記憶④~たった一人の友達~

 四角に切り取られた窓。そこから覗く、蒼穹は果てしない。


 そんな日は、部屋が眩しかった。白い壁の部屋は、清潔感があるが、それだけだった。  は、あまりこの部屋が好きではなかった。白い壁は見飽きた上に、実は白はあまり好きではない。  は、萌葱色や翡翠色といった、淡い色の方が心惹かれる。


 他の病院に入院したことがある患者曰く、他の病院には白ではない壁の病室があるという。どうしても、白ではなくてはならないという規則はないらしい。



 看護師に頼んだら、壁紙を淡い色に変えてくれるだろうか、とそこまで思って踏み止まる。


 近い内にここを出る自分のために、そこまでしてもらうのは憚れる。逆に期限が迫るからこそ、希望通りにしてもらいたい、という願いも少なからずある。


 だが、何も言わない方がいいのだ。


 ただただ、時が過ぎ、喚かず、騒がず、悲しまず、その時が来るのをじっと待つのが、  が唯一出来る孝行なのだから。


 四季によっては景色が変わるだけの窓。全部は埋めきれないのに、ただ大きいだけの本棚。大きな事件があれば、それだけしか言わないテレビ。


 狭くて、色のない病室。  にとって、ここが世界であり、たった一つの居場所だった。


 時計を見ると、既に四時を回っていた。


 無意識に笑みを浮かべる。


 そろそろ、あの子が来る時間だ。


 いつも思うが、あの子はいつ他の友達と遊んでいるのだろうか。学校の休み時間くらいしか遊んでいないのではないか、と心配してしまうくらい、毎日ここに来てくれる。


 あの子のためにも、他の友達との時間を多めに取らせたほうがいいかもしれない。けど、  はそれを指摘したことがなかった。


 申し訳ないけど、これくらいの我が儘は許してほしい。



「  、遊びにきたよ!」



 そうこう思っているうちに、弾んだ声を響かせながら、あの子が病室に入ってきた。


 黒い髪に黒い瞳。少し吊り気味の目を輝かせて、アンジェリカを見つめる少年。この少年が、  のたった一人の友達だ。



「いらっしゃい、小太郎」



 笑顔で迎える。


 前までは、ノックくらいして、や、病院だから静かに、と口酸っぱく注意したが、今はしない。


 彼も守ろうとしているのだが、ここに来るのが待ち遠しくて、ついついやってしまうようだ。


 それを知った時から、どうも怒れなくなった。しょうがないなぁ、と心の中で許してしまうのだ。


 小太郎は、黒いランドセルをベッドの脇に置き、傍らに置かれていたパイプ椅子に座る。



「  、熱はもう下がった?」


「うん。今は平熱だよ」



 小太郎が昨日来た時、  は高熱を出していた。だから昨日は、お喋りが出来なかった。



「苦しくない?」



 心配そうに眉を寄せる少年に、  は自然と笑みが零れた。



「うん。大丈夫。ありがとう」


「よかった」



 安堵して、小太郎は笑顔になった。


 自分のことを心の底から心配してくれるのは、この子だけだ。熱が下がると心の底から喜んでくれるのも、この子だけ。


 それが嬉しくてたまらない。自分はここにいてもいいのだと、安心できる唯一の存在だった。



「今日はね、お土産があるんだ」


「お土産?」



 小太郎はランドセルを引き上げると、ごそごそと中を漁った。



「これ!」



 取り出されたのは、ラップに包まれた揚げパンだった。

 たしか、給食の中で一番好きだと、少年が言っていたのを覚えている。



「これ、どうしたの?」


「給食に出たやつ。今日は一人休んだから、じゃんけんしてもらってきたんだ。あとね、まわりに看護師さんがいないから、怒られないよ」



 渡される揚げパン。小太郎と揚げパンを交互に見て、  は言った。



「全部は食べきれないから、半分こしよう?」


「うん」



 半分に割って、小太郎に渡す。


 一口囓る。少しサクッとした食感と、黒糖の程よい甘さが舌に広がった。病院食にはない味に、  は思わず笑みを浮かべる。



「おいしいね」


「よかった」



 笑んでから、小太郎も揚げパンを食べ始める。


 誰かと一緒に食べる。滅多にない機会も相まって、美味しいということに、この少年は知っているだろうか。知っていないだろうし、知らなくていいと思う。



「  は、いつになったらさ、学校に通えるようになるんだ?」



 ぴたっと食べるのを止める。



「いつかな……たぶん、だいぶ先になると思う」



 曖昧に答える。本当は分かっていたけれど、正直に答えるには、この少年にとって残酷のように思えたのだ。


 自分は一生学校に通えない。寿命が、そんなに長くはないのだと。


 言えるはずがない。自分が元気になるのを、心の底から信じてくれている少年には、言いたくない。



「そういえば、今度、蛍を見に行くんだ」


「蛍?」

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