俺と先生の関係は(前)

 いつものように、6時半に起床した俺は、ベッドの上で大きく伸びをして肩とか首周りの凝りをほぐす。


「よし」


 眠気眼を擦りながら部屋を出る。薄暗く静まり返った我が家に、俺の足音だけが響いた。この時間は、まだ親も起きていない時間帯だ。

 洗面所に向かいサッと顔を洗う。冷たい水が顔を引き締めてくれて、半覚醒状態だった脳を叩き起こした。


「そろそろお湯にしようかな……」


 水がけして悪い訳じゃないけど、冬になるのでいまよりもかなり冷たくなる。そんなのを朝一に顔にかぶれば、目は覚めるだろうが気分的に嫌だ。

 顔を拭いて、そのまま通路を挟んだ向かい側の台所に。電気をつけて浄水ポットに入っている水をコップに注ぎ、それを一気に飲み込んで、ようやく体全部が動き出したような感じがする。


 さてと……。

 頭の中で、本日のお弁当の献立を組み立てながら、どれくらいの量にするかを考えた。

 今日は少しだけ、多めに持っていくつもりだ。自分が足りなくなったとかではなく、おかずの量を増やすのは別の目的がある。しかし最悪全部食べるとなると、あまり多めには持っていけない。

 悩みどころだな。


 一先ず、いつも通り。量に関しては作りながら考えるとして、まずは手を動かそう。初めなければ、何もわからない。


 ~~~


 時刻は7時過ぎ。ここでようやく親が起床する。「おはよう」と眠そうな顔で台所に顔を見せたのは母親だった。普段は親父の店で女将として働いている。お客さんからは美人女将なんて言われているが、家では結構ぐーたらと過ごすことが多い。

 ぼさっと乱れた髪を直したりもせず、俺が料理している姿をジッと見つめる。あまり見られているとやり辛いんだけど。


「……おかずの量多くない?」


 ギクリと肩が震えた。普段だったらあまり気にしない癖に、こういう時だけ目ざとい。


「……最近。おかずをシェアすることが増えてね。家の味は大変好評で多めに持って枯れることがあるから、少しね」


 完全に嘘をつく。特定の誰かのために少し多めに持っていくなんて知られた暁には、からかわれてネタにされる。ニヤニヤと笑う姿が目に浮かんだ。


「そうなの? 嬉しいわね~。ちゃんと宣伝しときなさいよ?」

「わかってるよ」

「あんたもいずれ、彼女のためにお弁当作るのかしらね~」

「それ、普通逆じゃない?」


 彼氏のために、彼女がお弁当を作るのはわかるけど、逆はないだろう。


「そんなことないわよ。お兄ちゃん、好きな子のためにお弁当を作ってたもの」

「マジかよ。まあ兄貴の弁当だったら、俺も久しぶりに食べたいけど」

「今度頼んだら?」

「今関西でしょ? 宅配で送ってくれって?」

「もしかしたら送ってくれるかもよ?」

「冗談キツイよ」


 弁当のおかずは概ね出来上がった。なので次は朝食に取り掛かる。

 朝ごはんは基本、俺が作ることになっている。というのも、全ては弁当のついでにやっていることだ。自分で弁当を作るようになってから、こうやって朝飯も一緒に作っている。二年前は、兄貴がこの役目をかってでてくれたけど、関西の大学に入学が決まってからは俺の仕事になった。


 家は朝食がパン派なので、スクランブルエッグに薄切りベーコンをカリッと焼いた、簡単なものを用意した。小皿と中皿に移して、中皿の方はラップをかける。パンをトースターで焼き始め、牛乳をマグカップに注ぎ、それと小皿を持ってリビングのテーブルの上に。

 パンが焼き上がるまでの間に一旦部屋に戻る。速攻で部屋着を脱ぎ捨てて制服に着替え、台所に舞い戻った。


 俺が妙にせかせかと動いているのを、台所にコーヒーを飲みながら見ていた母親が、「急ぎの用でもあるの?」と訪ねてくる。

「今日だけね」

「明日は?」

「場合による」

「ふ~ん」


 それ以上深くは聞いてこなかった。俺が根本となる理由を話さなかったので、聞くだけ無駄だと思ったのだろう。

 パンが焼き上がってからは早かった。マーガリンを塗って、スクランブルエッグとベーコンをパンに挟むようにして食べた。牛乳を流し込んで「ごちそうさま」と食器を下げたら、ササッとお弁当をくるむ。

 鞄の中に弁当をいれ、靴を履き、忙しなく俺は家と出た。


「いってきます」

「いってら~」


 ~~~


 10分少々で駅についた。自転車はいつもの駐輪所に預け、駅の改札の前で一息つく。仕事に行くサラリーマンや、学校に向かう高校生や大学生が行き交う。改札は忙しそうに開閉を繰り返して、時にはその進行を阻んでいた。

 時間を確認する。時間は7時40分前。普段だったら、俺はこんなに早く家を出ることはない。それこそ8時に家をでて8時半過ぎには学校に着くくらいだ。けれど今日だけは早く家をでる理由があった。それは、真波先生に校外で会って、話をするためだ。そのために待ち伏せをする。ちょっとストーカーっぽいとも思ったが、学校の外で会うためには、これが一番早い方法だと思う。同じ学校に向かうんだったら同じ路線を使ってるわけだし、駅で待ってればいずれ来るはずだ。

 ただ時間だけはどうしても読めなかった。あんなに近くに住んでいるのに、今の今まで気づかなかったのだから、恐らくは俺と先生が乗っている時間が違う。それが早いか遅いかがいまいちわからなかったので、一先ず早めに出て自分の時間いっぱいまで待つことにしたのだ。


 遅い時間ってことは、たぶん教師だからありえないと思うけど。実際どうなんだろう?


 数分間、視線をあっちにこっちに向けながら、行き交う人を確認していく。今の所、先生と思われる人は見えない。時間を確認すると、50を回ったところだった。ここから学校の最寄り駅まで15分ほどなので、学校まで歩く時間も考えると、8時5分前の電車に乗る必要がある。

 この時間に鉢会わないってことは、もう少し先生は早い時間に出ているのだろうか?


 そんなことを思っていると、見慣れた人影を視界の端に捉えた。綺麗な赤茶色の長髪、整った顔立ち、けれども目つきだけは悪い。

 真波先生だ。


「先生!」


 少し遠くから呼びかけると、俺の声に気づいたのか、真波先生は足を止めて辺りを見渡した。俺は駆け寄ると、途中で誰かが来るのがわかったのか、目が合う。


「友瀬君?」

「おはようございます」

「どうしたの? って、同じ駅なんだから会うこともあるか」

「まあ……そうですね」


 今回は俺の完全な待ち伏せしたのだが、言うとあらぬ誤解を生みそうだったので口を噤んだ。

 立ち話をするわけにもいかないので、一先ず一緒に登校することに。

 改札を潜り、同じ線のホームで一緒に待つ。隣に先生がいるのがかなり新鮮で、チラチラと見てしまう。そのたびに、いつ切り出そういつ切り出そうと心の中で呟きながら、それでも踏ん切りがつかずに言葉がでない。

 心持ちは決まっているんだ。だけどそれを纏めるだけの語彙力が俺に果たしてあるのかと問いたい。……いや、そうじゃないな。うん、これはたんなる逃げだ。単純に恥ずかしいのだ。自分の気持をひけらかすようなもので、更には子供っぽい我が儘みたいなものなので、それを大人である先生に言うのが恥かしい。できることなら同じような目線で言いたいことではあるが、どう転んでも俺は年下で相手は年上なのだ。馬鹿にされないにしても、多少呆れさせるかもしれない。

 そうさせたくないというのは、俺のおこがましくも対等でいたいと思うプライドゆえだろう。

 けれど言わないと先に進まないのもまた事実。


「あの――」


 ――2番線に、電車が参ります。ご注意ください――


「……? 何か言った?」

「ああ……いや」


 タイミングの悪いことで。

 ようやく意を決することができたというのに、またうだうだと考えてしまうだろうが、この野郎!

 けど冷静になってみると、電車の中で恥ずかしい思いをすることになっただろうし、これでよかったかもしれない。

 電車が来る。車内には朝ということもあり、それなりに人はいるが、かといって満員という訳じゃない。そこそこ立っている人がいて、隙間もある。息苦しいほどではない。

 車内に入り、向かいの扉側の手摺に、先生は手摺側を背に立った。俺は先生の前に立ち、吊革に捕まった。


「いつもこの時間なんですか?」

「そういう友瀬君こそ」

「俺は……今日はちょっと早いです」

「そう。私は、職員会議がなかったから、この時間。普段だったら、もう少し早いわ」


 そうなのか。だとしたら運がよかったかもしれない。


「……そういえば。結局どれくらい進めたんですか?」

「イベント?」

「はい。今日の11時までですし」

「一通り集めきったから、満足かな。普段より簡単に回ることはできたし、友瀬君のおかげね」

「俺は……自分のためにゲームしてただけですよ」

「そうね。でなきゃあそこまで準備万端じゃないもの。けど、今後見つけたら取り上げるわよ」

「自分だってやってたじゃないですか」

「もう共闘関係は終わりよ。私は教師だから、あなたが校則を違反してるなら注意します」

「……ずるいな~」

「……そうね。ずるいの、私」


 それから少し、沈黙が流れる。電車の揺れる、ガタンゴトンと言う音が大きく聞こえる。

 窓の外を見る。景色が流れ行き、けれど徐々に勢いがなくなっていった。隣の駅に着くと、俺たちとは反対側の扉が開き、大勢の人が乗車してきた。

 必然的にスペースが限られてくるので、先生を匿うような体制になり、必然的に先生が目の前に収まった。

 先生は丁度俺の口許におでこがくるので、視線を下げるとすぐに先生の頭頂部が見える。

 髪から凄く甘くいい香りがする。シャンプーの匂いなのかとも思うが、シャンプーだけでここまで甘い香りがするものなのだろうか? いやそれよりも、意識すると心臓が爆発しそうだ。さっきから鼓動がうるさい。

 この匂いを嗅ぎ続けるのは不味いと判断した俺は、少し顎を上げて匂いから逃れようとする。ただ所詮は焼け石に水だろう、匂いが薄れる訳じゃないし、無駄な足掻きというものだろう。

 意識を別のことにそらさなくては。


「ここから人増えますよね」

「……そうね。座れると楽なんだけど」

「どうせあと二駅なんだからって思うと、座る気もなんとなく薄れますよね」

「わかるわ。イベントであと二回くらいだからまた後でいいやと思うのと同じね」

「すげーよくわかる」


 今までの勢いはなんだったんだっていいたくなるくらい、あの瞬間はやる気がなくなる。


「あと少しって思うと、そのあと少しが億劫になるのよね」

「なんなんですかね、あれ」

「……燃え付き症候群?」

「真っ白にってやつですか?」

「友瀬君知ってるの?」

「いや、コラ画像とかよく見かけるんで、内容だけです」

「なるほど。多いものね、そういう画像」

「SNSなんかじゃ特に」

「……友瀬君って、実は漫画とかアニメとかと好きなの?」

「まあ……はい。嗜む程度ですけど。声優さんがどうとかは、さすがにわからないですが」

「私もわからないから大丈夫よ」

「……先生も見たりするんですか? アニメ」話の雰囲気から見るとは思うけど、アニメの話で盛り上がる先生が想像できない。

 先生は顰めっ面をして「友達がね。漫画とかアニメとかよくみる、ごく普通のオタクでね。色々と仕込まれるのよ」


 少し呆れ気味に言った。きっと今まで散々、見たくなくとも見させられたんだろう。さすがにいい人がすぎると思う。


「お陰さまで、今期やってるアニメの情報なら網羅したわ」

「仲いいですね」

「高校からの付き合いだけどね」

「……こないだの、好きな人がどうのって言ってた人ですか?」

「ええ。アニメとか漫画の話するだけならなんてことないんだけど、さすがに歳も歳だから、結婚も視野に入れないとね。なんて言われたわ。そこまで歳じゃないし。ていうかお前だってそうだろう」


 後の方になるにつれて口が悪くなる。やっぱりこの人、本来は言葉使いが荒い人なんだな。

 自分が口汚いことを言っていたのを自覚したのか、「ごめんなさい」と口許を押さえて謝った。


「いいですよ。この一週間で、なんとなくわかってましたから」

「私……そんなに漏れてた?」

「まあ……多少ですけど」


 あからさまに項垂れる。「気を付けてたつもりだったのに……」と後悔してるようだった。


「俺は、あまり気にしませんよ?」

「私が気にするのよ。生徒にみっともない姿見せられないでしょ?」

「俺はほら、少しは知ってますから」

「だからよ。だから、私はあなたの前でもしゃんとするの」


 先生の言っていることがよくわからず、首を傾げる。ようは……どういうことなんだ?


「あなただけを特別には思えないわ。皆、私の大切な生徒だもの」


 ああ、そういうことか。ただ恥ずかしいからどうのじゃなくて、俺と他を差別しないってことなのか。いくらお互いの趣味がわかっていても、気を許していたといても、最低限のラインは保つってことか。


「今さらな気もするけどね」と付け加えて、先生は扉の窓越しに外を見る。

 確かに今さらな気もする。けれどこの人はそこからでも、修復を計ろうとしているのかもしれない。自分が教師で、俺が生徒だから、これ以上親密にならないように。

 思えば、おかずの件だって、その延長線上だったかもしれない。だっておかずを渡すだけなら、別にあの場所じゃなくてもいいはずなんだ。受け渡すにしろ、受け取るにしろ、学校の外で誰かに見られないのなら、どこだって構わないだろう。けれどその考えすら出てこなかった、ゲームを一緒にできないという理由で、遠回しに断った。

 あれも先生なりの、距離の取り方だったのかもしれない。

 それがきっと正しいことなのはわかってる。けれども、俺はそれを看過できない。納得もできない。

 なくす必要なんてない。戻す必要もない。だから俺は、決めたんだろ。


 電車が学校の最寄り駅に到着する。扉が開き、俺の先生は電車を降りた。

 少し先を歩く先生の背中を見ながら、俺は「よし……」と呟き、気合いを入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る