第2話 田中陽菜という女の子
望は幼い頃、天才的なギタリストだった。
両親が元々バンドマンで、今は音楽業界で働いている。言わば私たちはサラブレットといえる存在。親の所有する楽器に最初に興味を示したのは望の方。私はただ楽しそうに演奏する望に触発されて始めたに過ぎない。でも双子だからといって同じことを考えているわけではなく、幼い私たちは数ある楽器の中からそれぞれギターとベースを選んでいた。必然、二人で演奏して楽しんでいた。
あるとき望はギターを弾かなくなった。明確な理由があって、それについては私も両親も納得できていたので、特段無理して弾かせようとはしなかった。それにそもそも望が勝手に興味を持って始めたことなので、結局は本人の気持ち次第である。
ただ他に興味が持てることがなかったのか、いつしか再びギターを手にするようになった。でもそれは自分自身が楽しむだけの演奏であり、練習して誰かの前で披露することはなく、ただ気になった曲のワンフレーズを部屋で弾く程度のこと。望はギターに関して、自分の殻に閉じこもり、その才能を持て余し続けた。
そして今に至る。
……ということを、私は当たり障りがないようかなり掻い摘んで話した。田中さんが、軽音楽部の部活見学に向かうさなかに、私がベースを始めたきっかけを聞いてきたから。
「それで、えっと、田中さんはなぜバンドしたいの?」
「陽菜でいいよ!」
私が逆に聞いてみると、彼女は無邪気な笑顔で反応した。
「じ、じゃあ陽菜さん。なぜバンドを?」
なんとなく名前で呼ぶのが躊躇われたので、一応さん付けで呼ぶことにした。そもそも今日は入学初日だ。名前で呼び合うなんて馴れ馴れしいにも程がある。私の場合は望と区別するための便宜上で名前呼びを勧めているけど、彼女の場合はそうではない。でも名前で呼んでと言われて無視するのもどうかと思うので、とりあえずの折衷案で逃げることにした。
「えっとね。小さい頃の話なんだけどね……」
陽菜さんは私の葛藤など気にする様子もなく、歩きながら虚空を見つめて記憶を振り返ろうとする。
「ハッキリと覚えているわけじゃないけど、なんかのテレビ番組で、ワタシと多分同い年くらいの女の子がね、エレキギターを弾いているのを見たの。今思い返すと、確かクラシックのカノンをギターで弾いていたと思う。ギターの上手さとか全然わからないけど、でもこう、ピロピロって弾く姿がすごくカッコよくて、で、ママにこれやりたいって駄々をこねたのがきっかけかな!」
陽菜さんはどこか気恥ずかしそうに語っているけど、でも私の興味は別のところに向いてしまった。
私は反射的に、私の隣、半歩前を歩く望のことを見てしまった。
私と陽菜さんの部活見学に付き合うとのことで、望も同行していた。当然、今の陽菜さんの話を聞いているはず。望は話を聞いたうえで、聞かなかったことにしている。
私としても、陽菜さんの話を聞いて、望の話をしようだなんて思わない。絶対に望が嫌がるから。
「へえー、そうなんだ」
だから私は、適当に相槌を打って話を流した。
「でね! ママが『楽器は高いからダメ』って言って反対したの。でも諦めきれなくて、で、楽器ってことは譜面があると思って、とりあえずピアニカで音符を読むことから始めたんだ。それから小学校高学年から合唱クラブに入って、中学も合唱部入ったんだ!」
陽菜さんは私たちの微妙な空気を察することなく、無邪気に自分のことを語り続けた。
「でも、小中で合唱をやっていたのなら、歌うのは得意なんだ」
楽器がしたいのなら普通吹奏楽部とかに入ると思うけど、違うのかな。
「ウンそうだよ! というかそれしかできないというか、楽器でできることといえば、鍵盤のドレミの位置がわかる程度だし……」
「それで十分だよ。バンドの歌い方にさえ馴染めばいいし、鍵盤楽器なんて、音程確認で弾くくらいなものだよ」
「あ! でもワタシ、ギター弾きたい! きっかけがギターだったから、やっぱギターやりたい!」
「ヴォーカルじゃなくてギター?」
「ウン! でもギターって難しいんでしょ?」
「まあ、ギターの難しさなんてピンキリだよ。ちゃんとやろうと思えば難しいけど、ただ単にパワーコードをかき鳴らしている程度ならすぐできるようになるよ」
「おッ! おぉ! そうなんだ! 『ぱわーこーど』が何かはわからないけど、そうなんだ!」
「それにギターヴォーカルなら、持ち前の歌唱力も生かせるでしょ」
「で、でも、ギター弾きながら歌うなんて、む、難しそう……」
「まあ難しいとは思うけど、そこは慣れじゃないかな。ギターも歌いながら弾くから、そこまで難しいフレーズは求められないよ。あくまでリズムギターの役割さえ果たせればいいしね」
「おー! なんかバンドマンって感じの会話してるー」
「いやバンドの話をしているから……」
なんというか、歩きながら陽菜さんと会話して気がついたことは、この子コミュニケーションのレスポンスがとてもいいということだった。興味があることはとことん食いつき、気落ちしたときは沈んだ雰囲気を醸し出す。喜怒哀楽の感度がいいとでも言うべきかな。下手したら鬱陶しいと感じてしまう場合もあるかもしれないけど、私みたいな受け身で消極的なコミュニケーション能力をしている人にとっては、こうやってグイグイと来られた方が楽だったりする。
そうやって私は、陽菜さんのコミュニケーション能力に頼って会話していた。一方、望は一切会話に参加しなかった。まあそれも無理もない。望は陽菜さんと違うクラスで、二人には明確な接点はないのだから。
それとも先程のことがあったので、下手に会話して核心に迫られないよう用心しているだけなのかもしれない。望は終始、まっすぐ前を向いて私たちの半歩前を歩いている。
そうこうしているうちに、私たちは軽音楽部の活動場所に辿り着いた。場所は視聴覚室。軽音楽部は放課後、ここを借りて部活動をしているみたい。
しかし、私は眉をひそめて訝しむ。私の隣に立つ望の方を見てみると、同じく望も険しい表情をしていた。
たとえ視聴覚室だとしても、学校の一室の防音機能など高が知れている。ましては騒音問題になりかねない活動をしているはずの軽音楽部であれば、近づくだけでも楽器の音が聞こえてくるはず。
今視聴覚室の前にいる限り、楽器の音は全く聞こえない。楽器の音だけではなく、人の話声すら聞こえない。
「失礼しまーす」
私と望が不振がっているさなか、陽菜さんは異変に気がつくことなく扉をノックし、開けてしまった。
「……誰もいない」
案の定、室内に部員の姿はなかった。
「今日は入学式だから、先輩たちはお休みかな?」
陽菜さんは恐る恐る視聴覚室の奥へと進んでいく。
「……休み、というわけではなさそうだね」
望も続いて入室し、そのまま対面の窓際まで行く。窓からは校庭が一望でき、運動部が気合の入った掛け声を上げながら練習に打ち込んでいた。それは扉付近に突っ立っている私にも視認できた。廊下からは、校舎のどこからか響いてくる吹奏楽部のパート練習の音が、無秩序に攪拌され歪な和音となって聞こえてくる。
今日が入学式当日で、午前中に学校は終わっているけど、上級生たちは午前授業を終え放課後ちゃんと部活動をしていた。決して上級生だけが休みだったということはないはず。
ここ視聴覚室だけが、もぬけの殻だった。
「ってか、ここって普段開放されているの?」
不意に望が、視聴覚室の室内を見渡して私に尋ねてきた。私もつられて見渡す。机と椅子が均等に並べられた向こうに、壁一面のスクリーンが鎮座している。スクリーン手前は段差となっており、ちょっとしたステージのようにも見える。なんだが小さいハコのライブハウスのよう。案外軽音楽部の活動場所としてはふさわしいのかもしれない。
「さあ。普通はこういう教室って施錠されているものだと思うけど、どうなんだろうね」
私だって入学したばかりでこの学校の事情なんてこれっぽっちも知らないから、私が答えられるわけがない。聞く前に答えが出ている質問。望自身、別に答えが得られるのを期待して聞いたのではなく、半ば独り言として言ったに過ぎないだろう。
「まあ、部員がいないなら部活見学のしようがないでしょ。帰ろう」
望の冷めた提案に、私たちは乗るしかなかった。鍵を持っていない私たちはそっと扉を閉め、解散とした。
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