第28話 カッサンドラ・3
―3―
男は毎日のようにやってきた。
アタシを崇めるように見て、アタシの歌声に恍惚とするのが仕事のように。
いつもより幾分早く出勤したアタシに、店の主人が、言った。
「いつも来るあの男だけど」
ああ、とアタシは頷いた。
彼の事だ。眼鏡に仕立てのいい服。この階層じゃ滅多に見れない贈物を手に、アタシを崇めに来る男。
マスターは、ちらりとアタシを見て言った。
「1600階層に住む貴族らしい」
きょとん、と、アタシは間抜けな顔をしてマスターの顔を眺めた。
1600階層? 貴族?
貴族って言うのは、簡単に言えば、この階層都市の支配階級。男爵だの伯爵だの…好き勝手に名乗っているのが、彼らだ。
階層都市にルールは多くない。
ただ、その多くないルールでも、生まれたての赤ん坊でさえ叩き込まれるのが、『支配階級に逆らってはいけない』って事だ。
言葉通り、彼らはアタシたちの生命さえも握っている。
でも。
……アタシたちの生命を握っていると言う支配階級の男? アレが?
「良かったな、カッサンドラ」
マスターが、心からそう思っているように笑った。
意味が分からない。
アタシは少し混乱していたのかもしれない。
「あの男が1600階層の貴族って言うのなら、巧く取り入れば、上層に住むのも夢じゃない」
「……あ」
そうだ。
そうなのだ。
アタシは、顔を輝かせ、笑っただろう。
「随分とカッサンドラに御執心のようだしな」
マスターは片目を瞑ってみせた。「頑張りな」
「勿論!」
アタシは力いっぱい答え、豊かな胸を誇らしげに張った。
このアタシに言い寄られて、落ちない男なんていやしないんだから。
男はその日もやってきた。
その日、アタシに贈られたのは、真紅の宝石が付いたネックレス。
幾分派手だけど……男の見立てに間違いは無い。アタシにとてもよく似合った。
「嬉しい」
アタシは男に嫣然と微笑みかける。
男は赤面。純情そうな顔を炎みたいに染めて、それでもアタシから視線を外せず、馬鹿そのものの顔。
「そう言えば」
アタシは男に微笑みかけたまま、言った。
上目遣いで媚びるように。アタシは、アタシのどういう表情が一番魅力的か知っている。
「お名前、伺っておりませんでしたわね」
「あ……」
男は、眼鏡の奥で瞳を見開いた。
かなり驚いているご様子。
「あ、あの…その私は…」
しどろもどろになってから、男は、困り果てたように苦笑した。
「す…すいません…まさか私の名前を聞かれるなんて思ってなかったので…」
「あら」
アタシは無邪気な少女のように笑ってやる。「素敵な方のお名前を知りたいと思うのは、当たり前の事じゃありません事?」
「…………!!!!」
男の慌てようは凄かった。
そりゃあもう、言葉では言い表せない程。
多分、脈拍が通常の二倍ぐらいに跳ね上がった直後、男は、緊張しながら、こう言った。
「わ…私は、アウト・サイと申します」
「では、アウト様とお呼びして宜しいかしら?」
「いえ! どうぞ、ただのアウトとお呼び下さい!」
あらあら。
この男は、どうやらマゾヒズムの素質がお在りのようで。
なら、そういう態度を取ってあげましょう。
アタシは微笑み、「アウト」と男の名を口にした。
「私、とても貴方に興味がありますの」
そっと指を伸ばして、アウトの胸に這わせて。
どきどきと暴れる鼓動まで感じ取る。
下から、アウトの顔を見上げた。
「今度…ゆっくりと二人でお話しません?」
アタシは笑いながら、軽く下唇に舌を這わせた。
どう見ても、誘っているとしか思えぬ仕種に、アウトは。
耳まで真っ赤になって、身体を棒みたいに硬直させた。
「ご都合の宜しい日はいつかしら?」
アタシは笑う。「…私は、一日でも早い方が嬉しいのですけど……我侭かしら?」
「い、いえ!!!!」
アウトは力説。「わ、私の時間は、いつでも貴女の為に」
「なら、今夜」
アタシはすぃっと身体を離す。
ステージに向かいながら、男に肩越しに視線を送る。
「ステージが終わるまで、待っていて下さる?」
アウトは壊れた人形のように何度も頷いた。
その日の夜。
せっかく寝台へお誘い申したと言うのに、アウトは、アタシに綺麗だ美しい女神だと囁くだけで何もしようとしなかった。
ただ、アウトが本当に1600階層の貴族で、独身者――それから、アタシに心底惚れているのは確認出来た。
それだけ分かれば、あとは簡単。
アタシの心は、既に貴族の奥様に納まっているアタシを思い描いていた。
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