第5話 それは、楽器製作キット
というわけで私たちは楽器屋へ向かうことにした。幸い学校の最寄り駅から少し電車に乗れば、いくつもの路線が交わり乗り換えが盛んな大きな駅につく。そういう駅は、必然駅前は繁華街として栄えている。その繁華街に総合楽器店があるのを記憶している。
電車に揺られたのち、制服姿の私たちは雑踏を進んでいく。陽菜さんは人の多さによる喧騒に触発されたのか、妙にハイテンションになっていた。一方性格上人ごみが苦手な私と望は、気怠さを感じるほどのローテンションだった。本音を言えば、早く帰りたい。
楽器屋が入居しているビルに到着し、入店。店内は楽器のカテゴリーごとに区分けされており、多種多様な楽器が所狭しと展示されている。
ドラムコーナーでは目立つように最新式の電子ドラムが鎮座している。電子ドラムは練習用としてのイメージが強いけど、ハイエンドなモデルは普通に数十万円する高価なものになる。練習用として侮ると痛い目を見てしまう。
ギターコーナーでは壁一面に色とりどりのギターがかけられている。それらはメーカー別、モデル別で展示しているので、引いて眺めてみると全体的に統一感があって美しい。購買意欲を刺激するよう考えて並べているのがわかる。
その他デジタルキーボードやアコースティックギター、エフェクターやアンプ、さらには細かい小物類も魅力的に陳列されており、つい目移りしてしまいそうになる。ヤバい何か買いたくなる。多分今手持ちのお金があれば、きっと何か購入しているだろう。それくらい私はお店の術中にはまっていた。
「ウッハー!」
そして私以上に術中にはまっているのが陽菜さん。楽器たちに取り囲まれた陽菜さんは目を輝かせながら左を見て右を見て、見上げて見下ろしてと、せわしなく視線を移動させていた。ずっとバンドに憧れていた陽菜さんにとって、ここはまさに夢の空間であるかのようだった。
「あー、ダメダメ勝手に触っちゃ。
憧れのあまり陽菜さんは展示されているエレキギターに触れようとしたが、私は即座に注意する。エレキギターの塗装は、自動車の塗装のように艶を出しているのがほとんど。色次第では指紋程度目立たないけど、逆に指紋がくっきり目立ってしまう色もある。それに商品なので勝手に触って傷をつけたりしたら大変だ。安易に触らないのが楽器屋のマナーと言える。
「そうだよね。勝手に触ったらいけないもんね。壊したら弁償しなきゃならないし……。あ! でもお金ないから弁償できない!」
「だから店内では落ち着いていてね。余計な面倒はいやだよ」
まるで子供を連れて買い物しているみたいだった。
私たちは適当に店内を冷やかす。すると小物コーナーの一角に見慣れないものを見つけた。
「アーッ! ウクレレだ! ヴァイオリンもあるー!」
傍らにいる陽菜さんがはしゃぎながら商品を指さした。別に楽器屋ならウクレレもヴァイオリンも珍しいものではない。ないけど、ただ展示されている商品は一味違った。
「でもコレ、バラバラだね!」
そう、陽菜さんが指さした先にあるウクレレやヴァイオリンは、組み込まれていない状態だった。それはパーツが組み込まれていないというレベルではなく、ボンドで接着されるべき箇所も接着されておらず、ただ木材を切り出しただけのようなありさまだった。
「製作キット……。へぇー、こんなものもあるんだ」
それは自作用の楽器製作キットだった。こういうものが売られているなんて、私は全然知らなかった。
「これって素人でも作れるのかな?」
「初めて見たから何とも言えないけど、でも楽器屋で売っているってことは職人向けじゃなく素人向けなんじゃないかな。多分説明書を読めば作れるよう配慮されているでしょ。一応売り物だし」
「ウウ……小学校の図工が散々だったワタシにはムリそう……」
陽菜さんはそう言うけど、私だって好き好んで作りたいとは思わない。小学校の図工はまあまあだったけど、だからといって手間をかけて自作したいとは思えない。今のところ、楽器を演奏する楽しみはわかっていても、製作する楽しみまでは見出せていない。
「へぇー、いろんな種類の楽器があるんだ。ギターもある」
私は近くにあった製作キットのカタログを手にして目を通してみた。さすがに店頭展示品はスペースの問題からか、ウクレレやヴァイオリンのような小型楽器だけらしいけど、カタログを見る限りではエレキギターやベースなどもあるみたい。さらにはアコースティックギターのような箱物まである。一通りの弦楽器のキットはある感じかな。
「ねえねえ朔ちゃん。楽器作れる職人さんって、やっぱ演奏もうまいのかな?」
身長差故か、陽菜さんはつま先立ちをしてカタログを覗き込んできた。
「さあ……最低でも作る技術があればいいから、別に演奏できなくても職人にはなれると思う。でも楽器の職人を目指したってことは、楽器に関わる仕事をしようと思ったきっかけがあったと思うから、やっぱり何かしらの楽器は演奏できるんじゃないかな。プロレベルの演奏じゃなくて、中級者程度の演奏レベルとか」
私だって楽器職人のことに詳しくないから、曖昧なことしか言えない。そもそも、楽器を作る職人さんがいることすら失念していたほど。楽器が商品として流通しているということは、その楽器を製造する人がいるのは当たり前。ただその分野は、一般の演奏者には知られていない。
「じゃあさじゃあさ、超絶テクニックの天才ギタリストがギターを作ったら、ものすごいものができあがるのかな?」
陽菜さんの言葉に、私は思わず「え?」と間抜けな声を出してしまった。
「イヤだって、演奏の天才なら、演奏する上で大事なことを楽器作りの段階で盛り込むことができそうじゃん!」
陽菜さんが言っていることはもっともなことだと思う。演奏者の要望を職人が応えられるとは限らない。どうやったって技術的な障壁が立ちふさがる。逆に、職人にとって理想の楽器を作り出したとしても、それはイコールで演奏者にとって理想の楽器だとは限らない。
製作している人と演奏している人が違うのだから、どうやったって完璧に感覚を共有することはできない。故に限りなく理想に近づけられるかもしれないけど、完璧な楽器は事実上作れないのだ。
でももし、演奏者と制作者が同一人物であったら? そしてその人が天才だったら?
天才演奏家が楽器を作ったらどうなるだろう。
もちろん楽器を作る上での技術的な問題もあるだろうけど、しかし妥協さえしなければ、作った本人にとって最高のパフォーマンスを発揮する楽器ができあがるのではないだろうか。
そして私は、陽菜さんが言った別の言葉にも惹かれていた。
――超絶テクニックの天才ギタリストがギターを作ったら、ものすごいものができあがるのかな?
むしろ話の内容よりこの言葉の方が気になった。
私にとって、天才ギタリストとは望のこと。望は私にとってのギターヒーロー。
望がギターを作れば、どんなギターが誕生するのだろう?
そしてそれは望の復活のきっかけにならないだろうか?
別に下手でもいい。まともな楽器が完成しなくてもいい。ただ、ギターを作ることで、望に再びギターへの情熱を抱かせることができるのではないだろうか。
私は顔を上げて望を探した。望は少し離れた位置にある弦売り場にいて、新商品の弦を吟味していた。お互い振り向けば視認できる距離。
再びカタログに視線を落とす。
「……これだ」
カタログに記載されているエレキギター製作キットを凝視する。
「陽菜さん!」
「ハイ!」
売り場で突然叫んだ私に怯え、陽菜さんは硬直した。
「ギター作りましょう!」
私は自分でも珍しいと思うほど興奮している。一方陽菜さんは、子犬が小首を傾げるように「ハイ?」と不思議そうに返事した。
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