六:抗争前夜
沈黙は金である。
敢えて言わないでいることは、果たして嘘吐きの所業か?
六:抗争前夜
「そんなに信じられないなら、『聞け』ばいいじゃないルイン。君のその、『
――来た。
強ばりそうになる体を何とか抑え、平静を、或いは『聞き慣れない言葉』に困惑しているだけである風を装う。彼等の中では、結はまだ、ルインの能力を知らない筈だった。
「『
イルドバッハが結の肩に凭れるように顔を寄せる。そうなんですか、と初めて聞いたように相槌を打ちながら、結は密かに、どうやって切り抜けようかと思案した。蘭との出来事をばらす訳にはいかない。そんなことがあれば、ルインの結への疑心は決定的なものになるだろう。
――しかし。
黙っていていいのだろうか、という思いもある。蘭の言いなりになって、レジスタンスの皆に秘密を抱え、勝手な行動をしていいのだろうか。それは自分を信じようとしてくれているガルドやイルドバッハ達への裏切りではないのだろうか。
ガルドやイルドバッハは沢山、この世界のことを教えてくれた。ルインも――ノワールに聞かれたからとはいえ――何故結を疑うのかを話してくれた。
彼等は結に誠実に接してくれる。ならば、彼等に信を求めるというのなら――自分が、誠実でなければならないのではないか。
ルインはじっと結を見ていた。しかしやがて目を逸らし、跪いて、腕に抱えたガルドをそっと床に置こうとする。
「待ってください」
その動きは、結の言葉で止まった。屈んだ体勢のまま、ルインは結を睨み上げる。
「俺は、さっきイルドバッハさんと出掛けた都市部で、蘭と名乗る男に会いました」
その場の視線が結に集中した。イルドバッハも、驚いたように目を見開いて結を見る。
「……都市部やと?」
「俺から連れ出したんだ、気晴らしになるかと思ってな」
ルインの訝しげな声にイルドバッハが答える。彼はまた結を見て、首を傾げた。
「もしかして、さっき……校章盗られたアレか?」
「はい。盗ったのは蘭が飼ってる兎みたいでした。俺を呼び出すために兎を使って校章を盗ったんだと、本人が言っていました」
「蘭、ねぇ」
イルドバッハと結の会話を聞き、ノワールはにまりと笑う。自身の顎に添えた指を頬に滑らせて、喉を鳴らした。
「その名前の男は、確か『黒の帝国』の主要なメンバーの一人だったはずだよ」
黒の帝国。
その名前を聞いて、結は息を呑む。確か、この世界に来て一番初めに会った少女・リーベの所属する――『自由』を求める集団。
かたん、と物音がして首を動かすと、いつの間にかルインが立ち上がっていた。その腕に、ガルドは居ない。彼の、開かれた瞳がじっと結を見ている。普段は隠れている右目も見えた。赤い右目と、金の左目のオッドアイ。それが結の全てを見通すように、結の目を貫いている。退きそうになった足を、結はギリギリで踏み留めた。代わりに顔を上げて、しっかりと目を合わせる。
視線が重なり合って、暫しの沈黙。それを破ったのはルインの溜息だった。
「……
「!」
既に能力は使われていたのだと気付いて、結の体が強ばる。前兆があっただろうか、全く気付かなかった――そんな困惑を素知らぬ顔で、ルインは顔を背ける。
「あったんは馬鹿正直な『誠意』だけ。こないな馬鹿、疑う方がアホらしゅうなるわ」
彼は屈んで、再びガルドを抱え上げる。そして靴を鳴らして、会議室の扉に手をかけた。
「話の続きは中で聞く。ぼさっとしてんとさっさと入りぃ」
そう冷たく告げて、彼は扉を開けて中に入ってしまった。扉は開けっ放しだ。呆然としていると、背中を誰かに叩かれる。振り向いた先にはノワールがやはりにまにまと笑っていた。
「おめでとう結。我等が参謀殿の入団試験、合格だ」
「……!」
目を見開いた結に、ノワールがまた笑う。その笑い声でハッとして、結は顔を引き締めた。分かりやすく喜色に顔を輝かせるなんて幼い子供のようでなんだか気恥ずかしい。
「早う入って来ぃや!」
部屋の方からルインの怒号が飛ぶ。びくついた結と笑い続けるノワールに、苦笑したイルドバッハが「行こうぜ、俺も話の続き気になるしさ」と声を掛けた。
部屋に入ると、そこが他より広く作られていることに気が付いた。中には簡素な円卓が一つ、それを囲んでレジスタンスの人々がそれぞれの椅子に座っている。
「あっ、結ちゃん!」
最初に反応したのはディーリアだった。ぱあっと顔を輝かせて立ち上がる。がたんと椅子が揺れた。
「結ちゃんもルーちゃんに認められたんだ! 良かったー! あっ、今日はイルちゃんも会議に参加するのね!」
「る、ルーちゃん……」
そんな可愛らしい呼び方をされているのか。思わず結はルインの方を見るが、彼は動じた様子もなくガルドを抱えたまま椅子に座り、「足りん分の椅子は隣から持って来ぃ」とすげなく告げる。ルインが案外心が広いのか、ディーリアが大物なのか、結には判断がつかない。ただ、冷たい態度は生来のものであるようだった。むしろガルドへのでろ甘な態度が特別なのかもしれない。
呆然としていると、いつの間にか姿が見えなくなっていたイルドバッハが、結達が入ってきた扉とは違う扉から二つ椅子を抱えてやって来るのが見えた。どうやらその向こうは置物部屋らしい。
「あ、イルドバッハさんすみません」
「気にすんなって、結の席はここでいいか? あーすまん、南斗とフロストちょっと詰めて」
声掛けをしながらイルドバッハは二つの椅子を円卓に沿って置く。ノワールはいつの間にか自分の席に座っていた。
置かれた椅子に腰を下ろす。イルドバッハとフロストの間に座るような形で、結は息を吐いた。
「さて、結。ここにいる全員に一から話しぃ」
そのルインの言葉で、結に視線が集まる。若干の緊張が結を襲うが、それでも口を開いた。
「さっき、イルドバッハさんとC地区の都市部に出て……イルドバッハさんと離された上で、『黒の帝国』の蘭の接触を受けました」
「えっ、結ちゃん大丈夫!? 怪我ない!?」
ディーリアがガタンと椅子を鳴らして勢い良く立ち上がる。最初に出てくる声が懐疑ではなく心配とは、と、少し結は笑えた。きっと自分の判断は間違っていなかった、と。
「攻撃は受けてないから大丈夫」
そうディーリアに笑いかけ、結はまた顔を引き締めて円卓に向き直る。
「それで、蘭は俺に、明日の抗争中、俺に黒の帝国へ乗り込むように言いました。暴れる必要は無いとも言われています。人数の指定はされていません。目的はわかりませんが、『助け出したい奴等が居る』とは聞きました。蘭の目的はともかく……手段として、今回の抗争を長引かせたくはないようです。
そして……蘭は黒斗のことを何か知っているようです。盗聴器を仕掛けた兎を使って潜入させたような言動もありました。奴は今夜、俺の返事を聞きにまた兎を送ると言っていました」
「……! 南斗!」
最後の言葉を聞いて、ルインが鋭く指示を飛ばす。イルドバッハの隣に座っていた南斗がぱっと背筋を伸ばし、瞼を伏せた。
暫くの後、彼女は目を開く。
「探知無し。少なくとも今は、レジスタンスメンバー以外の生命体は居ない。
そもそも『
「……つまり、昨日イルドバッハとフロストが結を連れて来た時に尾行されとった可能性が高いな」
じとりとルインはイルドバッハを睨む。睨まれて、イルドバッハは気まずげに頬をかいた。
「……ぼくが、気付くべきだった。ごめん」
「いやいや南斗は気にすんなって! 俺がうっかりしてたんだ、な?」
慌ててイルドバッハは落ち込んだ南斗の頭を撫でる。ルインが息を吐いて、「今後気を付ければええ。今話すべきはそこやないわ」と椅子に深く腰掛け直した。
「そもそも会議室は防音されとるし、外から聞けるこたない。それに僕らが会議しとる時に都市部で兎を見たんなら、少なくとも僕らの話は向こうには伝わっとらんはずや」
「うん、そうだね……タイミングが被っちゃったけど」
ディーリアが頬をかく。その意味を掴みきれずに結が彼女を見ると、その隣のノワールがにまりと笑んだ。
「結とイルドバッハの為に、私達が会議で決めた方針も話そうか」
そう言って、ノワールは人差し指を一本立ててみせる。
「私達はね、この抗争を『中断』させるために……レジスタンスを、戦場に行くメンバーと『黒の帝国』と『白の政府』に乗り込むメンバー、その三つに分けることにしたのさ」
「……乗り込むだって!?」
その言葉に反応したのはイルドバッハだった。ガタンッと椅子を揺らし、彼は体を乗り上げる。
「正気か!? それはつまりポイントを……」
「勿論目的はそれじゃない。だけど相手方にとっては致命的な筈だ、無視なんて出来ないさ」
「けど……」
「ヘイトは溜まるかもね。でも仕方ない、ヘイトは下げられるが死人は戻らない」
ノワールとイルドバッハによって繰り広げられる応酬についていけなくて、結は押し黙る。そんな結の袖を引いたのは隣のフロストだった。
「……あの、ね。黒と、白は、ポイントを、奪い合ってる、の」
「え、ああ、そんなこと言ってたな……」
先程まで黙っていた彼女の突然の言葉に面食らいつつ、説明しようとしてくれているのだろうと聞く体勢を作った。フロストは話すことがあまり得意ではなさそうだが、それでも懸命に言葉を探しているようだった。
「それで、ね。奪ったポイントは、黒も白も、アジトのどこかに、溜め込んでる。折角溜めたものを、奪われたく、ないから、二つとも、アジトに、敵陣営を入れないように、してる。だから、アジトに入られたりしたら、ほっとけ、ない」
「大体フロストの言った通りや」
そうフロストから言葉を引き継いで、ルインは言葉を落とした。
「戦争の目的はポイント稼ぎ。黒と白は『いかに自分たちの消耗をせずに』『相手を殺してポイントを稼ぐか』を競っとる。
そんな戦争を休止させるために……どちらかを一方攻撃して、敗北を確信するほど追い詰めて撤退させる方法もあるっちゃある。せやけどそれは撤退する側の被害が大きいし死者が出る可能性と、勝ってる側が追い詰めに行く可能性が高い。やから却下。となれば、『両陣営とも、死者が出ない程度に、撤退せざるを得ない状況にする』ことが必要になる」
そこまで言って、ルインは目を開いてメンバーを見据えた。
「せやから、拠点にあるポイントを奪いに行く」
隣でイルドバッハが息を飲んだ。構わずに、ルインはまだ言葉を続ける。
「実際には奪わん。そう見せかけるだけや。ポイント稼ぎのための戦争なんやから、ポイント奪われたら意味無いんや、ポイント泥棒なんか無視出来ん。
拠点は戦争で手薄になっとる。黒も白も戦争に戦力を投下してくるし、今まで暗黙の了解としてポイント奪いに敵拠点に忍び込むなんてせせこましいことやられたこと無かったからな、『来るはずがない』と思うとる。言うて敵が来ても撃退できるくらいの守衛は置いとるやろうが、レジスタンスは少数精鋭や。何とかする」
「でもあんまり早く撤退させても、消耗してない両陣営はまた近いうちに戦争を再開するだろうからね。
ノワールが言葉を続けて、三つの指を立ててみせる。にんまり笑んで、もう片方の手で人差し指からつまんだ。
「まずは白の政府に私。私は能力が能力だからね、単騎突入になる。折角白陣営の人間に化けてもレジスタンスメンバーと一緒にいたらバレてしまうだろ?」
言いながら、ノワールは今度は中指をつまむ。
「そして戦場にリーダー、ルイン、ディーリア、フロスト、南斗。ここは規模が大きいから人数も多く割く。ディーリアもフロストも南斗も、広範囲型の能力だし、ルインは『
実際、ポイント泥棒の真似事なんてあんまり賢い方法じゃないんだよ。レジスタンスへのヘイトが高まるだろうし。でも情報と時間が足りなさすぎるんだ。今の状況ではこれが最善策だから仕方ないってだけで、もっと良い方法があれば作戦は変更される」
「……ガルドさんの能力は、何なんですか?」
つい、疑問が口をついて出た。
戦場に出るメンバーにガルドが出るということはなにか有用な能力を持っているのだろうが、そういえばガルドの能力を結は知らなかった。
それ故の疑問なのだが、ディーリアが不満げな声を出す。
「結ちゃん私の能力には興味持ってくれないのー!?」
「あっ、いや、広範囲型の能力って言われたからそんな感じかと……」
拗ねたようなディーリアと慌てる結をどうどうと宥めて、イルドバッハが苦笑した。
「そういえば結は俺と南斗とノワールとルインの能力しか知らないか。ルインにも認められたことだし、もう全員分話していいだろ?」
「無知蒙昧な輩は使えへん」
イルドバッハの確認に、ルインが冷たく答えた。冷たいが、了承と判断したのだろう、イルドバッハは結に向き直る。
「じゃああとはフロストとディーリアとリーダーだな」
「えっと……フロストのは、なんか、凍らせる力ですかね……?」
「……『
フロストが言葉を続ける。結の脳裏に初めて出会ったかの戦場を思い出した。フロストが結を拘束していた罠具を凍らせたのはつまり、罠具だけ範囲指定して冷やしていたのだろう。それが最大半径1キロまで可能というのは、凄まじい能力に思えた。
しかしフロストの表情は浮かない。否、いつも通りの無表情にも見えるのだが、何故か結にはどこか沈んで見えた。
「んじゃ、ディーリアとリーダーだな」
「はいはーい! 説明するね!」
イルドバッハとディーリアの声で結の思考は打ち切られ、そちらに自然と視線が行く。元気よく挙手したディーリアは満面の笑みで口を開いた。
「私の能力は『
成程確かに広範囲型にもなり得る能力だと、結は納得する。
――やがて、視線は自然とルインに抱えられたままのガルドに集まった。ぬいぐるみが揺れて、息を吐いた、ように見えた。
「……俺の能力は『
「能力を無効化する能力……!?」
思わず結は声を上げる。能力を無効化なんて、能力を用いる戦争では反則級ではないだろうか。ガルドは少し居心地が悪そうに、頬をかく。
「一時的にだがな。永続的に能力を消すには相手の同意が必要だ」
「あとは、リーダーに触れてる者は能力を使えなくなるんだよね」
ノワールがそう笑って、ルインの方を見る。
「ルインがリーダーをずっと抱いてるのもそのせい。『
にまにまと笑うノワールと、ぎろりと睨むルインに挟まれて、結はびくりと震えて小さくなった。
――どんだけガルドさんのこと好きなんだと思っていたなんて言えない。
ガルドがぴしぴしとルインの腕を軽く叩く。それに反応したルインが下を向いたことで、結は殺気から解放された。
「能力についてはこんなもんでいいだろう。話の続きをするぞ」
「そうですねガルドさん」
にっこり笑って即答するルインを見ると、やっぱりガルドを好きすぎているようにも見えなくはない。そしてそれをにやにやと眺めているノワールは確実に愉快犯であった。
「最後は黒の帝国に乗り込むメンバーや。ほんまはイルドバッハ単騎にして、結は留守番もしくは戦場に突っ込むつもりやったんやけど、予定変更するわ」
そう言って、いつもの調子に戻ったルインが結を見る。
「結。お前イルドバッハと黒に乗り込みぃ」
「……! いいんですか!?」
想定よりあっさりと許可を出されて、思わず聞き返す。ルインは呆れ目で溜息をついた。
「どうせ黒斗とやらの情報の為にそうしたかったんやろ。蘭の目的はわからんが、やからこそ敢えて乗っかってみんのも一つの手や。イルドバッハ、しっかり結を見ときぃや、まだこいつは能力が未知数なんやからな」
「おう、任せとけ!」
イルドバッハが元気良く返事を返して、ルインは溜息をつきつつもそれ以上何も言わずに椅子にもたれかかる。
――黒の帝国に乗り込む手筈は整った。
それを確信して、結は拳を握る。緊張しない訳では無い。敵の拠点に忍び込むのはきっと非常に危険なことだ。しかし、今、黒斗の手掛かりは蘭しかない。やるしかないのだ。蘭の言葉に従うのではない。ルインに信を与えられたのだから、レジスタンスとしてやり遂げなければ――
くい、と裾を引かれた。見ると、心配そうな顔をしたフロストが結を見上げていた。
「フロスト?」
フロストの顔は傍目から見ても整っている。そんな美少女に真っ直ぐに見詰められて、自然と結の体温は上がってしまう。赤くなる顔を誤魔化しつつ、結はどうしたのかと聞こうとした。
フロストの形のいい小さな口が開かれる。
「……結。無理は、しないで」
真摯な声だった。彼女の白に近い青の瞳は不安に揺れている。
「本当は、私も、結を守ってあげたい、けど……約束、だもん。でも、私、戦場に出ないといけないから……」
約束とは、きっと初対面の時のことを言っているのだろうと結は合点が言った。
“……わかった。じゃあこれだけ答えてくれ。あんたは、俺に危害を加えるか?”
“――守って、あげる”
あの時の言葉だ。あの時、フロストに助けられて、結はレジスタンスに辿り着いた。
理解して、そして結は自然と口が緩む。
「……ありがとう、フロスト」
結は戦場を知らない。自分の能力もよく分かっていない。それでも、黒斗のために、そして自分を信じてくれるレジスタンスの皆のために、やれることをやるのだ。そう心に決められる。何とかしてやるのだと、決意できる。
「俺は大丈夫だ。皆がいる」
だから、そう笑いかけた。フロストは一度目を瞬いて、そして、顔を俯かせる。
――突然彼女は立ち上がった。そして、目を見開く結に何も言わずに出口へと走り去る。
突然の出来事に声も出せずに呆然としていると、数分の後にフロストは駆け足で帰ってきた。その手に何かを握っている。
そしてそれを結の手に押し付けた。
「……ネックレス?」
結が首を傾げると、フロストは頷いて、座り直して結を見上げる。
「お守り。あげる」
端的に告げられて、結はまた手の中のネックレスを見下ろした。紐に通された、薄青の石。まるで氷を閉じ込めたように美しいが、なんという種類の宝石なのか、そもそも宝石なのかも結には分からなかった。
「きっと、結を、守ってくれる、から」
「……ありがとう」
ただ、フロストの想いが嬉しい。笑って礼を言うと、フロストも少し微笑んだ。
「……青春だねー」
ノワールの、笑いを含んだ声で結は我に返る。そういえばここは会議室で、周りに大勢人がいるのだと、今更に思い出した。
「あっ、いや、これは……!」
「いやあ人の多いとこで大胆だなー」
イルドバッハがにやにやと笑っていて、結の顔に熱が集まる。フロストはといえば分かっていないように首を傾げていた。
「もうええか? 話戻すで」
「是非戻してください!!」
ルインの冷たい声が今は救いだった。叫んだ結に溜息をついて、ルインは円卓に置いていた紙を数枚手に取る。それを人伝いに流していき、イルドバッハと結まで辿り着いた。
紙には手書きの地図らしき絵と、そこにいくつかの作戦らしい文字が書き込まれている。
「黒の帝国の内部構造や。ノワールが作った。作戦や警備の薄いとこも書き込んどるから、明日はそれ参考に動きや」
「おー、サンキュー」
イルドバッハが軽く礼を返す。真剣に紙を読む結に、ルインは目を向けた。
「今夜蘭の兎が来るんやな?」
「あ、はい、そう言ってました」
顔を上げて答えた結に、ルインは鼻を鳴らす。
「兎が案内無しにアジトに辿り着けるんか確かめたい。来ても暫く放置して南斗に探知させる。確かめたら対応しに行き」
「わかりました」
結が頷いたのを確認して、ルインが立ち上がった。それを皮切りに皆それぞれに席を立つ。ディーリアが声を上げた。
「会議しゅーりょー! ご飯食べよ! お腹空いた!」
会議室に備えられた時計を見ると、時刻は1時を半分ほど過ぎている。自覚すると空腹もやってくるもので、ぐぅ、と腹の虫が悲鳴をあげた。
――そして、夜は更ける。
「来た」
南斗がぽつりと零す。夕食を済ませた食堂にはレジスタンスの全員が集まっていた。
何が来たのか、そんなことは皆分かっている。
「どうや?」
ルインが聞くと、南斗は再び目を閉じる。
「……森の入口をうろうろしてる。ちゃんと霧に惑わされてるみたい」
「よし、ならもうええわ」
ルインが視線を結に向けた。結も頷いて立ち上がる。一人で何かあったらいけないと、フロストも同行することになっていた。
二人でアジトを出て、晴れ渡った森を真っ直ぐに進んでいく。霧がなければ森を出るのは簡単で、早い。入口付近に辿り着いた時、夜の闇に紛れて動くものを見た。
「……ぷきゅっ」
黒兎が結の存在に気付いたらしい。ぴょんぴょんと飛び跳ねて、結の前までやって来る。その耳の裏に光るものを見た。
「……蘭。よく聞けよ」
兎の前に屈んで、結は言葉を落とす。
「お望み通り、黒の帝国に乗り込んでやる。お前が何を企んでるのか知らないが、その企みに乗ってやるよ」
兎はつぶらな瞳でじっと結を見ていた。やがて、徐に兎は結に背を向ける。
そして、森から離れる方向へと飛び跳ねていった。
――結の耳元で、じじ、とノイズが走る。
《……結。森から兎の生体反応が完全に遠ざかった。戻って来ぃ》
「わかりました」
ぷつりと、耳につけた通信機が切れた。フロストと頷きあって、結はアジトの方へと歩き出す。
夜闇の中で、月だけが森を照らしていた。
*
「ごくろーさま、森さん」
数刻後、帰ってきた兎を膝に乗せ、蘭は含み笑いを一つ落とす。とっくに電源を切った盗聴器を指で弄び、窓から空を見上げた。
月は爛々と輝いて、雲一つない空では少し眩しすぎる。
「……綺麗な月だ、星を全部消しちまってる」
蘭はぽつりと呟いて、膝の兎を撫でた。
「大きなものに目が眩んでいちゃあ、小さなものは見えなくなる。大きなものが大切だとは限らないし、小さなものが要らないものとは限らないのに」
目を伏せ、蘭は膝の兎を持ち上げて自身の顔に乗せた。ぷきゅ? と兎は不思議そうな声をあげる。
ばたばたと駆ける音が聞こえていた。その音はどんどん大きくなって、蘭の部屋へと近付いてくる。
「蘭ー!! 作戦表写させて!」
バターン!! と大きな音を立てて入ってきたのはユースであった。夜の静寂が台無しだと、蘭は密かにほくそ笑む。
「何ー? 無くしたの? ロッソに怒られんぜ」
「だから頼んでんだけど! お願いだって蘭!!」
「まあいいけどさぁ」
兎を下ろし、蘭はにやりと笑う。悪戯を思いついた子供のように。
「今日都市部で新しいカードゲーム買ってきたんだよね。やらねぇ?」
「はー!? 明日は大抗争の日! そんな暇あるわけ……」
「いいじゃーん、俺ユースと今すぐ遊びたいんだよー」
「全くしょうがねぇなー! 一戦だけな!」
蘭が示した椅子に意気揚々と座るユースを見て、蘭はにんまりと、ただただ笑っていた。
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