第2話

 ・待ち人来たらず・2


 キリキリキリキリ カチンカチン


 約束を交わしたあの日から何日が経ったでしょうか。今日もあなたは来ません。でも、私は待ちます。信じているから。あなたともう一度会えることを。



 ・海と陸の諍い


 私は高い丘の上にいた。眼下には大きな港町が見える。事前に仕入れた情報によると、あそこから海を渡る船が出ているらしい。それに乗るために、私は海岸線を南に進んでここまで来たのだった。

 *

 町に到着し、まっすぐ港へ向かう。そして手近なところにいた体格のいい男を呼び留めて尋ねた。

「ここで海を渡る船に乗れると聞いたのですが」

 男は少し迷惑そうな顔をしてから、

「知らないのか?今は船は出てないよ」

 と答えた。

「それは、どういうことですか?」

 思わず聞き返すと、その男は苦々しい顔で言った。

「少し前にこの辺りの海に魚人の群れが住み着いたんだ。それであいつら、海に出る船を見境なく襲うもんだから、今は誰も船が出せないってわけ。こちとら商売上がったりだぜ」

 それだけ言うと、男は去っていった。

 *

 魚人。海の遊牧民とも呼ばれる彼らは、その名の通り世界中の海を渡って生活する異種族である。そして海を己の領域として認識していて、陸の生き物が海に入るのを嫌っている。

 しばらく待てばそのうち別の場所に移動していくのだろうが、それがいつになるかも分からない。ここは港町だ。船を出せないというのは大きな痛手だろう。海を渡る必要がある私にとっても同様だ。

 *

 一週間この町に滞在して様子を見ていたが、状況は変わらなかった。相変わらず魚人たちは海を我が物顔で泳ぎ回り、それを指をくわえて見ていることしかできない町の住民、特に漁師たちの苛立ちは日に日に募っているようだった。

 *

 その日、私は町から少し北に歩いたところにある海岸にいた。魚人と接触するためだ。

 適当な場所で火を焚き、もう数が少ないからと高値をふっかけられた魚の干物を焼く。ほどなくして、においに誘われた数人の魚人が海面から鱗に覆われた顔を出した。

「こんにちは、魚人さん。少し話を聞かせてもらえませんか?」

 魚人たちは警戒しているようで、私の呼びかけにすぐには答えなかった。それでも根気強く待っていると、そのうちの一人が近寄ってきた。

「何が聞きたい。奇妙な音をまとう悪魔よ」

 彼が言う奇妙な音とは、おそらく私の身体から漏れている駆動音のことだろう。魚人は耳がいいというのは、どうやら本当らしい。

「耳障りだったらごめんなさい。それより、あなたたちがここに来た目的と、どれぐらいの間留まるつもりなのかを聞きたいの」

「それを知ってなんとする?」

「私は故あってこの海を渡る船に乗らなければならない。でも、あなたたちがそれを邪魔してるじゃない?それで困ってるの。私だけじゃない。すぐそこの町の人たちも」

 私の言葉に、魚人は口元を歪めて、

「お前たちは陸の民であろう。それならば、陸に引っ込んでおればよいではないか」

 と答えた。私はその言葉に表情を変えずに返した。

「そう言わずに。あなたたちも不要な恨みを買いたくはないでしょう?」

「陸の民の恨みなど、ひとたび海の中に帰れば何一つ届かぬわ」

 さらに魚人は続けた。

「お主、もしや勘違いしてはおらんか?自分の、悪魔の言うことなら大抵は聞き入れられるはずだと。断れる者はそうはおらんと。だとしたら滑稽だな。陸の上での権威など、海では無意味無意味」

 そう言って笑う。周りにいた他の魚人たちもそれに合わせてゲラゲラと笑い始めた。

 馬鹿にされている。こんなことで頭に血が上ったりはしないが、これでは交渉は望めそうにない。

 魚人たちの嘲笑を浴びながら、どうしたものかと考えていると、海面から新たにもう一人顔を出した。私と言葉を交わしていた魚人に何やら耳打ちしている。すると、そいつは一瞬驚きの表情を浮かべてからこちらを睨みつけた。

「なるほど、そういうことか。陸の民の考えそうなことだ」

 何のことを言っているのだろう。私が問いかけるより先に、

「こうなった以上、それ相応の報いを覚悟しておけ!」

 そう叫び、魚人たちは海中に消えた。海岸に独り残された私は、その言葉の意味が分からないまま町に戻ることにした。

 *

 町に戻ると、何やら港の方が騒がしかった。怒鳴り声も聞こえる。嫌な予感がした。私は港へ急いだ。

 港には人だかりができていた。近くにいた人に話を聞くと、漁師たちが魚人の親子を捕らえたのだという。

「そいつらを人質にして、この海から魚人どもを追い出すって息巻いてたぜ」

 どうやら状況が良くない方向に転がりつつあるようだ。先の魚人が言っていたのもこのことだろう。

 集まっている人たちをかきわけて進むと、そこには確かに魚人の姿があった。うずくまっている大人の魚人の前で、身体の小さい子どもの魚人が両腕を広げて立ちふさがっている。

「かかさまに近寄るな!」

 そう声を上げながらも、身体は震えている。漁師たちは銛を構えながら親子を取り囲んでいた。

 見ていられない。私は魚人と漁師の間に割って入った。彼らの持つ銛の先端がこちらに向けられる。

「なんだテメェは⁉」

「ただの旅人です。こんなやり方は良くない。もっと他にいい方法が……」

「よそ者は引っ込んでろ!」

 言いながら漁師の一人が銛を突き出した。私はそれを左手で掴み、そのままへし折った。漁師たちの表情に驚きと怒りが走る。

「テメェ……こいつらの味方するのか⁉」

「いや、そういうわけでは……」

「かまわねぇ!こいつもたたんじまえ!」

 その時、私の前に一人の男が進み出た。この町に着いた日に話を聞いた人物だった。

「あんた、他に方法が。そう言ったよな」

「は、はい」

「何か具体的な案があるのか?」

「今はありません。でも、何か方法があるはずです。こんなやり方は、間違いなく後に禍根を残します」

「じゃあ、あんたがそれを見つけてこい」

「は?」

「見たとこ、あんた悪魔だろ。なら魚人のやつらも話ぐらいは聞くんじゃねぇのか。そこまで言うんだ。あんたが何とかしてみろ」

 いや、ついさっきダメだったんですが……。そう口にしようとしたが、周りからも声が上がり始めた。

「そうだ!悪魔ならなんとかできるだろ!」

「その角は飾りか⁉」

 場の空気が先ほどとは違った方向に、私にとっては良くない方向に変わり始めた。マズい。これは非常にマズい。なんとかしたかったが、結局、なし崩し的に私はこの問題を押し付けられてしまった。

 *

 夜になり、私は港にある倉庫の一つで件の魚人親子と話をしていた。一応、形としては彼らを助けたことになるからか、親は警戒を解かなかったが、子どもの方からいくつか話を聞くことができた。

 彼らはもっと南の海を住み処としていたが、流れ者の海竜に追い出されてしまったというのだ。

「つまり、その海竜がいなくなれば、元の場所に戻れるのね?」

 魚人の子どもが頷く。

「大人たちが言ってたんだ。本当はまだ渡りの時期でもないし、ここにいるのは本意ではないって」

 ふむ。これは、もしかして解決の糸口が見えてきたのでは。

「ねぇ。ここから出してあげる。その代わり、あなたたちの長に伝えてほしいことがあるの」

 私の申し出を、親子はなんとか承諾してくれた。

 *

大きな船が海原を走っている。その周囲の海面には魚人たちの影が見える。目指しているのは南の海域、魚人の本来の住み処だ。

 あれから私は解放した親子を通じて魚人の長と交渉した。そして漁師たちと協力して海竜をなんとかする代わりに親子を捕らえたことを不問にする約束を取り付けた。

 港町の漁師たちは最初こそ難色を示したものの代案も思い付かないようで、渋々といった様子で首を縦に振った。

「そろそろだ!頼むぞ陸の民よ!」

 海面から顔を出した魚人が叫ぶ。それと同時に船の前方の海が盛り上がった。海竜だ。

 ぎらついた眼がこちらを睨む。その顔には大きなキズがあった。手負いか。縄張り争いに敗れた、といったところか。

 海竜が咆哮とともに船に向かってくる。私はそれに向かって手に持っていた金属のボールを投げつけた。

「目を閉じて耳をふさげ!」

 船員たちに合図し、私も自分の言った通りにする。するとボールが弾けて大きな破裂音とともに激しい光を放った。

 海竜が怯む。その隙に船員たちが手にしていた銛を海竜に投げつけた。何本かがその長い体躯に突き刺さる。海竜が悲鳴を上げながら海中に消えた。海に赤い色が広がる。しばらくの後、船が衝撃を受けて大きく揺れた。

「あの野郎、俺の船に体当たりしてきやがった!」

 船長が声を上げる。それと同時に今度は海竜の尻尾が海上に現れた。その尻尾が船に、私のいる場所目がけて振り下ろされる。私はそれを両手で真っ向から受け止めた。足元の甲板を割って身体が沈み込む。

 掴んでいる私もろとも海竜が尻尾を振り上げる。それが再び振り下ろされる前に私は左の拳を叩きこむ。左腕が海竜の鱗を突き破り、肘のあたりまで突き刺さった。海竜が悲鳴を上げ、尻尾をでたらめに振り回して私を振り落とした。

 私は海に放り出されながら、しかし勝利を確信した。海竜の尻尾が海の下に消えてからすぐに、にぶい炸裂音が聞こえたからだ。

海に落ちて沈みながら、私は海面に向かって浮かんでいくちぎれた尻尾と、海の底に沈んでいく海竜を見た。もう息はないようだった。

 海竜の尻尾に突き入れた左拳の中には炸裂弾が握られていた。腕を引き抜く時にそれを鱗の下に残していたのだ。本当は海竜の動きが止まった瞬間に頭部に投げつけるつもりだったのだが、結果オーライというやつだ。

 どんどん海に沈みながら、私は救助を待った。すぐに数人の魚人が私に近付いてくる。そして私の両腕を掴んで海面へと泳いでいった。

 *

 魚人と船員に助けられて甲板に上がった私の方に船長が向かってくる。

「やったな!これで魚人のやつらは戻れるんだろ?」

「ええ。そのはずです。ですよね!長!」

 私の声を聞いて海から顔を出していた魚人の長が答えた。

「その通りだ。礼を言う。奇妙な音をまとう悪魔よ」

 私は長に手を振った。それを私のそばで見ていた船員の一人がほっとした様子で言った。

「あんた、スゲェな。さすが悪魔と言ったところか。しかし、悪魔ってのは、皆あんたみてぇに身体が重いのか?海から引き上げる時に腕がしびれそうだったぜ」

 その言葉に私は苦笑しながら、

「多分、他の悪魔は私より軽いと思います。私の身体はちょっと特別製なので」

 そう言って左の袖をまくって見せた。そこには、白い装甲に覆われた機械の腕があった。

 息を飲む船員に私は言う。

「この左腕と、腰から下は機械なんです。私が重いのはそのせいですね」

 そこまで説明してから私は船長の方に向き直って告げた。

「なので、浴室と真水をお借りしてもいいですか?海水を流さないと、錆ついて動けなくなるかもしれないので」

 船員同様、私の左腕を見て驚いた様子の船長は、こくこくと頷いた。

 *

 私たちは出発した港町に戻ってきた。私としてはそのまま海を渡って目的地に向かってほしかったのだが、それには食糧や物資が足りないと言われては従うしかなかった。

 戻った私たちを迎えたのは、町を上げての祝いの宴だった。再び漁に出られる目途が立ったからだろうか。魚も酒も大盤振る舞いだった。宴の間、私のところにはひっきりなしに町の住民が来て礼を言っていった。

 私と一緒に船に乗っていた船長や漁師が酒瓶を片手にまるで自分のことのように私の武勇伝を興奮気味に語っている。それを横目に、私はこっそり席を離れ海辺に向かった。

 *

 夜の海は静まり返っていた。私は一息吐いてその場に座った。あんな風に宴の中に混じるのは初めての経験だったから、少し気疲れしてしまった。そのまま海を見ていると、海から魚人が現れた。漁師に捕まっていた親子と、以前私のことを嗤っていた魚人だった。

「この度は、我が妻と子を助けてくれたばかりでなく、海竜まで退治してくれて本当に礼を言う。そして、非礼を詫びよう。すまなかった」

 そう言って魚人は頭を下げた。親子もそれにならう。

「別に、気にしてないからいいですよ」

 私が何でもないことのように答えるのを聞いてから、魚人はようやく頭を上げた。

「長からの言伝だ。夜が明けたら、我らは元いた海に戻る。これ以上、ここの陸の民に迷惑はかけない。約束しよう」

 それだけ言うと、魚人たちは暗い海の中に消えた。これで一件落着かな。そう思っていると町の方から声が聞こえた。

「おーい!悪魔の旅人さんよー!何処だー⁉」

 どうやら探されていたらしい。私は声の主のところに向かう。

「おぉ!そんなところにいたか!悪魔の旅人さん!皆待ってるぜ!今夜の主役はあんたなんだからよ!」

 声の主は船長だった。

「主役?私が?」

 私が尋ねると船長は笑いながら言った。

「当たり前だろ!何てったって、あのでっけぇ海竜をほとんど一人で倒しちまったんだからな!あんた以外に主役はいねぇよ!悪魔の旅人さん!」

 そこまで言ってから船長は首をひねった。

「しかし、『悪魔の旅人さん』ってのも呼びにくいな。あんた、名前は何て言うんだ?」

 正直今更な問いを投げかけられていささか呆れたが、宴の主役と言われて悪い気はしない私は快く名乗った。

「エフィールです。私の名前は、エフィール。大切な人にもらった、大事な名前です」

 それを聞いて船長は、

「エフィールさんか!良い名前じゃねぇか!さぁ、行こうぜエフィールさん!」

 そう言ってご機嫌そうに笑う船長と一緒に私は宴の席へ戻っていった。

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旅する私と待つあなた 石野二番 @ishino2nd

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