八:弾き合う火種達

 役に立ちます。

 役に立ちます。

 誰よりも役に立ちます。

 誰よりも犠牲になります。

 誰よりも、誰よりも。

 だからどうか。


 どうかぼくを。



八:弾き合う火種達



 幾人もの子供が倒れ伏していた。彼等の心臓は既に動きを止め、その体は光に包まれて、やがて、赤い石を残して消えてしまう。それを拾い上げて、男――ヨハンは、色素の薄い髪をひとすくい、耳にかけた。その白い衣服は、返り血すら浴びてはいない。

「リトル」

 戦場からは、絶え間なく怒号と爆音が響き渡る。その喧騒にも、黒の帝国の子供達を殺した後という事実にも、あまりに不釣り合いな落ち着いた声で、ヨハンは傍に控えていた少年の名を呼んだ。

 少年、リトルが顔を上げる。癖のある灰白色の髪は、少々、彼のアメジストの瞳にかかっていた。大きめの眼鏡の向こう、その目をぱちくりと瞬かせる。

「黒の帝王がお越しになるまで、黒の『数』を減らしていてくれますか?」

 ぴく、とリトルが小さく反応する。その瞳に宿った少しばかりの不満に、ヨハンは小さく笑って、付け加える。

「貴方だから頼める仕事なんです」

「……わかり、ました」

 ――拗ねた子供のように、ではあるが、リトルは少し舌っ足らずに頷いた。

 リトルの肌は、浅黒い。露出したその褐色の背中からは、凡そ人に生えるものではない――紫色の、触手が、ぬめぬめと粘度を纏って生えている。それを大地に打ち付けて、リトルは飛んだ。

 ――飛んで、跳ねて、リトルは破壊された都市部の中に一つの影を見付けて、その背後に着地する。

「何をしている、ですか、ルドルフ――、様」

 そうして、影の持ち主たる男に向けて、呼びかけた。呼びかけられた男、ルドルフは瓦礫に座ったまま振り返る。その無表情は、相変わらず1ミリたりとも変わることは無い。それに、リトルは嫌悪したような顔をした。

「何を、とは?」

 仮にも部下にあたるリトルの、言わば不遜な態度など気にもしていないのか、それとも思うところがあるのか。その鉄仮面からは読み取ることが出来ない。リトルはさらに顔を顰め、唸る。

「なぜ、ここに、いるですか? 仮にも――不本意、ですが、貴方は総帥の副官、です。やるべき事は多く、あるはず」

「……相変わらず、『身刻み』らしいな」

 答えにならない言葉にリトルの睨みがキツくなるが、ルドルフの表情はやはり変わらなかった。

 ――触手が背中から生えているために、リトルは普通の上着を着ることは出来ず、上半身は短いケープを羽織る程度である。そして――ケープの隙間から見える首に、斜めの打ち消し線を引かれた十字架が刻まれている。

 身刻み。それは、リオやリトルのような、その身に白の印を刻んだ、過激派の別名だ。その名を、彼等は栄誉あるものとして受け取る。

「……時間にはヨハンの元に戻ろう。少し野暮用があるだけだ」

 そうとだけ答えて、ルドルフは歩き出す。リトルは眉間の皺を深くして――拗ねた子供のように、呟いた。

「……アンタ、なんか。総帥の右腕だなんて、認めません」

 届かぬ怨嗟を吐き捨てて、リトルはまた、触手を打ち付けて飛び去っていった。



「――幻想の霧フォギング・ワンダーランド

 戦場に立った南斗は、瓦礫に身を隠しながら囁く。その声に従って彼女の足元から発生した霧は、瓦礫の向こう、能力をぶつけ合い殺し合う二人を包み込む。

 ――途端、彼等の戦いは噛み合わなくなって、遂にはお互いにお互いの頭をぶつけて気絶した。

「……や、やった」

 それを確認し、南斗は少し顔を輝かせて瓦礫から這い出る。幻術により巧みに彼等の認識をズラして自滅させるという、そもそも幻術をかけようとしていることに気付かれてしまえば不可能な芸当。それこそ、戦争の混乱状態、お互いの戦いに夢中になった隙だらけの者達にくらいにしか叶わないだろう。幻術の能力者である南斗一人にはそのようなことしか出来ない。

 しかし、十分それでレジスタンスの目的は果たされる。そう言ったガルドの言葉が、生来は臆病で自信の無い南斗の足を戦場にしかと立たせていた。

 ――その時だ。

 遠くから響いた爆発音に、小さな体はビクリと震える。その音に達成感は掻き消され、南斗に無情に事実が突きつけられた。目の前の二人の戦いを鎮めたとしても、この地ではまだ何百、何千の子供達が殺し合いをしているのだと――

「っ、ぼ、ぼんやりしてちゃ、だめ」

 自分に言い聞かせ、南斗は震える足を叱咤して立ち上がる。いつまでも、戦場には慣れることはない。恐怖もある。だが、レジスタンスとして、自分も皆の役に立つのだ――そんな、小さくも確かな意思で、彼女は足を踏ん張らせた。

「次に、行かなきゃ……」

 その足を踏み出そうとして――無防備に気絶した白と黒の戦闘員を視界に留めて、南斗は一つの懸念を抱く。

「……っあ、えと、この人達、隠さないと、殺されちゃう、かも」

 死者を出さないために立ち回っているのに、殺されてしまっては本末転倒だ。焦りから少々悪くなった手際ながら、とりあえず物陰に隠そうと一人ずつ引き摺っていこうと、肩に手をかけた。

《――南斗!》

「!」

 響いた声に、南斗はぱっと顔を上げる。片耳に手を当て、そこに装着された通信機――ノワールのお手製である――から響く声に、耳を澄ませた。

「ルイン?」

《今お前が居る場所から北西、白と黒の『ネームド』がぶつかっとる。介入して被害を抑えぇ》

「……分かった」

 ――ネームド。

 数百人のメンバーを擁する白の政府と黒の帝国。その中でも、組織外へも名を知られている主要メンバーを指す名称である。名を知られている、ということは、それだけ戦果を挙げた実力者ということだ。即ち――彼等が暴れれば、被害は桁違いに跳ね上がる。

 レジスタンスの目的はできるだけ死者を出さずに抗争を止めること。だが戦力には限りがある。優先順位を付けずに手当たり次第、ということは、出来ない。

 ネームド同士の争い。それが生じた時点で、最優先事項はその対処となる。気絶した『ネームレス』二人を申し訳程度に隠し、南斗は辺りを見渡した。

「……ルイン、戦っているのは?」

《黒は『リーフィ』、白は『スティア』。どっちもやり手や、気ぃ付けぇよ》

「うん。……他は?」

《南の方で黒の『ロッソ』と『リーベ』が白の『洋』、『篠』とぶつかっとる。そんで東で……動きのルートからして、じきに黒の『葬藍』と白の『リオ』がぶつかってまうやろな。南はディーリアが、東はフロストが向こうとる》

 通信越しのルインの息は荒い。戦場の把握の為に、都市部全体に『真実の耳トゥルーイヤー』を使っているのだから当然だろう。彼の脳にはけたたましく、今この都市部で犇めく数百人の声が響いている。その声の中、必要な情報だけを拾い、レジスタンスメンバーに指揮を下す彼の負担は計り知れない。

《余計な事考えんでええねん、これが僕の仕事や。僕の為言うならお前の仕事をせぇ》

 ――南斗の心配もまた、彼は聞き付けたらしい。相変わらず刺々しく言う彼は、いつもの顰めっ面をしているのだろう。

《……ついでや、今の状況を教えとく。向こうの作戦通りなら居るはずの――黒は『ユース』が、白は『インセント』と『コープ』が都市部内に居らん》

「……! まさか向こうに僕達のことがバレて作戦変更を、」

《『ユース』の方は寝坊したから置いてきたらしい》

 危惧は一瞬で打ち砕かれ、思わず南斗はがっくりと肩を落とした。自由を掲げる黒らしいといえばらしいのかもしれないが、と、溜息を禁じ得ない。

《やが、『インセント』と『コープ』は分からん。白の方も何で居らんのか把握しとらんのや。ちょお厄介かもな》

 ――抜けた気は、次のルインの言葉で再び引き締められる。

《『ユース』の寝坊も蘭あたり関わってそうではあるんやが……奴め、都市部の端っこにおる。遠すぎて細かい声が聞き取れん》

「……そっか」

《……まあ考えんのは僕の仕事や、お前は北西に――ッぐ、》

「ルイン!?」

《ッええ! 早う行け!》

 ブツン、とやや乱暴に通信が切られた。たじろぐが、南斗にも彼のために出来ることはここで右往左往していることではないことはわかる。いくら自分が心配しようが、そもそも心を読める訳でもない自分はルインの居場所もわからない。ならば、与えられた役目を全うするしかない。

「っ……皆、無事で……」

 祈るように零して、南斗はルインに示された方へと駆けた。


 一方、ルインは、己が切った通信機を握りしめ、大地に膝をついて――『耐えて』いた。

「ルイン」

 傍まで来ていたガルドが気遣わしげに見上げている。いつもならその姿に笑顔を向け、何か言葉を返せていただろう。だが、今はそんな余裕もない。

 『真実の耳トゥルーイヤー』はC地区都市部全体を聞き取っているが、当然、距離がある者ほど声は聞き取りづらい。細かい思考の声は耳を澄ませても聞き取れず、今C地区の隅にいる蘭のように、大体の距離を把握するのが精一杯だ。

 それは、『一線を超えた』己の、最後に残った制御装置でもあるのだろう。だが、その制御――防衛も、距離が近くなれば関係ない。心の声を、煩く聞きつける。

「……ックソ、」

 ――すなわち、これは。

 けたたましく響く戦場全体の『声』を裂いて、己の脳味噌を叩き付ける、これは――

 そこまで思考して、ルインは暴力的に響く頭を抑えながら、顔を上げた。

「……っ近付いて、来てます。

白の政府、『総帥』の副官――ルドルフが」

 忌々しく――ルインにとって、最も近付きたくない『天敵』の名を落とす。ガルドがビーズの間に小さなシワを作った。

「まずいな」

「まずいです、奴がいると僕の耳は、――っ!」

 びくり、とルインが肩を跳ねさせる。そうして、苦虫を噛み潰したような顔で唸った。


「……『葬藍』と『リオ』が接触……! これで、ネームド三組の殺し合いです!」



 ――都市部、東。最早都市部としての景観は失われ、ただ崩れた瓦礫が散乱する荒地と化したその場所で、金属同士がぶつかり合う音が、火花が弾けて響く。ぶつかった二人はお互いに後方に飛び退いた。片方、着物を半分肌蹴させた女――葬藍が、身の丈ほどの太刀を振るい、空を断つ。対する、赤いバンダナを首に巻きつけた女、リオの手元に武器はない。

「はははっ! やっぱいいなぁコロシアイは! もっと楽しもうぜ!!」

 葬藍が吠えるように笑った。途端、リオの後ろに居た白の構成員の中で悲鳴が上がった。リオが見遣れば、彼等は各々身に纏っていた白い衣服に赤い血を滲ませて、蹲っている。

「退け。お前達がここに居ても無駄に傷を負うだけだ。私は奴に『好かれている』ようだがな」

 冷徹に、リオは視線を葬藍に戻して、部下に向けてそう言った。ひぃ、と情けない悲鳴をあげた彼等が後退るのを気配で確認し、リオは葬藍を睨む。

「……全く、面倒な能力だ」

 葬藍の能力はリオもよく知るところであった。『悪意は刃に、愛は花にデッドエネミー・アライブラバー』――能力の範囲内にいる人間は、彼女に悪意を持つ限り時間の経過と共に見えない刃に切り裂かれる。逆に彼女から好意を持たれる限り治癒や身体能力の向上の加護を受ける。そういう、自動発動型の能力だ。リオの体は、リオが葬藍に向ける敵意によって血を吹き出す。だが同時に、葬藍がリオに向けているらしい好意によって、その傷は瞬く間に消えていく。

 ――敵味方を区別しない。ただ『感情』によってのみ働く。能力は多種多様に存在するが、葬藍の能力もまた、特殊性が高い。

 だが葬藍にはそんなことは関係ないらしい。

「これほど単純な能力はねぇだろ? 俺は弱い奴は嫌いだ。だからネームレスの雑魚共は嫌いだ。強い奴は好きだ。だからテメェは好きだぜ。

だから殺し合おうじゃあねぇか。――なぁ? 『金剛の盾ダイヤモンドイージス』」

 葬藍がニタリと悪辣に笑った。ついと、太刀の切っ先をリオに向け、その瞳を細める彼女と――反対に、リオは不機嫌に目を眇める。

「……能力名で呼ぶな。これだから、黒の犬は礼節を弁えない」

「犬呼ばわりはレーセツ弁えてんのかよ」

 葬藍の横槍には返事をせず、リオは左腕を持ち上げる。その真っ直ぐに伸ばした腕は――パキパキと音を響かせ、指先から肘にかけて、範囲を広げるように硬質化していく。

 『金剛の盾ダイヤモンドイージス』、それはリオの能力名――彼女の体はダイヤモンドのように硬くなり、鋭くなり、盾にも刃物にもなる。彼女の武器は、その身一つだった。

「……黒の帝国。貴様らは、この私が掃討し。

我等が総帥に、『心臓』を捧げよう」

 鋭い刃に、そして硬い盾になった腕を振るい――大地には土煙が舞い上がる。

 火花が散った。

「知ってるぜリオ、テメェの能力は『硬化出来るのは一つの範囲だけ』、さらに『関節を硬化したら曲げられない』。全身硬化しながら戦うなんてこたァできねぇ」

 太刀と鋼の腕が噛み合い、弾き合い、ぶつかり合う。轟音が響き、衝撃が辺りの大地を抉る。

「――つまり! 俺の太刀もテメェの硬化も! 攻か防か、選べるのは一つだけ――

身一つの殺し合いだ! 最ッ高に滾るぜェッ!!」

 太刀がリオの肩を斬る。血が吹き出るが、リオは表情も変えずに葬藍の太腿を切り裂く。葬藍もまた笑ったままだ。お互いに深くは切らさず、されど防ぐ暇はなく――太刀と鋼腕はぶつかって、衝撃となった風が周囲を吹き飛ばす。ノーガードの斬り合いは抉られ隆起された大地を赤く染める。

 またひとつ、瓦礫が砕けて塵となった。


 ――また同時期、都市部の南において、雷光が迸った。

「もー! 鬱陶しいなぁ!」

 叫びと共に雷電が大地を抉る。それは『目標』を捉えることは出来ず、だが吹き飛ばした小石は鋭く――後方にいたロッソの顔へと飛んでいく。

「リーベ! 無闇矢鱈に暴れるな!」

「だってぇ!」

「だから放電すんなって!」

 咄嗟に避けた彼はズレた眼鏡を直しながら雷電の中心――リーベに叫ぶが、彼女は駄々っ子のように聞こうとしない。また四方八方、雷が落ちる。

 この場所は元は、都市部の公園だ。だが遊具はほとんど焦げ付いてへしゃげているか――どす黒く溶けて、黒い錆を露出していた。

「あはぁ、怖ぁい」

 全く怖いとは思っていないような笑い声が、雷電が弾ける音の隙間から、やけに大きく聞こえた。

 リーベが対峙するのは、扇情的な胸を強調するドレスを纏う一人の女だ。長い、パーマでうねらせた薄紫の髪を手櫛で整えながら、垂れた黒い瞳を歪めて笑う。そんな彼女の足元は――芝生が枯れ、紫に変色し、グズグズに溶けて葉が落ちる。落ちた葉はそのまま、ぐじゅりと嫌な音を立てて崩れた。覆う緑を失って露出した地面もまた、どす黒い紫に変色して泡を立てている。

 リーベは彼女を睨みつけ、また指に電撃を纏って――破裂音。対する彼女は動かない。

 雷は、彼女の後方、全く見当違いな方向に落ちて、とうに崩れたジャングルジムを焦がす。

「そんなに猛るもんじゃないわヨ? だってアンタ――」

 女が笑った。

「私が何処にいるかも、わかんないクセに」

 ――まずいな。

 唯一形を保っているドーム型遊具の影に潜みながら、ロッソはそう歯噛みする。

 リーベが対峙する女の事は、黒の参謀として、何より『ネームド』の一人として、ロッソもよく知っている。その名は『洋』、白の政府所属――そして、その能力名は、『腐敗する世界ポイズンワールド』。

 長い戦争だ、データとしてはよく知られている。彼女、洋は己の体に物体を劣化させる毒を宿し、触れることで対象を毒に侵す。人間を殺すほどの毒ではない。だがそれは植物を腐敗させ、金属を錆びつかせ、水に毒素を含ませ――そして、人間の感覚機能を狂わせる。

 歯を食いしばり、ロッソは己の耳に、その裏に取り付けられた通信機に手を当てた。小さな機械音と共に、繋がる。

《悪い、リーベ。参謀の俺のミスだ。お前をみすみす不意打ちに遭わせた》

 通信機を使う必要の無い距離だが、こちらの方が『届く』だろうと、直感的に思った。

《……いーよ》

 そして、それは正しかったらしい。通信機越しに、先程より落ち着いたリーベの声が聞こえる。

《私も気付けなかったし、ロッソだけの責任じゃないでしょ。寝坊で作戦すっぽかしたユースは後でシバくけど》

 だから、と加えて、リーベの笑う声がする。

《さっさと“ひっくり返し”ちゃって》

「……簡単に言うよ、全く」

 切れた通信機に向かって、ロッソも笑った。銃声が響く。

「ね、作戦会議終わった? 黒の帝国の参謀、ロッソくん」

 クルクルと片手で拳銃を弄ぶ、キャスケット帽を被った少女がそう笑った。

 風のせいで少し乱れた髪は胸元までの長さのライトブラウン。猫のような桃色の瞳を細めて、再度、鋼のドームを鉛玉にて凹ませる。

「ご丁寧にお待ちいただきドーモ、白の政府ネームド、篠」

 ロッソは吐き捨てて、銃弾の餌食にならぬよう身の位置には気を付けながら、様子を伺う。

 白の政府の篠。彼女はネームドとして名を馳せながら、その能力については知られていない。篠が戦争で扱うのは専ら拳銃で、能力を全く使わない故だ。だからこそ、ロッソは上手く動けずにいた。

 相手を知らないということは、既に戦いにおいて不利に置かれている。こちら側のことが知られていたならば尚更だ。ロッソの能力も、リーベや洋のように前線で使うべき物ではなく知名度は低いが――目の前で使えば、知名度など関係ない。

 ――だが、俺達は既に不利だ。

 ロッソはそう、意を決した。能力を発動する。彼の目の前に、何処からか、22枚のカードが浮かび上がった。それに篠も気付いたらしい、彼女が笑う。

「黒の参謀殿の能力発揮? 良いじゃん、見せてよ」

 そう言いながら、迷いなく発砲した。弾丸はドームの隙間からロッソの頭を真っ直ぐに狙い――

 しかし、ロッソに届く前に見えない何かに防がれる。

「……『皇帝』、これを正位置に置いて、『弾丸の防御』の発動だ」

 ロッソがそう、22枚のうちから抜き取り、表に掲げた1枚のカード。そこにはIVのローマ数字と、玉座に座る男の絵が描かれている。

 ロッソは手早くそのカードを22枚に戻した。22枚は裏返り、自動的に入れ替わり位置を変え、またロッソはそのうちの1枚を引く。

 ――表返したそれは、VIのローマ数字。

「……『恋人』だ! クソッ! 逆位置に置いとくから『白二人はコケとけ』!」

「わっ」

「あんっ!?」

 やけくそのように叩きつけた言葉と共に、篠と洋が突然よろめいた。洋に至っては尻餅をついて「何よ!」と文句をあげる。そして、文句をつけたのは白の二人だけではない。

「ちょっとロッソ! 早く毒治してよ!」

「うるせぇ『運命は掌にハンド・オーバー・ディスティニー』はランダムなんだよ!!」

 先程の空気はどこへやら、不服を垂れるリーベにロッソも何度目かのカードを引き直しながら叫び返した。黒の面々が居たならば「またじゃれ合いか」と呆れそうな光景は――しかし、銃声によって途絶える。

「タロットカードで引いた通りに運命をねじ曲げる能力……ってとこかな、面白ーい」

 ロッソの頬に赤い液体が伝った。いつの間にやらドーム型遊具は毒でグズグズになって壁の役目を果たしていない。掠めた銃弾はロッソの足元に煙を上げて埋まっている。

「んもう! 乙女を転かすなんて最低ヨ!」

 慌ててドームから離れたロッソを洋が睨む。彼女とは離れた場所で、篠は拳銃を構えて笑った。

「でも何のカードが出るかは運任せ。電気の子、リーベちゃんは毒で役立たず。実質二対一よね」

 ロッソはリーベと肩を並べ、背中を預ける。そうして、こちらも、挑発的に口角を上げた。

「――そうでもないな」

 カードを掲げる。数字はⅩⅢ――絵は、鎧を着て馬に跨る骸骨。

「逆位置の『死神』。『リーベの毒は治癒する』」

 ふらついていたリーベの足取りは、すっと確かなものとなった。光を取り戻した琥珀の瞳が瞬く。

「……さっすがロッソ!」

「調子良い奴……」

 バンバンとロッソの背中を叩くリーベにロッソの呆れた溜め息が虚しく漏れた。溜め息ついでに、彼は見上げる。白二人のいる方ではなく、更に上をだ。

「二対二でもなくなるな」

 紫に腐敗しきった公園、その向こうの道から、一人の少女が現れる。それを見て、レジスタンス、と呟いたのは誰だったか。

「うわ公園がドロドロ! もー、ネームドって加減ってモノが無いよね!」

 そう文句をつけて、彼女はビシリと指を指す。


「レジスタンスとーちゃく! 生憎だけど、この抗争は白も黒も勝てないよ!」


 彼女は――ディーリアは真っ直ぐに見据えて、笑った。



 ――そして、都市部北西。

 その場所は、本来はビル街である。コンクリートで整備された道路にコンクリートのビルが並ぶはずの場所である。だが、今は――正真正銘の、ジャングルと化していた。ビルも道路も、草木に飲まれて最早灰の色すら覗かない。幾つかは木々の重みに押し潰されたか、中から破壊されたか、本来の建物の高さよりも随分低い植物の山となっていた。

 どこからか、植物の蔦が鋭く伸びる。それは真っ直ぐに、ジャングルの中心に立つ白色へと向かって――

 ――白色、スティアは、蔦が己を捉える寸前、その緑に噛み付いた。

 ぐじゅる、嫌な音が成る。噛み付いて剥き出しになったスティアの歯の隙間から、闇色の、赤子の手のようなものがいくつも伸びる。その手が蔦に絡み付いて、スティアは口を開く。

 蔦は、解放されない。寧ろどんどん引き摺り込まれていく。赤子の手に引き摺られ、白き彼女の口内へ。

 否。否、口内に『居る』、何かへと。蔦が、ツタを伸ばした樹木が、その樹木が絡んでいたビルが、土台も土も巻き込んで、抜き取られ――

 人の体の何百倍もの質量の、その全てを飲み込んで、スティアは口を閉ざした。

「うふふ、うふふふ」

 植物の隙間から声がする。柔らかな、女性らしい声だ。

 艶のある緑の髪、その髪をカチューシャのように編み込んで、その先で三つ編みの二つ結びを垂らす。優しげな瞳は、髪と同じ透き通った色をしていた。そんな少女が笑っている。

「素敵、素敵ね、いっぱい食べる子も私は好きよ」

「……食べるとかそういう次元じゃないんだがな」

「うふふ、知ってるわ、白の政府のスティアちゃん」

 顔を顰めたスティアに向かって、少女は笑みを深めた。

「『悪食の胎児フェートス・グラ』。悪食の胎児フェートス・グラをその胃に宿し、噛み付いたものを口の中に引き摺り込んで呑んでしまう。知ってるわ、可愛い女の子の事だもの」

 つらつら、歌うように、上機嫌に連ねられる言葉に、スティアの眉間の皺はさらに深まった。そんな顔にも怯まずに、少女は寧ろさらに恍惚と目を蕩かせる。

「そんなに見詰めないで? 照れてしまうわ。ああ、私の能力も興味があるのかしら? うふふ、女の子になら教えちゃう。『常緑の恵みをフローラグレイス』、植物を操る能力なの」

「見れば分かる。噂に違わぬ女好き、黒の帝国のリーフィ。……やりにくいな」

「私は嬉しいわ、むさ苦しい男なんて木々の養分にもならないもの!」

 だから、とリーフィが笑うと共に、木々が一斉にざわめいた。

「いっぱいいっぱい、愛でてあげるわね」

 揺れた木からいくつもの葉が散って落ちて、それは宙にて止まり――刃となって、一斉にスティアの方へと襲い掛かる。対するスティアもまた、大地を蹴って、リーフィへと牙を剥いた。

 ――そして、ジャングルの端、植物の影に、もう一人。

「……こ、これ、どう止めれば」

 ルインの指示通りの場所に辿り着いた南斗が、身を隠しながら様子を伺う。舞い踊り暴れ狂う植物と、身一つの男のような女――その戦いは壮絶で、南斗が手を出せば簡単に吹き飛ばされてしまいそうな圧がある。だが、だからと言って逃げ帰るわけにもいかない。

 幸いにしてまだどちらにも南斗の存在はバレていなかった。ならば今のうちに幻術をと、意識を集中しようとした、その時だった。


「――黒の帝王だ!」


 恐らく、どこか、付近で戦っていた白の政府のネームレスだろう。そんな声が響いた。

 南斗は咄嗟に――反射的に、その姿を探した。探してしまった。

 ――見付けた、崩れた瓦礫に降り立ったその姿は、この場所から存外近い。狼のような獣から飛び降りて、凛と立つ、長い髪を靡かせた幼い少女。黒を総べる、帝王。黒乃ウタ。

 白の政府のネームレスが少女に気が付き、武器や能力を構えて――恐らくは突然のことに気を狂わせたのだろう――無謀にも、襲いかかった。南斗は、己の血の気が引く音を聞く。

 少女の傍に控える黒の双璧――ジャック、そして獣の姿を解除したケルベロスを手で制し、帝王は笑った。

 その垂れた翠の瞳が。


 黒き渦を浮かばせて。

 赤く、

 赤く。


「――『跪きなさい』、無礼者」


 聞こえてしまった。耳を塞ぐのは間に合わなかった。その声は距離など関係なく、開いた聴覚に届く。何故ならば――ウタの存在を認識してしまったのだから。

 南斗の体が崩れ落ちる。同様に、襲いかかったはずのネームレスは、皆等しくその地に頭を垂れていた。否、頭を垂れさせられたのだ。

「嗚呼、ウタ様」

 別方向、ジャングルの側から、リーフィの恍惚とした声がした。見れば、彼女等もウタに気付いて目を向けている。スティアは苦しげに、耳を塞いで、だ。

「素晴らしい、素晴らしいわ……! 誰よりも美しく、可愛らしい、我等が帝王!」

 リーフィの感極まった声が、嫌に響く。

「『絶対王命パーフェクト・オーダー』……! なんて、ウタ様にピッタリの能力なのでしょう!」

 リーフィの賛美は聞こえているのかいないのか、ウタは悠然と微笑んでいる。瞳は未だ、赤い。

「貴方達、白の鼠ね?」

 形のいい唇が吊り上がる。南斗の背筋が冷たくなった。

「では、この私、黒の帝王が命令しましょう」

 その声だけは、あまりに優しく。唇が、ぱくりと開いて。


「『自害なさい』」


 ――武器が、小さく鳴いた。

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