第16話 「疾風」
夢の中、颯天は石鹸に似たのいい匂いと、何処か、とても柔らかい感触を頭の後ろに感じ、誰かに頭を優しく撫でられている中、目を覚ました。しかし目を開けて見えたのは、布に包まれた柔らか物体で……
(何だろう……?)
まだ微睡みが抜けきらない寝惚けた頭で、なんとなしにを伸ばし、揉んだ。すると手に返ってきた感触は見た目通りか、それ以上の柔らかさで、まるでマシュマロのような感触だった。
(柔らかい‥‥‥)
颯天はなんとなしに柔らかいそれを揉んでいく。それはパンの生地を優しく傷つけない様に捏ねて行くかのように、丁寧に揉む。そして、徐々に主張を始めた固い所も摘まむ。
「あ、‥‥ッ!‥‥そこは、あ!‥‥‥にゃあん!」
そんな、夢見心地の颯天の耳に、艶のある声が聞こえてきた。それも眠り前に聞いた覚えのある人物の声で、
(今の声‥‥‥それに、頭に感じるこの柔らかさは‥…まさか‥‥)
颯天は、徐々に目が覚め今の自分の状況を改めて確認する為に、閉じていた眼を開けると自分の手が、誰かの胸を揉んでいた。
(うおっ!)
声には出さず心のなかで声をあげ、咄嗟に揉んでいた胸から手を離す。そして、気が付いた。頭を横に動かすと伝わってくる柔らかい感触は繊維のモノでは無く、人肌の温かさを持った太腿だと確信した。
そして、颯天の部屋にいる人物は、颯天が部屋に戻る時に手を借りた彼女、伏見しかなく。
(取り敢えず、抜け出すか)
伏見の胸を揉んでいた手を理性で押しとどめ、深呼吸をし、手を離していく。そして膝枕から微かに頭を上げると膝枕からも脱出を図った時、颯天に掛かっていた影が動いた。
「おはよう、目が覚めた」
「あ、ああ、おはよう」
覗き込んできた伏見の顔は若干赤く染まっていた。それは羞恥心によるものか、それとも先ほどの刺激によるものなのかは、颯天には判断できなかった。だが取り敢えず体を起こし、体を起こした颯天が見たのは、ベットの上で乙女座りで座っている伏見の姿だった。それを見てだから目の前に伏見の胸があったのだと颯天は納得したが、伏見を見た時、もう一つ気が付いたことがあった。
「本当に、猫又だったんだな」
「うん。あの時言っていた事、嘘じゃなかったでしょ?」
その言葉に颯天は頷くしかなかった。実際、伏見の頭とお尻辺りから白い耳と尻尾が生えており、それが幻術に依るものではないのを【霊眼】で確認し、それは本当に生えているという事だった。そしてそんな颯天の頭の中に一つの浮かんだものがあった。
「それに、やっぱり、お前はあの時の女の子だったのか‥‥」
「ようやく思い出した?」
「ああ」
それは伏見がニアへと語っていた、そして颯天が盗み聞きをして思い出した、昔の出来事だった。そしてあの時伏見は言っていた。あの時の少女が自分だと。もう一度颯天に出会うために生きてきたのだと。
「まさか、あの当時の事を覚えていたなんてな」
「あの出来事は、私に生きがいをくれた出来事」
伏見と颯天が出会ったのはまだ共に幼い、九歳の頃だった。
当時、単独で闇の組織とそのマーケットを壊滅させるという初仕事を請け負った颯天は表通りだが人目に付かない様に立っていた建物に潜入した。その奴らの拠点にしてマーケットの会場となる建物は地上二階建て、地下一階建ての計三階建ての建物だった。内部に潜入した颯天はまず建物全体に電力を供給している地下一階へと潜り込み、もちろん警備は厳重だったが、足音と気配を消し、地下一階に降りる為に必要なカードキーを気絶させた警備から盗み出し、赤外線やセンサー、監視カメラなどは【隠形】と電子機器を妨害、ジャミングする【伝雷波】の同時行使によって難なく突破し、地下一階へと降りた。
地下一階はコンクリートに覆われた無機質な空間で、その空間に降りた後、颯天は近くにいた気配から警備の人間を拘束、情報を聞き出し、中には金で助かろうとしたヤツも居たが、そんな奴は即座に殺し、一際警備が厳重な区画を見つけだした。そして目的の発動機がある場所を割り出すと、辺り一帯に雷の忍術【麒麟剛雷】を以て発電機へと雷を落とし、電力をダウンさせ、その足で会場に集まっていた人間を一通り始末した後に、会場の片隅で檻に入れられ、首輪をはめられ、ピクリとも動かない半妖の少女を見つけた。それが颯天にとっての伏見と名付けた少女との出会いだった。
「あれから、もう八年も経つのか」
「私にとってはあっという間」
八年。それは短いようであっという間の時間の流れ。そしてその八年という時間は人の過去の出来事に関する記憶を薄れさせるのに十分な時間だ。伏見にとっても、もちろん、それは颯天にとっても同じことだ。そして颯天はその時間の間に色々なことがあり、最初の仕事で出会った少女の事はやがて忘れてしまっていた。
「けど、お前は覚えてくれていたんだな」
「うん、大切な思い出」
そう思ってくれている伏見へと、感謝の気持ちが颯天の中から溢れ出た。こんな陰で人殺しをしている人間である自分を純粋に好いてくれている。そんな彼女の思いに颯天は何処かくすぐったさを感じながら、そんな伏見への感謝を込めて耳の付け根を優しく撫でた。
「うん‥…にゃあ‥…」
撫でた場所が良かったのか、颯天が撫でた事が関係しているのか、伏見は甘えるような声音を出すと、猫耳をピクピクと動かし、颯天の手に頭を擦り付けてきた。
「…………」
その様は、まるで愛猫が寝ながら主人に撫でられてご満悦で無意識に続きをねだって来ている様に颯天には見えた。ので颯天は更に猫耳、その付け根を重点的に、時には耳全体を優しく撫でまわしていく。
「んッ!‥‥…みゃ‥‥‥ああ‥‥…みゃああ!」
やがて限界が来たのか、伏見は体を何度かビクつかせ、肌の表面が薄いピンク色に変化し、何より艶っぽい、色気の様な雰囲気と潤んだ目で颯天を見てきた。
「あ、すまん、やり過ぎたか?」
「‥‥はぁ、はぁ…大丈夫」
荒い息を整えながら伏見がそう言って来たので取り敢えず、伏見の言葉を信じることにし、颯天は咳払いをして話題を変えることにした。
「そう言えば、俺はどのくらい眠っていたんだ?」
「二時間くらい。それと寝ている間に仙術で体の疲れを取ったから。大分違うと思う」
「ああ、道理で体が軽いと感じたわけだ」
そう言いながら肩を何度か回るすと、寝る前までは感じてたちょっとした違和感が無くなっている事に颯天は気が付いていたのだった。肩は一人ではあまり解すことが出来ていないので、体への後々の負担が無くなったのはかなり嬉しい事だった。そうして颯天が軽くなった肩を何度か動かしていると近づいて来る足音があった。
「伏見、誰かが近づいてきた。念の為に耳と尻尾はしまった方がいい」
「分かった」
伏見は尻尾と耳を隠すと部屋の扉がノックされるのはほぼ同時だった。
「誰だ?」
誰何と尋ねたのは、もちろんこの部屋の主である颯天だった。そしてそれはそもそも外にいる相手に部屋に伏見がいるという事を知られないためでもあった。しかし颯天の問いに答えたのは聞き覚えのある所ではない、少女の声だった。
「ハヤテさん、すみません、ハヤテさんと伏見さんに会いたいと言われている方が来られているんですけど」
「ニアか。それで、その俺と伏見に会いたいって言う奴は誰なんだ?」
この宿に泊まっていると伝えているのは街の入り口で別れたデュオスと冒険者ギルドのギルドマスターであるレオンだけだったはずだ。そしてその内の二人のどちらかが使者でも出してきたのかと颯天は思ったのだが、
「それが‥‥一人は王宮の騎士団の団長を名乗るデュオスさんと言う人が来られているんです」
ドア越しでもわかる、何処か緊張した声音でニアが教えてくれた人数はデュオス一人で、確かにこの宿の場所を教えたデュオスだったが、それにしてもつい先ほど分かれたばかりだと言うのに、一体何の用事があるのだろうか。
(まあ、あって見れば分かるだろうし取り敢えず、会ってみるか)
そう思い、颯天はニアにデュオスが居る場所への案内を頼み、伏見も連れて行く旨とお礼を伝えると、ニアは分かりましたと言うと一足先に下へと降りて行った。その様子では颯天の部屋に伏見が来ている事に気が付いていないようだった。
「ふぅ、さて取り敢えず何やら話すことがあるらしい。勝手に同席するって伝えたが、良かったのか?」
「大丈夫。それに私も一緒にいた方が話が進みやすい筈」
「分かった。何時までも待たせるのも悪いし、行くとするか」
颯天はベットから立ち上がり、伏見も同じように立ち上がり、デュオス達が待つ、宿の一階の奥にある個室へと足を向かったのだった。
「済まないな、部屋まで案内してもらって」
「いえいえ、お二人とも個室の事を教えていませんでしたから、仕方がないですよ」
階段下でそう言いながら宿の一番奥にある個室へとニアに颯天と伏見は案内をしてもらい、何気ない会話をしながら歩いていた。そして少し歩くと奥まった場所に一つの個室が見えた。
「お、あれか?」
「はいそうです」
そう言いつつ一足先に扉の前に立ったニアがドアをノックし、緊張気味の声でニアが扉の奥に居る人へ確認を取る。
「失礼します。ハヤテ様と伏見様をご案内しました」
「おお、すみません。ありがとうございます」
扉を開けたのは先ほど一緒に街門まで戻ったデュオスだった。その服装は鎧は来ておらず、何処にでも売っていそうな麻の服を身に着けていた。
そして颯天と伏見が部屋の中へと入りニアは頭を下げた後、扉を閉めるとデュオスは何処か切迫した様子で頭を下げてきた。
「まず、謝罪をさせていただきます。このような短時間に訪れて、休まれている最中に来ていただき申し訳ない」
「いや、丁度一休みをし終えていたからこちらとしても構わなかったが、こんな短時間で何かあったのか?」
「ええ。実は伏見殿を攫った貴族に擬態をしていた魔族を早速摘発したのですが、包囲網を突破され、更に伏見殿と同郷の勇者様を人質に逃走したのです」
「そういう事か」
「そして、誠に不躾いなお願いですが、勇者様を、助けてもらえないでしょうか」
デュオスはすぐ膝を付いて颯天へと頭を下げてきた。
そもそもの事の発端は伏見を攫った事件の大本になった貴族、いやその貴族に成りすましていた魔族を捕縛、または討伐するつもりだと言われ、颯天は助言として相手はかなり力の持った魔族である事、勇者達周辺の警戒を怠らない様にとも伝えていたのだが、そのうえで相手に逃げられ、更に同じような事を起こしてしまったデュオスは一際後悔の念を抱いているのだろう。そして解決できそうな人間として思い当たったのが颯天で、助けを求めに来たのだろう。
「まあ、起きてしまった事態はどうしようもないです。今回の例を次に活かせればそれでいいと思います」
「ではッ」
「勇者救出の依頼を、ギルドを通していませんが、影無颯天として、俺個人の依頼として受諾、達成する事を約束します」
「おお、ありがとうございます!」
颯天の答えにデュオスの表情は申し訳なさと、自分の力の無さが混じりながらも感謝頭を下げたが、颯天として知りたい情報が幾つかあった。
「まず一つ目だが、俺が渡し、念の為に撃ち込めと言って渡したアレは撃ち込めているか?」
「はい、奴が油断してる時に確かに」
「という事なら、‥‥‥‥なるほど、割と近いな」
颯天が魔族に撃ち込めとデュオスに渡したのは五センチ未満の針だったが、その針は颯天自身の血を混ぜて作っていたので、颯天は自身の血から帰って来る波動を感知すればいいだけであった。そして場所さえ特定できれば後は行くだけだ。幸いにも体力も回復したし、装備の摩耗や消耗もない。そもそも炙り出そうとしたのは、面倒ごとを潰す目的にあった。もちろん攫われるというのは颯天の予想外ではあったが。
「さて、それじゃあ早速行くとして、お前はどうする、伏見?」
「もちろん付いて行く」
それはあくまで伏見も付いて来るだろうという確信はあったが念の為の確認だったので颯天は別に驚くことは無く、颯天は部屋の外へと向かって歩き始め、伏見も颯天の後へと続き、部屋には深く頭を下げるデュオスの姿があった。
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