帰宅

 屋敷に着いた頃には、空が赤くなり始めていた。随分長く、話し込んでいたものだと、アンジェリカは感慨深く、空を仰ぐ。


 帰宅すると、クルトが出迎えてくれた。



「大丈夫だったか?」



 第一声が、お帰り、ではなくそれだった。裏庭から屋敷に入った際も、お帰り、と声を掛けていたのに。余程心配だったのだろうか。



「はい。けっこう楽しかったですよ」



 そう答えると、クルトが後ろにいる、ヘルツに目を向ける。ヘルツは笑みを浮かべた。



「はい。それはもう、楽しげに会話をなさっていましたよ。最終的には、名前でお互いを呼び合うほどに、親交を深めておいででした」



 次にベルベットに目を向けた。



「拍子抜けでしたよぉ。あたし、トリューゼ嬢がぁ、突っかかってきて乱闘騒ぎになるかもって、思っていたのにぃ」


「そうか」



 そこでようやく、クルトが安堵の息を漏らす。



「あら。わたしの言葉だけでは、信用できませんか?」


「信用できないというか、含みがありそうな言い方をするから」


「そうでしょうか?」



 心外である。


 後ろにいる二人を見てみると、ベルベットはうんうんと頷き、ヘルツは笑みを貼り付けていた。

 クルトの言葉を肯定しているような雰囲気が、とても解せなかった。



「だが、良い関係を築けそうでよかった」



 その言葉にむっと反応したのは、ベルベットだった。



「お言葉ですが、クルト様ぁ。危害を加えない、と見せかけているかもしれませんよぉ」


「トリューゼ嬢は、そんな器用な人じゃない」


「ですがぁ」


「そうですね。真っ直ぐすぎる方だと思ったのですが……どうして、エマ様がわたしに危害を加えると思ったのですか?」



 話した限り、エマは思い込みが激しいが、裏表がなくて人を騙せないような人だった。気遣いも出来るし、根は良い人なのだと思う。



「前に、俺に言い寄った女がいて、その女をトリューゼ嬢が殴ってしまって」


「あらあら。ぶつ、のではなくて?」


「殴った」



 頭に血が上りやすそうな人、とは思っていたが、どうやら的中したようだ。それとも、その女性が悪かったのか。本人に聞いてもいいのであろうか。



「言っておきますが、トリューゼ嬢は安易に人をぶたない方ですよ。余程相手の女性が、常識知らずだったのか、トリューゼ嬢の気が障ることを言い放ったのか、どちらかでしょうな」



 ヘルツがそう付け加える。



「だが、俺に言い寄った女でさえ殴った。そのつもりはなくても、危害を加えるかもしれない、と思って」


「杞憂に終わってよかったですね」


「全くだ。二人とも、ありがとう」


「勿体なきお言葉ですぅ」


「いえいえ。何事もなくてようございました。クルト様、アンジェリカ様が心配しすぎて、仕事が進んでいない、ということはありませんかな?」


「なっ!?」



 クルトの顔が真っ赤に染め上げられた。


 それを見て含み笑いをするヘルツと、にやにやした口元を必死に隠そうとするベルベット。


 さらに真っ赤になったクルトを見て、どうして真っ赤になっているのかしら、と不思議がって見つめた。



『クルト様には、忘れられないお方がいらっしゃるの』



 ふと、エマに囁かれた言葉が鼓膜に蘇る。


 あれは、本当のことだろうか。エマの思い込みではなかったとするのであれば、誰だろうか。


 エマはアンジェリカの容姿を、忘れられない人とよく似ている、と思っているみたいで、クルトの一目惚れ、という噂に対してそれほど疑っていないようだったが。



(その時は、なんとか誤魔化してよかったとは思ったけど)



 クルトの一目惚れで婚約者になったわけではなく、あくまで聖女であることを隠すための嘘だ。

 強制ではないと言っていた。つまり、こちらの都合で解消してもいい、ということだ。



(この婚約を解消したら、クルトはその忘れられない人をお迎えするのかしら。いえ、忘れられない、ということは、お迎えできない理由があるのかしら)



 忘れられないのなら、その人に問題がないのなら、さっさとその人を迎えることは出来たはず。それなのに、それをしていない。なにか理由がある、と考えた方がいいだろう。


 もし、問題がなくなって、その忘れられない人を迎えに行くつもりなのなら、その時、自分はどうするのだろうか。



「どうした?」



 気が付いたら、クルトがアンジェリカの顔を窺っていた。我に返ったアンジェリカは、一瞬の焦りを面に出さず、にっこりと笑みを貼り付ける。



「いいえ。ただ、クルトはどうして、そんなに真っ赤になっているのだろうな、と」


「そ、それは」


「照れていらっしゃるのですよ」


「照れ屋さんですよねぇ」


「あら、どうして照れているのでしょうか?」



 首を傾げてみせると、クルトが真っ赤になりながらも、半眼でアンジェリカを見据えた。



「アンタ……面白がっていないか?」


「はい。かなり」


「おやおや。アンジェリカ様、駄目ですよ。そういう時は、素知らぬ顔で、なんのことでしょう? と、言うべきですよ」


「それもそうですね」


「変なことを吹き込むな!」



 真っ赤になって、ヘルツを怒鳴るクルトだったが、全然怖くなくて、むしろ可愛らしいな、とアンジェリカは小さく笑声をあげる。


 胸の奥に小さく渦巻いている、不快な感覚は無視した。

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