め上げた。その際落としたノズルを望が拾い、その噴射口を私に向けて引き金を引いた。転瞬、私の顔面に突風が襲い掛かった。


「……望ー!」


 意識が落ちる寸前の千明先輩を開放した私は、今度は望に襲い掛かった。姉妹でじゃれついている隙に、今度は晴美先輩がノズルを奪い、私たちに向けて空気を放つ。


 結局生地調整の作業は、後半完全に遊んでいただけになった。ちなみにマリ先輩はどうやらコンタクトレンズをしていたらしく、最初の粉塵で悶絶して戦線を離脱していた。ご愁傷さまです。


 日が暮れ、仕事を終え様子を見に来た長谷川さんに成果を見てもらった。意外にも「うん、いいでしょう」と一発OKをもらい、私は密かに驚いた。本当に全体をヤスリ掛けしただけだったので、これでいいんだ、と思ってしまった。


「青春だね。そういうのは大事だよ」


 長谷川さんは、まるで我が子を温かく見守るかのような笑みを浮かべていたけど、私はそれをはしゃぎすぎているという皮肉として捉え、ばつが悪い思いになった。長谷川さんの本心はわからないけど、なんか勝手に気まずくなってしまった。恥ずかしい……。




※エアコンプレッサーを人に向ける行為は大変危険ですので、絶対に真似しないでください。


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