第36章 命の懸けどころ

 可愛そうな、主様マスター……。ルツが、モルガを愛おしそうに抱きしめる。


「ルツ……私のせい・・・・とは、一体、どういうことだ?」


 ルクレツィアが震えながら問いかける。


『言葉通りで……』

「それでは、わからない!」


 ルツの言葉を、ルクレツィアが感情的に遮った。


「モルガ! どうして、私のせいで、お前が死を選ばなければならない……」


 溢れるルクレツィアの涙に、幼い子どもの表情とは思えない、冷めた視線を向けながら、ルツが答えた。


『何を……あの時は、そうするしか・・・・・・なかったでは・・・・・・ありませんか・・・・・・


 あの時──エノクが起こした、強制的なアィーアツブスシャダイ・エル・カイの暴走……。


主様マスターヘルメガータを強制的に起動停止自分を攻撃して操者を欠損させることで、貴女がたを・・・・・守ったのでしょう・・・・・・・・?』


 それは、創造主に与えられた本能のままプログラム通り暴れるだけ暴れたシャダイ・エル・カイには、選択肢さえ無思いつかなかった方法。


 でも、そこに至るまでに……。


主様マスター壊れてしまった・・・・・・・! なのに、そこの諸悪の根源は、一人だけ被害者面してッ!』

「待て! ルツ! 落ち着け!」


 よく、解った……。そう言うと、ルクレツィアはカイの側から離れ、警戒するルツと、動かないモルガに近づく。


「あ、おい……」


 カイが慌てて、その後ろを追った。


「ルツ、一つ聞く。私の命を・・・・差し出したら・・・・・・、モルガは本当に、元に戻るのか・・・・・・?」


 ルクレツィアの言葉に、ルツは一瞬、言葉を失う。


『そ、そんな……わけ、無いじゃない……』


 ぼろり──ルツの目から、大粒の涙がこぼれた。


「そう、か」


 残念そうに、ルクレツィアは肩を落とした。

 そんな彼女に、「お前……」と、カイが信じられないモノを見たように、紫の目を、大きく見開く。


「まさかお前も・・・死んでもいい・・・・・・とか、思ってないだろうな!」

「思っているさ。……私は、モルガこいつの為なら、死んでも構わない」


 私のせいで、こうなった・・・・・のだから。


 ルクレツィアの言葉に、カイは頭を抱えて叫んだ。

 六対の皮膜の翼を……いや、体中を震わせて。


「判らない! 解らない! 理解不能意味不明だ! 何故、人間こいつらは、自分で自分を、平気で殺そうとする!」

「カイッ!」


 落ち着け──ルクレツィアが、カイの腕を掴んだ。


「カイ……いいか? 人間には、命の懸けどころ・・・・・・・というものがあるんだ」


 無理に、理解・・しようとしなくても構わない。けれど、聴いてくれ……。

 まるで、恐ろしいモノを見るような、潤んだ瞳の震えるカイに、ルクレツィアは優しく、なだめた。


「モルガはあの戦いを止めるために、自分の命を懸けようとした。私は、モルガが元に戻るなら・・・・・・、命を懸けても構わないと思う」


 けれど……。


「安心しろ。私の命を代償に、モルガが回復しないのであれば、私はちゃんと別の方法を探す。私は、死にたい・・・・のではなく、助けたい・・・・のだ」


 突然、ルクレツィアが掴んだカイの左腕の黒い鱗の塊が、ボロリと剥がれ落ちた。

 ルクレツィアが驚いて手を離すと、黒い鱗の下から、金色の鱗が淡く輝く。


「……驚いた」


 カイ自身も、信じられないモノを見たように、目を瞬かせた。


 ルクレツィアのモルガに対する強い感情は、カイが喪った信仰に匹敵する──。


「……邪神を、鎮めるとは」


 嬉しそうに、カイがルクレツィアに抱きついた。

 ルクレツィアに触れたところから、バラバラと真っ黒の鱗が、曲がった角が、皮膜の翼が剥がれ落ち、元の姿に戻ってゆく。


 銀色の三対六枚の羽毛の翼を羽ばたかせ、カイは笑った。


「礼を言うぞ! ルツィ……じゃない、人間!」


 カイは頬を赤らめ、思わず顔をそむける。


「ルツィで構わない。それよりカイ。……そしてルツ。モルガをどうやって助けるか、二人とも一緒に考えてくれないか?」


 頼む。協力してくれ! この通りだ。と、ルクレツィアは、ルツに頭を下げた。


 一連の鎮魂やりとりを見守っていたルツは、これまでの流れを考えながら、小さくため息を吐く。


『……貴女、冷静なのね』

「そんな事は、無いと思うぞ?」


 ルクレツィアは首を横に振るが、そうだな……。と、自嘲した。


「私はただ、真面目な事だけが、取り柄なんだ」



  ◆◇◆



『……シャダイ・エル・カイそこのバカ主様マスターに危害を与えないのなら、喜んで協力しましょう』


 ルツの言葉に、カイが「おい……」と、言葉を詰まらせる。

 抑えて……と、小声でルクレツィアがカイを宥めた。


主様マスターは、人格をのぞいてはシャダイ・エル・カイと同一存在。故に、肉体を傷つけても……例え失ったとしても、ヘルメガータが・・・・・・・存在する・・・・限りは、死ぬ・・ことはありません。さらに言うなら、シャダイ・エル・カイの存在が安定した今なら、一緒に自然と回復する筈です。……通常ならば・・・・・


 通常ならば・・・・・の部分を強調し、ルツはため息を吐いた。


『問題が二つ。一つは、主様マスターは、アィーアツブス化反転の影響と、その際の戦闘で、人格部分が壊れてしまった・・・・・・・こと。シャダイ・エル・カイの影響の届かない部分なので、どの程度回復できるかわかりません。……そして、もう一つ』


 床に横たわるモルガを、愛おしげにルツは見つめた。


 カイが落ち着いたことにより、躰の腐敗は治まり、徐々に再生回復している。

 しかし……。


『御覧の通り、目と耳が再生されず……今の主様マスターは、視覚と聴覚が、全欠損した状態です。私たちの姿もわからなければ、声も聴こえない……』


 ルツは再び、ため息を吐いた。


「触覚は、あるのではないか?」

『そう……ですね。手を握ると、時々握り返してくれます』


 ルツの言葉に、ルクレツィアがモルガの手を握る。

 言葉通り、モルガはその手を握り返す。


 そして。


「ル……ツィ?」


 モルガの口が動き、乾いた小さな声が、口から洩れた。


主様マスター!』


 ルツが驚き、そしてルクレツィアを押しのけて、小さな手でモルガの手を握った。

 しかし、握り返すだけで、モルガの反応は、それ以上みられない。


「あぁ、そうか……」


 小さくぽつりと、カイが呟いた。


「……指輪だ。正確には、指輪の気配・・だが」


 カイが「よいか?」と、ルクレツィアの指から、そっと指輪を抜く。

 モルガに近づき、跪くと、カイは指輪を、モルガの回復し始めた手に握らせた。


 途切れ途切れにルクレツィアの名を、うわごとのように呼ぶモルガに、「聴こえていないだろうが……」と、前置きして、カイが言い放つ。


「モルガ。……操者でありながら我ごと九天を攻撃したこと精霊機を殺そうとしたこと、我はまだ赦しておらぬ」


 眉間にしわを寄せ、苦虫を噛み潰したような表情で、カイはモルガを見つめる。

 が、感情に合わせて、再度黒ずむ指先に気付き、ぎょっと目を見開いた。


 慌てて指先を隠しつつ──しかし、ジッと見つめるルクレツィアとルツの視線に気づき、ゴホンと咳ばらいをする。


「あの、だから……我も、貴様に言いたいことが、山のようにあるから……貴様も文句があるなら、事を起こす前に、我に直接言え!」


 故に。と、カイが翼を広げた。


この場・・・は、お開きだ・・・・


 指輪も、『夢』の中ではなく、起きて、自身の手で渡すがよい……。



  ◆◇◆



 ぱちり。と、ルクレツィアが目を覚ました。

 慌てて飛び起き、ポケットの中身を確認するルクレツィアを、少し離れたソファーに座った兄が、ぎょっとした顔で見つめている。


 ポケットの中は空っぽであり、また、右手の薬指にも指輪は無い。


「なるほど……試練の結果は、上々のようだな」


 ダァトが嬉しそうに頷いた。


「上々? まだ、モルガが……」

「言ったであろう。試練は『シャダイ・エル・カイの希望のぞみをかなえる』こと。奴は、その身に刻まれた、矛盾したバグ・・を消すために、操者と接触したかった」


 確かに……と、ルクレツィアはうなずいた。


 モルガの意思を確認することはできなかったが、モルガとカイが接触することができたし、カイも落ち着き、ルツとも和解することができた。


 今後の成り行き次第ではあるが、当面、カイが、「自分カイを殺そうとした自分モルガを殺す」事は、無いだろう。……とりあえずは。


「まぁ、そんな顔をするな。一つ、良いことを教えてやろう」


 もっとも、既にお前は知っているかもしれないが。と、ダァトはルクレツィアに茶を差し出し、口を開いた。


「どうして、精霊機の魂が、人間の肉体を欲するのか。我らが創造主が、何故、精霊機の魂に、そのような機能能力を与えたのか……人々の『信仰』が力となるように、人間同士・・・・の、『愛情』や『信頼』も、また、同様の力となる」


 故に──ローブに隠れて見えないが、笑みを含んだ口調で、ダァトは言った。


「お前も、信じて、望むがよい。ヘルメガータの操者との再会を」


 きっと、良い道が開けるであろう。

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