勉強
それから、勉強漬けの日々が始まった。
午前はクルトに文字を、午後は講師のミリーシャ氏にマナーについて教わった。
ミリーシャは四十代の女性で、厳しいが褒めるところは褒めてくれ、ズバッと正論は言うが、嫌味は言わない。とても良い先生だ。事情を何処まで知っているのか分からないが、良い関係は築けると思う。
そして、クルト。ロタールが言っていた通り、彼は教え方が上手だった。
この国の文字は、日本語にとても似ている。形は全く違うが、例えば「あ」の種類がたくさんあり、それぞれ違った意味がある。これは漢字によく似ている。ひながなと似たような意味を持つ文字もある。クルトがそう教えてくれた。
それさえ分かれば、日本語と同じ要領で覚えればいい。クルトのおかげで、文字は半月で大体読めるようになった。
文字以外にも歴史や地理、各国と自国の情勢なども教えてもらった。
「そういえば、フクバラはどうなったんですか?」
国の勉強をしている途中、ふと、気になったので、隣の椅子に座っているクルトに訊ねる。クルトは淡々と答えてくれた。
「フクバラ王家は王一人しかいなかったから、まともな貴族を王にして、属国にした」
「あら。家族の方はいらっしゃらなかったのですね」
そういえば、王以外の王家の人と面会したことがない。興味なかったので、気付かなかった。
「立て続きに亡くなったらしい」
「あの王様のことだから、暗殺の可能性がありますね」
「さらりと、恐ろしい事を言うな……」
クルトは眉を寄せる。
アンジェリカは、曖昧な確信を持っていた。二回しか会ったことがない自分が、フクバラの王のことを分かっているとは言い難いし、分からなくてもいいのだが、アンジェリカが知っているフクバラの王なら、やりかねない、と。
「俺は殺しただけだから人柄は知らないが、どんな人だったんだ?」
「傲慢で短慮。頭は……あまりよろしくなさそうでしたね。けっこう自己中心的だったような。あと、少し夢見がちだった方でしたね」
聖女がいれば、国は安泰する。そう確証がないことを信じ込んでいたのだ。現実を見ていたのなら、アンジェリカを表に出して、兵と民の士気を鼓舞しようとしていたはずだ。この国の王なら、そうするだろう。
だが、フクバラの王はアンジェリカの存在を隠したまま、確証のない伝承を頼りにこの国に喧嘩を売った。その結果が今である。
クルトは溜め息をついた。
「やはり、清々しいほど昏君だったんだな」
「やはり?」
「増税ばかりしていて、民に何もしていなかったと聞く。命令に逆らった者は、死刑。民が貧困で喘ぐ中、王と王の息が掛かった貴族は、贅沢三昧していたらしい。だから、王都でもそこら中死者が転がっていた」
思っていたよりも、とても悲惨な状況だったらしい。
(戦争に勝利したいから、召喚したのではなくて、国が豊かになったついでに戦争に勝利したかったから、召喚した、ということかしら)
どっちにしろ、今更、どうでもいいことだ。
「この国と戦争してから、さらに貧しくなった。俺たちが攻め込まなくても、革命が起こっていただろうな」
「そうだったんですか?」
「王都を攻めようとしたら、民が兵士を殺して、王都に続く橋を下ろしてくれた」
「あらあら」
余程、この国が救世主に見えていたのだろうか。
「早く立て直せるといいですね」
「そこは、王になった元貴族によるな」
フクバラの話は置いとくとして、持っていた本に再び視線を移す。
「この本で、クルトも勉強していたのですか?」
「ああ、そうだが」
「やっぱり。だから、この本にしたんですね」
「分かりやすいか?」
「はい。とっても」
この本は、クルトが選んでくれた教本だ。元々この屋敷にあった物だろう。かなり使い込まれた本だったが、図と表があって、しかも、難しい文字もあまりないからとても読みやすい。
「難なく読めるか?」
「はい」
「アンタは、覚えが良いな」
「それほどでも」
「謙遜するな。たったの半月でそれ程読めるんだ。頑張っているな」
クルトが小さく笑う。
「この国の文字と言葉は、難しいから、本当に大したものだ」
こうも褒められるとは思っていなくて、アンジェリカは少し困惑した。
褒められること自体、あまり経験したことがないのだ。強いていうのなら、お歌きれいね、とか、泣かないの偉いね、くらいか。悪い子ではなかったのだが、良いことをする機会があまりなかったのだ。
「ありがとう、ございます?」
「どうして疑問形なんだ」
「さぁ……?」
アンジェリカ自身もよく分からないので、そう答える。
少しの間、沈黙が続く。
「いつも疑問に思っていたのですが……」
話題を変えようと、アンジェリカは口を開いた。
「なぜ、言葉が通じているのでしょうか?」
この世界に来た時、最初に抱いた疑問がそれだった。
元にいた世界だって、国によって言葉と文字が違うのだ。異世界では、尚更のことだったはずなのに。
少なくても、この国の文字に似た文字を、アンジェリカは見たことがない。つまり、言葉が違っても不思議ではないのだ。
それなのに、通じている。
すると、クルトは目を丸くして、アンジェリカを見据えた。心底驚いているようだ。
「あっちで、言葉を教えてもらっていなかったのか?」
「はい」
クルトは少し考えてから、口を開く。
「……つまり、俺が喋っている言葉が、元いたところの言葉に、アンタには聞こえている。ということか?」
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