翻訳機能
「クルトは、この国の言葉を喋っているのですか?」
「ああ」
「では、なぜなんでしょうか?」
「多分、アンタには、翻訳機能が付いているんじゃないか、と思う」
「聖女の特権、ということですか」
「可能性として、それが一番高い」
「なるほど……翻訳機能ですか」
翻訳機能が付いている。機械っぽいが、しっくりくる説だ。
本当に神がいて、聖女が神の愛し子なら、愛し子に言葉が通じないという不便はさせたくない、と神は思うかもしれない。だから、翻訳機能を付けた、というのは納得できる。
しかし、それなら監禁させるような国に召喚されるのを阻止してほしかった気もする。
すると、クルトが何やら考え始めた。
考え込まないといけないようなことを言ったのか、と不思議に思いながら、アンジェリカは本の文字を追った。
しばらく読んでいると、クルトが口を開いた。
「そろそろ、外に行ってみるか?」
「はい?」
突拍子な提案に、思わず素っ頓狂な声が出た。
「外、ですか?」
クルトが軽く目を見張った。
「クルト? どうかしたのですか?」
声を掛けると、クルトは言い淀む。
「あ、いや……試しに他の国の言語を喋ってみたんだ」
「ああ、通じていましたね。念のため、他の言語も試してもらってもいいですか?」
「そうだな」
その後、クルトは他国の言語で、簡単な言葉を言った。結果、どの言葉も通じた。
「これで、わたしに翻訳機能があるということが、確定されましたね」
「どの言葉も同じように聞こえるか?」
「そうですね……最初の言葉だけは、他の言葉に比べると、やけにクリアに聞こえましたね」
他のは気にしない程度の微かなノイズが掛かっているみたいな響きだったが、クルトが最初に言った他の言語だけ、ノイズがなかった気がする。
「外に行くか、の言葉か?」
「はい。きっと、その言語がわたしが元いた世界の言語とよく似ている、からではないでしょうか? 確信はありませんが」
なにせ、全部同じように聞こえるのだ。元いた世界の言語とこの世界の言語の違いを、比べることは難しい。
「そう……か」
そう返事して、クルトは考え込んでしまった。
なにがともあれ、何処の国に行っても、言葉に関して不便なことにならないようだ。他の国に行く予定もないのだが、それが分かっただけでもいい。
ただ、通訳機能がバレないように、他人がいる時に他国の人と話す時は注意が必要そうだ。
「そういえば、外に行く話は嘘で?」
その問いにクルトが我に返り、慌てて口を開いた。
「嘘じゃない。文字も読めるようになって、この国の常識も覚えた。言葉も、翻訳機能があるんだったら心配いらない。実際に街に出て、ちゃんと身に付けているかどうか、実践してみても問題ないレベルだ」
一理ある。たとえ覚えていても、実際に使わないと意味がない。
「ですが、お供を付けないと」
ここの使用人は、侯爵家の実家というわりには、本当に数が少ない。人手があまりないというのに、自分が出かけるとなると、仕事の妨げになってしまうのではないか、とアンジェリカは懸念していた。
「俺が一緒に行く」
「あら。お仕事は良いのですか?」
書類はまだ片付いていない、とヘルツから聞いている。まだ、と言っている辺り、相当溜め込んでいるみたいだ。
「息抜きは必要だから」
「ですが、わたしと出掛けると、息抜きにならないのでは?」
表向きは、王の褒美として授かった婚約者。裏向きも、聖女の遊学先だ。アンジェリカの護衛で、周りに気を配っていたら、息抜きが出来ないのではないか。
「そんなことはない!」
強く否定されて、びっくりしたアンジェリカは目を丸くする。
「あ、いや、その、すまない」
自分でもびっくりしたのか、クルトはしどろもどろに謝った。
「アンタと一緒で、息詰まるとか、そういうのはないから」
「そういう意味ではなく、わたしの護衛という意味なのですが」
「あ、ああ、そういう意味か……」
クルトは肩の力を抜く。
「うちの領地は平和だ。この街は特に治安がいい。だから、一々周りを警戒する必要はない」
「そうなんですか。それなら、安心です」
ふと、アンジェリカの胸の内に、悪戯心が芽生えた。
「そういえば、息詰まる、とはどういうことでしょうか?」
「え」
「その単語が出てくるということは、つまり、クルトはわたしと一緒にいて、息が詰まる思いをしている、ということですか?」
「いや! 決して、そう思ったことは一度もない!」
「どうでしょうね。わたしって、利用価値がありますし」
「そういう目で見たことはないから!」
焦るクルトを一瞥して、思わず、くすりと笑う。
いつものクールな彼は、どこへ行ったのやら。それがなお、可笑しい。
笑うアンジェリカが見えただろう。アンジェリカが冗談を言っていることに気付いて、クルトは盛大に溜め息をついた。
アンジェリカは、くすくすと笑う。
ふいに、懐かしさが込み上げてきて、ずきっと痛んだ胸は知らない振りをした。
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