第4話 楽器店に行こう


「オオ! すごいよすごいよ朔ちゃん! 腹筋割れてる!」


 入学式から数日が経過した金曜日。当然もう授業は開始されており、今は体育の授業のため更衣室で着替えをしていた。その際下着姿になった私を見た陽菜さんは、私の裸を見て興奮した。……興奮したといっても性的ではない。


「ああこれ? ベース弾いているから」


「ベース弾いていると筋肉つくの?」


 陽菜さんは私の若干割れた腹筋や盛り上がった二の腕をじっくりと眺めながら聞いてくる。


「ベースって四キロ前後あるからね。ものによっては五キロをオーバーするのもある。大体お米の袋と同じくらいの重さかな。そんな重さを長時間肩から下げていれば肩が死ぬし、腰も死ぬ。だからベースを支えられるよう鍛えたらこうなった感じかな」


 ベースを演奏するためと言ったけど、実のところ身体を鍛え始めたきっかけはよく覚えていない。ベースとは関係ないことだったような気がする。昔から運動していたけど昔過ぎて記憶が曖昧なのが正直なところ。でもベースの役に立っているから結果としてはいいのではと思っている。


「へー、ベースってマッチョじゃなきゃ弾けないんだ」


「別にマッチョじゃなくても弾けるよ。私の場合、半分くらい筋トレにハマっちゃっただけだし」


 私は一応言い訳をしてみたけど、興味津々に筋肉を見つめる陽菜さんに伝わっているかどうかは怪しかった。


 陽菜さんが「触ってもいい?」と尋ねてきたので、私は了承する。陽菜さんは怯えた手つきで腹筋を撫で、「オオ? オオ!」と意図が読めない感嘆の声を上げた。


「姫と王子は何してるのかな?」


 すると騒ぎを聞いたクラスメイトたちが集まってきてしまった。ちなみに姫と王子はこのクラスにおいての陽菜さんと私のニックネームみたい。小柄で愛らしい陽菜さんと長身で無口な私が親しそうにしている姿を、他の女子がそう言い表したのが広まってしまったという経緯。クラスの皆が言うには、どうやら私はイケメンらしい。私としては否定したいけど、不本意ながら定着してしまったようなので、それはもう諦めるしかなかった。


 クラスメイトに取り囲まれた私は、「王子の筋肉すごーい」「王子って脱ぐとすごいんだね」「王子は着痩せするんだね」などといった黄色い声に包まれた。いやちょっと、勝手に人の身体を触らないでほしい。なんか手つきが気持ち悪い。


 結局私は、授業の開始チャイムまで皆のおもちゃにされ、慌てて着替えを済ませて体育に参加した。親しまれている様子なので悪い気分にはならないけど、私としてはいまいちノリについていけてなかった。


 クラスのノリということなら、隣のクラスの望も似た感じだった。


 望は私ほど筋肉質ではないけど、でも服を着てさえいれば見分けがつかない程度の体格差。それでいて私と全く同じ顔をしていれば、隣のクラスでも注目の的になるのは当然だった。


 ただ望は過去のトラウマ故に関わったら殺すオーラを周囲に拡散させており、見事に教室の中で孤立していた。それでも孤高の美女として好意的に受け入れられている。まあ、自分と同じ容姿の妹が美女として認識されているのは少し複雑な気分になってしまう。自分まで美女と呼ばれているようで落ち着かない。


 こんな事情により、私と望、あとノリが軽く早くもクラスの中心にいる陽菜さんは、一年生の一部界隈で密かな有名人になりつつあった。


 体育が終わった後も、昼休みのときも、そしてすべての授業が終わった放課後も、何かとクラスメイトに話しかけられたり挨拶されたりした。その都度陽菜さんは明るく元気に振る舞い、一緒にいる私は控えめに対応していた。今や望という存在だけで満足してしまい積極的に交友関係を拡大しようとは思わなくなった私としては、高校生になってから得たこのポジションにわずかながら戸惑いを感じていたりする。


「朔ちゃん! 行こう!」


 別れの挨拶をして下校していくクラスメイトを見送ったのち、陽菜さんは無邪気に提案してくる。入学してから、私たちの放課後は、軽音楽部の部活見学に行くことが日課になっていた。ただし、未だに活動している軽音楽部を見たことはないけどね。今日もどうせいないだろうから、視聴覚室の中を覗いておしまいだと思う。


「朔、行こう」


 放課後になってすぐ、望が隣の教室からやってくる。私に依存している望としては、いち早く私の成分を補給したいのだろう。そういう私だって、望が近くにいないと落ち着かないからWin-Winな関係といえる。私はすぐさま教室の入り口にいる望のところに行き合流。陽菜さんも私についてくる。


 そして三人で視聴覚室へ向かうが、


「失礼します!」

「……はい誰もいない」

「じゃあ朔、さっさと行こう」


 まあ、結果はお察しの通り。


「軽音楽部って廃部したのかな?」


「廃部したわけじゃないと思う。入学案内の部活動一覧に軽音楽部の名前あったし。毎年使いまわしているかもしれないけど、でもさすがに廃部した部活を入学案内には書かないでしょ」


 陽菜さんの疑問を、私はもっともらしい推測で答える。


「……単に、部員全員が不真面目な幽霊部員ってことじゃないかな」


 望の言う通り、部を存続するだけの数字上の部員数はいるだろうけど、実際のアクティブとしての部員はいないというところだろう。


 何にせよ、今日も静かな視聴覚室を確認してから、私たちは学校をあとにした。


「このあとどうするの?」


 学校から駅までの道。私の隣を歩く望は抑揚のない平坦な声で聞く。望としては私が傍に居てさえいれば、このあとの予定などどうでもいいのだろう。同じく、私も望さえ一緒なら、どこへ行こうか別に構わなかった。


 そうなると、必然と行動を共にしている陽菜さんに委ねられることとなる。


「ワタシ楽器屋さん行きたい!」


 先を行く陽菜さんが、勢いよく振り返って答えた。


「楽器屋?」

「なぜ?」


 私と望はそれぞれ疑問を浮かべる。


「だってバンドといったら楽器がなきゃ! 軽音楽部はまだ活動していないみたいだけど、でも活動が始まれば楽器必要になるでしょ! なら用意しなきゃ!」


「うん。言いたいことはわかるけど、お金あるの?」


 私は純粋に疑問に思ったので聞いてみた。というのも、楽器が購入できるほどの金額を今持っているのなら、今日学校にいる間ずっと持ち歩いていたことになる。そんな大金、スリにでもあったら一大事だ。不用心にも程がある。


 まあ初心者向けの一万円くらいで購入できるギターやベースはあるけど、その辺の低価格帯の楽器は、正直個体差が激しすぎる。大当たりの楽器と出会えればこの先ずっと使っていられるけど、ハズレを引いた日には目も当てられないほどの惨事になる。ましては大ハズレの楽器など、どうやって工場やメーカーの検品を合格したのか疑わざるを得ないほどの不良品であることもある。


 それにハズレの楽器で練習しても上達なんかしない。楽器のせいでうまく演奏できないのに、初心者はその判断ができず自分のセンスの問題としてしまう。そうすると楽器を演奏していても楽しくはない。楽しくなければ長続きしない。そうやって負のスパイラルに陥り挫折するケースが多い。製品としての安定性を考慮するなら、せめて最初は新品価格で五万円前後から検討すべきかもしれない。


「お金はない! 下見だけだよー」


 陽菜さんはキリっとした凛々しい目つきで否定したのち、相好を崩して楽器屋へ行く目的を明かした。


「ま、いいんじゃない。行こうよ。見るだけならタダだよ」


「望がそういうならいいけど」


 望が行く気なら、私はそれについていかざるを得ない。



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