優しい微笑みと寂しそうな笑顔

 そして朝霧先輩と二人っきりになったわけだけど………………気まずい。朝霧先輩はまた眉間にしわ寄せてるし。

「……とにかく」

「は、はいっ」

 突然朝霧先輩が口を開く。心臓に悪い……。

「残った書類を片付けるぞ」

「はいっ」

 仕事ができたことにほっとして、書類を集め始める。動いていれば、少しは気まずさも解消されるはず。

「本当は、もう帰っていいと言うつもりだったんだけどな……」

 朝霧先輩がぽつりと呟く。それって、一人でこの書類を片付けるつもりだったってことか、それとも散らかしておくつもりだったってことか。彼の性格からして、多分前者だろう。いくらある程度片付けたとはいえ、一人で片付けるには大変そうだ。

「いいですよ。先輩一人でこんなの片付けさせるわけにいきませんし」

 明るく言ってみたけど、朝霧先輩は何も答えない。何かまずいこと言ったかな、とびくびくしていると、朝霧先輩が笑った、気がした。

「別に敬語を使わなくてもいい」

「え、ええっ?」

 思わず変な声が出た。先輩がこっちに向き直る。相変わらず無表情のままで。

「いっそ『ともにーちゃん』と呼んでくれても構わないが?」

「なっ……」

 なんで、いきなりこんなことを言い出すんだ。冗談ならせめて、ちょっと笑ってくれればいいのに。

「ふ、普通に呼びますよ!」

「それは残念だ」

 肩をすくめて、朝霧先輩はまた書類の片付けを再開した。からかわれた、とようやく気付いた私も作業に戻る。そうすればもちろん静寂が戻るわけで。気まずくなってくるわけで。

「あ、あの」

 とにかく話しかけてみる。適当に話題を作れば発展していく、はず。

「なんで、ともにーちゃんだって教えてくれなかったんですか?」

 ことさら明るい声で言ってみた。朝霧先輩は不機嫌そうな顔で答える。

「まさか気付いてないとは思わないだろ」

「う」

 返す言葉もない。いや、でも十年も経ったら顔も声も身長も性格も変わってるし。あの頃はもうちょっと笑顔の絶えない人だったような気もするし。

「それに、あまり目立つことを言えばファンクラブの奴が何を言うか……」

「え? ファンクラブ?」

「いるんだ、そういうふざけた奴らが」

 高校生にファンクラブ、なんてなかなかない話だけど、朝霧先輩なら納得できてしまう。なるほど、幼なじみだと知れればファンクラブの人に恨まれる可能性がある。それがきっかけで仲良くなったりしたら、上履きに画鋲でも入ってるかもしれない。え、仲良くなったら?

「天音?」

「え、あ、何でもないです!」

 何考えてるんだ私。仲良くなったら、なんて。相手は二つ上の先輩だし、いくら幼なじみでも昔みたいに遊ぶわけじゃないし。

まさか私、仲良くなりたい、って思ってる? いや、でも、仲良くなりたい、ってつまり――

「天音」

「はいいっ!」

 いきなり呼ばれて、思わず変な声が出た。朝霧先輩は怪訝な顔で私を見つめる。

「どうした?」

「何でもないです、大丈夫です」

 乾いた笑いで誤魔化して、今にも腕から落としそうだった書類を抱え直す。危ない、もうちょっとぼけっとしてたら本当に落とすところだったよ。

「おかしなヤツだな」

 ホチキスで束ねられた書類の束をダンボールに放り込んで、朝霧先輩は微笑んだ。

 朝霧先輩が、笑った。

 ただでさえキレイな顔なのに、笑うと一気に雰囲気が和らぐ。やばいよ、そりゃファンクラブもできるよ。今は微笑んだ程度だからいいけど、もっと笑ったら私の腰が砕けるんじゃないだろうか。どうしよう、顔赤いかも。そんなに何度も挙動不審だといい加減怪しい人になってしまう。頑張れ私、平静を装うんだ!

「もも、もうすぐ片付け終わりますね!」

 とっくに無表情に戻っていた朝霧先輩から顔を背ける。次の会議で使うらしいプリントを乱暴に置いたら崩れそうになって、慌てて支えた。

「ああ、なんとか仕事ができそうだ」

 最後の束を机に置いて、私の溜め息を一つついた。朝霧先輩は集めた書類の仕分けをしているみたいだ。さっと目を通して、ダンボールに放り込む。ちらりと見て机の上に戻す。判断基準はわからないけど、見ていて飽きない。やっぱり美しい人は何をやっても絵になるからだろうか。あの美貌、ちょっと私に分けてくれないかな……。

 時間がゆっくり流れる中で、私は何も考えずに朝霧先輩を見ていた。実際には何分も経っていないだろうけど、私がちょっと退屈になって眠気を覚えた頃、やっと彩が戻ってきた。

「そら、おまたせー」

「ただいま、そらちゃん」

 ついでに海道先輩も戻ってきた。右手に私の、左手に彩のカバンを持ち背中には先輩のものらしきリュックを背負っている。彩が持たせたのか自分で持ったのか。どっちもありうる。

「おかえり、彩。片付け終わったよ」

 あえて海道先輩を無視して話したら、捨てられた子犬みたいな顔をされた。だめだめ、そんな目で見たって、うちじゃ飼えないわよ。

「終わったの? じゃあ……」

 彩は言葉尻を濁して朝霧先輩に視線を向ける。それに気付いた先輩はようやく書類から目を離した。

「ああ。手伝わせてすまなかったな」

 やっと帰れる……帰っても暇だけど。

「じゃあ俺も帰ろっかな」

 海道先輩が嬉しそうにカバンを渡してくる。

「先輩、電車ですか?」

「うん。駅まで一緒に帰ろうぜ、そらちゃん」

 ハートが飛んでる気がする。でも残念ながら一緒には帰れないのよ。

「私自転車なんで」

 海道先輩の動きが止まった。

「……マジで?」

「マジです」

 泣きそうな顔になった。しばらく私を見て、次に朝霧先輩を見て、

「智樹は帰んないの?」

「俺はまだ仕事が残ってる」

 最後に、彩に視線を向ける。

「そらちゃんの友達ちゃん……一緒に帰る?」

「……一緒に帰りましょうか」

 なんかごめんね、彩。


 *


 朝霧先輩を生徒会室に残して、私たちは特別教室棟を後にした。海道先輩は相変わらず沈んだまま。まあいいか。

「あっ!」

 突然彩が大声を出す。

「どうしたの?」

「筆箱忘れた! 取ってくるね!」

「え、ちょっと、彩」

 先帰ってて、と言い残して彩は校舎の中へと戻っていった。もちろん先に帰るつもりはないけど、もう教室は閉鎖されてるんじゃないかな?

「面白いなー、あの子」

 彩が戻ってこないか、と校舎の中をうかがう私の後ろで海道先輩が笑う。

「さっきも、そらちゃんと智樹のことくっつけようとしたりしてさ」

 突然声の調子が変わる。いきなり低くなった声に、私は不自然に明るい声で返す。

「そうですねー。いきなりあんなことしちゃって、ホント困りますよ」

「困る?」

「そりゃ、まあ。別に朝霧先輩に片思いしてるわけじゃありませんし」

 言いながら、本当にそうなのか確信が持てない。あんなにキレイだから、見とれちゃうことはあるけど、それは好きとは違うし。でも、誰かに「お前は朝霧智樹が好きだ」って言われたら納得しちゃう気もする。あーもー分かんない。

「本当に?」

「え?」

 海道先輩が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。それに気付いて振り向こうとしたら、

「せん……ぱい?」

 ――抱きしめられた。後ろからしっかりと、抱きしめられてて、動くこともできない。

「本当に、智樹のこと、好きじゃない?」

「え、と、」

「だったら、俺……」

 腕に力がこもる。

「アイツに渡したくない」

 心臓が、止まりそう。

 どうして、どうしてこんなことになるの?

「好きだ」

 本当に、もう、どうにかなりそうで。

「せ、せんぱいっ!」

 何か言いたかったわけじゃないけど、何か言わないとどうなるかわからなかった。海道先輩はようやく手の力を緩めて、私から離れた。

「ごめんね……いきなり」

 私はやっと海道先輩の顔をみることができた。いつもとは違う、寂しそうな笑顔。

「でも、ちゃんと考えて欲しいんだ。本気だから」

 ただ、うなずくことしかできなかった。

「ありがと。じゃあ俺、先に帰るね」

 そう言うと、挨拶する暇も与えず走っていってしまった。その姿が見えなくなって、私は周りを見回す。誰もいない、彩もまだ戻ってこない。

 私は、ぺたりと地面に座り込んだ。

「わたし、これからどうなるんだろう……」

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放課後校舎裏 時雨ハル @sigurehal

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