三:能力と暗雲

 美しい世界が見たかったのです。

 ここは余りにも汚くて、狡賢くて、余りにも、苦しいから。

 痛かったのです。

 痛くて、痛くて、痛くて。逃げ出したくて仕方が無くなってしまったのです。

 いたかったのです。

 美しい世界に、居たかったのです。

 ただ、それだけ。



三:能力と暗雲



 眩い光で目が覚めた。

 寝起きではっきりしない意識のまま、結はぼーっと天井を見上げる。横たわるベッドはいつもより少し固い気がするし天井もなんだか違和感がある。

 なんだか、というか普通に、自室の天井はこんな、木で組まれたログハウスのものではなく普通に白い壁紙のものだったような――と、そこまで考えてここが自宅ではなく、昨日自身に与えられた小さな部屋であったことを思い出した。

「……夢じゃなかった……」

 いっそ夢だったらどんなによかったか。黒斗が居なくなったことも、都市伝説も、戦争も、喋るぬいぐるみも――そう願って再び目を閉じても、ただ窓から射し込む朝日が瞼の奥にある闇を少しだけ明るくするだけである。

「…………起きるか」

 現実逃避は虚しくなる。はぁ、と溜息をついて、結はのろのろと起き上がった。


 結に与えられたのはこの二階建てのログハウスの、二階の角部屋である。そこから反対側の角にある木製の階段を降りればすぐに談話室に繋がる扉があって、階段を降りた結はそれが開きっぱなしになっていることに気付いた。人の気配がして、誰かいるのかと首をかしげて覗き込む。

 その先で見たのは、ソファに腰掛け優雅にカップを傾ける――インセントの姿であった。

「――っ!?」

 昨日の今日でインセントの姿を忘れる筈がない。殺されかけたのだから尚更である。

 ――何でここにこいつが? こいつは白の政府に所属しているんじゃないのか?

 結の頭は真っ白になり、思わず後ずさった。ログハウスの床が軋んで音を立て――

 その音に気がついたインセントが、結に目を向ける。


「あ、おはよう新入り君」


 そうして、彼は、昨日と同じ声であっさりと結に挨拶した。

「…………は?」

 その声に悪意も敵意も無く、拍子抜けして思わず間抜けな声が出る。

 ――なんだこいつ。昨日と感じが変わりすぎじゃないか? というかなんでこいつがここにいるんだ? 本当はレジスタンスメンバーだった、とか? いやそれだと昨日のフロストへの反応が――

 疑問符がぐるぐると飛び交い、混乱したまま談話室の入口に突っ立った結の肩を誰かが軽く叩いた。

「どうしたんだ結、そんな所で突っ立って。朝飯が出来たから呼びに来たんだが……」

「! イ、イルドバッハ、さん」

 虚を突かれ、慌てて振り向けばイルドバッハが不思議そうに首を傾げる。しかし特に問う事はなく代わりに談話室の奥に声をかけた。

「ノワール! お前も飯だぞー。……つーかいつまでその姿で居るんだよ」

「ん? ああ、忘れてたよ」

 そう言って、インセントの姿をした男はパチンと軽く手を叩く。すると、彼の輪郭がまるで蜃気楼のように揺らぎ――瞬きほどの間に、インセントの代わりに、ライトブラウンのウエーブがかった短髪の、男性とも女性とも取れる中性的な、歳は結と同じか、それより一つ程下であろうか、そんな人物がいた。

「……」

「驚かせてごめんねー、新入りくん」

 けらけらと軽く笑うその人物――イルドバッハの呼んだ『ノワール』が彼(彼女?)なのだろう――は、呆然と目を見開く結の頬をつついて「大丈夫?」とからかうように言う。

 そんなノワールに、こら、とイルドバッハが呆れたように諌めた。

「あんまり遊んでやるなよノワール。こいつ、まだ能力のこととか知らねぇんだから」

「あ、そうなの? ごめんごめん」

「ほら結、飯食いに行くぞ? 飯食ったら、能力のこととか説明してやるから。昨日言っただろ」

「……そういえばそんな話でしたね……」

 イルドバッハの言葉で、漸く結は昨夜――大体のこの世界の説明を受け、レジスタンス一時加入が決まった後――「疲れただろうから能力だのの説明は明日にしよう」というガルドの気遣いで、そのまま夕食と風呂を済ませ、眠りについたのだと思い出した。

 随分と自分は疲弊していたらしい。そんな昨日のことも思い出すのに時間がかかった。

 ……いや、起きてまだ意識も覚醒しきらないうちに敵の姿をした人物が室内にいた事も混乱を招いた要因ではあるのだが――

 そんなことを思いながらちらりとノワールを盗み見れば目が合って、慌てて逸らす。ノワールはそんな結に至極面白そうに笑った。


 イルドバッハの後ろについて廊下を進みリビングに着けば、結達以外の人々はもう集まっているようで、賑やかに机を囲んでいた。机には牛乳が入ったコップ、香ばしく焼き上げられたソーセージとスクランブルエッグ、ドレッシングがかけられたレタスとトマトのサラダで彩られたランチプレートが人数分並び、机の真ん中付近に数種類のパンが盛られた二つの籠がある。既にいくつかは取られたようで、不自然にパンの山が崩れていた。

「おはよう結ちゃん、イルちゃん、ノワちゃん! あ、結ちゃんの席はここね、早く早く!」

 結達に真っ先に気付いたディーリアが元気よく呼びかけ自分の隣に手招きをする。しかし、自然に自身を『ちゃん』付けで呼ばれ、結は困惑に眉を寄せた。

 イルドバッハとノワールはさっさと自分の席らしき場所に向かうので、とりあえずディーリアに呼ばれるままに歩を進める。

「結ちゃん寝癖ついてるよー。後で整えてあげるね」

 ディーリアが結の1本跳ねた髪をつついて笑うので、気恥ずかしさに頬をかいた。こういう人にはあまり慣れない。嫌いでは、ないけれど。

「あ、はぁ……ありがとうございます……あの、ディーリアさん」

「ディーリアでいいよ? 敬語も要らないし」

「……ディーリア、結『ちゃん』って」

 結の言葉に、ディーリアはきょとんと瞬きをする。

「結ちゃんレジスタンスに入ったんでしょ? だから結ちゃん」

「…………おう……」

 親愛の証か何かなのだろうか。結にはよく分からないが、ともかく促されるままに椅子に座ると、ディーリアとは反対方向の隣に知らない子供が座っていることに気が付いた。

 室内だというのに黒いパーカーに付いたフードを被った、歳は10か11程のような子供は黙々とパンを咀嚼している。小さな口ではあまり多くは入らないのだろうか、もきゅもきゅと一生懸命食べている様子は小動物を彷彿とした。短い髪で少年かとも思ったが、顔つきをよく見るとどうやら少女のようである。やがて結の視線に気がついたのか、少女はちらりと結を見上げた。

「……何ですか」

「あっ、いや、ごめん何でも、ないです」

「……」

 いきなり話しかけられて挙動不審気味の結に、少女は特に何か言うこともなくまた食事に戻る。恐らく彼女もレジスタンスの一員なのだろう。まだほんの子供だが、こんな小さな子もこの世界で戦っているのだろうか? そんな疑問は声には出せなかった。

 席について備えられていたフォークを手に取る。紅茶といい朝食といい建物といい、この世界はなんとなく西洋寄りだ。レジスタンスがそういう方式なだけかもしれないが。

「よく眠れたか、結」

 耳に心地いい低い声が聞こえて視線を向けると、ルインに抱えられたガルドが結の斜め左前にいた。

 だからどうやって食べているんだぬいぐるみ。その食べ物は綿が詰まっているであろう体のどこに行ってるんだ――という疑問は、最早不躾なのだろうとは結も理解している。その問を口にする代わりに、小さく頷いた。

 そうか、とガルドが優しい声で言う。

「皆揃ってるし、丁度いいから改めて紹介をしようか。昨日居なかった奴等もいるしな」

「ああ、私はさっき会ったよリーダー」

 ガルド(を、抱えたルイン)の横に座ったノワールがひらひらと掌を揺らしながら笑う。ついでに、結と目が合って自然な動作でウインクを飛ばした。

「まあここでちゃんと自己紹介をしておこうか。私はノワール。レジスタンスの諜報担当さ、よろしくね」

「ほら、お前も」

 ガルドが俯いて食事を続ける結の隣の少女に声をかける。声をかけられた少女は暫し躊躇うようにその琥珀の瞳をさ迷わせた後、渋々口を開いた。

「……南斗ナイト

 恐らく名前だろう。少女――もとい、南斗はそれだけ言ってまたパンを頬張った。

「悪いな結、南斗は少し恥ずかしがり屋なんだ」

「はぁ……」

 視線で(といってもぬいぐるみのビーズなのだが)促され、こほん、と一つ咳払いをして姿勢を正す。

「昨日からレジスタンスでお世話になってます、千ノ宮結です。よろしくお願いします」

「へえ、結は苗字があるんだね」

 ぺこり、と頭を下げた結に声をかけたのはまたもノワールだった。

 その発言が妙にはっきりと耳に通って、脳に到達する。その違和感に眉を寄せて顔を上げた。

「……普通あるもんじゃないんですか」

「いんや、この世界では『ちゃんと名前と苗字を覚えているものは少ない』。ここにいる中でも、フロストとリーダー以外は本名じゃなく自分でつけた仮の名前だからね」

 強調して、そう告げたノワールは言い終えるとにこりと意味深げに笑って口を閉ざしたが、意味がいまいち掴めない。

 名前を覚えていない? そんな事があるのか? 結が説明を求めて視線をさ迷わせれば、それに応えてくれたのはノワールの二つ右、つまり結の向かいの席にいたイルドバッハだった。口の中の咀嚼物を牛乳で飲み込んで、口を開く。

「その通りの意味だよ。原理はわかんねぇけど現実世界からこの世界にやってくる時、色んなもんを無くすやつが多いんだ。例えば名前だったり、苗字だったり、現実世界の記憶だったり――正気だったりする。その全てを無くす奴もいるし、滅多にいないけど結みたいに何も無くさない奴もいる」

 まあ、と付け加えて、イルドバッハは困ったように笑った。

「そんだけ狂ってなきゃ、こんなに長い間戦争なんてやってないよな」

 その声にはどこか諦観のような、寂寥のような色が宿っていた。結が何も言えずにいると、イルドバッハの右隣でスクランブルエッグを頬張っていたフロストが、聞き落としそうな小さな声で、ぼそりと呟く。

「……結は、何も無くさなくて、良かった。それは、良いこと」

 無くしてしまうのは、悲しいから。

 それだけ、独り言のように言って、今度はソーセージにフォークを刺した。フロストのその言葉に有るのであろう背景も、感情も、結には分からなかったが、きっと詮索するべきことでもないのだろう。言葉を発する代わりに籠から拝借したパンを一つ齧った。焼きたてらしい少し焦げたそれはまだ暖かくて香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。甘くて優しい味だった。

「――さて、自己紹介も終えたし、ちょーっと真面目な話をしていいかな?」

 短い沈黙を破ったのはノワールだった。右手を軽く挙げてにこりと笑う。それまで黙っていたルインが「やっとかいな」と呟いた。

「そういえば、情報を掴んだらしいな」

 イルドバッハがそう言って腕を組む。しかし結には何のことだか分からなかった。困惑したまま、助けを求めるように隣のディーリアに視線を投げると、それに気がついたディーリアが「ああ」と合点が言ったように零した。

「ノワールちゃん、諜報員なの。紹介の時に言ってたでしょ? それでね、ノワールちゃんは昨日まで白の政府に潜り込んでたのよ。えーと、誰だっけ……インセイン?」

「インセントだよディーリア。insane狂気でもまあ言い得て妙だと思うけどね」

「そうそう、そのインセントって人に化けてねー」

 ノワールが笑って訂正し、ディーリアが頷いた。目の前の会話を聞きながら、結の脳裏に談話室で見た優雅に紅茶を啜るインセント――実際にはノワールだったが――が浮かぶ。ノワールがそんな結に笑いかけた。

「そういえば結は『能力』を知らないんだったね。この世界ではね、子供達は皆、何かしら一つ人知を超えた力、能力を持っているんだよ。私の場合は『万人よ愛し給えオール・ラバーズ』って能力を持ってる。まあ、簡単に言えば他人に化ける能力だよ」

「……まあ、大体、そういう類のものだろうとは思ってましたけど……」

 結の脳裏に昨日の風景が浮かぶ。リーベが放った電撃、突如現れた罠。それらは能力によるものなのだろう。こんなファンタジックな話、この世界に来るまでは信じなかっただろうが、この目で見てしまったからには信じる他ない。

「能力の詳しい話は後にしぃや。報告があるんやろ」

 結達の会話を遮ったのは、ルインの冷たい声だった。じろりと糸目が少し開いて結達を冷徹な瞳が睨む。その色は、いつも露出している左目は金色で、長い前髪の奥から少し見えた右目は冷たい赤色だった。

 その目と、声に背筋を凍らせ、びくりと怯んだ結とは対照的に、ノワールは悪戯っぽく笑う。

「そうだね、うちの参謀殿が痺れを切らしてるし、本題に入ろうか」

「喧し」

「ははは。まあ大したことじゃないんだけどね?

どうやら明日、白と黒が大きな抗争やらかすみたいだよ。場所はC地区の都市部」

 はいこれ、白と黒の作戦表ね。

 そう、軽いノリで示された2枚の紙には、それぞれ小難しい作戦が綴られている。

 普通に大したことだった。


 朝食後、ルインやディーリア達はノワールの報告について、何やら作戦会議ということで慌ただしく会議室に篭もってしまった。一方、結はイルドバッハと共に談話室のソファに向かい合って座って机を囲んでいる。湯気が立ち上る淹れたての紅茶を結と自身の前に置いて、イルドバッハが朗々と切り出した。

「さて、昨日言ってた能力の話をするか」

「……イルドバッハさんは会議に出なくていいんですか?」

「いーんだよ、俺は馬鹿だからな。そういうのは賢い奴等に任せてればいいんだ」

 軽く笑うイルドバッハに、はぁ、とだけ返す。そんな結に特に咎めることなく、イルドバッハは机に備えられていた小鉢から、中のピーナッツを一つ取り出して結の前に掲げた。

「まあ、能力については大体さっきノワールが言った通りだな。原理はわかんねぇけど、どうやらこの地下世界に来た時点で能力が発現するらしい。勿論俺にもある。俺のは『業火の竜鱗クリムゾン・スキン』――自分の体温や触れるものの温度を高める能力だ」

 ぐ、とイルドバッハがピーナッツを摘んだ指に少し力を込める。すると一拍置いて、ボッと勢い良くピーナッツが発火し、燃え上がった。

「物には発火点ってもんがある。火種がなくても火が点く最低温度だ。俺の能力は、物の温度を発火点に至らせ、燃やすことも出来る――それ以外にも能力の使い道はあるんだぜ。能力ってのは可能性だ。使い方次第でどんな能力も有益になる。お前にも何かしら能力がある筈だ、ここに暫く居ることになるだろうし、場合によっちゃ危険な目にも遭うだろうから能力を理解しておいて損は無いぜ」

 パチパチと燃えるピーナッツをイルドバッハが片手で握り、火を揉み消す。机の上にピーナッツだった灰をさらさらと落とすその手は、火傷はおろか赤くもなっていなかった。

「……イルドバッハさん、火を握り潰して平気なんですね……」

「うん? まぁ、自分の能力で出した火だからな。俺の能力は使いすぎると暫く体温が戻らなくなるが、体調に支障はねぇし……基本的に能力は持ち主を傷付けない」

 ひらひらと手を振りながらイルドバッハは、ただし、と付け加えた。

「一線を超えなければな」

「一線?」

「ルインとフロストはそのタイプだな。まあ、あいつらは好きで一線を超えちまったわけじゃねぇんだけど……」

 そう言って、イルドバッハは「まあそれはいいんだ」と笑い、それでその話は終わりなのだろう。口を開く代わりに懐から小さな石を数個取り出し、机に転がした。結も詮索することはせず、ただ出された小石に首を傾げた。

「……それは?」

「これはちょっとした道具でな。力を吸収する効果がある。これに力を込めると能力に応じて反応するんだよ。例えば俺なら」

 小石を一つ摘んでイルドバッハがまた少し指に力を込めると、見る見る小石が熱を帯び、煙を発しだした。

「結の能力はまだ未知数だからな。これで調べてみようってこった」

「はぁ……」

「能力を知るのは大事だぞ。これはあくまでヒントにしかならねぇけど、それで自分の能力の本質を探し当てることが出来れば、あとは魂が教えてくれる」

 魂が教えてくれる、ってのはガルドさんの受け売りだけどな、と、イルドバッハは笑う。

「……魂が?」

「なんて説明すりゃいいかなー。『業火の竜鱗クリムゾン・スキン』だって言ったろ? 俺の能力。そういう能力名だとかは別に自分でつけたわけじゃない。能力を『理解した』時に、こう、聞こえたんだよ。脳に直接語りかけられたみたいに……あれがガルドさんが言う魂の声ってやつなら、魂が能力を教えてくれたんだ」

 まあやってみた方が早い、と言って、イルドバッハは結の手に小石を数個転がした。

「……んなこと言われても」

 困惑のまま呟く。力を込めるのだ、と簡単に言われたが、どうすればいいのか結には皆目検討もつかなかった。普通に握ってしまえばいいのか? 漫画とかでよくあるように集中するとかそういうものなのか?

 とりあえず掌の小石に意識を集中させてみる。しかし、いつまで経っても小石に変化は見られない。

「なんか掛け声っつーか、そういうのやってみた方がやりやすいかもなー。俺も能力を使うって感覚は説明しづらいんだが、こう、能力名とか口に出した方がしっくりくるんだよ。今から能力使うぞ、感? みたいな」

 見かねたイルドバッハが助言してくれるが感覚的すぎて良くわからない。

 ――掛け声とはなんだろうか。セイヤッとかそんなのか? 流石に目の前に人がいる状態でやるのは恥ずかしいんだが。

 ――掛け声……掛け声……呪文……?

 そこまで考えて、結はぼんやりと、一つの言葉を思いつく。

「……ひらけゴマ」

 ぼそりと結が呟くと同時に、小石が光を帯びた。掌の上に転がっていた数個の小石が淡い輝きを纏ったままころりと転がる。それは掌の中央に集まっていき、ぶつかった小石同士が、融けるようにくっつきだしていく。

 複数あった小石が最終的に結の掌の上で一つの塊になるのにそこまで時間はかからなかった。

「(……ひらけゴマでいいのか……)」

 なんとも言えない気持ちになって、結は空を見詰める。

 ――なんだろうこの気持ち。ひらけゴマでいいのか。そんな適当でいいのか能力。なんか、もっと、あるんじゃないだろうか。

「おお! 出来たじゃねぇか!」

 微妙な心持ちの結とは裏腹に、イルドバッハは明るく笑う。結の掌の小石が集まったものを摘み上げて、まじまじと見つめた。

「小石がくっつく……融合とか、繋げるとか、そういう系かもな。結、なんか聞こえたか?」

「いや……」

「じゃあ、それが本質じゃないのかもなぁ」

 うーん、と悩むように唸って、イルドバッハが頭を掻く。

「能力の本質を理解しねぇと、能力名もわかんねぇままだ。けどそればっかりは、結が自分で理解するしかねぇな」

 頑張れよ、と言ってイルドバッハが結の頭をわしゃわしゃと撫ぜ、それを大人しく受けながら結は密かに内心決意した。

 とりあえず、掛け声なしに能力を使えるようになろう、と。



 くぁ、と欠伸を一つ零して、インセントは悪趣味なほど真っ白な廊下を悠々と歩いていた。

 時刻は朝の十時。とっくに朝拝は終わっている時間である。いつものように寝過ごした彼は、いつものように朝拝をサボり、いつものように悠々と過ごしていた訳だが、今日に限っては自身の研究室で己の創り出したキメラの毛皮を堪能して時間を過ごすのではなく、ある人物の部屋に向かっていた。

 目的の人物の扉の前で足を止める。廊下の壁や床と同じように真っ白な扉に掛けられたプレートに「在室中」と書かれていることを確認し、インセントは扉の前に構えて拳を作り、息を吸い込んだ。

「スーティアちゃーん!!!! あーそびーましょー!!!!」

 ガンガンガンガンガンガン!

「うるさい」

 バァンッ、と勢いよく開いた扉の隙間から何かがインセントの顔を目掛けて飛んでくる。それを受け止めて、インセントは「危ないなー」とボヤいた。それは人の拳であった。

「受け止めるな。腹が立つ」

「いやいや受け止めなきゃ顔面パンチモロでしょ。てかスティア力強すぎ。手ぇ痛い」

 ぱっ、とインセントが掴んだ腕を離す。解放された、その拳と声の主であり、この部屋の住人である人物は小さく舌打ちをした。

「何の用だインセント? 私は明日のことで忙しい」

 スティア、というらしい彼女は、腰まで伸びた白髪――といっても、首元から腰にかけては黒になったメッシュであるのだが――を軽く振り、その薄く青みのかかった紫の瞳でじとりとインセントを見下ろした。タンクトップと左足に包帯を巻いたジーパン、というシンプルな服装と、190cmは超えているであろう身長、そして鋭めの整った顔立ち。恐らくは初見ならば彼女を男だと見紛うだろう。女性の象徴とも言える胸が乏しいのもその要因の一つだと思うが――とは、インセントは心中に収めるにとどめた。息をするように人を揶揄うインセントとて、そういう時もあるのである。というよりは、本心としてはこれから頼みごとをする相手をわざわざ無駄に怒らせたくはない。ドアバンはもう恒例行事だから仕方ないと思ってほしい。

「いやさぁ、ちょっと頼みごとがあって」

「……頼みごと? お前が?」

 怪訝な目でこちらを見てくるスティアに、インセントは信用ないなぁと笑った。

「明日の作戦表、俺貰ってなくてさぁ、コピー頂戴」

「貰ってない? 何を言っているんだ。昨日の朝拝で配られただろう」

「だって俺、」

 朝拝出てなかったし、とインセントが答える前にスティアが口を挟んだ。

「というかお前また朝拝をサボったな。総帥はお前を気に入っているからある程度寛容であられるが、いい加減にしないとまたお咎めを貰うぞ。全く、昨日はちゃんと出ていたのに……」

「……昨日?」

 瞬間、先程までへらへらと笑っていたインセントから表情が消えた。

 異変に気付いて、スティアが眉を顰める。

「……何だ、突然」

「昨日、俺が、朝拝に出た?」

「居ただろう。なんだ、ついにボケたか」

 無表情から一転し、スティアの言葉に、「まだボケたくないなー」とインセントは笑った。

「昨日はほら、あれだよあれ」

「あれってなんだ。やはりボケか」

「違うって。まあ兎も角、俺、作戦表無くしちゃったんだよね。コピー取らせてよスティアさぁん」

 きゃるんっ、と可愛らしくお願いするインセントに、スティアはバッサリと「気持ち悪い」と切り捨てて、ため息をつく。

「……今回だけだからな」

「やりぃっ! 流石スティアーバッサリ切り捨ててからのデレとかツンデレかよー」

「コピー取らせんぞ」

「ごめん」

 再びため息をつくも、スティアは手際よく自身の作戦表をコピー機にセットし準備を進めていった。

「第一、作戦表を無くしたならば作戦隊長の所に行くべきだと思うが? 今回の作戦隊長はリオさんだぞ。それも忘れたか若年性アルツハイマー」

「ボケてないってば。だってリオさん怖いんだもん苦手」

「優しい人だぞ。お前が巫山戯るから悪いんだ」

 コピーされた作戦表を受け取り、インセントは「ありがと」と笑う。

「用が終わったなら帰れ。私は忙しい」

「はいはーい。邪魔してごめんなー」

 ひらひらと手を振って扉に向かえば、スティアはインセントの方を見ないまま軽く手を振った。そういうとこがツンデレなんだよなぁ、とは言わず、インセントは心の中で笑う。

 扉を開け、部屋から出れば廊下の向こうから歩いてくるコープの姿が見えた。

「お、コープじゃーん」

「……」

「待って出会い頭にラリアット準備すんのやめて」

「やらなきゃいけない気がした」

「やらなくていいです」

 どうどう、と宥めるようなジェスチャーをしながら、インセントはコープに笑いかけた。悪戯っ子のような笑顔だった。

「そんなことよりさぁ、明日、楽しくなりそうな予感がするんだよね」

 インセントの笑顔に、コープは何かを察したらしい。彼も少し口角を上げる。

「独り占めはすんなよ、インセント」

「わぁかってるよ」

 彼等はお互いに悪戯っ子のような、もしくは、凶悪な犯罪者のような笑みを浮かべ、並んで廊下を歩いていく。

 時計の針は、機械的な音を立てながら、ただ秒針を進めていた。



「明日、ここででかいドンパチが起こるわけだ」

 ある都市に一際高く聳える時計塔――地下世界の住人が、C地区、と呼ぶブロックの都市部にて、その避雷針の頂点にバランスよく立って、一人の男が呟いた。

「きっと沢山人が死ぬねぇ。やだねぇ」

 彼は己の肩に乗った黒い兎の頭を撫でて、誰ともなく呟く。撫でられた兎は、ぷきゅう、と鳴いて男の手に擦り寄った。

「この世界では、壊れた土地は一瞬で直っても、人は戻ってこないのにさぁ」

 男は笑う。陽気に、しかしどこか哀愁を漂わせて。

「それでも俺は、諦めない。諦められねぇや――なあ、そうだろ」

 男は一歩足を踏み出す。

 くらり、と揺れて、影が真っ逆さまに落ちていった。

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