2章 第二軽音楽部

第6話 心地よい距離


「エレキギター作りたい?」


 私の唐突な申し出に、望は露骨に怪訝な表情をした。それはもう、「コイツいきなり何言っているんだ?」とでも言いたげな、眉間にしわを寄せて訝しんでいる。


 学校帰りに陽菜さんと楽器屋に寄って、その後帰宅。自分の部屋に戻って部屋着に着替えてから、私は望の部屋を訪ねた。望は上着を脱いだだけで、まだ制服姿のままだった。


 自分のベッドに浅く座った望の傍らには、スタンドに立てかけられたエレキギターがある。木材の杢がこれでもかと出ているボディは、その杢をより際立たせるかのような塗装とカラーリングが施されており、一目見ただけで高価なものだと感じる艶やかさがあった。このギターは望の相棒。私のベースと同様、親のコレクションから借りたハイエンドモデルである。


 そのハイエンドギターには現在、ネックにモニターヘッドホンがかけられており、そのヘッドホンの接続先のデジタル機材には電源が入っていた。どうやら私がノックして部屋に入ってくるまで、制服を着替えずにギターを弾いていたみたい。今も、対面となるよう床に座った私の目の前で、ギターの小さなピックを指で弄んでいる。


「いや、別に深い意味とかはないけど」


 怪訝な表情を浮かべる望に対して、私は咄嗟にそう言ってしまった。深い意味はある。さっき陽菜さんと訪れた楽器屋にて感じた衝動は、私の望みを叶えるきっかけとなり得るかもしれないのだから。


 望という至高のギタリストの復活を、演奏とは異なる方向からギターに触れさせることで実現できないかという、深い意味。


 ただ本人を目の前にして、私はどう言えばいいのかわからなかった。一時はギターに触れることさえできず、また周囲の人間を全く信用しなくなったほどのトラウマを抱えたのだから、今変なことを言って傷口を開くようなことは避けたい。幸い望は私に信頼を寄せているけど、その信頼を裏切るようなことはしたくないのが、私の本音だった。


 だからこそ、私は「ギターを作りたい」以上のことが言えなかった。望を自然に巻き込んで、自然と楽器に向き直り、そして自然と一皮むけてトラウマを克服してくれるよう、希望を持つしかできない。


「ほら、小さいときからずっと弾いてたから、たまには別の楽しみ方を見出してみるのはどうかなって、ね」


 私は半ば苦し紛れにうそぶく。調子のいいことを言ってオブラートに包んでみた。


「ふーん」


 望は、さも興味ないと言いたげにピックをいじり続ける。


「いいんじゃない」


 でも、予想外のことに、望は前向きな返事をくれた。


「朔がしたいなら、すればいいんじゃないかな。……って、なにその不意打ちを食らった顔」


 私の顔を見やった途端、望はそう指摘してきた。いや、まあ、意外な返事で意表を突かれたけど、そんなに表情に出てたのかしら?


 まあそれはともかく、


「手伝って」

「はい?」


 この流れを好機と捉えた私は、すぐさま本来の目的である協力を頼んでみた。すると今度は望の方が不意打ちを食らった顔をした。


「二人で作ろう」


 私は畳みかける。望ならば――、


「いいよ」


 望は間抜けな表情から冷静さを取り戻し、クールな様子で承諾してくれた。


「朔がしたいことなら、私はなんでも協力するよ」


 望はそう言いながらベッドから降り、床に膝をついて接近、私の頬を手で触れながら至近距離でそう言った。


 本当に望は、私のことを無条件で信頼しているんだから。私が強く望めば、望は有無を言わずに従ってくれる。逆の立場でも同じ。望が強く望んだことなら、私は何が何でも望に従う。私たちはそういう関係。共依存の関係。


「でもさ、」


 発する言葉とともに、望の吐息が顔にかかる。唇が触れ合う距離、そういうと少女漫画のようなドキドキするシチュエーションなのかもしれないけど、残念ながら相手は異性ではない。これまで苦楽を共にした双子の妹である。以心伝心する私たちには、そんなドキドキするような他人行儀な感情は持ち合わせていない。


 ふと、私と望のおでこが触れ合った。そのことが少し気恥ずかしく思え、私は少しだけ顔を離した。代わりに望の腰に手を回す。すると望はお返しとばかりに私の腰に手を回し、自分の方に引き寄せた。お互い手を背中に添える。胸が触れ合う。顔を離したはものの、身体は密着しているので、至近距離であることには変わらない。


 この、甘くとろけそうな距離感が好き。私と望の、最も安らげるこの距離感が。


「ちゃんと作れるの?」


 一度言葉を区切っていた望は、身を寄せ合いながら続きの言葉を述べた。


「今日楽器屋で楽器製作キットを見つけたの。売り物として売っている製作キットなら、説明書くらい同梱しているでしょ」


 説明書なしで作れる人なんて、それはもう本職の職人さんくらいなものでしょ。製作キットは売り物である以上素人が対象なのだから、説明書が入ってなかったら本末転倒になってしまう。あって当然のもの。


「そうじゃなくて、説明書を読んだとしても、ちゃんと作れるの?」


「どういう意味?」


 望の意図がわからなかった。私は少しだけ眉を寄せて至近距離の望を見返す。


「朔、プラモデル作ったことある?」


 唐突の問いに、私は「作った記憶はない」と素直に答える。


「そんな、説明書があれば作れるって言うけど、プラモデルとはわけが違うのよ」


「楽器だから、ってこと?」


「そう。プラモデルを真面目に作ったことないから変な言い方するけど、プラモデルなんて最悪形さえ整っていればいいものでしょ。でも楽器は違う。いくら素人向け製作キットといっても、楽器である以上精度が求められる。その精度は素人ができるものなの?」


 確かに、望の言う通りだ。楽器であるならば、ちゃんと音が出ることが前提になる。これが打楽器の類ならまだなんとでもなるかもしれないけど、私たちが作ろうとしているものはギターという音階のある楽器。作ってただ音が出ればいいという代物ではない。楽器は演奏できて初めて真価を発揮するものである。


 でも、ただ。


「そのあたりのことも考慮されているでしょ。素人が作っても楽器として成立するよう、必要最低限の工程はすでに済ませてあるはず」


 まさか一から木材を切り出したり、金属を削り出したりするわけはない。そう思いたい。そうでなければ、それはもう製作キットとしての意義を見出していないことになってしまうから。


「そうかもしれない。でもさ、重要なことを忘れているよ」


「重要なこと?」


調整セッティングのこと」


 望に指摘され、私はようやく気がついた。


「今やエレキギターは様々なジャンルの音楽に使われている。でもジャンルごとに出したいギターの音は違う。ロックもブルースも、ジャズもメタルもポップスも、全部求められる音とプレイは異なる。もちろんジャンルに対応したギターはあるけど、それでも普通のギターは、多彩なジャンルの音楽も演奏できるよう調整の幅は余裕がある。だからこそ、正しいセッティングがどこなのか、その着地点がわからない」


 望が言っていることはもっともだ。ジャンルによって求めるものが違えば、当然楽器の調整も異なる。お互い弦の張替えとチューニングくらいなら日常的に行っているけど、それ以外の調整箇所については全然わからない。一応私も望も、オールマイティーに使えるよう定期的にメンテナンスに出しているけど、正直プロの人がどこをどういじって返しているのか全くもって理解していない。そのため、いくら演奏者でも楽器の調整に関しては素人である。


 それはまるで、古いダイヤル式のラジオを当てずっぽうでチャンネル合わせしているかのよう。チャンネルが合わなければただノイズを吐き出すだけだし、仮に偶然チャンネルを合わせられたとしても、そのチャンネルが望んでいるものであるとは限らない。楽器も同じ。下手な調整はノイズと変わらないし、合っていないセッティングは不愉快でしかない。


 ピアニストがピアノの調律もこなせるとは限らないのと同様、ギタリストだってギターの調整ができるわけではないのだ。


 パーツを組み込むだけなら、説明書があれば十分だろう。でも演奏に適した調整は、知識と経験による技術が必要となる。


 その問題を、私たちはどう解決するべきか?


「なんか、アドバイザー的な感じの、詳しい人が身近にいればいいんだけどね」


 望は呟くように声を発する。残念ながら、私たちの身近にそのような親身に相談できる詳しい人はいなかった。




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