第3話 トラウマ


「意外だね」


 帰宅後、望は私の部屋に入り込み勝手にくつろいでいる。それもわざわざ部屋着に着替え、お菓子とジュースを持参していることから、長時間居座るつもりでいるのは明白だった。


「何が?」


 人のベッドの上で猫のようにゴロゴロする望は、唐突に「意外だね」と聞いてきたけど、私としては何に対して意外なのかさっぱりわからなかった。


「例のあの子」


「陽菜さんのこと?」


 例の子と言われると、該当する人物は一人しかいない。


「そう。朔が誰かとつるんでいるなんて、なんだか珍しいなって思って」


 私としても正直、予想外のことだった。


 バンドに挑戦したいと考えている子とたまたま同じクラスになったのもそうだし、なにより自己紹介の順番が私の方が先だったのも偶然。さらにいえば、あのとき担任の先生が、自分の好きなことを自己紹介に加えるように、と言ったことも関係している。仮にどれか一つの要因がなかったのならば、陽菜さんは私と言葉を交わすことは絶対になかっただろう。そういう意味では実に妙な縁といえるし、妙だからこそ結びつきが強くなったのかもしれない。


「そうだね。なんというか、子犬に懐かれた気分かな」


「ふーん、そう」


 人がせっかく本心を答えたのに、とうの望はさも興味がないと言いたげな表情をしてお菓子に手を伸ばした。それがなんだか妙に癪に障り、当てつけるように私はベースの弦を弾いた。


 そもそも、私は部屋でベースを弾こうとしていたのだ。椅子に浅く座り、相棒である無着色ナチュラルカラーのエレキベースを構えたところで、タイミング悪く望が乱入してきた。


 シールドケーブルを挿して機材を通してはいるものの、音は出ていない。アンプから音が出ていないベースは、当たり前だが全く響かない。エレキものの生音なんてこんなもの。掃除機とか洗濯機などの家電の方がよっぽと騒音を響かせている。


「アンプから音、出さないの?」


 不意に望が尋ねた。


「今どき、わざわざアンプ通す人もいないでしょ」


 私はぶっきらぼうに返す。


 実のところ、私の部屋にベースアンプなど置いていない。


 私はもっぱら、デジタル機材一台で済ませてしまう。


 通常、エレキギターにしろエレキベースにしろ、シールドケーブルで足元のエフェクター群に接続し、そこからアンプに接続して音を出す。


 しかし私の機材は、足元にアタッシュケース大のデジタル機器を置くだけ。所謂マルチエフェクターと呼ばれるもの。それは多種多様なエフェクターはもちろん、アンプシミュレーターとしても優秀である。


 マルチエフェクターをはじめとするデジタル機器は、当然いくつもの端子がある。アンプに接続して通常通り音を出すこともできるし、ヘッドホン端子もあるので静かでありながら本格的なサウンドを楽しめる。さらにはライブ等でPAのミキサーに接続する端子まであるので、ステージ上でアンプを鳴らさずラインで構築して会場のスピーカーから音を出せるし、USB端子もあるので、オーディオインターフェースとしてPCでちょっとした録音もできてしまう。


 自宅、スタジオ、ライブ会場などなど、近年アンプを鳴らす必要性がどんどんなくなってきている。エレキギターはうるさいというイメージが先行してしまうが、今の時代むしろエレキギター以上に静かな楽器はないとさえいえる。


 あくまで個人で使う機材であり、そもそも高校生になったばかりの小娘としては、本当にコレ一台ですべてが解決してしまうのであった。だから私はアンプを鳴らさない。必要がない。夜でも関係なしにベースを演奏することができるのだ。


 望が乱入してきたところで、私はモニターヘッドホンをつけるのをやめて首にかけた。今も当てつけで鳴らした弦の音が、首元で小さな音として出力されている。


「望だって、アンプ鳴らさないでしょ」


 私は言い返す。そもそも私がベースを演奏する上でのシステムは、望のシステムを見て便利そうと思って導入したもの。私は機材面においても望の影響を受けている。


「まあ……ね」


 望は不機嫌そうに返事をした。


 望が部屋でギターを弾く際のシステムは、私と同様エレキギターから足元のデジタル機材に接続し、ヘッドホンで音を出している。音が聞こえるのはヘッドホンをつけている本人だけ。エレキギターの生音は、密閉された部屋から出て響くことはない。

 人前でギターを弾くことのない望が、いや、望が編み出した環境である。


「望は、もう弾かないの?」


 性格の悪い私は、足元の機材を操作して音量を最大にした。すると私の首に下げられたヘッドホンから、悲鳴のような音が出てきた。いくらヘッドホンでも無理やり音量を上げれば、嫌でも音が響いてしまう。これは望に対する嫌がらせ。自分の殻に閉じこもっている妹に対する非難である。


 望が人前でギターを弾かなくなったのにはわけがある。


 望は幼少の頃、メディアに取り上げられたことがある。きっかけは音楽業界で働く両親が、ネットでのカノンロックのブームに便乗して独自のアレンジをし、そのアレンジを演奏する娘を周囲に自慢をしたところ、噂が巡りに巡ってテレビ関係者の耳に入り、バラエティ番組の一つのコーナーで取り上げられたことにある。


「天才ギター美少女」「幼稚園児ギタリスト」進学してからは「小学生天才ギタリスト」などなど、世間の話題を生み出すメディアとしてはおあつらえ向きな逸材だった。そして受け手側の視聴者も、望の可憐さと年齢にそぐわないギターテクニックによるギャップに魅入られ、たちまちお茶の間の人気者となった。


 両親やその知人とスタジオに入り、大人たちに混ざってセッションする望の姿は、幾度となくゴールデン番組で映された。たまに自宅での練習風景も撮影され、ついでとして私もテレビに映ることさえあった。さすがに通っている幼稚園や小学校まで押しかけてくることはなかったけど、同級生たちも望がテレビに出ていることは知っていて注目の的だった。


 綻びは突然生じた。初めてテレビ番組で特集されてから二年が経過したころだろうか。


 バラエティ番組の出演ができるプロギタリストを呼んで、望とのセッションVTRを撮るという企画だった。最初は望が知っている曲や弾ける曲をプロギタリストと一緒に演奏していた。しかし途中で熱が入ってしまったプロギタリストはアドリブを入れ始めてしまう。それもオリジナリティあふれる過激なアドリブを。


 望はそのアドリブに、全くついていけなかった。


 そしてこの段階になって皆が気づいてしまった。望はそういうギタリストではないことを。


 確かに望のギターテクニックはすごい。年齢に不釣り合いな超絶技巧だ。


 でも、それだけ。


 望には、オリジナルをアウトプットする才能はなかった。


 譜面スコアを忠実に演奏することができる。聞いた曲を高い完成度でコピーすることもできる。それだけの技量はあった。そう、、完璧に弾きこなせるのだ。


 しかし自分自らフレーズを生み出すことはできなかった。そういうギターの演奏方法を、それまでしてこなかった。


 言うなれば、技術力はあっても表現力が皆無な存在。芸術的な文章を書くことができる高い筆力を持っているが、しかし自分の物語を生み出すことができない小説家であるかのよう。


 望のギターは、表現するギターではなく、再現するギターである。


 プロギタリストのアドリブに対して、幼い望は混乱してしまった。そんなフレーズは、望にとって未知のフレーズだった。それも当然で、なにせ、プロギタリストがその場の空気で編み出した即興のギターフレーズだったから。スコアに記載されていないこと、曲として聞いたことがないことは対応できない。


 空気を読まず夢中で弾き続けるプロギタリスト。その傍らにいる望は、いつしか手を止めてしまった。そしてしまいには泣き出してしまった。


 しかしその光景は、テレビ的な絵面としては最高だった。大人顔負けの天才ギター少女の子供らしい一面。今まで見せることのなかった年相応の姿。当然編集でカットされることはなかった。スタジオでVTRを見ていたバラエティ番組の出演者も、そしてその放送を見た視聴者も釘付けになった。泣いている姿を可愛いとコメントしたり、弾けなかったことを同情したりした。


 でもとうの望は屈辱的な思いに支配された。なにせできなかった自分を見て、知らない人たちがあたたかい眼差しで同情してくるのだ。望の幼い自尊心がズタズタに引き裂かれた瞬間だった。


 そしてその傷は、望からギターを奪い取った。その日から望はギターに触れることさえできなくなった。


 当然ギターが弾けなくなった望など、その辺を駆け回る子供と大差ない。それまで熱心に特集していたメディアは、まるで使い古した雑巾を捨てるかのように、望から興味を失った。いつしか世間からも忘れ去られた。


 あの日から時間が経過し、望は再びギターを弾くようになった。心の傷は、時間が着実に癒していった。しかしそれは表面上の傷だけ。深い場所を抉った傷跡は、未だに望を苦しめている。今の望にとって人前でギターを演奏することは恐怖でしかない。それほど幼い頃の出来事はトラウマとして蝕んでいる。


「朔やめて」


 性格が悪い私は、望に聞こえるようにベースを弾いていた。しかしふと、椅子に座ってベースを弾く私の背後から、望が抱きついてきた。


「お願い朔。私を見捨てないで」


「もう弾かないの?」と聞いたことや、当てつけでベースを弾いていたことを、望は見捨てられたと解釈したみたい。


「私には朔しかいないの」


 望は抱きつきながら懇願する。その声は、涙で湿っているかのような悲しさが含まれていた。


 あの日以来望を傷つけたのはメディアだけではない。同級生もそう。ギターを弾かなくなったことを皆執拗に聞いてきた。テレビに出なくなったこともいじられた。その心ない言葉が、傷ついた望をさらに傷つけた。結局幼い望は同級生たちから距離をとった。私は姉妹だから、そんな望の傍に居続けた。


 双子であることも望の救いとなった。普通の姉妹なら、僅かに年が離れているため、同じ価値観でいられることはない。ましては学校生活の中では、学年が違えば一緒にいることなどできない。しかし双子ならそうではない。私はひとりぼっちの望と一緒にいることにした。それは結果的に私も周囲から孤立することでもあった。


 高校生になっても私たちには心を許せる友達は少ない。だってお互い、お互いがいればそれで満足だから。決して一人ではないから。


 私と望は共依存の関係。


 私は望の才能を認め、羨望の眼差しで見ている。


 一方望は、過去のトラウマにより私以外の人間とうまく関われない。


 お互いがお互いに存在を求め合っている。


「ごめんね、望。私が悪かった」


 私は後ろから抱きつく望に触れる。


 私からも擦り寄る。私の頬と望の頬が触れ合う。


 私は、望がまたあの頃のように生き生きとギターを弾くところを見たい。でもどうすれば、あのときの眩しい望を取り戻せるのか?


 トラウマを克服するには、強力なきっかけがなければ不可能。


 問題は、そのきっかけとは何かということ。そしてそのきっかけは、これまでの十年間見つけることのできなかった難問である。



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