甘味処「ハラレア」②
テラス席に移動すると、クルトが椅子を引いてくれた。礼を言いながら、席に座る。クルトも向かいの席に座ったところで、話しかける。
「クルトは、だいぶこの街の人に慕われていますね」
「いや。それほどでもないさ」
「でも、街の人達と距離が近いように見えましたよ」
街を歩くと、街の人々がクルトに話しかける。その顔に緊張はなく、親しみが込められていたように見えた。
「あの人がダメダメな分、俺がまともに見えるから、街の人は俺に対して、期待しているだけなんだ」
「と、いうと?」
「あの人が魔法機の研究ばっかりで、領主の仕事はしないって言っていただろう?」
アンジェリカは頷く。
「俺が領主代理をやっていたのは、それだけじゃないんだ。あの人、とことん領主としての才能がなくて。あの人もそれを自覚して、俺を領主代理に仕立てたんだ」
「他に御兄弟がいらっしゃらなかったんですか?」
「兄がいたらしいんだが、その人は事故で亡くなっている。兄が親から領地を受け継いだ後の事だったらしい。前グレーウェンベルク侯爵は病に侵されていて、余命幾ばくかだったから、研究ばっかりしていたあの人が継ぐしかなかったとか」
「まぁ。そんな事情があったのですね」
「兄が無事領地を受け継いだから、あの人は研究に専念できる、と大喜びだったらしい。その兄が亡くなって、領地を継がなければなくなった時は、すごく嘆いていたらしい」
「お兄さんが亡くなったことよりも、ですか?」
「いや、亡くなったことに悲しんだはずだ。それよりも、研究に専念できないことの悲しみのほうが勝っただけだと思う」
「フォローになっていませんよ」
あの人らしいといえば、らしいが。
研究所から滅多に出ない現侯爵の、へらへらした笑いを思い出していると、ジェリーが飲み物を持ってきた。
「お待たせしました! 先にエバンレモネードをどうぞ!」
「ありがとうございます」
机の上に置かれた、エバンレモネードを見る。器はヴァーランス焼きで、中が見えない。覗き込むと、透き通った黄色で、底の花の模様が見える。白い花弁は六つあって、黄色い雄しべと雌しべがある。
「エバンの贈り物は、もう少し待ってくださいねぇ」
と、言って、ジェリーが去って行く。それを見計らって、アンジェリカはクルトに聞いた。
「エバンとは、どんな花なんですか?」
エバンは名前でしか見たことがなくて、実物や絵で見たことがない。
「この器の底に描かれているのが、上から見たエバンだ」
「上から見た、というと?」
「エバンの花の蜜の採り方は、蜂を使わない。萼が大きく膨らんでいて、その萼の中に蜜を溜め込んでいる。その事から、エバンの萼は別名、蜜袋と呼ばれていて、その蜜袋から直接蜜を採るんだ」
「つまり、ウツボカズラみたいなものでしょうか?」
「……ウツボカズラの口をぎゅっと閉じて、その上に花が付いているような感じ、かな」
「なるほど」
ウツボカズラは実物で見たことはないが、テレビで見たことがある。あれの口辺りに花がある。とりあえず、見た目はあまり美しくない、ということが分かった。
「この国の犬は魔除けの動物だと信じられている、と教えたな」
「はい」
「この街にとって、犬は魔除け以上に守り神でもある」
「守り神?」
「昔からエバンの花の蜜目当てで、猿が山から下りて、エバンの花畑に侵入するんだが、その猿を犬が追い払ってくれるんだ。今はヴァーランス焼きがあるが、昔はエバンしかなかった街だから、犬は生活を守ってくれる動物として、大事にされてきたんだ」
「なるほど。だから、守り神」
至る所に犬のオブジェがあったが、魔除けではなく、守り神として置かれているのね、と納得しながら、レモネードを飲んでみる。
レモンの酸っぱさの後に、仄かに上品な甘さが口の中に広がる。甘さは薄くて、たしかに甘いのが苦手な人にも飲めそうな飲み物だった。
「そういえば、ロタール侯爵のお兄さんについてなんですが」
先程から浮かんでいた疑問を、口にする。
「クルトは、そのお兄さんに会われたことはないんですか? らしい、の連発だったのですが」
「会ったことないな。俺は養子で、あの人と初めて会った時にはもう、あの人は侯爵を受け継いでいたから」
「養子だったんですね」
「貴族ではよくあることだ」
クルトは、素っ気なく答える。
アンジェリカはまた一口、レモネードを飲んだ。
一回飲んだことがあるが、あの頃のレモネードとやっぱり違う味がする。あの時は、あの子が学校の行事で作ったレモネードを持ってきてくれて。
―― にって、持ってきたんだ
ふと、懐かしい声が脳裏に木霊して、ぴたっと止まる。
――おいしいタルトがある、ケーキ屋さんがあるんだ。もし、退院したら
「どうした?」
我に返って、クルトを見やる。心配げな視線を寄越すクルトに、アンジェリカは一笑した。
「なんでもないですよ」
その後、エバンの贈り物が来て、初めてタルトを食べた。美味しいのに、どうしてか味気がなかった。
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